13.まさか、君は?
頭を冷やしてから、レオニスの執務室にハーブティーを運びにいった。
彼はいつものように歓迎してくれたが、その横顔がどこかこわばっているような気がした。いつもは華やかな薔薇の香りも、どこかむせ返るような強さを感じる。
(おつかれなのかな?)
あれからメルクリールは自分の言葉を思い返し、レオニスやバーナードの名前を出してしまったことで、迷惑をかけるかもしれないと反省していた。
(あれは本当に虎の威を借る狐だった。あ、虎じゃなくて、獅子か。しかもバーナードさんが狐で、私は人間だった――この例えは使えないな)
最終的には、自分の未熟さをまざまざと感じ、レオニスに謝罪をするべきという結論に達していた。
「あの……、レオニス様」
「うん?」
機嫌が悪そうだと思った横顔が、メルクリールに向けられた途端、穏やかなものへと変わる。彼は本当に理想的な上司だと思う。
「本日夕食の席で、他の使用人の方と言い合いになってしまいました。その時に勝手にレオニス様の名前も出してしまい、ご迷惑をかけることになってしまいました」
言いにくいことは一気に言うに限る。
メルクリールがそう言えば、レオニスの目が丸くなる。
「言い合い? 私の名前? 迷惑?」
「はい。とある使用人と……考えの違いで、言い合いをしてしまって。ずっと平行線だったので業を煮やして、レオニス様が私を雇ったのだから、レオニス様に言われるまでやめないと、そんな風にお名前を出しました」
話せば話すほど、自分の至らなさを感じて、落ち込んでいく。
「本当に申し訳ありません」
頭を下げた。
「もし、レオニス様の側仕えをやめたほうがよければ――」
「そんな必要はない」
食い気味にレオニスが口を開いた。
「え……?」
「なんで辞めるんだ。そんな必要はない。君は側仕えのままでいてもらうよ」
姿勢を戻すと、レオニスはとてもなく真剣な表情をしていた。
「君は実直な人だな。ますます気に入ったよ。君をやめさせるつもりはない。だからそういう意味で私の名前を使ってくれたのは、大いに結構。使えるものはなんでも使ったら良い」
「――!!」
やめなくていいと言われてメルクリールの心は、いつになく高揚した。
それはもしかしたら、これからもレオニスの側にいられるから――?
(って、私、何を考えてるのっ。仕事がやりがいがあるからに決まってるじゃない)
浮ついた考えになりがちの自分を叱った。
そしてどうしてか翌日からメイドたちの嫌がらせがぱったりと止んだ。
洗濯係には穏やかな性格のサイ獣人が割り振られていて、また彼女たちが厨房で皿洗いをしているのを一度見かけた。皿洗いは時間制で、メルクリールとはほぼ顔を合わせない。メルクリールはレオニスに彼女たちの名前を言っていないから、彼女たちから配置換えを希望したのに違いない。
メルクリールはほっと胸を撫で下ろした。
変化といえば、それまで夜会に出かけることの多かったレオニスが全く行かなくなった。
最初は風邪を引いたからかと思っていたが、一週間経っても、二週間経っても夜会に向かわない。
(ど、どうされたのかしら!? 恋人とお別れになったとか……!? 傷心とか??)
密かに心配しつつ様子をうかがっているが、どうにもこうにもレオニスは上機嫌なように思える。耳も尻尾の動きも穏やかで、ひたすらのんびりしている。
(……!?!?)
どういうことだろうと思いつつも、レオニスと過ごす時間が増えるほど、正直なところメルクリールも楽しかった。夜会の代わりに執務室で仕事をしているレオニスにお茶を運ぶと、呼び止められて、そのまま長話になることもしばしばある。
レオニスの仕事に関する話、社会情勢について、話題は多岐にわたった。毎回レオニスはメルクリールにソファに座るように求め、最初は断っていたが、徐々に彼女も受け入れるようになっていた。
「君はさ、獣人についてどこまで知っている?」
「どこまで、と、申しますと?」
「物心ついてから獣人たちと暮らしていたんだろう? その……今までパートナーがいたのかな、とか」
何故か歯切れが悪い。
ああ、と合点がいき、メルクリールは首を横に振る。
「いません。そういうつもりもありませんでした」
「つもりもない?」
「はい。私は『人間』ですから。発情期もありませんし、匂いもわかりません。もしパートナーがいたとしても相手に迷惑をかけるだけですからね――だから私を側使えにお選びになったんでしょう?」
獣人たちの発情期の大変さは、ちょっとは分かっているつもりだ。
貴族たちは発情期を抑える薬を飲んでいると、ネイアから聞いたことがある。公爵であるレオニスはもちろん抑制剤を飲んでいるだろう。けれど、それでも苦労はあるに違いない。獣人同士だったらそうした少しの変化でも、匂いで分かるだろう。それがメルクリールには一切分からない。何もしてあげられることがないのだ、メルクリールには。
「……まあ、それは、そうだが、いや、それだけが理由じゃない」
(それだけが理由じゃない?)
レオニスがぐしゃりと髪をかき回した。
「くそ、素直になると決めたのにな。レオニス・ローゼンハイム」
ぶつぶつと独り事を言っていたレオニスが、姿勢を正した。
「メルクリール」
すっと真面目な表情と、まっすぐな眼差しになったレオニスが、彼女の名前を呼んだ。
「はい」
「君は困るかも知れないが――私は君と一緒に過ごせる時間が今までで一番幸せだ」
(え?)
ぽかんとしてレオニスを見つめる。
「正直に言おう。夜会に行かないのも、君と過ごしたいからだ。そして、その選択は間違いじゃなかった。君と過ごす時間は何にも代えがたい。これからは君の好きなものを一緒に見つけていきたいんだ」
「……!?」
メルクリールは口を大きく開き、それから閉じた。もう一度それを繰り返してから、大きくのけぞった。
「嘘ですよね!?」
「なんで嘘をつく必要があるんだ! 素直な気持ちだ!」
「!?!?!?」
(え、え、え―――!?)
もちろんレオニスには好感を抱いている。良い主人だと思うし、どこか憧れの気持ちもある。けれど、彼がメルクリールにこうして気持ちを伝えてくるまでとは思っても見なかった。
びっくりしたメルクリールの顔を見ていたレオニスがふっと笑った。
「よかった。そこまで嫌がられてなさそうだ」
「え。どうしてわかったんです!? 獣の耳も尻尾もないのに!?」
「顔を見ていたら分かるよ」
なんだかザイードと同じようなことを言っている。
(そんなにわかりやすいの、私って!?)
「君が私を男性としてなんとも思っていないことは匂いで気づいていたが――よかった、嫌われてはいないんだな」
「嫌ってなんかいませんよ、むしろ尊敬してます」
これは本音だ。
「尊敬か。うーん、今はそれだけで満足しておくか。これからおいおいってことで……」
レオニスがふうっと息をつく。
(今は……!? レオニス様、ほ、本気なの……!?)
動揺のあまり、メルクリールはぽろっと口を滑らせた。
「どうして、私なんですか? 性格よくないし、可愛くないし、それに」
獣人の世界では美人でもないし、魅力的な容姿でもない。特技もなく、何もかもが本当に普通。それに性格だって別によくない。いじめられて泣き寝入りもしないし、メイドたちにやり返したりもするくらいには気が強い。雑草魂もある。
可憐さとは全く無縁だ。
それに何より。
「私、人間なのに」
レオニスがびっくりしたように瞳を丸くした。
「人間なのは全く関係ない」
今度はメルクリールがぽかんとしてしまう番だった。
「関係ない????」
「私は獣人と人間に何の隔たりもないと思っている。獅子獣人でも兎でも狐でも狸でもなんでも。種族の一つが人間というだけだ」
きっとそれは本心だろう。
確かに今までレオニスから『人間』だから下に見ているという扱いをされたことはなかったから。だがそれはレオニスが特別だからだ。この国では『人間』は獣人より下の立場なのは当然のことなのに。
「で、でも周りの方になんて言われるか分かったもんじゃないですよ?」
「私が黙らせるだけだ」
背筋が凍るような冷たい光を目に浮かべ、レオニスがそう答えた。
「それから先の答えだけど、まず君はとても可愛い」
きっぱりとレオニスが続ける。
「か、かわっ……」
「かわいい」
ふえ、などと今まで出したことのない声が漏れそうになり、慌てて自分の口を固く閉じる。
「可愛くないわけがない。宝石のように輝く緑色の大きな瞳、つんとした鼻、かじりたくなるような桃色の唇、表情をくるくる変えるのも可愛いし、跳ねるようにきびきびと仕事をしているのを見るのが私の幸せだ――あ、気持ち悪く思わないでくれよ?」
「き、きもち、わるくは、ない、ですが……」
ばくばくばくばくばくと鼓動が跳ねていて、死ぬかもしれないけど。
「見た目だけじゃなく、中身もとても惹かれる。真面目だし、仕事にも熱心だし、それにこうやって夜にお茶を持ってきてくれるだろ。しかもそれも私に気に入られようとしてではなくて、私のためにと思って動いてくれている。一緒に外出したら、私のためにだったら手だってつないでくれる――きっと恥ずかしかっただろうに」
気づいていたのか。
「語彙力が足りなくて、自分の気持をすべて言葉にすることができない。でも君を見ていると、幸せなんだ。もう、それだけで十分だと思う」
(は……? え……? なに……?)
唖然としているメルクリールに、レオニスが尋ねる。
「他にもなにか懸念がある?」
「け、懸念……?」
ぐるぐると思考の渦に陥っていたメルクリールから、ずっと気になっていた言葉がぽろっと口からこぼれた。
「私、ハーレムの末席に入れていただけるってことなんでしょうか」
「はーれむ?」
「はい。だって夜会に行かれているのも、その……恋人の方にお会いにいっているのですよね?」
「は?」
ぽかんとしたレオニスが、次の瞬間、片手で額を覆った。
「待ってくれ。まさか、そう、思ってたのか……?」
「でも獅子獣人の方はハーレムを作られるのが普通とお聞きしました。当然の権利だともうかがっています」
「まぁ、普通の獅子獣人はね……そうかもしれないな」
ごほんとレオニスが咳払いをする。
「私はハーレムを作ったことなど今まで一度もない」
「え。一度も……?」
「ない。ハーレムは本当に一度もない。バーナードに聞いてもらっても良い」
二の句が継げないメルクリールを見て、レオニスが苦笑する。
「噂ではなくて、出来たら目の前にいる私のことを信じてほしい。私は番を探しているんだ」
「あ……、番、を……?」
それは本当だったのか。
「そうだ。番を探したいのなら、ハーレムを作って、淫蕩にかまけている場合じゃないだろう」
「い、淫蕩に……。でも発情期もおありでしょうに」
「発情期は、私なりに乗り越える方法があるんだ。別にハーレムを作る必要なんてない」
レオニスが嘘をついているようには思えないが、しかし疑問は残る。
「ではどうして夜会にあんなに頻繁に行かれていたのですか?」
レオニスがふうっと息をつき、告白する。
「それこそ番を探しに行っていたんだよ。だが……最近は気が向かなくてね――君と家で過ごすほうが楽しくて」
「……!」
「こんなことは生まれて初めてだ。私は姿を見たこともない番よりも、君を選びたい」
うっかりすると、熱烈な告白のように思える。
一体どうしてしまったのだろう、レオニスは。
メルクリールは呆気に取られ、呼吸が浅くなったのを感じて、おもむろに胸元に手を置いた。そこには生まれてからずっとつけているネックレスがあって――。
無意識に鎖をぎゅっと握ると――どうしたことか鎖が切れた。
(あっ……!)
指輪が落ちた。慌てて落ちた指輪を拾おうとソファから滑り降りると同時に―――ぶわっと薔薇の香りが濃くなって、息がつまった。
ドッドッドッと動悸の音が激しくなる。
「くっ、か、香りが―――、は、き、君、もしかして……!?」
跪いたまま動けないメルクリールの背後でレオニスの唸り声がした。
「待て、待て、本当に……どういうことだ……!?」
ますます薔薇の香りが濃くなり、メルクリールは身を丸めて、目を瞑って耐えた。ぐるるっと獅子の唸り声が聞こえた後、レオニスが立ち上がって執務机に走っていった。
しばらくするとようやくたちこめていた香りが和らいできて、メルクリールは目を開けて、姿勢を戻した。
「この香り……、まさか、君……私の、番……?」
呆然としたレオニスが、手にしていた瓶を机の上に置いた。




