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ヴァンパイアキス  作者: 志築いろは
第4章 悪夢は突然やってくる
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第47話 俺たちはただ

「なっ!? お前っ! どうやって……!」


 アルヴァーはおもわず声をあげた。

 正礼装をまとう背の高い男と可憐な少女を従えて歩く、銀髪の男には見覚えしかない。

 否、すべての元凶ともいえる男の登場に、ルティスも同様に表情を険しくする。


「悪いけど、上の連中には眠ってもらったよ。大丈夫。殺しちゃいないさ」


 シルクハットのつばを軽く持ち上げて、ギルベルトはわずかに口元に笑みを浮かべてみせた。


「お兄さま、よろしいんですの? この二人も眠らせてしまえば簡単ですのに」


 足を止めたギルベルトのうしろから、アリシアがひょっこりと顔をのぞかせて兄を見上げる。


「いいのいいの。彼らには、証人になってもらわなくちゃいけないからね」

「なにをするつもりだ」


 ルティスのしぼり出すような声が、静かに地下牢に反響した。

 その声に反応を示したのはアリシアで。


 漆黒のゴシックドレスを揺らしながら二人に近づいたアリシアは、動けないルティスとアルヴァーに冷めた視線を送る。

 そうしてふいっ、と体の向きを九十度変えると、彼女は目の前の鉄格子をにらみつけた。


「お姉さまをこんなところに閉じ込めるなんて……!」


 アリシアは、少々錆びた鉄格子をおもむろにつかむ。

 次の瞬間、アリシアは一気に腕を引いてカギのかかった格子戸を強引にこじ開けた。

 大きな金属音が、地下空間に響き渡る。


「お姉さま! ご無事ですか!?」


 躊躇なく牢の中へと駆けこんだアリシアが、エルザの前に膝をつく。


「あぁっ、おいたわしい……! こんなもの、今すぐにはずしてさしあげますわ!」


 そう言うや否や、エルザの手足を拘束していた鎖がアリシアの手によって引きちぎられる。

 けっして細くはないそれが、重たげな音を立てて地面に落下した。


「ギル、こいつらはおれが引き受けよう」

「悪いね、ダグ」


 インタフィアレンスの領域内ではあるが、本調子ではないギルベルトに対して彼らがそれを克服する可能性がないとはかぎらない。

 万が一に備えて、ダグラスはルティスとアルヴァーの行く手に立ちはだかるようにして前に出た。


「お兄さま! 早くお姉さまをっ!」


 急かすアリシアの声に、ギルベルトは牢の出入口へと足を向ける。

 アリシアと入れ替わるようにして、彼は牢の低い出入口を身をかがめてくぐり抜けた。


「エルザ……」


 ゆっくりとエルザの前に膝をつき、彼女の顔をのぞきこむ。

 しかしエルザは彼を見ようとはせず、ぼんやりと地面を見つめているだけである。


 ギルベルトは一度目を伏せ、自身の牙をみずからの唇に突き立てた。

 口の端から、まだあたたかい鮮血がしたたり落ちる。

 錆びた鉄のにおいが、つん、と鼻をついた。


「っ!」


 感情の見えないエルザの瞳が、不気味なほどに大きく揺れた。

 血に飢えたまなざしが、おもむろにギルベルトの姿をとらえる。

 次の瞬間、エルザは両手を突き出してギルベルトに飛びかかった。


「……っ、……ぁ……」


 エルザの舌が、ギルベルトのあごの輪郭に沿ってこぼれ落ちる鮮血を舐め取る。

 恍惚とした表情を浮かべながら、彼女はしたたり落ちる血を真っ赤な唇で追いかけた。

 薄くひらいたギルベルトの唇に舌を這わし、貪るように自身のそれを重ね合わせる。

 血と唾液が混ざりあい、辺りに響くのは濡れた水音とエルザの艶かしい吐息だけ。


「くっ……!」


 まるで口づけを交わしているかのような光景が、ルティスとアルヴァーの目の前で繰り広げられる。

 目をそむけたくともそうできない現状に、ルティスの奥歯が嫌な音を立てた。

 それを知ってか知らずか、ギルベルトはなす術のないルティスを一瞥してわずかに口角を上げると、自身もまぶたを閉じ、ねっとりとエルザの唇を堪能する。


「……、んっ……」


 赤く染まった銀糸が、ぷつり、と切れる。

 ランプの光を反射した唇が、しっとりと濡れていた。


「エルザ、俺がわかる?」


 再度彼女の顔をのぞきこみ、ギルベルトはやわらかい声色で問いかけた。

 絡みあった視線の間には憎悪や殺意などはなく、鮮やかなアメシストがギルベルトの姿を映していた。


「……ぎ、る……?」

「迎えに来たよ。一緒に帰ろう?」


 おそるおそる、小さく彼の名をつむいだエルザに、ギルベルトはふわりと微笑みかける。

 エルザは色を取り戻した瞳を見開いて、同時に大きく息を吸いこんだ。

 何度もまばたきを繰り返す。

 瞬く間に潤いに満ちていく瞳から、とめどなく涙があふれた。


「ギルっ……! ギル、ギルっ……!!」


 ギルベルトが生きていた。

 殺してしまったと思っていた彼が、生きて目の前に現れた。


 エルザは彼の存在を確かめるように、必死で彼の体にしがみつく。


「遅くなってごめんね、エルザ」


 ギルベルトは、泣きじゃくり嗚咽を漏らすエルザの頭を優しくなでる。

 彼女の不安や恐怖が、少しでもやわらげばいい。

 彼女が安心できるようにと、ギルベルトは震える小さな背中を力強く抱きしめた。

 エルザの泣き声だけが、胸を締めつけるほどにみなの鼓膜を揺らす。


「……っ、……ふっ……」

「エルザ、ちょっとだけ眠っててくれる?」


 わずかに体を離したギルベルトは、少しだけ落ち着きを取り戻したエルザとしっかりと目を合わせた。

 エルザを不安がらせないように微笑み、手のひらでふわりと彼女の視界をふさぐ。

 次の瞬間、全身の力が抜けたエルザは、その身をすべてギルベルトに預けていた。

 規則正しい吐息と安らかな寝顔に、ギルベルトは安堵の息を吐く。

 涙の跡が残る頬を優しくぬぐい、彼はずいぶんと細くなってしまったエルザの体を易々とかかえ上げた。


「てめぇ! そいつをどうする気だ!」

「その女性は、わたしたちの大切な仲間です。彼女は置いていってもらいましょうか」


 エルザをかかえたまま牢をあとにしようとするギルベルトを、アルヴァーの怒声がさえぎる。

 足を止めども振り向かないギルベルトに代わってあきれ顔でため息をついたのは、アリシアとダグラスだった。


「あなた方、動けないくせになに言ってるんですの?」

「大事なやつだと言うなら、なぜこんな真似をする」


 返す言葉もなかった。

 不本意とはいえ、エルザを罪人のように拘束していたことは事実である。

 そして今現在、指一本さえ動かすことができぬのもまた然り。

 ルティスとアルヴァーには、この状況を打開する術も案も尽きていた。


「きみたちに危害を加えるつもりはないよ」


 両者にらみ合ったままの沈黙を破ったのは、ほかの誰でもないギルベルト本人だった。

 エルザに語りかけていた声色とはほど遠い、氷のように冷徹な声が空気を裂く。


「俺たちは、お姫さまを迎えに来ただけだから」


 ゆっくりと振り返ったギルベルトは、牙を見せて笑っていた。

 どこからか立ちこめた霧が、彼らの姿を隠していく。

 ぼかされていく人影は、深い霧の中に消えていった。




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