10.嫌がらせと、こんなときはザイードに限る(限らない)
そうして二人で街歩きをした日以降も、レオニスは頻繁に夜会に赴く。
夜会にはバーナードを連れて行くから、そんな日はメルクリールは時間を持て余してしまう。しかも残念ながらレオニスとの街歩きが、若いメイドたちにバレてしまったようで、嫌がらせが露骨さを増した。
まずはメルクリールの仕事を邪魔されるようになった。メイド長から頼まれた掃除した場所を荒らされていて、やり直しを余儀なくされる。
洗濯物を取り入れれば、それもまた床に撒き散らされている。メルクリールはしゃがみ込んで一枚ずつ拾い上げていく。
(ああ……、もう一度洗い直さなければ……)
その背後で、くすくすと笑う声が聞こえた。
『あら、落としたの? ほんと、仕事ができないわね』
『レオニス様の側仕えなんて大役を任されているのに、こんな簡単なこともできないなんて』
『まあ、人間だもの。仕方ないんじゃない?』
『まったく困ったものね――レオニス様と街に遊びに行く時間があるなら、仕事に精進したらいいのに』
聞こえないふりをして、メルクリールはただ黙々と洗濯物を籠に戻していった。
次にメルクリールの身の回りの品がなくなっていった。使用人に与えられている部屋の鍵がかからないことをいいことに、髪留めや手袋などが盗まれていく。
探すと、裏庭やごみ捨て場に捨てられているのを見つけることになる。替えのメイド服のボタンが引きちぎられ、踏まれたのか汚れていることもあった。
(汚れているのは洗えばいいし、ボタンは繕い直せばいいだけだし)
だがメルクリールは、レオニスに買ってもらった本だけは盗まれたくないと常に持ち歩くようになった。
(さてどうするか……)
養護院育ちのメルクリールは、打たれ強かった。
今のところ、身体への直接的な攻撃はない。そのため、バーナードとメイド長に言いつけていないけれど、これ以上手を出されるようなら、打つ手を考えなければならない。
が、失敗すると、さらなる嫌がらせをされる可能性があるため、慎重にいくべきだろうかと思い悩む。
悩んでいると、ちょうどザイードから「会わないか」という手紙をもらった。少し気晴らしをしたかったので、メイド長の許可をもらい、レオニスが不在の夜に会いに行くことにした。
ザイードがローゼンハイム家まで迎えに来てくれた。
ますます男ぶりがあがったザイードは、黒いシャツに、ゆったりとしたカーキ色のパンツを合わせていた。上質そうな素材だが、しかしあまり貴族らしくは見えない。
いかにも以前のザイードという感じだ。
(私に気を使ってくれているのかな?)
メルクリールは着ているくすみピンク色のワンピースを見下ろした。すとんと下に落ちるデザインこそシンプルなものの、着やすいのでお気に入りなのである。メイドたちの嫌がらせに合わないよう、ベッドのマットレスの下に隠しておいてあるくらいだ。
「そんなワンピース持っていたか?」
「この前給金で買ったんだ。えへへ、似合ってる?」
くるっと回ってみせると、スカートがふわりと揺れた。
「ああ、よく似合ってる」
そう言いながらザイードが手を差し出してきて、メルクリールは首を傾げた。
「何?」
「荷物を持つ」
「え、大丈夫だよ!?」
荷物といっても巾着ひとつだ。メルクリールが笑うと、ザイードが肩をすくめてから手をひっこめた。
(そういえばザイードは角だから、そこまで感情がわからないな)
ザイードの尻尾は細くて長く、先にふさっと毛が生えている。そしてあまり動かない。
(そう思うとレオニス様の耳と尻尾って……やっぱりかわいいな)
レオニスのことを思い出すと、ふふっと笑ってしまう。
「近くに美味い食堂がある。そこでいいか?」
「もちろん!」
案内してもらった食堂は、カジュアルなレストランで、メルクリールでも気負わずに入店出来た。案内してもらった席は二人掛けで、ちょうど壁際。客層も落ち着いていて、これならゆっくり話せそうだった。
「で、どうやら色々あったみたいだな?」
ウエイターが注文を取って去っていくと、ザイードがザイードらしく本題をすぐに切り出す。
「わかる?」
「ああ。顔にでてる」
メルクリールはわざとらしく、がくっと首を曲げた。
「どうして分かっちゃうのかな。私、獣人の耳も尻尾も持ってないのに」
そう言えば、ザイードの眼差しが優しくなる。
「メルとは子供の頃からの付き合いだからな」
「そっか〜〜、そりゃそうだよね、ザイードの目をごまかせるわけないかぁ」
そこで、メルクリールはふうとため息をつく。
「あんまり楽しい話じゃないけど、聞いてくれる?」
「もちろん」
メルクリールは今の自分の置かれている状況について話した。
レオニスの側仕えに抜擢されたこと、バーナードやメイド長には親切にしてもらっているが、レオニスに憧れるメイドたちに嫌がらせにあっていること。
「この前、レオニス様と街歩きをしたんだけどそれがバレてからひどくなって」
「――へえ、レオニス様とねぇ」
「まったく困ったもんだよ。私なんて『人間』だからレオニス様の側仕えに選ばれただけなのにね」
「『人間』だから?」
静かに問われて、頷く。
「発情期がないからって言われた。レオニス様が今まで側使えを置かなかったのって、男女問わずにすぐに好かれてしまって大変だったからって。その点、私なら匂いも何もわからないからさ」
「ふうん。じゃあメルはレオニス様に惹かれていないのか?」
ザイードの声の調子は、一定だった。
「惹かれてるって? 男性として?」
「ああ」
「ありえないでしょ、私、『人間』だよ?」
「いや、もしメルが『人間』じゃなかったとしたら―――」
ザイードが何かを言いかけたが、ちょうどその時、注文した料理が運ばれてきた。メルクリールは豆のシチューと焼き立ての黒パン、ザイードは根菜の煮込みと黒パンだ。
「めちゃくちゃ美味しそう」
「だな。まずは食うか」
(わ〜〜とっても、おいし〜〜)
久しぶりに、ゆっくり食事をする。
ローゼンハイム邸で食事を取ろうと思えば、使用人用のダイニングルームを使うしかない。だがメルクリールが席に着くと、これみよがしに立ち上がる者もいる。食器を外へ持ち出すことは禁じられているため、自室で食べることもできない。結果、慌ただしく食事を済ませることが増えた。
(いや、結構派手にやられてるな、私)
そう思ってザイードに言えば、彼が遠慮なく鼻を鳴らした。
「楽しそうでよかったな」
「楽しい……」
「いかにも貴族令嬢のいじめって感じだ。公爵家の下働きなんだから、貴族出身が多いんだろ、どうせ」
出自までは考えていなかったが、確かに皆それなりに上品な気がする。
「うーん、そうかもしれないな。ってさあ、私が言うならともかく、伯爵令息のザイードが言うのは違うでしょ!?」
ザイードはしかし肩をすくめるばかりだ。
「俺は貴族貴族していないぞ? 養護院育ちだし、メルと何も変わらない」
「まぁ、それは……そうかもだけど」
「俺のことはともかく、やり返してやったらいいんじゃないか。どうせやり返してこないと思ってるからそんなことをするんだろ」
「やり返す、かあ……。でも下手に拗れたら、レオニス様に申し訳ないし……プロフェッショナルメイドになって見返した方がかっこいいかなと思ってる」
ザイードがスプーンをメルクリールにびしっと向けた。
「いつプロフェッショナルメイドとやらになるんだよ? それで、レオニス様は無能なのか? 一体何をしてるんだよ、お前がそうやって迷惑を被ってるってのに」
メルクリールは慌てて否定した。
「いやいや、レオニス様は何も悪くないよ。私が言ってないだけ……レオニス様には側仕えとしてすごく良い待遇をしてもらってるもの」
「ふうん」
「あ、信じてないな? なんか単なる側仕えごときが迷惑かけるのも悪いなってさ……。ほら、今までなかなか側仕えもつけられなかったみたいで、まぁこれだけモテるなら当然かなぁって」
「ああ、さっきもそう言っていたな」
「うん。でも私は『人間』だから、レオニス様本人が選んでくださったんだって。養護院の視察に来てくれた時に」
ぴしゃっと鋭い音がして、メルクリールはびっくりして瞬いた。
(……? ん? 何の音? 尻尾が叩きつけられるような……?)
だが向かいに座っているザイードはいつものように涼しい顔をしている。
(んん、ちょっと怒ってる? え、でも、なんで??)
ザイードがメルクリールの表情だけで判断できるように、メルクリールもザイードのことならば結構分かっているつもりだ。
「レオニス某についてはとりあえず置いておいて、まずはメルがどうやってメイドたちからの意地悪を避けるかが優先だな」
「そうだね。でも、ザイードに話を聞いてもらってちょっとすっきりした!」
そう言えばザイードの機嫌が治ったような気がした。
「ならばいいが」
「人に話すと、考えが整理できるよね。ザイードに話して、自分が結構いじめられていることに気づいたから、動くことにするよ」
「結構いじめられてるって……今頃、そこに気づいたのか?」
さすがのザイードがぽかんとしている。
「うん、今気づいた」
むずむずと彼の口元が動き、やがて歯を見せて笑い声をあげた。
「ははっ、メルらしいな!」
ザイードが笑っている。これは天変地異の前触れかもしれない。
「だからありがと、話を聞いてくれて」
「役に立ててよかったよ。でも何かあったらすぐに連絡してこいよ」
「そう言ってくれるだけで、嬉しい」
「本気だぞ――ああ、そうだ」
彼が麻袋を取り出して、メルクリールに渡してくれる。
「もっておけ」
「わあ、お守りだね、ありがとう」
今度はメルクリールも素直に受け取った。
メイドたちも、水牛の匂いがする、と言っていた。そのお陰で少しトーンダウンしていると思われる。これがレオニスの匂いしかしなかったら、どんな目に合っていたか。
(このままじゃいけないわ)
そう、メルクリールは戦うつもりになっていた。
(やられっぱなしじゃ、ね)
彼女はぎゅっと麻袋を握りしめると、ザイードに微笑みかけた。
♚ ♚ ♚
メルクリールをローゼンハイム家まで送ったザイードは、それまで浮かべていた柔らかい表情を一瞬でひっこめると、踵を返した。
見目の良いザイードの歩く姿に通りすがりの獣人たちが秋波を送ってくる。けれどザイードはそのすべてをシャットアウトしながら、呟いた。
「メルの匂いが変わっていた。そろそろ動く頃合いだな」




