第二十一話 私は、ふっくら体型の飼い猫を愛でる。
「八尺様」
「ポポポ?」
「八尺様は、裁縫やぬいぐるみ作りが、オ好きなんですよね?」
私の質問に、ほんの一瞬、戸惑いを浮かべた八尺様だったが、自分の「好き」は偽りたくなかったのか、「ポ」と小さく頷き返してくれた。
「オ好きなだけじゃなく、得意と言エる方ですか?」
一度、好きである事を認めたからなのか、八尺様は、もう隠しても仕方ない、と割り切ったようで、「ポッポ」と胸を張った。
(おいおい、そんな胸を突き出したら、パァンッって服が弾けて、おっぱいが出ちまうんじゃねぇか)
心配になりながらも、どこか、それを見てみたい、と期待してしまっている自分に、胸の内で苦笑いを浮かべながら、私は表情と声色を変化させぬように意識しながら、話を続ける。
「先程も言いましたが、この初心者用のキットと、テディベアなどのぬいぐるみを作るのに用イる素材は、今後、売り出すつもりでイます」
八尺様は話の要点が見えないながらも、私の言葉にしっかりと耳を傾け、私の顔をジッと見つめてくれる。
八尺様の前髪に隠されている目の圧が思ったよりも強かったので、私の方がドキドキしてしまう。
「隠すよウな事でもなイですから、アエて、はっきり言ってしまイますが、私としては、出来るだけ多く売れてくれなイと困るんです」
儲けは気にせず、気楽にやっていいよ、主宮君、と良綱さんに言われちゃいるが、『くればやし』の社員としては、利益は少しでも多く出したい。
しかし、布袋のように、強引なやり口で、お客様に商品を無理矢理に買わせ、自分の懐を潤わせるのも性に合わないのも事実だ。
だから、私は自分が「最良い」と思った物を、真っ当な宣伝と売り方でお客様に買って欲しい。
お客様に喜んで貰えるのならば、最大限の努力をする。
その最大限の努力には、人の力を借りる事も厭わない、も入っていた。
「ポポオポッポ」
八尺様は私のスタンスに同意してくれたようだ。
「最初は、こちらの初心者用から、コツコツと売ってイくつもりです。
しかし、この素材を買って貰ウためには、早イ内から手を打ってオきたいんです」
頷きながらも、やはり、八尺様は私がこの話を自分にしている意図が解らないようで、困惑の色を顔に浮かべていた。
「八尺様、店に展示するお手本を一つ、作ってくれませんか?」
「!!!」
八尺様が、こっちがビックリしてしまうくらいのリアクションを見せたので、私はビクッとなってしまった。
しかし、八尺様は私を驚かせた事にも気付いていないようで、口をパクパクとさせながら、自分の顔と手に持っているテディベアの制作キットを交互に指差していた。
「ポポッポッポ?」
私がそれを頼んできた理由を図りかねたのか、八尺様は戸惑いも露わに訊ねてきた。
しっかりと確認をしてくる慎重さに好感を強めながら、私は理由を説明する。
「繰り返しになってしまイますが、私はこの材料をお客様に買って貰イたイ、買って貰わねば困る訳です」
そこは、八尺様も想像できるらしく、小さいながらも、確かに頷き返してくれた。
「購買意欲を刺激するには、欲しイ、と思わせるだけの商品が不可欠です」
そう言い、私も、テディベアの制作キット(初心者用)を一つ、手に取る。
「こちらに関しては、私がポップなどで宣伝をするので、問題はアりません」
これはハッタリではなく、経験から来る確信だった。
値段はさほど高くないので、子供は親におねだりしやすいし、大人もさほど躊躇せずに購入が可能だ。
相当に不器用でない限り、可愛いテディベアが、ちゃんと作れるだろう。
その辺りをアピールすれば、この制作キット(初心者用)は買って貰える。
その自信がある、私には。
しかし、この箱に入っている布などの材料は、それだけでは売れない、と私は経験から解っていた。
初心者用のキットに入っているのは、既に型通り、正確に切られている布のパーツと、丁寧に手順を記した作業工程表だ。
だから、初心者でも時間をかければ、箱にプリントされているテディベアを完成させる事が出来る。
しかし、布から裁断し、なおかつ、自分が作りたいデザインのテディベアを完成させるとなると、相応に高い技術を求められるだろう。
本当に、テディベア、もしくは、ぬいぐるみ作りが心底、好きな人は、自分が作りたい一品のために努力を惜しまないだろうが、自分が本気になれる趣味かどうか、を迷っている人はそうもいかない。
下手に勝負せず、初心者用キットだけを多く売れば良い、と言う方もいるだろう。
実際、それは商売として間違っていない。
ただ、私としては、どうせなら、上を目指してみて欲しいのだ。
何か一つでも、熱中できるモノがあると、人生はそれなりに楽しくなる。
誰かの心に火を灯す、その手助けがしたかった、私は。
もちろん、テディベアだけに固執する気は無い。
たった一人でも良い、この店で買ったモノがキッカケで、熱中し、自分だけの「好き」を見つけられるのなら、私がこの店を営んでいる理由が生まれる。
私が生きている意味が、人と商品の橋渡しであるなら、私は努力を惜しむ気は無い。
「ポポポオポポ?」
「八尺様が、この箱の中身で、オリジナルのテディベアを作って下さったら、私がそれを買イ取ります」
「ポゥポォ!?」
「もちろん、出来上がったテディベアの品質やデザインの良さで、値段は変わると思イます」
私の申し出に、ますます困惑を深める八尺様。
図らずも混乱させてしまった事に胸を痛めつつ、私は話を続けた。
「八尺様から買イ取ったテディベアは、この店に展示させてイただきます。
八尺様が作った完成品を見た、他のお客様は、私もこんな可愛イテディベアを作りたイ、と思ウ方、私ならもっと上手く作れる、と奮起する方、と様々な反応が起こります、必ず」
ようやく、八尺様も私の目的を察してくれたようで、深く考え込む。
「どウか、私に力を貸してくださイませんか、八尺様」
上っ面の良い言葉だけでなく、心から八尺様のテディベアを店頭に飾りたい、多くのお客様に見て貰い、向上心《やる気》に火を点けたい、それを伝えるべく、私はあえて、被っていたマスクを取ってから、彼女の顔をしっかりと見て、深々と頭を下げた。
「!!」
当然と言えば当然だが、八尺様は私の醜悪い素顔を直視し、驚きを露わにした。
今、頭を私は下げてしまっているが、八尺様が言葉も出ないほどビックリしているのは、人のそれとは明らかに種類が違う気配で、明確に感じ取れている。
見苦しいモノを見せてしまった事に胸は痛んだが、不器用で口下手な私は、仕事に対する真摯さを表すために、己を惜しまずに曝け出すやり方しか知らないし、出来なかった。
(俺の面で気分を害して、この頼みを断られちまうのなら、それはそれで仕方ねぇさ。
俺と八尺様の間に、縁が無かった、それだけの話だ)
どこか開き直りながらも、この店が、真由子さん達と紅檎寺村の人々の間に築かれている信頼関係の上に成り立っており、今の私はそれに頼っているだけに過ぎない事も承知していた。
真由子さんは、そんな事は気にしなくていい、好きに使ってくれていい、と仰ってくれるだろうが、私にも、社会人として、なおかつ、一つの店の運営を任されている者、つまり、店長としてのプライドがあった。
このテディベアの売り上げで、店長として結果を出し、最良の成果を胸を張って報告したい、そんな野心を隠さぬまま、無言で頭を下げ続けていた。
体感で、3分ほどは、八尺様に見つめられたまま、私は頭を下げ続けていた。
「ポポッポッポ」
不意に、八尺様が言葉を発したので、私は緩やかに顔を上げ、彼女と真っ向から見つめ合う。
「テディベア作り、請けてイただけますか?」
「ポッ」
私の確認に、八尺様は力強く頷いてくれた。
「それでは、こちらの箱から、オ好きな材料をオ持ちになってくださイ。
一体目ですので、オ代はサービスさせてイただきます」
「ポゥポ」
再び頷いた八尺様は、箱の中身を吟味しようとしたが、一瞬、その手の動きを止め、私の顔を指差した。
「アッ、申し訳アりません、オ見苦しイものを」
私が慌てて、顔の傷を隠すべく、マスクを被ろうとすると、八尺様はマスクを取った手を掴んだ。
一瞬、握り潰される、そんな恐怖からヒヤッとしてしまったが、八尺様は私の手をすぐに離してくれた。
「ポオポポォッポ」
「・・・・・・色々ありまして」
八尺様は私の事情を語れぬ心情を察してくれたのか、三度頷くと、意識を箱の方に向け、テディベアを作るのに使う材料を選び始めた。
(気を遣わせちまったな)
申し訳なさを覚えながら、私はマスクを被り直した。
「おーい、マヨちゃん!!」
いきなり、自分に付けられたニックネームを、若干の怒気が滲んだ声で呼ばれ、回想に浸っていた私はハッと我に返った。
「何、ボケっとしてんだよ、マヨちゃん。
しっかり寝てないのか?」
どうやら、さっきから、大介くんは私の名を連呼していたのか、苛立ちを隠そうともしていない。
そんな大介くんの態度に、夏哉くん達は焦りと不安でハラハラしていた。
「ごめん、ごめん。
何だっけ?」
「母ちゃんが、テディベア作りに迷彩柄の布を欲しがってるんだって」
「解ったよ、注文しておく。
迷彩柄ね。
アと、他に欲しがってるものはアるのかな?」
「四角い銀のボタンは欲しがってたけど、さすがに難しいだろ?」
「どウイウデザインのものが欲しイか、細かく教エてくれたら、要望に応エるよ」
「じゃあ、あとで、母ちゃんにメールしとくよ、ここに来て、マヨちゃんに注文してって」
「頼むね、大介くん」
「おうよ」と、快活に笑い、右手でOKサインを作った大介くん。
「その代わり、おやつはちゃんと作っておいてくれよ。
放課後、食べに来るからさ」
「おい、大介、ここは雑貨店であって、喫茶店じゃないんだぞ」
「そうだよ、店長さんに迷惑をかけちゃダメだって。
また、委員長に叱られるよ」
「ペチャパ委員長なんか怖くねぇよ!!」
「誰がペチャパイですってッッ」
先程の大介くんのそれとは比較にならぬほどの怒気が、その声には込められていた。
「うげっ!!」
ビクンッと体を竦ませた大介くんが、「ギギギギ」と見えそうなほど、ぎこちなく首を動かして振り返ると、そこには頭から湯気を立ち昇らせ、目を吊り上げている雅世子ちゃんが仁王立ちしていた。
「今日と言う今日は許さないわよ!!」
怒髪天と化した雅世子ちゃんが鉄拳を振り上げると、血相を変えた大介くんは全力で逃走を図った。
「ちょっと待ちなさいッッ」
「失礼します、主宮さん!!」
「あ、あ、あの、大介君が無茶を言って、すいませんでした」
逃げた大介くんと追いかけて行った雅世子ちゃんに、夏哉くんと司くんは大慌てとなり、私は頭を下げると、私の前から走り去っていった。
「小学生は、朝から元気で羨ましイね」
若さの発す眩しさに、私は目を細めた。
そんな時だった、「にゃーん」と聞こえてきたのは。
「ん?」
可愛らしい鳴き声に振り向くと、ずんぐりむっくり、そんな表現がしっくり来てしまう体形、全身真っ黒かと思いきや、太く長く、なおかつ、ふわふわな尻尾の先だけは真っ白、そんな特徴を持つ猫が、ゆったりとした足取りで、茂みの中から出てきた。
「ぶにゃぁ」
実にふてぶてしい面構え、見た目に似合った野太い鳴き声の猫は、のしのしと私に歩み寄ってくる。
この猫は、私がここに引っ越してきた翌日、私の目の前に現れた猫だった。
首輪はしておらず、近所の人にも聞き込みをしたが、誰も、この猫を飼っている訳ではなかった。
それどころか、家々を巡る際、私が顔を見せるべく抱っこしていた、この猫を皆さんは見て、ビックリ仰天しているようだった。
どうやら、この猫は、鈍重そうな見た目ながらも、何気に俊敏で、近所の人が捕まえようとしても、すぐさま逃げ出し、誰も未だに捕獲できていなかったらしい。
それを聞き、私の方が驚いてしまったくらいだ。
近所の人には、餌かおもちゃで引き寄せたのか、と訊ねられたのだが、そうじゃなかった。
単に、私は立っていただけ。
目の前を横切ろうとしていたこの猫と、確かに目は合ったが、特に招き寄せるような動作はしなかった。
にも関わらず、この白と黒の斑紋が特徴的な猫は、しばらく、私と見つめ合い、「にゃん」、そう何かを決めたように一声鳴いたかと思ったら、スタスタと軽い足取りで近寄ってきて、その場から動かないでいた私の足に、肉付きの良い体を擦りつけてきた。
筋肉とも脂肪とも違う、液体とも称される猫特有の柔らかさを、更に強めたような感触に、私はほっこりとしてしまう。
理由は解らないが、懐いてくれているのは悪い気分じゃない。
(野良猫・・・にしちゃ、健康そうだ。
ちゃんと、ご飯を食べてるんだろう・・・いや、食い過ぎている感もあるな)
撫でながら確認したが、やはり、首輪をしていないし、飼い主の名前や住所などの情報が入力されているチップが埋め込まれてもいないので、飼い猫じゃないかもな、と私は推測した。
野良猫か、飼い猫か、ハッキリ判断できないので、情報を集めよう、と判断した私が抱っこしようとすると、猫は一瞬、逃げようとしたが、すぐに私の手に抱き上げられる事を良しとしたらしく、一切の抵抗なく、抱き上げる事が叶った。
その瞬間、「重い」の一言を飲み込んだ自分を、私は褒めてやりたい。
後で判った事だが、この猫の性別は牝だった。
例え、猫であっても、女性に「重い」は、最大の禁句であろう。
それはさておき、そんな誰にも捕まえる事どころか、撫でる事すら許していなかった、不愛想な猫が私に抱っこされ、ぶすっとした貌をしながらも、大人しくしているのを見て、近所の人はビックリしてしまったらしい。
しかし、誰に聞いても、この猫についての情報は得られなかった。
ほとんどの人が、この猫を紅檎寺村の中で見かけていたが、誰も捕獲できなかった事もあって、詳しい事を知らないらしい。
全員に確かめられた訳ではないにしろ、すぐに、私が猫の飼い主探しをしている事は知れ渡ったのに、誰も自分が飼い主だ、と名乗り出なかった。
そうなると、野良猫になるが、このまま、解放してしまうのも問題がある気がした。
誰にも懐きはしないが、村に迷惑はかけていない、と聞き込みの中で明らかになっていた。
どうしたものか、と悩んだ私の腕の中で、猫はゴロゴロと喉を鳴らした。
まるで、自分を飼うが良い、そんな催促をされているような気分になる鳴らし方だった。
思っていた以上に、良い性格をしている猫だな、と私は苦笑してしまった。
いずれにせよ、縁が出来て、村の誰も飼い主でいない以上は、捕まえた私が責任を取るのが筋だろう。
そう決断した私は、猫を抱っこしたまま、家路に着くのだった。
「にゃおーん」
翌日、私はこの猫を連れ、紅檎寺村の外に出て、獣医の元を訪れた。
飼う、と決めた以上は、獣医に診て貰い、予防注射を打ってもらう必要があったからだ。
家で洗濯用ネットに入れられ、病院まで連れてこられる間は、実に大人しかった猫だが、さすがに、注射を前にしたら、暴れ回ってしまうのでは、と危惧し、いつでも抑え込めるように、私は待機していた。
しかし、予想に反し、この猫は獣医師さんが注射を見せても、何らビビらず、堂々とした態度を崩さないので、私は感心してしまったくらいだ。
病院の帰りに、ショッピングモールで猫を飼うのに必要なモノを買い揃えた私は、家に戻ってから、この猫と相対し、大真面目に悩んだ。
躾けに関しては、あまり心配していなかった。
まだ時間は短いが、この猫は相当に頭が良い。
いきなり、飼い主バカを曝け出すつもりは無いにしろ、動物系のバラエティで紹介される、自分で扉を開け閉めしたり、保管場所から勝手に餌を持って行ったり、赤ん坊をあやす、などと言った行動を魅せる、世界各国の猫よりも遥かに頭が良い、と私は確信していた。
なので、懇切丁寧に、餌をあげる時間やトイレの場所などを説明しなくても問題なさそうだった。
では、私が何に対し、悩んでしまったのか。
そう、名前である。
ネーミングセンスが絶望的に死んでいる、と酷評された経験は幸い、皆無であるにしろ、自分に冴えた命名力があるか、それを考えると、正直、首を捻ってしまうのが本当の所だった。
どんな名前なら、この猫は気に入ってくれるだろうか。
目を閉じて思い悩みながら、私が猫の様子を見れば、私の心情など知った事ではない、と言わんばかりに、大の字になって熟睡していた。
あまりにも無防備な寝相に気が抜けた私は後で、涼子ちゃんに送信ってやろう、と猫をスマフォで撮影したのだが、この時、ふと、目がとあるモノに向いた。
猫が枕にしていたのは、私の荷物に紛れていた狸のぬいぐるみだった。
(狸のぬいぐるみを枕にしてる・・・・・・たぬきのまくら・・・・・・たまで良いか。
体形で、猫なのか、狸なのか、紛らわしいって意味合いも含めて)
安直と言えば安直だが、あまり捻って、洒落た名前を付けても、この猫が外に出て迷子になり、探すべく名前を読んで探す場合、ちょっと恥ずかしさの方が勝ってしまいそうである。
そんな状況で恥ずかしがっているのは意味が無いし、そもそも、この猫は外に出ても、普通に帰ってくる事が出来そうではあったが。
一度、「たま」に決めたら、他の名前も思いつきそうになかったので、私はさっさと、猫の為に買ってきた首輪のネームプレートに「たま」と書くと、寝ている間に首輪を嵌めてしまう。
手早くやったとは言え、一応、体に触れていたのだから、一回、目を覚ましそうなものだが、たまは若干、ぷよぷよの体を揺らしただけで、鼾をかき続けていた。
たまの熟睡っぷりに呆れを通り越し、羨ましさを覚えながら、私はいそいそとキャットタワーの設置に勤しむのだった。
目を覚まし、私は「たま」と名付けた事を彼女に告げた。
しばし、彼女は考え込む素振りを見せていたが、自分の中で折り合いが付いたのか、若干の呆れが滲んだ声で、「ふにゃぁぁん」と鳴いたのだった。
「たま」
「にゃおぅん」
私が名前を呼ぶと、たまは脛に体を擦りつけてきた。
「朝の散歩は楽しかったか?」
「ぶにゃん」
「まずまずだった」的な返事をして、たまは更に体を強く、脛に擦りつけてくる。
「朝飯の催促か」
「にゃん」
強制的なダイエットはさせたくないし、現時点で必要もない気はするが、見た感じ、たまは散歩の途中で、何か、動物性たんぱく質を摂取しているようだった。
何を、どれほど食べてきたのか、それは判断らないが、どうやら、たまにとっては、カリカリ系のキャットフードは別腹扱いになるらしい。
「しょウがねェなァ」
葛藤の末、私は折れてしまった。
つくづく、甘いな、と自分に苦笑いを浮かべていると、誰かが私達に近付いて来るのを感じ取った。
「ん?」
視線をたまと一緒にそちらへ向けると、私達と目が合った相手はビクッとなって、こちらへ進めていた足を止める。
「お、おはようございます」
「オはよウ、岡野さん」
ビクビクとしながらも、私へわずかに頭を下げたのは、岡野酒店を営む岡野啓介さんの長女、岡野久子ちゃんだった。
久子ちゃんは、大介くん達が通っている紫雨小学校の隣にある紫雨第一中学校に通っている中学二年生だ。
この紅檎寺村には、今、中学生は五人おり、全員が、その紫雨第一中学校に通っていた。
そんな五人の中で、久子ちゃんは、まだ、私に対し、怯えていた。
(まぁ、他の四人も俺と親しく話してくれる訳じゃねぇんだが)
一応、こちらに気付くと挨拶はしてくれるし、面と向かって、ある程度の会話にも笑顔で応じてくれるから、とても良い子ではある、この久子ちゃんは。
プロレスラーのマスクと長身で、かなり威圧的な見た目になっているのが、私としても解かっているので、ビクビクされる事に対し、不快感を抱ける立場ではなかった。
「今日も、一日中、晴れそウで良かったね」
「は、はい、良い天気で安心です」
差し障りのない、ただ、中学生に振るにしては不適な感じもする天気を話題にしたのだが、やはり、久子ちゃんは戸惑っていた。
それでも、ちゃんと返答してくれたので、一安心である。
何せ、私は、この見た目だ。
この紅檎寺村ではなく、元々、住んでいた地域で、久子ちゃんのような女子中学生と対面しているのを目撃されたら、完全に、通報されていただろう。
安心するのは、何か違うよな、と自分でも解ってはいたが、自然と、私は安堵していた。
そんな私に対し、怯懦の表情を浮かべながらも、久子ちゃんは、この場から去ろうとしない。
私と目が合った事で、つい立ち止まってしまったから、動きづらくなってしまったのか、と気付いた私は「気を付けて、いってらっしゃい」と「学校、頑張ってね」、どちらを言って、久子ちゃんを送り出そうか、迷った。
その間に、久小ちゃんの方が勇気を振り絞った。
「あ、あの、店長さん」
「何かな?」
先程まで、大介くんに「マヨちゃん」とニックネームで呼ばれていたからか、「店長さん」、そんな当たり前の呼ばれ方に、壁を感じてしまう私。
「えっと、まだ営業前なのは解ってるんですけど」
「ア、何か欲しイものがアるのかな?
大丈夫だから、オ店の中にどウぞ」
傍目からすると、変態、と言うよりは、狂人に分類されそうな見た目の男が、女子中学生を己の餌場に誘い込んでいるような絵面だったかもしれない。
何度か、私と話していて、親御さんが、私が見た目と違って、危ない人じゃない、と言ってくれているからなのか、久子ちゃんは躊躇いを表情や体の動きに滲ませながらも、「ありがとうございます」と言ってくれた。
「たま」
私が名前を呼び、手招きすると、「にゃぅん」と鳴き、たまは鈍重そうな外見からは想像できぬ、猫らしい機敏さと軽やかさで、私の肩まで駆け上がってきた。
たまの華麗な動きに、久子ちゃんは驚きを露わにし、「凄い」と両目をキラキラさせる。
そんな彼女に、私は自然と口元が緩んだ。
「あ、すいません、店長さん」
自分が我儘を言っているのに、ついつい、たまに見入ってしまった事を恥じるように、久子ちゃんは私にペコペコと頭を下げてきた。
「気にしないでイイよ、岡野さん」
私は、久子ちゃんの罪悪感が少しでも拭えればいい、と思って、ヒラヒラと手を振ったのだが、彼女は私に気を遣わせてしまった、そう感じたらしく、ますます、体が縮こまってしまった。
(この年頃の女の子との距離感は難しいなぁ)
この顔になってからも、積極的過ぎる、と思うくらい、距離が近いのが涼子ちゃんだけだったので、私は久子ちゃんを怖がらせてしまっている事に申し訳なさを覚えてしまう。
そんな私と久子ちゃんの間に漂った空気を吹き飛ばすように、たまが鳴いた。
「ぶにゃぁぁぁん」




