第十二話 私は元婚約者の父親から、山を譲りたい理由を聞かせて貰う。
「当然と言えば、当然なんだが、主宮君、君は、私が君に山を譲ろうとしている理由を知りたいね?」
そりゃ、当然である。
これまで、気前が良すぎる良綱さんに、私は、ブランド名が、逆に、私の耳に入って来ないほど、セレブの中のセレブしか購入できない高級スーツや財布、腕時計などの小物をプレゼントされてきた。
ほぼマグレ同然とは言え、天下に名高い『くればやし』に入社できた以上は、その社員に相応しいモノを身に着けるべきだろう、と考え、決意した私は、初めて、スーツをオーダーメイドした。
その際の金額は、まぁ、ざっくり言うと、一年目の給料半年分ではあったが、後悔はしていない。
いや、後悔は確かにしていないのだが、正直に胸の内を明かしても構わないのであれば、未だに、この高級スーツに、自分は見合った大人になれているのか、と不安は持っている。
一応、絵間さんの知り合いが営む、腕は確かな職人に仕立てて貰った一着なので、着心地は抜群だ。
そのスーツをパジャマ代わりにしても、朝までぐっすりと安眠れてしまえるだろう。
ただ、それほどまでに最高の仕立てをして貰ったからこそ、ますます、自分は、このスーツを着る人間として相応しいのか、と悩んでしまう。
もちろん、私だって、それなりに良い年齢の男なので、悩んでいるだけじゃ、時間の無駄、と解っているから、努力はした。
仕事が出来なくて、高級スーツが似合っていない、と自分で思うのであれば、仕事が出来る人間になればいいのだ。
幸いなるかな、上司や先輩から任された仕事は大きなミスを起こさずに片付けられ、『くればやし』にとって、長い目で見れば大きな利となる契約も、周りの助けもあって結べた。
良い結果を積み重ねて良ければ、自然と自信も備わっていくもので、不安の大きさは、昔よりは縮んでいる。
けど、消えた訳ではない。
そんな私が、自分で購入したモノ以上に、目玉が飛び出るような値段設定で、されど、高額なだけあって、そのデザインは洗練され、着心地も別格、何より、着た際に生じる風格が凄まじいスーツを、契約成立を祝うパーティーにやってきた良綱さんから、大きな仕事の成功報酬だ、とプレゼントされたものだから、ますます、私は高級スーツに負けない格を得るべく、努力を重ねる必要が生じてしまった。
腕時計なども、一緒に贈られたのだから、努力をしない、その選択肢はなかった、私には。
(まぁ、実際、良綱さんから貰ったスーツに代えてから、商談相手に見縊られなくなったってのはある)
やはり、目の肥えている幹部職などは、私が着ているスーツが超高級ブランドで、同時に、熟練の職人の技術が注ぎ込まれている、と見抜けるようで、無自覚に発していた蔑みが、完全に引っ込んでいた。
スーツで自分の格を上げてくれた良綱さんに感謝すると同時に、私はますます、良綱さんの優しさに報いねば、と気合を入れて、仕事に臨んだ。
そうやって、コツコツと仕事を片付けていった結果、私はより、良綱さんの覚えが良くなり、ついには、雪乃の婚約者に選ばれたのだった。
(こんな体になっちまった以上、もう、あのスーツに袖は通せないだろうな)
復職は絶望的、と既に諦めも付いてはいたが、それでも、あのスーツを着る事が出来なくなるのは、素直に辛かった。
しかし、その辛さを表に滲み出せば、また、良綱さんを心配させ、話の腰をへし折ってしまうので、ゴクンッと飲み下しておく。
スーツへの執着は、心の棚に入れ、なおかつ、扉を閉めた私は、改めて、良綱さんが私に譲ろうとしている山について、思考の切っ先を向けてみる。
(有体に言って、俺以上に、仕事で結果を出して、良綱さんに褒められた社員は大勢、いる。
その社員たちも、パーティーで色々と貰っていた)
私と同じように、スーツや腕時計などの相手との商談を有利に運べる、社会人としての格を高めるアイテムを貰った者もいたし、一年分のブランド米、老舗温泉宿の宿泊券、海外旅行のチケットを貰った者もいれば、高級車やマンションの一室を贈られていた者もいる、と先輩から聞いた事もあった。
ちなみに、その先輩も一回だけ、私達に規模こそ下がるが、小さくはない商談を成功させて、自分じゃ絶対に買えない、世界的にも有名なブランドの香水を貰ったらしい。
ただ、試しに嗅がせて貰った香りそのものは好みなのだが、あまりにも、高級すぎて、その香水をつけて行くに相応しい場所が全く思いつかず、未だに未開封らしい。
良綱さんは、信賞必罰をモットーにしているから、自分の仕事を頑張り、会社の利となる結果を出した者には、しっかりと報いている。
こう言うと、良綱さんが、庶民では、喉から手が出るほど欲しいが、決して、手が届かぬ高級品を餌にして、社員のやる気を強引に引き出しているブラック企業の社長、と勘違いされてしまいかねないが、実際のところ、社員は物よりも、パーティーの壇上で、良綱さんにお褒めの言葉を貰いたくて、粉骨砕身で働いている。
何故、それが解かるのか。
そんな大層な理由じゃない。
私も、良綱さんに褒められるのが、最高に嬉しい、それだけだ。
(だけど、さすがに、山を貰った社員はいないだろうな)
高級マンション一室の時点で、既に、いくら、『くればやし』の社員と言ったって、仕事の成功報酬として貰うには別格過ぎる訳だが、山一つとなったら、異次元だ。
しかも、今回、私は仕事に成功した訳じゃない。
確かに、良綱さんは、私があの業火の中から、己の身が焼傷けるのも構わずに、雪乃の首を持ち帰った事に、心からの感謝してくれている。
それに加え、布袋の策略もあったにしろ、私が一時であっても、横領犯として疑惑を向けられた事態に関して、申し訳なさも抱いている。
しかし、その感謝と謝罪を、目に見える形で示すにしたって、山を贈るのは、正直、やり過ぎだ。
高級マンションの一室を貰うのも困るが、まだ、そっちの方が遥かにマシじゃなかろうか。
(冷静に考えれば、良綱さんが、俺に山を贈ろうとしている理由も、ここまで会話の中心になっていた、超能力者の知理子にあるんだろうな)
そこで、ふと気になってしまった私は、私に山を譲る理由を語ってくれようとしている良綱さんに、「待った」をかけてしまう。
出鼻を挫いてしまうのは気が咎めたが、山を譲られる理由よりも、先に、私としては、コチラについて訊ねておきたかった。
私に「待った」をかけられても、良綱さんは気を悪くした様子はなく、やや戸惑いながらも、「どうしたのかね」と穏やかに聞き返してくれた。
(さっき、良綱さんは、自分が社長になったのは、知理子の予知があったからだ、と言っていた)
私ごときが讃えるのも不遜に等しいが、良綱さんは、まさしく、「努力の人」だ。
才能は先天的な資質、努力は後天的な素質、と信条を掲げている。
だから、努力する者には篤い対応をする。
そんな良綱さんは、きっと、若い頃から、『くればやし』を継ぐために、私などでは、およそ想像もつかないような努力を積み重ねてきているだろうし、今も、社長の座を、相応しくない者が伸ばしてくる手から守るべく、力を惜しんでいない。
だからこそ、私は気になってしまった、超能力なんかで、自分が社長になるのが決定していた、そこに抵抗はなかったのか、と。
良綱さんが、運も実力の内、と考えているのは私も承知っている。
ただ、それは、十分な努力しているからこそ、良い運勢を招ける、と言う意味だ。
幸運にしろ、偶然にしろ、そこまでの努力があるからこそ、良綱さんは受けているはずだから、他者である知理子による予知能力で、社長になる事が決定してしまっていたのなら、複雑な感情は抱いたんじゃないだろうか。
(こんなデリカシーに欠ける事を聞くのは、不躾の極みで、良綱さんに嫌われちまう可能性が特大だが、そこをハッキリさせない事にゃ、とてもじゃないが、山云々の話は頭に入ってこねぇよ)
意を決した私が、たどたどしい手話で、その旨を訊ねると、良綱さんは「むぅ」と言葉を詰まらせた。
見えはしないが、相当に険しい表情を浮かべているのが、容易に察せる雰囲気だ、良綱さんは。
彼が押し黙ってしまった事に、私は「やっちまったか」と冷汗が出そうになるも、落ち着いて、気配を探ってみれば、良綱さんは腕組みをして、何か考え込んでいるようだった。
少なくとも、私は、良綱さんが、その巨躯から発している雰囲気に、私への嫌悪感が混じっていないように感じた。
(頭の出来がよろしくない俺に、自分の胸の中にだけ秘めていた想いを、どう説明するのか、考えてくれてるのかな)
それは、他者からすれば、あまりにも、自分に都合が良すぎる考えだっただろうが、今回に関しては、私の甘い想定は的中していたらしい。
「正直な所を言えば、戸惑ったよ」
「ッッッ」
「私も、主宮君と同じく、超能力の実在を頭ごなしには否定していなかったし、ロマンを感じるタイプだからね。
しかし、自分が社長に選ばれた理由、その大部分を占めているのが、超能力者による予知である、と母さんから教えられた時には、憤りも覚えた。
私が、社長になるために、それまで積み重ねてきた努力や功績は、全てが無駄だったのか、何もかもが祖母と超能力者の掌の上だったのか、とね」
淡々とした口調ではあったが、若かりし頃の良綱さんが、どれほど激高したか、それを想像するのは難くなかった。
何もしなくても社長になれたのか、ラッキーじゃん、とお気楽に考えられる者もいるだろうが、生憎、良綱さんは「たなぼた」を良しとする気質ではない。
「しかし、母さんから渡された、私宛の知理子の手紙を読んで、その憤りは治まった」
一体、その手紙には何が書かれていたのか、私の好奇心が疼いたのを肌に感じたのか、良綱さんは「気になるかね」と笑みを浮かべながら訊ねてきた。
しまった、と思いはしたが、ここで「いいえ」と答えられるほど、私も大人じゃなかったらしい。
素直に、首を縦に振った私に、良綱さんは満足気に頷き返した。
「手紙の冒頭には、知理子からの謝罪が丁寧に綴られていた。
恐らく、いや、確実に、彼女は私の反応を予知していたんだろう。
謝罪した上で、『くればやし』の三代目と暮林家の当主に選んだのは、私の努力が本物だったからだ、とも可愛らしい字体と丁寧な文脈で説明されていたよ。
あそこまで、事細かに、自分の努力を讃えられ、貴方こそが社長かつ当主に相応しい、と推されたら、もはや、怒るどころではなく、照れ臭さしかなかった」
若い頃の自分が悶えた感情を、今、思い出したのか、良綱さんはそれを散らすように、珈琲を飲む。
「面と向かってではないにしろ、私のやってきた努力は無駄じゃなかった、と肯定して貰った以上、それに応えないのは男として廃る、そう思わないかね、主宮君」
私としては、ここは頷き返す以外に出来ない。
「私は、知理子からの手紙を読んで、こう思ったんだよ。
未来予知、それを抜きにしても、元より、人は生まれてから死ぬまでの道筋は、最初から決まっているんじゃないか、とね。
もちろん、その道筋は努力次第で、ある程度は良いモノに変えられはするだろうが、ハッキリ言って、ゴールが、生物的な死であるのは、人間誰しも同じであり、平等だ。
最初から、超能力者ですら遠く及ばない、偉大な何かによって、人の道筋、運命や宿命と表現しても差し支えないモノが決められているのであれば、実につまらない、そう思わないか?」
私は頷きながらも、あえて、自身の意見をハッキリと伝える。
(つまらないのであれば、その決められちまっている道を、全力で楽しく前進する、と)
私が言い切ると、良綱さんは「その通りだ!」と声を大きくした。
多分、言葉と同時に私の両肩に手をズドンッと乗せるのは、自重してくれたんだろう。
理由は解らないにしろ、やや快復してきていると言ったって、まだ本調子じゃない、それどころか、重傷者そのものである、今の肉体に、良綱さんが感情任せに触ったら、ダメージが増えてしまうのは確実だ。
危うく、私の肉体を壊しそうになった自分を恥じつつ、良綱さんは気持ちを落ち着かせるように咳払いをしていた。
「私も君と同意見だよ、主宮君。
決まった道から逸れる事を許されないのであれば、いっそ開き直って、その道をゴールまで全力で、自分が納得できるように快走する方が幸せだ、人間として。
社長になる、それが決まっていた運命ならば、私は受け入れよう、と腹を括った。
努力そのものは裏切らないし、それが、今後の道に、良い影響を与えている可能性もあるからな」
どポジティブな良綱さんが発する陽の気を真っ向から浴びてしまい、私は厚めに巻かれている包帯の下で目を細めてしまう。
ますます、自分の中で、良綱さんに対する尊敬の念が強まるのを感じながら思う、生まれた時代が違っていたら、大国を率いる殿様であっても不思議じゃない、この人は、と。
(いや、現代でも、この国じゃなくて、他の国に生まれてたら、ありとあらゆる力を奮って、その国のトップに君臨しても違和感はねぇか)
実際、私の周りにも多かった、良綱さんが政治家、そして、政界の首領となれば、快刀乱麻を揮いまくって、富ませた国を世界を牛耳れる強国に出来る、と断言する者が。
私も概ね、その意見には同意であるにしろ、ぶっちゃけ、良綱さんには、雪乃って言う弱点がある。
学歴詐称や女遊びの悪さと言った、しょうもないスキャンダルで、やたら強く叩かれてしまう、今のご時勢で、良綱さんが政治家になるのは、相当に厳しかっただろう。
(それに、良綱さんが政治家にでもなったら、雪乃が、ますます、調子ぶっこいて、悪さをしてた可能性もあるからな)
もう既に、そこらへんの政治家を凌駕する力を、良綱さんが持っているのは確かであるにしろ、やはり、世間的なイメージで考えると、努力で上り詰めた一企業の社長よりも、能力が欠損しているにも関わらず、「センセイ」とちやほやされる政治家の方が格上だろう。
(仮に、雪乃がいなかったとしたら、良綱さんが政界の頂点になれていた可能性は、大いにあるだろうな)
頂点に到れる、それに必要な能力を全て、良綱さんが持っている事も大きいが、私がそう思う理由は、他にもあった。
(噂の範疇を出ちゃいないが、もしも、『竜宮殿』って言う、この国のフィクサーが実在するのであれば、良綱さんが政界に進出する際の後ろ盾になってくれるのは確定だ)
良綱さんは、国を裏側から支配する黒幕の傀儡になるのを良し、としない人柄ではあるにしろ、却って、そういう気骨がありまくっている豪の者を、フィクサーは案外、気に入るんじゃなかろうか。
まぁ、それは、あくまで私の想像に過ぎないし、本当に、『竜宮殿』って一族がいるのかも定かではない。
(だけど、超能力者がいるってんなら、国のフィクサーがいても、何らおかしくない)
何にせよ、良綱さんに、政界へ進出する気が皆無なら、無理強いは出来ない。
(政界に巣食ってる老災どもからすりゃ、ラッキーだろうな)
若干の毒を胸の内で吐きながら、私は、話題を変えてしまった事を、良綱さんに謝罪する。
「いや、気にしないで良い、主宮君。
今、君に質問された事で、改めて、あの時、社長になる事を選んでよかった、と思えたよ。
ありがとう」
まさか、良綱さんに感謝されるとは思っていなかったから、私は反応に窮してしまった。
「君も察してはいると思うが、私が君に山を譲りたいのは、その知理子からの手紙が理由なんだ」
そう言った良綱さんなのだが、急に纏う雰囲気を重いモノに変質させた。
その雰囲気は、罪悪感を抱いていなければ出ないような類のものだったから、私は「何故?」と痛む首を傾げる。
「その事で、やはり、君には謝らなければならないんだ、私は」
すまなかった、と良綱さんほどの傑物に深々と頭を下げられ、謝罪されて、平然としていられる者がいるだろうか、いや、いない。
狼狽えながらも、私は、どうして、私にそこまで真摯に謝るのか、と理由を問い質す、たどたどしい手話で。
「そうだな、いきなり、謝られても、訳が分からないに決まっているな。
重ね重ね、すまない、主宮君。
見苦しい言い訳に過ぎないんだが、やはり、私もまだ、混乱しているようでね」
良綱さんが、ここまでの醜態を晒してしまうのなら、その原因は、言うまでもなく、知理子からの手紙か。
私がそんな予想を胸中に浮かべたのと同時だった、良綱さんが懐中から何かを取り出したのは。
「君には見えないと思うが、今、ここには知理子から私に出された手紙があるんだ」
(やっぱり、知理子の手紙が理由で、俺に山を譲ろうとしているのか、良綱さんは)
しかし、そうなると、ますます理解が及ばない。
仕事の成績は悪くないにしろ、何の役職にも就いていない一社員である私に、良綱さんが、知理子からの未来予知が書かれた手紙が理由で、山を譲ろうとしている、そこまでは良い。
いや、正味、私も、この事態と言うか流れを受け入れていいか、迷いはある。
超能力の有無、そこを今更、論議する気はない。
論議するだけ、時間の無駄だから、未来予知が出来る超能力者が絡んでいる、その前提で話を進めるしかない。
例え、今の私の立場が、良綱さんの次女に婚約を破棄され、しかも、同僚に、その次女を寝取られた、大マヌケな元婚約者であったとしても、山を譲ろうとするか、と考えたくなっても、話を進めるしかない。
理解が及ばないのは、超能力者の知理子が、私に山を譲る未来を視た事だ。
超能力なので、凡人かつ常人である私が、彼女が、この未来を視た理由が解らないのは当然以外の何物でもない。
しかし、それにしたって、一般人でしかない私が山を譲られる未来を予知するなんて、有り得ないにも程がある。
(様々なピースが集まって、その未来に繋がる道が出来るとするなら、良綱さんと俺が出逢うのは、確定していたのか?)
そんな結論に達した私は、ふと、黒い疑念が心中に過るのを感じた。
(もしかして、知理子は、雪乃が誕生するのも未来視していたのか?)
知理子の未来を先んじて「視る」能力が、どれくらいの範囲、精度なのか、そこは定かではないにしろ、ここまで流れから考えると、相当にハッキリと見ているはずだ。
(俺の事も未来視していたなら、雪乃の事も視えてたはずだ、知理子は。
もし、そうなら、雪乃が、どれだけクズだったか、も先に解ってたんだよな)
私だって、こんな事を考えてしまう自分に嫌気は差す。
けれど、雪乃は、生まれるべきではなかったし、最低の生き方をする、と事前に解っていたのなら、生まれた時点で殺すべきだったのだ。
なのに、知理子は、そうするように、良綱さんへの手紙に書かなかったようである。
(もしかして、雪乃を、生まれた時点で殺すと、良綱さんの、いや、この世界の未来が良くないモノになる、と未来予知したのか?)
その可能性に思い至った瞬間だった、頭の芯を鋭い痛みが刺し、同時に、夢の中で会った二人の女性の姿を、まだ、薄らぼんやりとした感じではあったが、思い出したのは。
(今の映像・・・やっぱり、あの夢には、何らかの意味があったのか?)
「主宮君、どうかしたのか?」
私が不思議な夢の事を思い出し、つい、陰鬱な雰囲気を発してしまったからか、またしても、良綱さんを心配させてしまったようだ。
大丈夫です、とハンドサインを送った私は、その流れで、思い切って尋ねる事にした。
(俺に山を譲るよう、知理子が手紙に書いたのなら、もう、それは受け入れよう。
だが、気になるのは、どんな書かれ方をしていたか、だ)
私の質問に、良綱さんは、一瞬、戸惑い、いや、躊躇いを表情に滲ませたようだ。
しかし、出会ってしまっている以上、もう、私は、この件の関係者どころか、ほぼほぼ中心にいる当事者と言っても大袈裟ではない。
むしろ、何も知らせず、山を譲ろうとするのは礼に欠ける、と良綱さんは判断してくれたらしい。
「待ってくれ、今、出そう、知理子からの手紙を」
そう言って、良綱さんは愛用している鞄の中から、それを取り出す。
恐らく、良綱さんは、私が内容を知りたがる、と予想していたんだろう。
持ち出し厳禁、そんな決まりがあるかは解らないが、手紙を、わざわざ、ここに持ってきてくれたらしい。
「こう言ってしまうと何だが、今の主宮君では、この手紙を読めないだろうから、要点だけ纏めて伝えるが構わないかな?」
ダメだ、と言う理由も無いので、私は首を縦に振り返した。
「大まかに言うと、私の血が半分だけ流れている次女の婚約者であり、相当に迷惑を被っている男性が大火傷を負った場合、暮林家が所有している、巫威召之山を譲渡する事、と書かれていた」
(巫威召之山?)
初めて聞く山の名に、私が首を傾げると、良綱さんが説明してくれた。
「都心から車で二時間ほどの所にある、1200mほどの山でね、綱子が、地元の権力者から買い取り、以降、暮林家の所有物になっているんだ。
元々は、阿野夜山と呼ばれていたんだが、綱子が巫威召之山と呼び方を改めた、と聞いている」
(多分、綱子って言うよりは、知理子が、そうするように、彼女へアドバイスをし、それに従ったんだろう)
例によって、超能力が絡んでいるから、改名させた理由は、さっぱり、見当がつかない。
ただ、やはり、知理子は、雪乃の事を、私の事、そして、雪乃がどのような最期を迎え、その時、私が無茶をする事も、未来予知していたらしい。
ますます、知理子の意図、思惑、目的が全然、察せず、私はモヤモヤを通り越して、イライラしそうになってしまった。
そんな私の感情に生じたささくれを取り除いてくれたのは、誰でもない、良綱さんだった。
良綱さんに、またしても、頭を深々と下げられてしまったのだから、私が抱いた、ちんけなイライラなんて吹っ飛ぶに決まっていた。
(ちょ、良綱さん、俺なんかに、そう気安く、頭を下げられちゃ困るんですけど)
私が狼狽えてしまっているのは感じ取っているはずなのだが、良綱さんは頭を上げてはくれない。
一体、どうした事か、と私が途方に暮れてしまっていると、おもむろに、良綱さんが頭を下げたままで、「すまなかった」と謝罪の言葉を口に出す。
「本当にすまなかった、主宮君」
何に対して、良綱さんが謝っているのか、私には、まるで解らない。




