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ヴァンパイアキス  作者: 志築いろは
第4章 悪夢は突然やってくる
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第44話 伸ばした右手

「ぅおらぁぁああぁぁ!!」

「撃て撃て撃てっ!!」


 オオカミの牙が、いよいよルティスに届く寸前だった。

 太い雄叫びと同時に、ダグラスに向けられたいくつもの銃口がいっせいに火を噴く。

 危険を察する間もなく瞬間的に後方へと跳躍したダグラスの鼻先を、銀の銃弾がかすめていった。


「無事かい? 隊長さんよぉ!」

「ライカンスロープを手にかけるなど胸が痛むが、致し方あるまい」


 ジョッシュとドミニクを先頭に、銃を手にした隊員たちが次々と駆けこんでくる。

 目の当たりにした巨大な漆黒の獣に息を飲むも、彼らはすぐにオオカミとルティスの間に立ちはだかり銃を構えた。

 それらがルティスの合図でいっせいに放たれる。


「小賢しいわ!」


 地を這うような重低音を響かせながら、ダグラスは体を旋回させて跳躍する。

 風圧が銃弾を弾き落とし、バラバラバラ……、と床に転がる。


――くっ……! これ以上は無理か!


 回避しきれなかった銃弾が、ダグラスの頬と前足をかすめた。

 このままではエルザを取り戻す前に、ダグラス自身がやられかねない。それでは元も子もないのだ。


 ダグラスは体を反転させて周囲の隊員たちを尾で払い飛ばすと、そのまま裏の開口部から勢いよく走り去っていく。

 なぎ倒された角材の山が、けたたましい音と砂ぼこりを舞い上げながら、クルースニクの視界をふさいでいた。



◇◇◇◇◇



 陽の光すら届かないほどに真っ暗な、深海とも宇宙の果てともわからない空間に、浮かんでいるような感覚だった。

 全身を包みこむ闇は、ひんやりと冷たい。

 自身の姿さえ認識できない暗闇は果てしなく広がり、否、広いのかせまいのかさえわからない。

 空間のどちらが上でどちらが下か。己が立っているのかどうかさえ。


――俺は……、死んだのか……?


 ゆらり……、と浮遊する意識の向こう側。ぼんやりと灯る光の中心に、誰かが立っている。

 微動だにしないシルエット。

 それが、じっ、と自分を見ているような気がした。


――…………エルザ?


 ぽつり、とつぶやく。


 人影の表情など見えるはずもない。

 なのにギルベルトにはどういうわけか、そのシルエットが彼女だと思えた。否、彼には確信があった。


――エルザ! エルザっ……!!


 ギルベルトはおもわずシルエットに向かって駆け出す。

 空中で手足をがむしゃらに動かし、必死に人影に向かって手を伸ばす。

 だが近くなる光のかたまりとは裏腹に、人影は彼を拒絶するかのように遠ざかっていってしまう。


 あの手を、つかまなければいけない。

 しかし手は届かない。


 襲いくる絶望感。

 声が枯れるほどに叫んでも、光の中に消えていく彼女にふれることさえできなかった。




「っエルザ……!!」


 飛び起きたギルベルトは、肩で息をしていた。

 伸ばした右手がつかんだのは虚空ばかりで、追いかけていた人影もない。

 あるのは代わり映えしない、見慣れた自室の風景だった。


「お兄さま……!」

「ア、リシア?」

「よかった……! お兄さまがご無事で……! 本当によかった……!!」


 イスから腰を浮かせて両手で顔を覆ったアリシアが、小さく肩を震わせていた。

 目尻の涙をぬぐうアリシアの顔色は良くない。

 一方で、彼女は心から安堵した表情を見せて笑みを浮かべていた。


「アリシア……、っ……!」


 妹へと伸ばしかけたギルベルトの手が止まる。

 苦痛に顔をゆがめて、彼は仰向けにベッドに倒れた。


「いったー……。なにこれすっごい痛いんだけど……」


 意識が戻ったせいで、とたんに体に巻かれた包帯の下がズキズキと痛みを訴える。

 片腕で視界をさえぎり、ギルベルトは深く息を吐いた。

 全身が汗ばんでいて、ひどく気持ちが悪い。


「っはぁー……、ねぇアリシア、エルザは?」


 最後に見た彼女は、憎しみで我を忘れかけていた。

 朦朧とする意識の中で、彼女が泣いているような気がしたのはきっと錯覚なんかではない。

 今もどこかでひとり、涙を流していたらと思うといてもたってもいられなかった。

 早く彼女をこの腕に抱き、その存在を確かめたい。


「……アリシア?」


 だがアリシアはなにも言わない。

 下唇を噛みしめて、兄の視線から逃れるようにうつむいていた。


「アリシア? なにかあった?」

「……っ」


 アリシアが震える唇をひらきかけた瞬間、部屋のドアが力任せに壁に叩きつけられた。

 弾け飛んだかと思うほどの大きな音に、二人の肩がびくりと跳ねる。

 ギルベルトが反射的に体を起こして身構えれば、そこにいたのはダグラスで。

 ドアを開け放った体勢のまま、彼は汗だくになった全身で息をしていた。


「っ、見つけたぞ!!」


 顔を上げると同時に、ダグラスはそう言い放った。


「ダグ!? あなたケガを……!!」


 慌てて彼に駆け寄るアリシアをよそに、ダグラスはわずらわしそうに頬の傷口をぬぐった。

 ひたいから流れ出た血液はすでに乾いていたが、顔や腕には小さなすり傷がいくつもできている。


「こんなもの、放っておいてもすぐに治る。それより、エルザを見つけた!」


 ダグラスの言葉に、ギルベルトはわずかに眉間にしわを寄せる。


 見つけた、とはどういうことなのか。

 自分が寝ている間に、エルザになにがあったのか。


 次々と浮かぶ疑問の答えを求めて、ギルベルトはじっとダグラスの言葉を待った。


「クルースニクだ」


 ダグラスが静かに告げた。

 まさかの彼女の所在に、ギルベルトはおもわず前のめりになる。

 傷口が痛んだが、今はそんなことに構ってはいられない。

 ギルベルトはまっすぐにダグラスを見遣った。


「クルースニク(イースト)支部。そこに、エルザはいる」

「……ダグ、あのあと、なにがあったのか教えて」


 冷静さを保ったまま、ギルベルトがまっすぐな視線でダグラスに問う。

 ダグラスはアリシアに支えられながらベッドのそばのイスに腰を下ろすと、エルザの様子と小屋でのできごとを、今は動けぬ友へと正確に伝える。


「エルザの状態はあきらかに異常だった。クルースニクに保護されたといっても、正直、身の安全は保証できない」


 しばしの沈黙が流れた。

 すべての判断はギルベルトに託されている。


「……アリシア」

「はい、お兄さま」

「俺のケガ、あとどのくらいで治るかなぁ?」

「そうですわね、七日、といったところでしょうか……」


 ギルベルトの受けた傷はけっして浅くはない。

 通常の怪我ならばとうに完治しているはずだが、ダンピールによるものだということがその治りを遅くさせていた。

 多めに見積もっても、完治にはもうしばらく時間を要するだろう。


「……三日だ」


 つぶやかれたひと言に、アリシアもダグラスもおもわずギルベルトを凝視した。

 彼のアクアマリンの瞳が、まっすぐに二人に向けられている。


「三日後、エルザを迎えに行く」


 静かすぎるほどの室内で、三つの唇が人知れず弧をえがいた。




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