4.当主の側使え
「お待ちしておりました、メルクリールさん」
玄関ホールで、執事に出迎えられてメルクリールはごくりと唾を飲み込んでしまった。
何しろローゼンハイム邸は外観からすごかった。
外門の前で、ザイードに「ここだよ」と言われたが、あまりにも豪華すぎてしばらく動けず「大丈夫か?」と心配されたくらいだった。
白亜の城のようだった。
いや、城ではない……だが公爵家なのだ、庶民のメルクリールにとっては城といっても過言ではない。外門に立っている警備員に名前を告げ、震える足を叱咤しながら、立派な中庭や噴水を横目に見ながらなんとか玄関の扉に向かった。
(わ、わたし、みたいな、ものが、お、表から入っていいの……?)
階段を登るときも足ががくがく震えて、思わずぎゅうっとザイードからもらったお守り袋を握りしめるばかりだった。何度も深呼吸をしてから、ようやく真鍮のドアノッカーでノックすると、銀縁眼鏡の執事が出迎えてくれたのだ。
そして玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、息を呑んだ。
高い天井からは豪勢なシャンデリアが下がり、柔らかな光が空間全体を満たしている。白を基調とした壁面には余計な装飾はないものの、それがかえって上品に映る。
正面には、左右に分かれて伸びる大階段がある。曲線を描く階段に、手すりに施された繊細な細工。
何もかもが桁違いだ。
今まで暮らしてきた世界とはまったく違う貴族の世界。少し怯むくらいに――いや、少しどころではない、めちゃくちゃ怯んでいる。
けれどまだ年若い銀髪の狐獣人の執事はにこにことしていて、どうやらメルクリールを歓迎してくれているようだった。
「ここまで迷いませんでしたか?」
「あ、はい……、その、友人がここまで送ってくれたので」
「そうでしたか! それはよかった」
感じ良く執事が応じてくれ、彼の私室で詳しいことを話すという。廊下を歩きながら、ここは図書室、ここは応接間、ここは厨房などテキパキと説明を加え、通りすがる使用人には「新しく入ったメルクリールです」と紹介までしてくれる。
(一流の……ふるまい……、ローゼンハイム公爵家って……すごいんだな……! 一介の使用人相手にここまでしてくれるなんて……!)
とてつもなく感動してしまう。最初はあまりの豪華さに腰が引けてしまっていたが、『ちゃんと真面目に働こう』という意識に切り替わっていく。
バーナードの私室は、こじんまりとしたものだった。私室といっても執務室として使っているようで、執務机、本棚がある。バーナードは机に腰かけ、メルクリールには椅子をすすめてくれたので、足を揃えて腰かける。
「ようこそ、メルクリールさん。お待ちしておりました」
そこでバーナードは銀縁眼鏡を人差し指であげた。
「貴女の優秀さは、養護院のシスター長からもお墨付きをいただいております。それに、年下の子供たちへの振る舞いも申し分ありませんでした。我が家へお迎えできることを、楽しみにしておりました」
「過分なお言葉をありがとうございます……!」
一介の使用人にここまで言ってくれるとは。
メルクリールはその場で頭を下げながら、そう思った。
バーナードに会った記憶はない。顔は見えていなかったが、あの黒づくめの男性はバーナードではないと言い切れる。けれど彼の口ぶりはメルクリールの働きを見ていたと言わんばかりだった。
(でもよかった。雇われたのは間違いじゃなさそう。よぉし、頑張らなきゃな)
前向き遺伝子持ち人間として、メルクリールは改めて心に誓う。
メルクリールが姿勢を戻すのを待って、再びバーナードが口を開いた。
「差別をするつもりはありませんが、『人間』であることも雇った大きな理由の一つです」
「え?」
「貴女を当主の側使えに致します」
当主の側使え?
当主……
当主とは……?
ぽかんとしてしまう。
「あ、当主のことは知っておられますか?」
心配そうにバーナードが尋ねてくる。
「は……は、はい……レ、レオニス・ローゼンハイム様、ですよね?」
呆然としながらその名を呼べば、バーナードの表情が明るくなる。
「ご存知だったら話が早い! それでレオニス様は、使用人を側に置くのを嫌がるんです。何しろ、獅子獣人ですので、男女問わず惹きつける力がすごすぎて。あ、私はもう彼が幼い頃から知っているんで、その限りではないんですが」
「は、はぁ……」
「『人間』には発情期がないでしょう?」
「……!!」
それはそうかもしれない、などとぼんやりと思う。使用人までもが秋波を送ってしまうのであれば。確かに気が休まらず、煩わしいだろう。発情期がある獣人ならば、自分でなかなかコントールができないのかもしれない。
(で、でも、だ、だからって、わ、わたし、に、荷が重すぎない……!?)
ぐぐっとスカートを握りしめてしまう。
「もちろん、色々と調べさせてもらって、貴女が優秀だから雇ったわけですが――あとは当主本人がそう決めましたので」
そこでメルクリールはぴたりと動きを止めた。
「え、そう、そうなんですか……?」
「はい、養護院に視察に行って彼がそう言い出しましたので、私としては従うまでです。貴女には期待していますよ、メルクリール」
バーナードがにっこり笑うと、狐特有の細い目がまるで一本の線のように見えたのだった。




