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第三話 大爆発から生還した私は、私を裏切った婚約者の妹を泣かせてしまう。

 (不思議な夢を見た気がする・・・

 誰か、女性に土下座で謝られて、許しを乞われていたような・・・

 結局、許す許さない以前に、事情も聞けなかった気がする・・・悪い事したかも。

 一体、あの女性は、俺に何を謝ろうとしていたんだろう。

 って、単なる夢なのに、こうやって真面目に考えちゃうのも、何だか、滑稽だなぁ)


 よく勘違いされるが、いくら、私だって、何でもかんでも、自分が悪いのだから、と思う訳ではない。

 今回の大怪我は、私が自分の手綱を取れなかったから、自業自得で負った怪我。

 だから、悪いのは私だ、と思っている。

 けれど、そうでない場合は、相手から事情をしっかりと聞き、自分に非があるかどうか、をちゃんと思案かんがえる事にしていた。

 もしも、私の非が大きいのであれば、素直に謝罪するし、相手に非があるのであれば、その旨を告げた上で、双方が納得できる落としどころを見つけるべきだ、と提案してきた。

 今回の事に関しても、人によっては、そもそも、一方的に、メチャクチャな理由で婚約破棄を突き付けてきた性悪女が悪いのだから、怪我を負ったのも、雪乃が原因だ、と私を擁護してくれる可能性はある。

 確かに、雪乃は、良くも悪くも、お人好しだ、と言われる私であっても庇えない。

 しかし、これほどの怪我を負ったのは、私が無茶もとい無謀な行為をしたからだ。

 暮林家の皆さんに、雪乃を持ち帰る、それを諦める選択肢は無かったにしろ、もっと、冷静に、自分が怪我をしない、もしくは、軽傷で済むやり方を、一瞬でも良いから踏み止まって、考えるべきだったのだ。

 それを怠ったんだから、やはり、この怪我に関しては、私が全面的に悪い、と思う。


 (もし、今度、同じ夢を見たら、しっかり、話を聴けるかな)


 不思議な夢から意識を外した私は、目を開けようとするのだが、どうにも、両の瞼が異様に重く、開けない。

 何の対策もせずに飛び込み、あれだけ激しい火の中に身を置いていたから、火傷を負った瞼が貼り付いてしまったのだろうか、と冷静に考える私は、少ししてから、そうじゃないな、と結論を出した。

 火傷それ自体は負っているのだろうが、今は、単に目の部分に包帯がしっかりと巻かれているから、目の開けようがないだけか、と判断した私は、手足の感覚はしっかりしているか、の確認を始めようとした。

 まずは、右手から、と思った時だった、その右手が何者か、にギュッと力強く握られたのは。

 痛みは無かったが、何も見えていない状態で、突然、誰かに手を握られた事に、私はビックリしてしまう。

 ビクッとしてしまった私は、ここで、今更ながら、自分の胸に重さを感じた。

 起き上がれないほどの怪我をしているから、重さを感じるんだろうか、と胸の内で小首を傾げた私だが、どうにも、そんな類の重さではない。

 あえて言うのなら、誰かが、そう、今、私の右手を強く握った者が、私の胸に頭を乗せているような感じだ。

 人間の頭は、ボウリングの球と近い重量、と聞いた事もあるから、胸に感じる重さが頭のそれであるなら、納得も行った。

 問題は、私の胸に頭を乗せながら手を離さぬ者が誰か、そして、そのような行動をしている理由だった。

 「何者《WHO》?」と「何故《WHY》?」を頭の中で、グルグルとさせながら、答えを導き出せるヒントを、少しでも得ようと、改めて、肉体の感覚がどうなっているのか、を確認しようとした。

 けれど、私の胸に頭を乗せている何者かは、再び、私の右手を握って、その確認作業を中断させてくる。

 故意に邪魔してきているのだろうか、思わず、邪推しそうになるが、そうする理由が、私には思いつかなかった。

 怪我もしくは麻酔の影響で、まだ、体の感覚が鈍っている事もあるのだけど、ふと、私は、以前にも、似たような事があった気がする、と思い至った。

 それが、何時の事だったか、を鮮明に思い出すよりも、先に、私は、その時、寝ている私の胸に頭を乗せていたのが、誰か、を思い出していた。

 それと同時に、涼子ちゃんか、と私は相手の正体を確信する。

 涼子ちゃん、と言うのは、暮林家の三女、雪乃の妹だ。

 だが、そうなると、涼子ちゃんが、今、私の胸に頭を乗せ、私の右手を握っている理由が不明サッパリだ。

 実際、あの時も、私は雪乃の我儘に散々、振り回されたおかげで、心がすっかりと擦り減ってしまっていたから、一瞬だけ起きた際、良綱さんが私に用意してくれていた部屋で死んだように寝ていた私の胸に、涼子ちゃんが頭を乗せ、寝息を立てていたのに気付いても、大したリアクションは出来ず、すぐにまた、寝落ちしてしまった。

 しっかりと目が覚めた時には、もう、涼子ちゃんの姿は無かった。

 だから、夢だったのか、と私は思い、その日、夕食を暮林家の皆さんと一緒に食べた際も、彼女に、その事を問わなかった。

 もしも、この時、涼子ちゃんが、私の方を、不安げにチラチラと見て来る素振りをしていたら、私も、もしや、と訝しんで、こっそりと確認していただろう。

 だが、カツ丼を美味しそうに頬張り、頬に米粒が付いているのを、良綱さんに笑われ、照れ臭そうにしている涼子ちゃんは、いつもと変わらぬように見えていた。

 なので、私は夢を見ていたんだな、と自分の中で結論を出し、改めて、事実を涼子ちゃんに確認するのを止めたのである。

 しかしながら、今、涼子ちゃんが、ベッドに横たわっている私の手に握り、私の胸に頭を預けるようにして、眠っているのは現実だ。

 目は見えず、皮膚の感覚も鈍化してしまっている。

 けれど、その分、他人の気配を感知するセンスは研ぎ澄まされているようだ、今の私は。

 元々、涼子ちゃんは、スキンシップが激しい女の子だった。

 天真爛漫、と言うのがしっくり来る人間性の涼子ちゃんは、歓喜すると、その感情の勢いで、よく、親しい人と手を握ったり、ハグをしていた。

 有体に言ってしまえば、友人や知人との距離感がバグっているタイプらしく、私に対しても、ちょいちょい、抱き着いて来ていた。

 仲が良好ではなかった・・・まぁ、性格などが理由で最悪の姉妹仲だった雪乃が傍にいる時は、さすがに、その行動も控えていたが、いない時は、ちょっと遠慮してほしいな、と私ですら思ってしまうほど、距離が近いどころか、ほぼ0であった。

 涼子ちゃんのように、性格が明るく、なおかつ、少女らしい柔らかな肢体を肌に感じるのは、私だって男なので、悪い気分にはならない。

 しかし、どうして、暮林家の次女と結婚を前提にした交際が出来ているのか、不思議でしかない、一介のサラリーマンたる私と、現役女子高校生である涼子ちゃんの間には、年齢や立場に大きな差が存在していた。

 その上、陸上部に所属し、期待のルーキーである涼子ちゃんは、全体的に引き締まり、健康的な体型を維持している。

 だが、その胸部は、お母さんの麻由里さん譲りで、本気で抱き締めたら、人を窒息死させられるほどの豊満さを誇っている。


 (こんな事を考えてるのがバレたら、セクハラだって訴えられちゃうな・・・

 いや、麻由里さんや涼子ちゃんの性格を考えたら、逆に、私を胸に抱きしめようとするかも)


 普段は、オーダーメイドのブラジャーで、生活や競技の邪魔にならないよう、しっかりと封じ込んでいるらしいそれを、涼子ちゃんは、家では全開放させている。

 私としても、やはり、家の中でくらいは、抑圧されずに、のびのびとした状態で過ごしたいのだろう、と一定の理解は示せるのだが、人とくっつくのが大好きらしい涼子ちゃんは、その胸を、私に抱き着いてくる時、一切、躊躇わずに、腕や背中、果ては、顔に押し付けてくるのだ。

 涼子ちゃんが、姉の雪乃とは違い、性格が腐りきってはいないから、美人局つつもたせを企んでいない、と察せるにしろ、それでも、私のような面白味に欠ける男に、頻繁におっぱいを密着させてくる理由がサッパリで、私はただただ、困惑するばかりだった。

 いくら何でもなぁ、と困り果てた私は、涼子ちゃんに注意してくれませんか、と良綱さんにお願いした事もあった。

 だけれども、良綱さんは、涼子は涼子で、雪乃と違った意味合いで、私の言う事を聞いてくれない、と苦笑いで愚痴を溢すばかりで、涼子ちゃんの遠慮が無いスキンシップは一向に沈静しなかった。

 そんなこんなで、雪乃の我儘ほどではないにしたって、涼子ちゃんの溌溂さから来るスキンシップにも、私は悩まされていたのである。

 何にせよ、涼子ちゃんは、普段から、足音を殺し、私に背後から近づいて、目を手で隠し、後頭部に潰れるほど強く押し付けた乳房をグリグリとしながら、「だ~れだ?」を頻繁にしてきていたから、彼女の気配は何となくであるにしろ、気取る事は出来た。

 今、五感の大半が低下しているので、余計に、他人の気配を明確に感じ取れるようなので、自分の側にいるのが、涼子ちゃんだ、と確信を私は持てていた。

 しかし、誰か、はハッキリしても、どうして、涼子ちゃんが、こんな事をしているのか、がサッパリだ。

 いっそ、今、それを明らかにするのは諦め、涼子ちゃんが起きるまで、私も再び、寝ようか、そんな考えが頭の中に過ったタイミングだった、胸に強烈な頭突きが叩き込まれたのは。

 故意わざとじゃない、それは理解している。

 きっと、涼子ちゃんは、寝惚けていたんだろう。

 私も、手招きしてくる睡魔の誘いに乗ろうとし、油断していたのも良くなかった。

 痛みと衝撃で、私は意識を失いそうになってしまうが、それよりも先に、涼子ちゃんが目を覚ました。


 「・・・・・・真宵お兄ちゃん!?」


 私の胸に頭を叩きつけた事で、甘ったるい夢の園から現実世界への帰還を果たした涼子ちゃんは、しばらく、ぼんやりとしていたが、私の口から漏れてしまっていた呻き声にハッとし、私が意識を取り戻した事に気付いたようだった。


 「生き返ったんだね!!」


 その言い方は、どうなんだ、と思いこそしたが、燃え盛る高級車の大爆発でも死ななかった今の私の状態は、思わず、そう言ってしまうほど、凄惨なんだろう、と当たりが付く。

 涼子ちゃんに、おはよう、と返したかったが、口も上手く動かせず、声も碌に出ない。

 なので、涼子ちゃんが握ったままでいた手に、ほんの少し、力を込め、彼女を安心させようとした。

 私の握り返す力は、あまりにも弱々しかったはずだが、緊張を強いられ、寝落ちしてしまうほどだった涼子ちゃんにとっては、十分すぎたらしい。

 ついに、糸がプッツンしてしまったらしい涼子ちゃんは、またしても、私の胸に頭をぶつけてきた。

 何故に追撃を、と狼狽した私だが、涼子ちゃんが火が付いたように大声で泣き叫び始めてしまったら、文句など言えるはずが無かった。

 

 「真宵お兄ちゃんが・・・生きてて良かったよぉぉぉ」


 事故のダメージが耳にも及んでいなかったら、涼子ちゃんの超人的な肺活量が生む、大きな泣き声に、私は音を上げてしまっていたに違いない。

 いくら、大した人間じゃない、と自覚していたって、自分の無事を喜んで泣いてくれる美少女を蔑ろにするほど、私も落ちぶれちゃいない。

 大怪我人である今の私に出来る事など、たった一つしかなかった。

 涼子ちゃんが泣き止み、落ち着くまで、ジッとしていよう、私はそう、腹を括った。


 柄にもなく、カッコつけようとしてしまった私だが、その決意も、一分すら持たなかった。

 私は、廊下まで響いていたであろう、涼子ちゃんの大きな泣き声を聞きつけたのか、それとも、私に繋がれている治療用の機器からの信号で意識の覚醒を確認したからなのか、その辺りは判明わからなかったにせよ、看護師さんが部屋に飛び込んできた時、つい、安堵してしまったのである。

 怪我で聴力が落ちているのだから、泣き声が大音量に到っていても、問題はないだろう、そう、考えていた私が甘かった。

 確かに、聴力の低下で、涼子ちゃんの泣き声の大きさは、そこまで辛くなかった。

 しかしながら、涼子ちゃんが、自分の無事を喜んで泣いてくれている、それは結構、私の精神面に重く圧し掛かってきた。

 こればっかりは、人それぞれなんだろうが、私の場合は、私が原因で、身近な優しい人が泣いてしまっている、この状態は相当な申し訳なさを覚えるタイプなのである。

 それを初めて知った私は、看護師さんに引き剥がされそうになりながらも、泣きじゃくって、抵抗し、私の胸から頭を退かそうとしない涼子ちゃんに対し、ますます、気まずさを募らせてしまっていた。

 やはり、看護師さんは、それだけの経験を積んでいるだけあって、涼子ちゃんを、どうにか宥め透かし、泣き声のボリュームを半分に抑えさせただけでなく、私から遠ざける事にも成功した。

 一体、どうやって、説得したんだろうか、と興味は湧いたが、先にも書いた通り、私の耳は車の大爆発をモロに食らった事で、相当なダメージを負っていたようで、看護師さんの声までは聞き取る事が叶わなかった。

 残念だ、と思う一方で、二度と、涼子ちゃんを泣かせたりしなければ、彼女を上手に落ち着かせる言葉を知らなくても問題ないのか、と気付く私。

 改めて、自分のやらかした無茶を心の底から反省し、また、涼子ちゃんを泣かせたりしないようにしよう、と固く誓っている間に、看護師さんは機器のチェックを済ませていたようで、私にゆっくりと大声で喋りかけてきてくれた。


 「主宮真宵さーん、私の声が~聞こえますか~?」


 短気な高齢者だったら、間違いなく、「老人扱いするな!!」と激高しそうな話しかけ方だったが、私はさほど、気にはならなかった。

 とは言え、聞こえてはいるにしろ、声は出せない状態なのだ、今の私は。

 どうしたものか、と迷ったが、やはり、プロの看護師さんは、私のような状態の重傷者に対応するのも慣れているらしい。


 「聞こえているなら~、ちょっとだけ~、頭を動かしてくれますか~」


 頭をほんの僅か動かすだけなら、今の私でもどうにかなりそうだったから、看護師さんの言う通り、頭を動かす。

 頷く、その動作にも見えぬほど、微かな幅の動きしか出来なかったが、看護師さんには十分だったらしい。


 「今、先生を呼んでくるので、少し、待っててくださいね」


 喋り方を若い者にするモノへと変え、看護師さんは足早に部屋を出ていく。

 今になって、私は気付いたのだが、どうやら、この部屋は個室らしい。

 しかも、相当に広い個室のようだった。

 目が見えず、耳も聞こえ辛いから、気配で何となく察するしかない現状ではあるにしろ、少なくとも、ベッドが10床は余裕を持って並べられそうな広さはありそうだ。

 大部屋で厳しいほど、今の私は重傷なんだろうか。

 いや、それもあるだろうが、恐らく、この個室を私に用意してくれたのは、良綱さんだろう。

 またしても、申し訳なさで胸が潰れそうになっていると、涼子ちゃんがグスグスと泣くのを堪えながら、私に再び、歩み寄ってくるのが、気配で伝わってきた。


 「真宵お兄ちゃん・・・」


 「?」


 「生きてて、本当に良かった」


 そう言うや、またしても、涼子ちゃんはギャン泣きしそうになる。

 さすがに、今度は、看護師さんに怒られてしまいそうだから、私は涼子ちゃんを手招きする。

 もっとも、両腕とも、火傷などで、まともに動かなかったのだが、目の縁に大量の涙を溢れさせていた状態でも、涼子ちゃんは、私が自分を手招きしているのを察してくれたらしい。

 気合で泣くのを堪えた涼子ちゃんは、私の側まで来ると、私が上げようとしている手を握ろうとしてくれた。

 けれど、私が自分の手を握ろうとせず、サッと躱したのを見て、一瞬こそ戸惑いを滲ませたが、すぐに、私の意図を察してくれたようで、右手を大きく広げてくれた。

 私は、涼子ちゃんの勘の良さに舌を巻きつつ、彼女の掌に、ぎこちない動きで文字を指で書いていく。

 全ての指に先端まで包帯が巻かれている事もあって、かなり動かしづらく、字を書くスピードは相当に遅かったが、涼子ちゃんは気長に、私が書き終えるのを待ってくれた。

 大した人間じゃない、と自覚している私でも、ここで、バカをやった私の生存を泣いてしまうほど、心から喜んでくれる涼子ちゃんに謝罪するのは、男として筋が通らない事くらいは解かる。

 だから、私が涼子ちゃんの右掌に、たどたどしく、けれど、自分の気持ちが、ちゃんと伝われ、と思いながら書いたのは、「ありがとう」だった。


 「真宵お兄ちゃん、ありがとうって・・・」


 涼子ちゃんは、私が掌に書いた感謝の五文字を、ちゃんと受け取ってくれたようなのだが、どういう訳か、右手がフルフルと小刻みに震え始めてしまう。

 しまった、泣かせない為に、感謝の気持ちを、このタイミングで伝えたのだが、却って、逆効果だっただろうか、と私は動けない状態であるのも相まって、焦燥の念を抱いてしまう。

 だが、私の予想に反し、涼子ちゃんは泣き出さなかった。

 泣き出しはしなかったのだが、何故か、私の顔に両手で挟むようにして、そっと触れてきたではないか。

 どうして、私の顔を掴むのか、と疑問に思う間もなく、涼子ちゃんは、顔を寄せてきた。

 私の耳が一時的に遠くなっているのを勘付いて、顔の近くで喋る気なのだろうか、と私は考え、さほど抵抗をしなかった。

 語り掛けて来るにしては、妙に顔を近づけて来るな、と涼子ちゃんの少し熱を帯びた吐息を、包帯が巻かれている顔に感じる事を訝しんだタイミングだった、「ゴホンッ」と誰かの咳払いが室内に響き、涼子ちゃんが私に顔を接近させるのに急ブレーキをかけたのは。


 「パパ!?」


 涼子ちゃんが口にした単語に、私は驚かされる。

 いや、「パパ」、この単語そのものにビックリした訳ではない、一応、言っておくと。

 涼子ちゃんが、「パパ」と呼ぶ相手は、この世に一人しかいない、それが理解わかっているからこそ、私は驚いてしまったのだ。

 涼子ちゃんのパパ、つまり、父親は、暮林良綱さん、だ。

 驚きながらも、私は咳払いが聞こえてきた方に意識を向け、気配を探ってみる。

 すると、良く知っている気配を感知する事が出来た。

 目が見えぬ状態でも、そこに立っている姿が視えるほどの威圧感があった。

 これほどまでのオーラを放っている人間は、そう多くはない。


 「涼子」


 入口に立っている男性が、涼子ちゃんの名を、やや怒りが滲んでいる声で呼んだので、私はより、確信を強められた。

 やはり、病室の入り口に立っていたのは、良綱さんのようだ。


 「今日も学校をサボって、病室ここに来てたのか」


 私の病室に良綱さんが来ただけでも、驚くべき事態だってのに、良綱さんが涼子ちゃんに向かってした発言で、私はまたしても、言葉を失ってしまう。

 どうやら、涼子ちゃんは学校には行かず、もしくは、良綱さん達に、学校へ行く、と嘘を吐いて、私の病室に来ていたらしい。

 しかも、良綱さんは、「今日も」と言った。

 つまり、これが初めてのサボリではないのだろう。

 涼子ちゃんが、私が目を覚ました時に大泣きした反応から、私が意識不明の状態に陥っていたのは、一日や二日ではないのだろう、と感じてはいたが、どうにも、かなりの日数、私は昏睡状態だったらしい。

 いや、しかし、それにしたって、涼子ちゃんは、その間、ずっと、学校をサボり、私の病室に来ていたのだろうか。

 私なんかのために、折角の貴重な青春の日々を無駄に使うなんて、何を考えているんだろうか、と涼子ちゃんを窘めたくなってしまう。

 もっとも、こんなバカをやらかした私に、涼子ちゃんをお説教する資格なんてありはしないから、学校をサボった事に対し、言える事など、何一つ無いのだけど。

 いずれにしたって、涼子ちゃんを叱るのは、父親である良綱さんの役目なのだから、私がゴチャゴチャ言うべきではないだろう。

 良綱さんは、重々しい溜息を一つ漏らしてから、病室に一歩、足を踏み入れたようだ。

 その瞬間だった、涼子ちゃんが、自分に何かを言おうとした良綱さんに先んじて、「パパ、真宵お兄ちゃんが意識を取り戻したの!」と嬉しそうに叫んだのは。


 「何?! 本当か、涼子ッッ」


 「うん、さっき、目を覚ましたみたい!!」


 かなり近くにいるからだろう、涼子ちゃんが、良綱さんの怒りが引っ込み、説教を回避できた、と安堵しているのが、しっかりと伝わってきた。

 私の事は、どうでもいいから、父親として、学校をサボった娘さんを、ちゃんと叱ってください、と胸の内で訴える。

 けれど、私の声に出せぬ訴えは、良綱さんに届かなかったらしく、彼は、珍しく、荒々しい足取りで私の元に迫ってきた。


 「主宮君!!」


 さすが、大会社の社長だけあって、良綱さんの声、これだけ広い病室全体に響く。

 もしかすると、この階にすら轟いたんじゃないだろうか。

 

 「ちょっと、パパ、声がデカすぎるって!!

 真宵お兄ちゃん、起きたばっかりなんだよッッ」


 涼子ちゃんから、逆に注意されてしまい、ハッとなったらしい良綱さんだが、私が意識をしっかりと取り戻しているのか、その確認だけはしておきたかったようで、声のボリュームは抑えた上で、再び、私に呼びかけて来る。


 「主宮君?」


 私はまだ、声も出せないし、体もまともに動かせない状態だったから、ほんのわずかに、手を揺らすだけで精一杯だった。

 それでも、良綱さんには十分だったようだ。

 主宮君、と呟いた良綱さんは気が抜けてしまったらしい。

 涼子ちゃんが、咄嗟に椅子を動かしていなかったら、良綱さんは、そのまま、床に尻餅を突いていたんじゃないだろうか。

 ギリギリで椅子に腰を下ろす事に成功した良綱さんは、涼子ちゃんに「ありがとう」と言ってから、「良かった、本当に良かった」と声を震わせ始めた。


 「パ、パパ、泣かないでよ!!」


 先程、自分があれだけギャン泣きしたのを棚上げし、涼子ちゃんは声を詰まらせながら、ボロボロと大粒の涙を溢し始めた良綱さんに慌てたようだ。

 焦りながら、良綱さんにベッドの近くにあったティッシュの箱を渡した涼子ちゃんも、改めて、私が意識を取り戻した現状に対する嬉しさが込み上げてきたらしく、「泣かないでよぉ」と良綱さんに言いながら、自身も目をティッシュで押さえたみたいだった。

 良綱さんと涼子ちゃんを同時に泣かせてしまっている、その現状に、形容しがたいほどの罪悪感を抱く私。

 そんな私を救ってくれたのが、ついさっき、涼子ちゃんを落ち着かせてくれた看護師さんが連れてきたと思わしき医師だった。

 女子高校生である涼子ちゃんはともかくとして、厳めしいタイプの良綱さんが泣き咽んでいるのを目の当たりにし、お医者さんはギョッとしたようだが、そこは、やはり、プロだからか、冷静さを保って、二人に一度、病室を出るよう、促した。

 涼子ちゃんは躊躇い、抵抗の素振りを見せたようだが、良綱さんに「涼子」と名を呼ばれると、渋々の態で従ったようだ。

 それでも、涼子ちゃんは後ろ髪を引かれる思いだったのか、私の頬に両手を当てると、再び、顔を寄せてきて、「真宵お兄ちゃん、また、後でね」と小声で告げた。

 涼子ちゃんみたいな、天真爛漫で可愛らしい女子高校生に顔を近づけられたら、いくら、私でもドキドキはしてしまう。

 今、視覚を封じられ、その様を鮮明にイメージしてしまうから、尚更に、だ。

 涼子ちゃんは、そんな私の戸惑いを、頬に当てている両手から感じ取ったのか、「フフフッ」と嬉しそうに笑い、どこか満足した様子で、私から離れた。

 本当に、スキンシップが激しい、と言うか、距離感の詰め方が凄い子だなぁ、と思いながら、私はお医者さんの診察に身を委ねるのだった。

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