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1.前向き遺伝子の持ち主

「ねえねえ、聞いて。今回の発情期は一緒にハルドと過ごすつもりなの」

 

 夜の自由時間に、メルクリールの部屋にやってきた兎獣人のネイアが頬を染めて、教えてくれた。ハルドとは、ネイアの恋人の兎獣人である。ネイアもハルドもメルクリールと同い年で、十六歳。二人は去年から付き合っていて、とても仲睦まじい。


「えー、そうなの!? 素敵じゃない!」


 メルクリールは心から喜んで、歓声をあげた。


 思春期を迎える頃、獣人は初めての発情期を迎える。

 むやみやたらに番うことを避けるため、その年齢になると個別の部屋を与えられる。だが、好き合っている恋人たちの逢瀬に関しては、シスターたちは目を瞑っていた。それが人とは違い、めったに妊娠しないという獣人だからこそでもある。獣人の妊娠する確率はかなり低い。それが「番」と呼ばれる相手だと、話は違うのだというが、なかなか巡りあえるものではないらしい。


 人間であるメルクリールには無関係の話だけれど。


(それに、そもそも結婚するつもりないし……私みたいに、素性が知れない人間は特にね)


「えへへ、ありがとぉ」

「だってそもそも、発情期を一人で乗り切るのって大変なんでしょ?」

「そう。貴族だったらお金があるから、抑える薬を飲んでいるらしいんだけど、私達はないからね」


 軽い口調でネイアが言う。


「へえ、抑える薬ってのがあるんだ」

「あるらしいよ? 値段が高いから、庶民は飲んでないって話」

「ふうん」

「まぁ私達は兎っていうのもあるから、なんとか我慢できないこともないけど……、でもハルドと過ごせたら嬉しい」

「うんうん、そうだよねぇ」


 メルクリールは木製のベッドに腰かけた。

 発情期は獣人によってそれぞれ長さや強さが違うと聞く。あまりにも強い発情期を一人で過ごすと、酩酊状態のようになり、誰彼構わず襲ってしまう獣人もいるらしいから、やはり適度な発散は必要なようだ。


「夜のお手入れ、ここでしていい?」

「もちろん」


 ネイアが顔に保湿クリームを塗り始める。女子力が高いネイアは美容に熱心だ。メルクリールはせいぜい、洗顔するくらいなのに。


「メルも塗る? これめちゃくちゃよかったよ」

「え、いいの?」

「もちろん。メル、乾燥肌でしょ? 塗ったほうがいいよ」

「わーい、ありがとう」


 渡されたそれを頬に塗ってみる。


「この前。街に出た時に買ったんだ。明日にはもちもちすべすべのお肌だよ」

「楽しみすぎる」

「ハルドもね、つるつるって褒めてくれるんだ」

「うんうん、さすがハルド分かってるな」


 ハルドはよく気のつく、優しい男の子だ。ネイアとハルドが二人でいちゃいちゃしている姿はメルクリールの癒やしでもある。


「メルは、これからもずっと一人でいるつもり? こんなに可愛いのに」

「ははは、私が可愛いわけないじゃん」


 派手な顔立ちではないが、悪くはないとは思う。大きめのエメラルド色の瞳に、高い鼻筋、小ぶりな桃色の唇。見る人が見れば、可愛いと思ってくれる――『人間』ならばきっと。


 何しろ獣人たちは肉感的で、セクシーアピールがすごすぎる。


 ネイアも、獣人ヒエラルキーの中でもトップに君臨しているわけではない兎獣人であるのに、めちゃくちゃに可愛い。くりっとした赤っぽい瞳に、つんと尖った鼻、ぽてっとした唇。どれもこれも、セクシーアピール十分で、めちゃくちゃ可愛すぎるのだ。そして身体のラインは女性らしい曲線を帯びている。それに引き換え――。


(……胸とか……ないに等しいもの、私)


 自分の痩せっぽちな身体を見下ろして、メルクリールは苦笑する。


「だから何を言っているの! 絶対に可愛い!! 私のメルが可愛くないわけがない!!!」


 ネイアは昔からこう言ってくれている。


「やさしい……ネイア……すき」


 思わず言葉がこぼれる。

 優しさがじんと胸に染みる。獣人たちは情が厚く、一度仲間だと認めたらよほどのことがないと裏切ることはないという。


「私だって大好き! 私の結婚式では絶対にブライズメイドをメルにしてもらうって決めてるもの」

「それは絶対にする」

「へへ」

「へへへ」


 お互いににこにこ笑い合ってから、メルクリールは続けた。


「そうね、まぁ……、結婚相手に選ぶなら人間かなぁ」


 そういうと、ネイアが顎を引いた。


「ちなみにザイードは?」

「え、ザイード?」


 まさかの名前に、びっくりして目を瞬いた。

 同い年のザイードは、水牛の獣人だ。背が高く、がっちりとした体格で、水牛獣人らしく頭の両側からゆるかに弧を描く太い角が生えている。

 琥珀色の切れ長の瞳に、すっと通った鼻筋、ほとんど感情を示すことのない唇はいつも引き結ばれている。とにかく静かな男で、声を荒げた場面を見たことがない。


「いや、一番ありえないな」


 そう答えると、ネイアの顎ががくんと下がる。


「どうしてえ? 仲良いじゃん」


 確かに仲は良い、と思う。

 ザイードが自分から話しかける相手は限られていて、その中にメルクリールも含まれている。メルクリールが図書室で本を読んでいると彼がやってきて隣に座ることもあるし、彼が下の子供たちに頼まれて力仕事をしている時にメルクリールが補助をすることもある。

 メルクリールが所用で街に外出する時には、シスターたちがザイードに付き添いをお願いすることもあって、二人で出かけたことも数え切れない。


 でもそれは――。


「仲はいいけど、それは私が『人間』だからだと思う。弱いから、守ってくれているんだよ――それにザイードはめっちゃモテるし、考えたこともない」


 水牛は、獅子にも対抗できる力があることから、獣人のヒエラルキーのトップに位置する。養護院で暮らしている百人ほどの獣人の中でも、水牛の獣人であるザイードは秋波を送られている。それに一緒に街に出れば、獣人の女性たちからの視線も彼に一気に集まる。相手を選び放題のザイードが、わざわざ後ろ盾のない『人間』のメルクリールを選ぶはずがない。


「え、えぇ〜、そうかなぁ…」


 ネイアは納得がいってないように唇を尖らせた。


「うん。あとザイードは伯爵子息でしょ? だから貴族のご令嬢と結婚しなきゃだろうし」


 養護院で暮らす獣人の子供たちの背景はさまざまだ。


 ザイードの場合、彼が生まれてすぐ、生家であるクライン伯爵家は家業での失敗によりすべてを失った。取り潰しの瀬戸際に立たされ、混乱を避けるため、一時的な措置として、養護院に預けられたのだと聞いている。詳しい事情はわからないが、だがその後しばらくしてクライン家は盛り返したらしい。伯爵家から迎えが来たのを何故かザイードが断ったらしいが、十八歳で養護院を出た後には戻るだろう。そうして、同じような家柄の令嬢と婚約が結ばれるのに違いない。それが貴族というものだ。


「まぁ…、そうかもね……でもなぁ……だってザイードがさぁ……ここにいるのって、メルがいるからだと思うんだけどなぁ……」


 ネイアがぼそぼそ独り言を呟いている。


「あと水牛獣人って一夫多妻でしょ? 私は無理だと思う」


 そう、獣人たちは本能が強いこともあって、魅力的な男性に女性が群がることが多々ある。獣人ヒエラルキーのトップに君臨する獅子や水牛の獣人などは一夫多妻がほとんどである。


「えぇ……、でもザイード、今まで誰とも付き合ってないし、きっとメルが応じたら、一途だと思うなぁ」


 ネイアは諦めが悪い。


「だからありえないって。例えザイードはよくても、家族が許すとは思えない」


 獣人たちはなかなか子宝に恵まれない。跡取りを残すため、本妻とは別に愛人を持つことが多い。獅子や水牛獣人のカップルに一夫多妻が多いのは妊娠率が低いことが関係している。不思議なことにヒエラルキーのトップな獣人ほど、妊娠率が低いものだ。


「それは〜〜そうかぁ〜〜〜〜」


 さすがにネイアが認めた。

 兎獣人のネイアは獣人たちの間では多産な種族だ。それもあって兎獣人は一夫一妻制が多い。


「それに私はさ、十八歳でここを出たら、少しでも条件の良い貴族の家で働きたい。そして自分でお金を稼いで、誰にも迷惑をかけないで暮らしていくのが夢!」


 むんと両手を握りしめて、メルクリールが胸を張った。


「お金を貯めて、街で一人暮らしをして、オシャレな暮らしをするんだ」

「はは、前からそう言ってるよね、メルは」

「うん。ちゃんと目標を持つことが大事だから、生きるためには」

「へへ、メルのそういうところ、好きだなぁ。家に遊びに行くからね?」

「もちろん」


 メルクリールは可憐な顔立ちで獣人に比べれば小柄であるため、か弱く見えるものの、実はとてつもなく前向き遺伝子の持ち主なのであった。


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