3.旅立ち
十八歳を迎え、養護院を出る――『卒業』と呼ばれている――ことになった。
半年前にはネイアが、二ヶ月前にはザイードも十八歳を迎え、巣立っていった。ネイアは恋人のハルドと同じ侯爵家の使用人に。ザイードは生家のクライン伯爵家へと。メルクリールは、友人たちに続いて未知なる世界に飛び出すことを心待ちにしていた。
しかも――。
「メルクリール、いよいよ出発の朝ですね」
旅立ちの時。荷物を抱えたメルクリールを、シスターたちと、年下の子供たちが囲む。えんえんと泣くアイシャを抱きしめ、また会おうね、と告げる。
子供たちとの別れが済み、シスターたちに向き直る。
「ここまで育ててくださって、本当にありがとうございました、シスター」
「貴女と過ごすのは、とても幸せでした。貴女は聡明で、明るく、皆を照らしてくれる光のようでしたから」
「……!」
シスターたちは、メルクリールを『人間』という理由だけで決して邪険にしなかった。むしろ、すべてを包み込んでここまで育ててくれた。
(……外に出たら、そんなわけにはいかないだろうけど――…でも、ここで暮らせてよかった)
「貴女に神の導きがこれからも続くことを祈ります。ローゼンハイム家でも、健やかに――卒業おめでとう」
「はいっ! シスター様たちの恥にならぬよう、誠実に生きてまいります」
「ええ。貴女ならそれができるはずです。どんな場でも、どこであっても」
メルクリールは、ローゼンハイム公爵家で使用人として働くことが決まっていた。そうして『人間』であるメルクリールを見初めてくれたのがローゼンハイム家の執事だったらしい。
アイシャと廊下で黒尽くめの男性とすれ違ったあの後すぐに、便りがやってきて決まったのだ。ということは、あの男性がローゼンハイム家の執事だったのだろうか?
(最初はとにかくびっくりした……)
それはローゼンハイム家の当主であるレオニス・ローゼンハイムがとてつもなく有名だったからだ。
稀代の色男として社交界を名を馳せているレオニスは、ハーレムを作る獅子獣人らしく、魅力的な女性たちを周囲に侍らせているという。だが本人は『番を見つける』と宣言し、誰とも深い仲にならないのだとか。だが次から次に、恋人とされる女性の名前が新聞の社交欄を賑わしている。
ローゼンハイム家で働くとなって、メルクリールでも手に入る新聞で調べただけでもレオニスの今の恋人の情報はいくらでも手に入った。それだけ彼の一挙手一投足が注目されているということ。
(まぁ、いくら誰とも深い仲にならないといってても、女性たちが周囲で侍っているってことは……。発情期もあるわけだし)
性にあけすけな獣人たちの間に育ってきたメルクリールは、無駄に知識だけあった。
ハルドと発情期を過ごすようになったネイアからもあれこれ聞いているし、そもそも獣人たちにとって発情期をどう過ごすかは重要で、かつ必要な行為だと理解もしている。
それにレオニスの恋人事情なんて、メルクリールには何の関係もない。
何故なら彼女は使用人で、レオニスは当主だ。万が一、いや、億が一でもすれ違うこともないはず。
(それより私は! 安定した収入を得て! 貯金して! 街に部屋を借りる! めざせ、おしゃれな一人暮らし!)
気合を入れ直して養護院の外に出たメルクリールは目を丸くした。
「あれ、ザイード?」
そこにはザイードが立っていた。
何を着ても様になる男ではあるが、以前よりもずっと上等な白いシャツと黒いズボンを履いていて、とてもよく似合った。
駆け寄ると、二十センチは身長が高いザイードを見上げる。彼は相変わらず無表情ではあるが、目元を和らげた。
「卒業おめでとう」
「わあ、それを言いに来てくれたの?」
びっくりしてしまう。
「ローゼンハイム家で働くんだろう? 送るよ」
続けてそう言われて、ますますぽかんとする。
「え……?」
「昨日の夜、メルが一人で街を歩いている姿を思い浮かべたら、何故かいてもたってもいられなくなってな」
「……! ははは! ありがとう、ザイード」
旅立ちの日に、気心の知れた、親しい友人が見送りに来てくれたなんて。メルクリールが満面の笑みを浮かべると、ザイードの眼差しが優しくなる。
「よく一緒に街歩きしてくれたもんね」
「ああ」
「心強かったもん。いつも感謝してたよ」
『人間』であるメルクリールは、この国では立場が弱いから、余計に。
「……、荷物を貸せ」
これもいつものこと。
メルクリールは素直に持っていた荷物をザイードに渡した。その時に、彼の骨ばった指と自分の指が触れてしまい、どきっと鼓動が跳ねる。
「軽いな」
メルクリールは動悸が高鳴ったのを気にしないふりをして、笑顔を作った。
「うん、特に持っていくものなくてさ。住み込みだし」
「そうか」
二人で町中に向けて歩き出す。
「クライン家での暮らしはどう? いい加減慣れた?」
「別にたいして変わったことはない」
ザイードが肩をすくめる。
「俺は三男だから、跡を継ぐこともない。一度は戻ってこいというから戻ったが、頃合いを見て出ようと思う」
「え、家を出るの……?」
ザイードは再び肩をすくめた。
「家族がうるさすぎるからな」
「そうなんだ……?」
「ああ。自由にさせてもらえないなら、出るまでだ」
きっぱりと言い切ったザイードはいつものように自分の意志を貫くのだろう。詳細はわからなくとも、彼の意志の強さはよく知っている。そもそもクライン家に戻ってこいと言われていたのを退け、養護院で暮らしていたくらいだ。
「そっか」
メルクリールをちらりと見下ろしたザイードが、すぐに前を向いて口を開く。
「このままだと勝手に婚約者をあてがわれそうだ。そんなことは絶対にご免だからな」
(……!)
ザイードを見上げると、彼の横顔はどこか遠くを見つめていた。ふっと彼がこちらに視線を向けそうになり、思わず目を逸らした。
(貴族の方と、結婚する気、ないんだ……ザイードは……)
その瞬間、胸に湧き上がった感情を、明確な言葉にすることができない。
(……私には、何も言う資格なんてないのに……)
ザイードが誰かと結婚するつもりはないという言葉に、安堵を覚えてしまう。そして同時に、そこで安堵してしまう自分への罪悪感もある。
(私には何も言えない……ザイードには、幸せになってほしいのに)
ぐっと拳を握りしめると、友人の顔を作る。
「お給金が入ったら、お茶くらい奢るね!?」
びっくりしたように目を丸くしたザイードが、口元を緩める。
「楽しみにしている」
「へへ、頑張るからね!」
「メルが頑張り屋なのはよく分かっている。それこそ無理しすぎるなよ。ローゼンハイム家とクライン家は近いからな。何かあったらいつでも連絡しろ。力になる」
「え! 近いの?」
ザイードによれば、歩いて三十分もかからない距離だった。王都にそこまで詳しくないメルクリールにとって嬉しい気づきだった。
「ああ。だから頃合いを見て連絡するから、会おう」
ネイアとハルドが雇われた侯爵家は、王都ではなく、馬車を使って半日はかかる都市にある。それをさみしく思っていたメルクリールは、初めて知った事実を素直に喜ぶ。
「わあ、そうしてくれると嬉しいな!」
「会えそうな時は、手紙を送る――そうだ、これを持っておけ」
ぽんと渡されたのは小さな麻布の巾着袋だった。
「何これ?」
「お守りだ。俺の匂いがついている――身につけておけば、余計な獣人たちが寄ってこないはずだ」
その言葉に、今までシスターたちや周囲に守られていた養護院を出たのという実感が改めて湧く。そう、これからのメルクリールは、『人間』として、獣人たちの世界で生きていかねばならない。ザイードのお守り袋をぎゅっと握りしめた。
「ありがとう、ザイード」




