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第六話 私は元婚約者の妹の怒りを懸命に鎮めようとする。

 今更、雪乃が、一応は婚約者の関係にあった私を裏切り、布袋と不貞関係を持っていた事に対して、怒りは覚えない。

 と言うより、雪乃に対して、もう、私の心が怒りや憎しみで、ざわついたり、濁ったりする事は、以後、無いのだろう。

 これまであったか、と第三者に聞かれたら、「・・・・・・あったかなぁ」と首を捻ったかもしれないが。

 彼女の、悪意100%の我儘に振り回されて、体力をすっかりと消耗してしまい、うんざりした事こそあったが、その疲労も、暮林家の皆さんが気遣ってくれたおかげで、後日に残らずに済んでいた。

 優れた姉と妹に挟まれ、自分の無能さと無才さを激しい自己嫌悪感コンプレックスとして感じていながらも、それを払拭するための努力を何一つして来なかった雪乃。

 自分が唯一、自信を持てた美貌を維持するために、ろくでもない手段で得た金を注ぎ込み、心の汚さを隠す見た目を誉めちぎってくれる、中身がスカスカの、バラ撒かれる金銭だけが目当ての人間に囲まれ続けるために、また、金を得るために手を汚し続けた雪乃。

 人は、そんな女に同情する価値はない、と言うだろう。

 まぁ、私も、そう思う。

 自分が心の広い人間である、と思っている訳ではないにしろ、さすがに、雪乃の生い立ちとやらかしを考えると、同情できる部分が一欠けらも見えてこないのも、否定できない事実だった。

 それでも、もう、私は、雪乃を許そう、と思っている。

 いや、最初から、怒りや憎しみの念を、雪乃に微塵も抱いていないし、彼女が私にしてきた仕打ちにも、特に何も思った事はない訳だから、許すも何もない。

 ハッキリ言ってしまうと、雪乃は既にくたばってしまい、例え、あの事故に遭わず、生きて、その場から布袋と共に去っていき、どこか遠い場所で、反省もせず、自分の生き方を革めようともしなかっただろう、と確信できる以上、そんな人間の事を考える時間は、つくづく、無駄だな、と結論を出したに過ぎない。

 だから、自分でも、ニュアンスを含めた色々は違う気がするなぁ、と思いはするものの、限られた時間を無駄にしたくない、その気持ちを優先して、私は雪乃を許す事にしたのだ。

 自己満足、ただのエゴだ、と自分でも承知はしているが、いざ、許す気になったら、随分と心が軽くなったようだ。

 やはり、自分でも気付かない内に、私の中で、最大のストレスになっていたらしい、雪乃は。

 

 「パパ、今、何て言ったの?」


 だが、私が許そうとも、雪乃のやらかしを、絶対に無かった事にしたくない人間は多いようだ。

 その一人が、雪乃の妹である涼子ちゃんなのは言うまでもない。

 

 「雪乃お姉ちゃんが、真宵お兄ちゃんとの婚約を破棄したなんて、アタシ、一切、聞いてないんだけど」


 自分を睨んでくる涼子ちゃんの気迫に対して、さすがは、良綱さん、一切、気圧されていない。

 ある程度の胆力を有していても、活発な美少女が、これほどの圧をぶつけてきたら、多少は、たじろいでしまうだろう。

 それでも、良綱さんは、うっかり口を滑らせてしまった迂闊さに、苦々しい表情を浮かべているだけのようだった。

 しかし、それはそれで、非常にレアだ。

 その表情が容易に想像できてしまうほどの雰囲気が、今、良綱さんから出てしまっていた。


 「ちゃんと説明して、今、ここで!!」


 漫画やアニメであったなら、涼子ちゃんが、声を荒げた瞬間に、病室のドアや窓のガラスが木っ端微塵になったかもしれない。

 

 「涼子、静かにしなさい。

 いくら、個室とは言え、ここは病室だ。

 何より、主宮君の体に障ってしまう」


 「ぐっ!?」


 良綱さんに淡々と言い返された涼子ちゃんは、青筋を額に浮かべ、父親をキツく睨んだようだったが、ぐうの音も出ない正論で、今回は却って、頭が冷めたらしい。

 肌にビリビリ来る、あれほどの怒りをスッと鎮めてしまった。

 やはり、高校陸上競技で期待のエース、と高い評価を受けているだけあって、女子高校生でありながら、涼子ちゃんのセルフメンタルコントール能力は群を抜いているようだった。

 それでも、怒りは完全に収まってはいなかったらしい。


 「どういう事、説明して・・・真宵お兄ちゃん」


 ここで、まさか、私に疑問の矛先が突き付けられるとは思ってもいなかったので、体が強張ってしまった。

 思いがけず、ビクついてしまい、全身に痛みが走ってしまう。


 (いや、よくよく考えれば、「まさか」ではないのか)


 涼子ちゃんが真相を知りたい事、それは、雪乃が私に叩きつけた婚約破棄、について。

 であるなら、この場にいる者の中で、私が、誰よりも当事者なのだから、「無関係まさか」ではない。

 

 「雪乃お姉ちゃんと別れたって事?」


 荒々しさの代わりに、涼子ちゃんの声には無数の鋭棘トゲが生えており、私の火傷を負った肌をチクチクと痛めつけて来る。

 別れたのか、そう聞かれると、やや趣が異なってくるように思えた私。

 完全に一方的だった訳で、雪乃のいつも通りの我儘だった。

 しかし、いよいよ、彼女の高慢ちきっぷりに振り回されるのがしんどくなってきていた私が、その勝手な婚約破棄を了承してしまったのも事実ではある。

 雪乃が交通事故でくたばってしまった以上、それを今更、蒸し返すのも詮無き事ではあるにしろ、あの場で冷静さを保ち、良綱さん達が被る迷惑がどれほどのものになるか、を考えた上で、雪乃を説得するのもアリだったのかもしれない。

 まぁ、自分が「くればやし」に与えた損害を棚上げした挙句、良綱さんに見限られた事を逆恨みし、家族に対するコンプレックスから、皆が最も後始末に追われる手段を選んだ雪乃が、私の説得を受け入れた可能性は、砂糖の中から一粒の塩を10秒以内で発見できるよりも低かったに違いないが。

 

 「真宵お兄ちゃん?」


 見えなくても解かる、今、涼子ちゃんの眼は完全に据わっているんだろう。

 だって、感じる気配が、完全に、臨戦態勢の肉食獣のそれだもの。

 返答を誤れば、蹴りの一発くらいはブチ込まれてしまいそうだ。

 鍛えられている涼子ちゃんの、専門の知識や技術は皆無にしろ、フィジカルが優れているがゆえに、破壊力がエゲつないキックを喰らっても、普段であれば、平気な私だが、今、このダメージを負っている肉体で蹴られたら、今度こそ、三途の川を渡って、あっちに行ってしまいかねなかった。

 しかしだ、説明して、と言われても困ってしまう。

 今、私が肉体的に話せないのもあるにしろ、実情は、雪乃に婚約破棄を突き付けられた、この一言で済んでしまうほど、単純明快シンプルなのだから。

 しばし悩んだ私は、腹を括った事を示すように、小さく頷いた。

 この動作で、涼子ちゃんは、私が話す気になった、と察してくれたようで、サッと自分の右手を突き出してきた。

 どうして、涼子ちゃんが、ここまで、私へ雪乃が婚約破棄を叩きつけた事で怒っているのか、まるで解らない私は戸惑いながら、彼女の右手へ事の次第を書き記していく。

 私が書くスピードは相当に鈍かったのだが、涼子ちゃんは雪乃に対する怒りを堪えながら待ってくれた。

 それが肌で感じ取れてしまうだけに、涼子ちゃんをますます怒らせちゃうんじゃないかな、と不安になりながら、私はそれを書き終えた。


 「・・・・・雪乃お姉ちゃんにフラれた、それだけの話?」


 当事者である私としては、もう、そう伝えるしかなかった。

 この伝え方は、自分の株を下げるだけかも知れないが、今更である。

 元より、下がって困るような株でもないのだから。

 ただ、私の予感は的中してしまったのか、涼子ちゃんの手、いや、全身は小刻みに震えているようだった。


 「フラれたって事は、アタシにもワンチャンあるんじゃない、これ」


 しかも、ブツブツと何か、呟いてしまっている。

 涼子ちゃんが俯いている事もあって、何を言っているのか、聴力が著しく低下してしまっている私には、彼女が何を言っているのか、サッパリ判らなかった。

 気になったので、私は、涼子ちゃんの手へ、「今、何か言った?」と質問を書く。


 (ワンチャンって聞こえたけど、今、犬を連想するような事は書いてないよな)


 私からの「質問」にビクッとした涼子ちゃんは、ハッと我に返ったらしい。


 「ううん、何も言ってないよ。

 真宵お兄ちゃんの空耳じゃない?」


 確かに、今、私はまともに耳が働いていないから、空耳の可能性もあった。

 涼子ちゃんの言葉に納得し、「そっか」と私は頷き返した。

 その瞬間、良綱さんが溜息を溢し、何かを言い掛けたのだが、涼子ちゃんにギッと睨まれ、それを飲み込んだような気配を私は感じ取った。


 「?」


 「どうしたの、真宵お兄ちゃん」


 気にはなったが、ここは追求しようとすると良くないよ、と直感が囁いてきた。

 なので、私は「何でもないよ」と、涼子ちゃんの掌に書く。


 「ところでな、主宮くん」


 涼子ちゃんに睨まれて、私に何かを言おうとしていた良綱さんは、やや気まずげな雰囲気を出しながら、声をかけてきた。

 常に、ハキハキと喋り、人の心を打つ演説を出来る良綱さんにしては珍しく、言い辛そうな気配を醸している。

 しかも、それを言う事に遠慮している理由は、私ではなく、私の側から離れない涼子ちゃんのようだった。

 どうやら、良綱さんは今から、私に、またしても、涼子ちゃんが不機嫌になるような事実を告げようとしているらしい。

 それならそれで、涼子ちゃんがいない時を見計らって、この病室に来た時に話せばいいのに、と思ったが、よくよく考えると、涼子ちゃんは、ほぼ毎日、私に面会に来そうだから、ただでさえ、多忙な良綱さんは、そう簡単には、ここに来られないだろう。

 今日にしたって、半ば無理矢理に、スケジュールを調整して、ここに来る時間を作りだした可能性もある。

 一会社員として、まぁ、まだ、『くればやし』に私の席が残っていればの話ではあるが、社長に無理をさせてしまうなど、言語道断だ。

 涼子ちゃんの頭の血管も心配だが、ここは会社員としての立場を優先させて貰うしかない。

 ごめんね、涼子ちゃん、と胸の内で詫びながら、私は良綱さんに首を小さく振って、話を促した。

 私の動作で、涼子ちゃんも何かを察したらしい。


 「パパ、何か、真宵お兄ちゃんに言わなきゃいけない事があるんじゃないの?」


 またしても強まる涼子ちゃんの威圧感。

 本当に、ここが個室の病室で良かった。

 これほどの威圧感を、病人や怪我人などの体が弱っている人が浴びたら、入院期間が長引いてしまいかねない。

 良綱さんも同じ事を考えたのか、涼子ちゃんに威圧感を引っ込めなさい、と言うように咳払いを強めにしてから、話を若干の抵抗感を出しながら始めた。


 「ついでに伝える、と切り出すのもアレなんだが」


 言い淀みながらも、良綱さんは自分で、それを私に告げる、と決めているからか、淡々とした口調で続けた。


 「布袋君の葬儀も、既に終わった。

 布袋君の両親も、主宮君に礼を言っていたよ」


 「布袋君って?」


 良綱さんが話しているにも関わらず、ここで臆さずに質問をして来られるのは、涼子ちゃんらしい。

 まぁ、話しているのが、自分の父親だから、なのも大きいだろう。

 それ以外の、自分が、ある程度、リスペクトできる大人が喋っているのなら、一段落するまで質問は控えていたに違いない、意外に思慮深い涼子ちゃんであれば。

 割り込んできた涼子ちゃんに対し、苛立ちも表さず、良綱さんは彼女の疑問に答えた。


 「布袋君は、主宮君の同僚だ。

 やや傲慢な部分も目立つが、無類のリーダーシップを発揮して、いくつか大きなプロジェクトを成功に導いてきた。

 社内でも社外でも、優秀な存在として注目されていた」


 「ふーん、そうなんだ」


 涼子ちゃんは、自分から聞いておいて、あまり、布袋に対して、興味が湧かないようだった。

 さすがに、今、やってはいないだろうが、漫画やアニメであれば、無関心であるのが丸判りの表情で、鼻の穴を小指で穿っていただろう。

 今のご時勢、女の子らしさ云々、と言ってしまうと、途端に、個性を大切にすべき、性別の壁を撤廃すべき、と考えている人たちの怒りに火を点けてしまうだろうが、さすがに、可愛い女子高校生が鼻を指で穿る絵面は良くない、と思うのだ。

 涼子ちゃんが鼻を穿っていないので安心した私だが、直後、良綱さんが何気なく言ったワードで、彼女はまたしても、キレそうになる。


 「ざっくり言えば、二人はライバル関係にある、と周りに思われていた。

 布袋君の方も、主宮君を自分のライバルに相応しい、と見ており、自分の方が上だ、と周りにもアピールしていたようだ」


 「はっ?!」


 濃厚な苛立ちが籠った、涼子ちゃんの「はっ?!」に、良綱さんは、またしても、「しまった」と表情を歪めたようだった。

 何だか、今日の良綱さんは、失言が多い。

 私なんかの見舞いに来る時間を作るのに、相当な無理をして疲れているんじゃなかろうか。


 「どこの誰か知らないけど、真宵お兄ちゃんに勝ってるって、どの口が言ってんの!?」


 しかし、そこは、やはり、さすが、良綱さん。

 即座に、自分で自分の失言をリカバリーを素早く行った。


 「少なくとも、私は、布袋君よりも主宮君を高く評価している」


 「だよね、パパ」


 パッと笑い、雰囲気が明るくなった涼子ちゃんに、私と良綱さんは、彼女に気付かれぬよう、安堵の息を胸の中でだけ漏らす。


 「評価云々はさておき、真宵お兄ちゃんがそいつとライバルだったのは、ホント?」


 「営業成績や、担当した企画の規模、他社員からの印象などから考えれば、二人の関係は、ライバル、と言うのが順当だろうな。

 ただ、さっきも言ったが、布袋君は傲慢な一面も目立っていた。

 立ち上げたプロジェクトを成功させる、と言うより、主宮君に負けを認めさせたい、その目的から、強引な手段を用いる事も多かったな」


 「聞いた感じ、何か嫌な奴だね、その布袋って人。

 典型的なオラオラ系で、真宵お兄ちゃんとは真逆じゃん」


 「そうだな。

 真宵君は少し控えめ、と言うか、自己主張が弱々しいが、周りがしっかりと見えていて、自分で何でもやろうとせず、部下に最適な仕事を割り振って、モチベーションを落とさず、順調にプロジェクトを進展させていた。

 部下のフォローや褒めるのも上手いから、自然とやる気が出る者も多く、主宮君が担当した企画は予定したよりも良い成果が出る事も多かったな」


 私は、不意打ち気味で、良綱さんに褒められ、気恥ずかしくなってしまい、慌てて止めようとしたのだが、涼子ちゃんに「待った」をかけられた。


 「布袋君は確かに優秀だが、自分が一番でなければ気が済まない性格だった。

 一番になるための努力を惜しまない点は評価できるが、周りを蹴落としたり、足を引っ張ったりする手段が乱暴で、私としては、人として信用するには足りない部分が多い、と感じていたよ。

 だからと言う訳じゃないが、私は、社内で目立っており、人気もあった布袋君ではなく、主宮君をあの日、パーティーに誘い、お前達に紹介したんだ」


 思いがけぬタイミングで、事実を知った私は少しばかり、驚いてしまった。


 「その判断と行動は、私の中で、成功でもあり失敗でもあった、と思っているよ、今この時」


 「矛盾してるけど、パパの言ってる事は何となく理解できるな、アタシ」


 そう言った涼子ちゃんは、私の手を取りながら訊ねてきた。


 「真宵お兄ちゃんは、あの日、私達に会えて良かった?」


 私は間髪入れずに、涼子ちゃんの掌に答えを書いた。

 まぁ、書き出すのは速かったけど、書き終えるまでに、随分と時間はかかってしまったが。


 「後悔してない、涼子ちゃんたちに会えて良かった・・・だって、パパ」


 「そう言って貰えると、後悔の度合いが僅かだが減るよ。

 主宮君、ありがとう」


 いつも以上にキリッとした良綱さんに深々と頭を下げられてしまい、私はこそばゆくなってしまう。

 そんな私の心の機微を察したのか、涼子ちゃんは、どこか嬉しそうに、私の頬をそっと撫でてくれた。

 今、私の顔には包帯がグルグルと何重にも巻かれ、傷口には分厚いガーゼも貼られ、痛みを鎮める薬もたっぷりと塗り込まれているのだが、それでも、涼子ちゃんの手に宿る、優しい温かさは、ちゃんと染み込んできた。

 改めて、涼子ちゃんは良い子だな、と思いつつも、私の胸の内には疑念が生じていた。

 涼子ちゃんの質問によって、やや脱線したにしろ、布袋の葬儀に関して、良綱さんが私に伝えるのを躊躇う理由とならない、そう思ったのだ。

 布袋の両親が感謝している、それだけなら、良綱さんはスパッと伝えてくるだろう。

 私が妙だな、と感じたように、父親である良綱さんの気質を私よりも把握している涼子ちゃんも、違和感を覚えたらしく、まずは、自分が気になった事から、良綱さんに疑問をぶつける。


 「ところで、パパ、どうして、その布袋さんの両親が、真宵お兄ちゃんに感謝してるの?」


 「うっ」


 またしても、言葉に詰まった良綱さん。

 妙だな、と思ったタイミングだった、私に事故の時の記憶が不意に戻ってきたのは。


 (そう言えば、布袋が、あの時、俺の腕を掴んで爆発が起きたから・・・)


 良綱さんが言い淀んだ理由かは定かでないにしろ、少なくとも、涼子ちゃんに聞かせる内容じゃない、と判断した私は、良綱さんを止めようとするも、涼子ちゃんの「ねぇ、どうして?」の方が早く、良綱さんは呆気なく、折れてしまった。


 「雪乃と同じだよ」


 「え?」


 良綱さんの返答に一瞬、戸惑いの表情を浮かべた涼子ちゃん。

 だが、すぐに、持ち前の察しの良さが働いてしまったのか、口元をサッと手で押さえ込んだようだ。

 今、私には見えないが、間違いなく、顔色も悪くなっているだろう。

 涼子ちゃんが、雪乃の頭部を実際に目の当たりにしたか、そこは判らないし、聞くのも躊躇うが、一応、説明くらいはされているはずだ。

 だからこそ、私の無茶にちょっと怒っている涼子ちゃんは、学校をサボってまで、私の病室に足繁く、やってきたのだ。


 「主宮君は、爆発炎上した車から、布袋くんの体の一部を、焼け焦げていない状態で持ち帰った。

 だから、まぁ、布袋君のご両親は、右肘から先だけではあるが、炭化していない息子の体を見られたんだ。

 色々と複雑な気持ちはあったんだろうが、主宮君に感謝の言葉を告げるのであれば、お二人とも大した人格者だな」


 「・・・・・・それは、確かに、真宵お兄ちゃんに、ありがとうって言いたくなるかもね」


 涼子ちゃんとしては、姉の雪乃に対して、悪感情しかないのだろうが、それでも、家族の一員が死んでスカッとした、と思うほどの悪人になれないから、雪乃の体が、一部だけでも焼けずに残った点に関しては、どこか、良かった、と思ったのかもしれない。

 まぁ、その頭部を私が、死にかけるほどの無茶をして持ち帰った、と知って、涼子ちゃんの中で、雪乃に対する評価が、最底辺をブチ貫いて、より悪くなった可能性はデカいだろうが。

 改めて、暮林家の皆さんには申し訳ない事をしたな、と罪悪感に胸をチクチクされた私だが、やはり、違和感は拭えなかった。


 (布袋の腕に関しては、確かにグロいが、良綱さんが両親が感謝しているくだりを伝えるのを躊躇うとは思えないな)


 何か、他に、今、涼子ちゃんが、ここに、私の側にいる状況だからこそ、良綱さんですら言い辛い内容とは何だろうか、と私が心中で考えていると、涼子ちゃんが更に踏み込んでしまった、良綱さんの懐へと。

 涼子ちゃんの、こういう度胸は賞賛に値するけど、時には、見に徹するのも大切だ、と私は諭したい。


 「パパ、まだ、何か、隠してない?」


 愛娘にジッと見つめられてしまっては、さしもの良綱さんも黙秘権を行使し続けられなかったようだ。

 一つ、はぁ、と諦めるような溜息を漏らし、天井を仰いでから、良綱さんは顔を前に戻した。


 「主宮君」


 思わず、私は身を正してしまい、引っ張られる形で、涼子ちゃんも緊張を全身から滲ませる。


 「君に横領と収賄、そして、外部への情報流出の疑いがかかっている」


 その刹那、涼子ちゃんは無言で怒髪天と化し、勢いも良く、椅子から立ち上がる。

 もし、私が激痛いたみも承知で、手首を掴んで止めていなかったら、涼子ちゃんの、陸上部で鍛えられている肢による、キレが良いハイキックが、良綱さんの頭部へ叩き込まれていたに違いなかった。

 立場上、よく、襲撃される事の多い良綱さんは、格闘技の修得者だが、この状況だと、涼子ちゃんの蹴りを甘んじて受ける可能性もあった。

 首もしっかりと鍛えているから、ダメージも軽微だったかもしれないが、さすがに、父娘喧嘩を目の前でされるのは胸が痛む。

 まぁ、今の私は目が見えない訳だが。

 怪我人ジョークはさておき、私は鼻息が荒くなり、体も高熱を帯び出している涼子ちゃんの手首を掴んで、「落ち着いて」と訴える。

 涼子ちゃんは、よく、自嘲気味に、こう言っている、アタシは名前に「涼(cool)」と入っているのに、頭に血が上って、怒りの炎に噴いてしまう、と。

 そんな涼子ちゃんがキレるのは、大抵、自分の大切な人を侮辱された時、だ。

 つまり、今も、私にあらぬ疑いがかけられている、と確信したからこそ、プッツンしてしまったようだ。

 涼子ちゃんの想いは嬉しいが、やはり、娘が父親を蹴るのはよろしくない。

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