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第十八話 私は移り住んだ山村で、都市伝説に住まう者と邂逅する。

 この時点で、私は、目の前に現れた、人ではない女性の正体にピンと来たのだが、さすがに、身長だけで決めつけるのは早計か、と考え、失礼にならないよう、相手の全体を観察する。

 黒々と艶めいている髪は長い。

 そんな艶のある前髪は、顔の上半分をほぼ隠してしまっており、両目を見る事は叶いそうもなかった。

 後ろ髪は更に長く、先は腰を通り越して、膝裏に届きそうなくらいだった。

 一方で、そんな黒髪とは対称的に、袖を通しているロングドレスタイプのワンピースは、真っ白だった。

 一応、私は、文具メーカーに勤めている身なので、それなりに、色については勉強している。

 その女性のワンピースの白は、スノーホワイト、と表現すべき色味だった。

 人に説明する際は、雪のような青味をやや感じる白、となる。

 自分は、ファッションセンスがある方ではないので、上手く言葉にでは出来ないが、デザインはやや一昔前感が滲むも、無垢さを感じさせる、スノーホワイトのロングドレスタイプのワンピースは、背が高い彼女に似合っているのは確かだった。

 そのワンピースにも負けないくらい似合っているのは、彼女が顔を隠すように深く被っている、つばの広い帽子だ。

 後で、ファッションに詳しい彼女の友人に教えて貰ったのだが、この帽子は、キャペリン、と呼ばれる種類のモノらしい。

 このパールホワイトのキャペリンで、ますます、私は彼女の正体に対する確信を強めた。

 正体に気付いたからこそ、どうするか、と悩みはしたが、やはり、直で確認するしかない。

 何だかんだで、自分の好奇心を抑えられないのだから、私も未熟だ。

 しかし、伝説と言うのは大袈裟にしろ、少なくとも、怪談の中にしか登場しない存在を前にしたら、その方面が嫌いじゃない者であれば、誰だって、興奮を抑えられないだろう。


 「・・・・・・もしかして、八尺様ですか?」


 「ポ」


 その返事に、私は息を呑んでしまう。

 やはり、予想した通り、目の前に立つ、この背の高い女性は、人間ではなく、あえて分類するのであれば、都市伝説として語られる怪人、と呼ばれる存在のようだ。


 (八尺様か・・・実在してたんだな)


 彼女が、オリジナルの「八尺様」なのか、それは判断が付かない。

 しかし、大勢の人に噂として広まり、その姿形がイメージされ、細部まで鮮明になっていく事で、実体化していったのなら、本物に近い存在であるのは間違いない筈だ。


 (シンプルに感動だわ)


 病院で目に巻かれていた包帯を取り、視力の具合を確認している時から、視界の端々に、ほんのりと淡く光る毛玉が見えるようになった。

 最初は、炎熱で眼球がダメージを負ってしまったからか、と思い、検査して貰ったのだが、おかしいくらい、何の異常もない、と診断された。

 眼球や視神経、脳にも異常が無い、それなら、今、私に視えているコレは何なのか、と考えた私は、しばらくしてから、普通の人間には見えないモノが視えるようになったのか、と結論付けた。

 そもそも、あれほど、生死の境を彷徨った訳だから、霊感の一つや二つくらい目覚めても、何ら不思議ではなかったのだ。

 ほわほわと空中に浮かび、人に集まる習性を持つ光の球。

 当時は、霊的な何かだろう、と推測していたのだが、後に、とある人から、精霊、と呼ばれる存在で、案の定、一回、死線を魂が越え、肉体に戻って蘇った私の眼には、「精霊視せいれいし」と呼ばれる能力スキルが、パッシブスキルの一つとして備わったらしい。

 この紅檎寺村に引っ越して来てからも、精霊は視えていた。

 それどころか、やはり、自然が豊かだからか、視界に入る精霊の数は大量になり、若干、辟易してしまったくらいだ。

 もっとも、視えているだけだったから、まだ、マシだっただろう。

 この量の精霊の声が聴こえていたら、冗談抜きで、私の精神は、相当に疲弊してしまったに違いない。

 精霊が、私の声が聞こえるのか、それとも、私の心の表層に浮かんだ感情が読み取れるのか、どちらかは判断が付かないにしろ、私が大量の精霊に纏わりつかれている現状に戸惑っていると、精霊たちは、私から距離を取るようになってくれた。

 そのおかげで、何とか、日常生活を、この紅檎寺村で送れていた。

 そんな毎日だったから、いつか、精霊と同じ枠に入るであろう、人ではない存在と出逢うかもしれない、と期待を抱いていた、私は。

 まぁ、さすがに、その一発目が、有名度で言えば、かなり上位に来る、八尺様とは思わなかったが。

 芸能人と対面したようなドキドキを胸の中に感じながらも、私は、どこか、冷静にもなる。

 まず、気になったのが、八尺様がここに、私の前に姿を見せた理由だ。

 先にも書いたが、この召威巫之山はパワースポットだから、オカルトの住人である八尺様が棲息していたって、何ら、不思議ではない。

 基本的には、人口の多い町に出没する存在ではあるにしろ、精霊が大量に集まるほどの霊的エネルギーが収束している場であれば、惹き付けられる可能性も大きい。

 ただ、どうして、このタイミングで出現したのか、と気にはなる。

 仮に、八尺様が、ここらを縄張りにしているなら、私が『禁足地』を確認に来た時点で、姿を見せているんじゃないだろうか。

 今、ここに、私が来たのも、普段の確認ではなく、夏哉くんが行方不明になり、まさかの事態を疑ったからだ。

 つまり、八尺様は、私が今、ここにいるのを感じ取って、姿を見せたのだろう。


 (そうなると、尚更、姿を見せてくれた理由が解らん)


 私の戸惑いを感じ取ったのか、八尺様は「ポポポ」と声を発す。

 しかし、私は精霊や怪人が視えるだけの眼を幸運に得ただけで、耳は普通の人間のままだ。

 八尺様が、私に何かを伝えようとしている、その意志自体は感じられるが、言葉の内容までは理解できなかった。

 私に、自分の言語が通じていない、と表情で察したのか、八尺様は私に更に近づいてきた。

 一度、死線を越えた事もあってか、私は、人に危害を加える事もある八尺様に距離を詰められても、さほど恐怖を抱かず、妙にドキドキしてしまう。

 もし、涼子ちゃんに知られたら軽蔑は免れないだろうが、有体に言って、私だって男である。

 八尺様の、長身に見合った巨乳が、私に近付く動作で揺れたら、どうしたって、視線がそこに釘付けになってしまった。

 涼子ちゃん達も、おっぱいが大きかったが、お世話になっている手前、胸を見るのは失礼だ、と自分を律し、視線を向けないようにしていた、それは言い訳にもならないが、やはり、私は、巨乳に弱い。

 

 (デ、デケェな、Iカップくらいあるんじゃ・・・・・・ん?)


 思わず、八尺様の、真由子さんに匹敵するであろうサイズの肉丘を凝視してしまっていた私は、ふと、彼女が胸の中に何かを抱き抱えているのに気付き、眉を寄せた。

 八尺様に遭遇した嬉しさと、彼女の形が良い巨乳に衝撃を受けていたからか、私は八尺様が夏哉くんを抱っこしている事に、そのタイミングで気付き、ビックリさせられてしまう。


 「夏哉君!?」


 「ポポポポ?」


 何があったのか、そこは定かではないが、どうやら、八尺様は夏哉くんをどこかで保護し、私の元まで連れてきてくれたらしい。


 「アりがとウござイます」


 仰天しながらも、私は八尺様に深々と頭を下げ、感謝をしっかりと告げる事は怠らない。

 髪と帽子で顔を隠し、ミステリアスさが色香と共に漂う、おっぱいの大きい美人なので忘れてしまいそうになるが、今、自分の前にいるのは、人間など容易に殺せるだけのフィジカルを持つ人外だ。

 何かのキッカケで怒らせてしまったら、えげつない威力の攻撃が繰り出されるのは目に見えていた。


 「ポポッポポ」


 相も変わらず、八尺様が何を言いたいのか、理解できないにしろ、雰囲気から、気分を害していないようだ、と判断した私は、彼女から夏哉くんを受け取るべく、自ら、一歩を前に踏み出した。


 「ポポゥポポッ」


 距離が半分ほどになったところで、八尺様は夏哉くんを、私の方へ差し出してきた。

 細さこそ、成人女性の腕と同じくらいだが、その長さは2mほどはあり、しかも、いくら、体格が平均的とは言え、高学年の夏哉くんを軽々と持てている、その腕力は、やはり、人ではないのだな、と感じさせる。


 「どウも」


 八尺様に、改めて、私は頭を軽く下げ、夏哉くんを受け取った。

 意識を失い、ぐったりとしてはいるが、どこにも外傷は見受けられない。

 呼吸や体温もしっかりとしているので、単に気を失っているだけのようだった。

 八尺様と対面し、恐怖で失神してしまったのだろうか。


 (まぁ、知識はなくても、このデカい美女を前にしたら、ビビっちまうか、子供だと)


 私でも、夏哉くんくらいの年齢で、八尺様と対面してしまったら、腰を抜かしてしまうだろう。

 今も、足は震えてしまっている。

 まぁ、これは恐怖じゃなく、都市伝説で語られる存在と出逢えた嬉しさから来るものだったが。

 我ながら、子供っぽいな、とマスクの下で自嘲の笑みを浮かべた私は、ふと気付く、夏哉くんを離した八尺様の手が汚れている事に。


 (泥? ・・・・・・いや、血だな、この赤黒さ)


 しかし、乾いた人間の血の色合いではない。

 夏哉くんが、この山に住む野生動物に襲われていて、それから救うために、八尺様が、その人外の力を奮ってくれたのかな、と推測したタイミングで、夏哉くんが低い呻き声を発しながら、わずかに身じろいだ。


 「うううう」


 気にはなったが、まず、この事を捜索隊に伝えるべきだな、と私は夏哉くんを右腕だけで抱えながら、左手でスマフォを持ち、この『禁足地』に赴く前に、連絡先を交換した、村長の補佐をしており、今、捜索隊を率いている高尾たかおさんに電話をかけた。


 「高尾たかオさんですか?

 主宮オもみやです。

 イま、夏哉くんを見つけて、保護しました。

 はイ、そウです、ここにイます。

 気はウしなってますが、怪我はしてイません。

 はイ、イますぐ、そちらに向かイます。

 失礼しつれイします」


 電話を切った私は、無言で佇んでいる八尺様の(髪に隠れていて見えない)目をジッと見る。


 「彼を助けてイただき、本当ほんとウに、アりがとウござイました」


 「ぽぽぽっぽぽぅ」


 私がなおも深々と頭を下げると、八尺様は照れたように、その長身をくねくねとさせる。

 見れば、頬がほんのりと朱色に染まっていた。

 八尺様が見せてくれた、人間臭い一面に微笑ましさを覚えた私だが、腕に感じている夏哉くんの重みで、今、自分がすべき事も、ちゃんと思い出す。


 (にしても、小学生男子を、あの細腕で持てるってのは凄いな。

 それくらいのパワーがあれば、野生動物くらいはとっちめられるか)


 変な感心を覚えつつ、私は急いで、この場を去ろうとするが、若干、行き辛さがあった。

 さすがに、八尺様を連れてはいけない事くらい、私だって解ってはいる。

 中には、私のように八尺様と出逢えた事に喜びを感じる変人もいるだろうが、大半は、パニックを起こすか、彼女に敵意を向けるだろう。

 恩(怪)人に悪意をぶつけられる事も業腹だが、それ以前に、八尺様に村人を傷付けさせたくもなかった。

 夏哉くんを助けてくれた事に礼を告げはしたが、それだけで済ませるのも、人としての道に外れないだろうか。

 そんな思いが芽生えた私は、しばし考え、一つの決断をする。

 おもむろに、コクリと大きく頷いた私に、八尺様は困惑したのか、顔を大きく傾けた。


 「八尺様」


 「ポ?」


 「この子を助けてイただイたオれイを、ちゃんとしたイので、よろしければ、私のイエアしを運んでイただけますか?」


 (八尺様っつーか、人外を、家に招いた、と知られたら、涼子ちゃんが烈火のごとく、怒るだろうな)


 怒髪天と化した涼子ちゃんを想像するだけで、「ひぇっ」と首が竦んでしまう私。

 しかし、ここで、相手の、八尺様の優しい行動を蔑ろにしたら、私は自分の事がもっと嫌いになってしまうし、涼子ちゃんに軽蔑されてしまうだろう。

 どっちにしろ、涼子ちゃんを不機嫌にしてしまうのなら、私は、人として正しい行動をするだけだ。

 もっとも、私の今の顔は、人とは思えぬほど悲惨な造形になってしまっているが。


 「ポポッポ」


 遠慮の空気を、八尺様の言葉から感じたので、私は首を横に振った。


 「大丈夫だイじょウぶです。

 私は一人暮らしなので」


 そう言ってから、八尺様が安心できる要素が無いな、と気付いた私。

 この物言いは、まるで、合コンでグッと来た女の子を家に連れ込もうとしている、頭と下半身が別の生き物と化している男子高校生のようではないか。

 失言だったか、と反省した私は言い直そうとしたのだが、それより先に、八尺様が首を縦に振ってくれた。


 「ポポポポッ」


 どうやら、八尺様は私の招待に応じてくれるようだ。

 安堵した私は、左手でスマフォを操作し、引っ越してきた日に撮影した家もとい店の外観を、八尺様へ見せる。

 八尺様は長身を曲げて、私のスマフォの顔面を覗き込んだ。


 「ポポポ」


 「この場所からだと、ルートはこんな感じです」


 続けて、私は地図アプリを起動し、最適ルートを表示させ、再び、八尺様に見て貰う。


 「ポ」


 「イち時間後でよろしイですか?」


 「ポゥポ」


 八尺様が首を縦に振るだけでなく、右手でOKサインを作ってくれたので、私はホッとする。


 「では、オ待ちしてイます」


 恭しく下げた頭を戻すと、私の目の前には、もう、八尺様の姿はなく、気配も感じ取れなかった。

 改めて、オカルトな存在と対峙したんだな、と感動を噛み締めながら、私は抱き抱えていた夏哉くんを、一回、地面にそっと置く。

 彼が目を覚ましたら、それはそれで事情の説明に骨が折れてしまいそうなので、私は夏哉くんが覚醒する前に、愛車を手早く分解すると、パーツを持ち運ぶ際に使う大袋へ収納する。

 そうして、夏哉くんを背負った私は愛車が入った大袋を肩から下げ、山道を紅檎寺村に向かって、全速力で駆けて行った。

 30分ほどで、紅檎寺村に戻って来られた私を、捜索隊の皆さんが笑顔で迎えてくれた。


 「夏哉!!」


 当然と言えば当然だろうが、真っ先に、私に駆け寄ってきたのは、夏哉くんの母親である、七海さんだった。

 汗だくで、顔に泥などの汚れが付いている事から考えると、やはり、七海さんも夏哉くんを探し、森の中を探していたようだ。


 「な、夏哉!?」


 「まだ、気をウしなってイます。

 一応イちオウ牛村ウしむら先生せんせイに診て貰ってくださイ」


 私は夏哉くんが自分の呼びかけに反応しない事に対し、ひどく狼狽えている七海さんを落ち着かせながら、背中から彼を下ろし、村人の皆さんが持ってきてくれた担架へ乗せた。


 「ありがとうございました、主宮さんっっ」


 激しく、何度も頭を下げ、感謝してくる七海さんに、「イエイエ」と返し、牛村医院に運ばれる夏哉くんに付いていてあげてください、と手で促した。


 「すいません」


 七海さんは、最後にもう一度だけ、私に頭を下げると、村人によって担架で運ばれる夏哉くんに寄り添い、牛村医院に向かって歩いていく。


 「お疲れさん」


 「皆さんも」


 私は麦原さんから、キンキンに冷えたフルーツ牛乳を受け取り、一気に飲み干す。


 「おおぉ、良い飲みっぷりだな」


 「ごちそウさまです」


 「あんなトコまで行かせちまって、悪かったな、主宮さん」


 「大丈夫だイじょウぶです」


 『禁足地』には、名義もとい立場として、召威巫之山の管理人である私しか近づけないのだから、麦原さん達が気に病む必要はないのだ。


 「それで、夏哉は、『禁足地』に入っちまってたのか?」


 麦原さんも、『まえだ』で頭皮のケアをして貰っており、また、夏哉くんを自分の孫のように可愛がっている。

 しかし、この紅檎寺村には、明文化されている訳ではないにしろ、『禁足地』に入った村人は追放しなければならない、そんな暗黙の了解がある。

 麦原さん、いや、他の村人たちも、そこを心配しているようだった。

 大人たちは気を付けており、子供らにも、かなり真剣に注意している。

 しかし、子供と言うのは、大人の忠告なんて、聞いているようで聞いていないもんだ。

 遊びに熱中していて、『禁足地』に入ってしまう可能性も0ではない、と危惧しているんだろう。

 私としても、あの母子を、30年ぶりに追放される身にはしたくない。


 (まぁ、そもそも、夏哉くんは、『禁足地』に入っちゃいないだろうがな)


 だから、私は首を横に振る。


 「彼は、『禁足地』にはイってはイませんでした」


 「!!」


 「私は、夏哉くんを『禁足地』に向かウ途中とちゅウアなの中にちてイるのを発見しましたから」


 「穴に?」


 「エェ、そウです。

 オそらく、誰かが意図的イとてきに掘ったものじゃなく、アめで自然に崩れて出来たものだと思イます」


 「確かに、少し前に、強い雨が降ったからな。

 大きく崩れなかったから安心していたが、油断していた」


 良綱さんに頼まれ、山を見回っている麦原さんが悔しそうな表情を浮かべたのを見て、真相を誤魔化しているコチラとしては申し訳ない気分になる。


 (かと言って、八尺様の事は話せねぇしな)


 「そこまで深いアなじゃなかったので、夏哉くんも大怪我オオけがをせずに済んだよウです」


 「それだけは不幸中の幸いだったな」


 「そウですね。

 アの、麦原さん」


 「ん、どうした、主宮さん?」


 「すイません、ちょっと疲れてしまったので、先にかエらせ貰っても構イませんか?」


 「おっと、悪い、悪い」


 私はプロレスラーのマスクを被っているので、顔色から健康具合を窺う事は出来ないが、麦原さんは良綱さんから、私が大怪我を負っている事を聞かされている。

 なので、私の言葉を信じてくれたらしく、長話に付き合わせてしまった己の浅慮さを恥じるように、ピシャンッ、と禿げ上がった頭を打った。


 「引き止めちまって、すまんかったな。

 今日は、ゆっくり休んでくれ」


 「はイ、それでは、失礼しつれイします」


 罪悪感にチクチクと良心を刺されるのを感じながら、頭を軽く下げ、家路に着こうとした私だったが、麦原さんに呼び止められてしまう。


 「あ、そうだ、主宮さん」


 「?」


 私が怪訝そうに振り向くと、麦原さんは気まずげに笑う。


 「明日で構わないんだが、夏哉が落ちてたっつー穴まで案内して貰えるか?

 その、何だ、『禁足地』の近くじゃねぇんだろ?」


 かつて、150kg近い熊を鉈一本で倒した事もあるらしい麦原さんであっても、やはり、『禁足地』には近づきたくないようだ。


 (強いからこそ、あそこにいる『何か』の怖さを、よりハッキリと感じるのかもな)


 そんな事を考えながら、私は首を縦に振る。


 「はイ、『禁足地』の近くじゃアりません」


 「そうか」


 あからさまに、麦原さんはホッとした表情を見せた。


 「なら、明日、案内してもらえるか?」


 「構イませんよ」


 実の所、紅檎寺村に向かって走る間、村の人たちを、どう誤魔化そうか、と思案を巡らせていた私。

 その道中で、ちょうど、子供一人が落ちてしまいそうな穴を発見したので、「これは良い」と、利用せて貰う事にした。

 八尺様が、私の元に連れてきてくれた時点で、夏哉くんは気を失っていたから、正確な事は、ほとんど覚えていまい。

 むしろ、何も覚えていない方が良いって事もある。


 「じゃ、頼むわ」


 山の中を探し回った友人らを労いに行くのか、麦原さんは、私へビッと手を挙げると、そちらに小走りで向かっていく。

 きっと、この後は、ちょっとした酒宴に突入するんだろう。

 夏哉君を探して疲れ、なおかつ、彼が無事に発見された、そんな建前もあるから、大いに酒を飲めるに違いないし、細君らも、それを大っぴらには責められない。

 もっとも、二日酔いなどになれば、一発、強めに怒鳴られるか、ネチネチとお説教をされるのは目に見えていたが。

 今のご時勢、アルハラは良くない、と厳しく言われてしまうだろうが、紅檎寺村くらいの規模ならば、そういう飲みニケーションを大切にすべきだ。

 人間関係を構築し、円滑に情報収集を行うためには、そういう飲み会はうってつけである。

 私は元々、アルコールに強い方だったのだが、あの大怪我が回復してから、ますます、酔わなくなってしまった。

 酒の美味さ自体は変わらず感じ、楽しめるのだが、どれほど飲んでも、一切、酩酊しないものだから、最初の飲み会で、この村の酒豪らを全員、潰してしまった。

 

 (顔の怪我は治らなかったにしろ、首から下のほとんどは、もう、本調子だ)


 元より、自分の顔の造形に、さほど執着はしておらず、対面した相手に不快感を与えぬ作りと清潔感を保っていれば問題ないだろう、と考えていたのが私だ。

 なので、プロレスラーのマスクを被っていなければ人と相対できぬ状態になった顔には、大して落胆も絶望もしていない。

 ただ、医師も驚きを通り越して、ドン引きしていたが、回復力に関しては、若干、悩んではいる。

 以前のように動けるのは、実にありがたい。

 この家こそ、良綱さん達が私の体調を慮って設計してくれたので過ごしやすいが、村や山を歩く際は、やはり、体が本調子に戻っていなかったら、かなり苦労したんじゃないだろうか。

 もはや、体が回復したのは、あの夢のおかげだ、と私は疑ってすらいない。

 しかし、気にはなっている、私の体をここまで治した理由自体は。

 体が動くようになったからこそ、私は、この召威巫之山の管理人に就け、紅檎寺村に移住できた。

 生と死の境界線を越えかけたからこそ、普通の人間には見えないモノが視えるようになった。

 召威巫之山に封じられている「何か」の気配も、より強く感じ取れるようにもなった。

 そして、今日、都市伝説の中でも、有名度で言ったら、上位に来る、八尺様にも出逢う事が出来た。

 嬉しい一方で、私は何者かの策中にあるのでは、と疑念も芽生えていた。

 策、と言う表現が適切でないのであれば、流れ、とも言えるだろうか。

 少なくとも、私は今、既に自分では抜け出せない状況に陥っているように思えた。


 (まぁ、それならそれで、腹を括るしかないだろ、今更だしな)


 覚悟が出来ている、と自覚した事で、ふと、私は思い出した、絵間さんが、チョコレートの香りを帯びた紫煙を燻らせながら、私に語った持論を。

 絵間さん曰く、世の中に「偶然」はなく、全ては「必然」なのだ、総ての事象は、起こるべくして起こるのだから、有り得ない事は有り得ない、と。

 つまり、この状況も、必然の渦中なのだろう。

 何の意図があって、私がこのような状況になるようお膳立てしたのか、それは、現時点では、ピースが足りな過ぎるので判断できず、推察すら叶わないが、それでも、流されるままではいたくないのも本音だ。

 何にせよ、今は下手に動かず、準備を整えておくべきだろう。

 まず、私が今すぐ、やるべき事は解りきっていた。

 そう、八尺様を歓待する事だ。

 八尺様は、何が好きだろう、と考えながら、私は足早に家へ急ぐ。

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