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ヴァンパイアキス  作者: 志築いろは
第4章 悪夢は突然やってくる
41/59

第41話 お願いがあります

 切り裂かれたギルベルトの白いシャツが、瞬く間に真っ赤に染まっていく。

 咄嗟に傷口を押さえた指の間から、ボタボタとこぼれる鮮血。

 それはみるみる彼の足元に赤い水たまりを作っていった。


「お兄さまっ!?」


 アリシアが声を上げるのと同時に、エルザの片足が浮いた。

 左足を軸に、彼女は自身の体を反転させる。

 遠心力を乗せた足はギルベルトの腹部をとらえ、いともたやすく彼の体を弾き飛ばした。

 背中から勢いよく壁に衝突したギルベルトは、血の跡を残してずるずるとその場に座りこんでしまった。


 アリシアが息を飲む。

 ぴくりとも動かない兄の姿から、目を離せない。

 口元を覆い隠した彼女の顔色は真っ青だった。上下の歯がぶつかりあって、カタカタ……、と小さく音が鳴る。


「おい! すごい音がしたがどうした!?」


 階下から駆け上がってきたダグラスは、室内の様子におもわず足を止めた。


「これは……」


 瞬時に状況を把握した彼の表情が険しくなる。

 ぐったりと壁にもたれて動かないギルベルトは、見るからに重傷。

 治癒力の高いヴァンパイアといえども、早く手当てをしなければ取り返しのつかないことになりかねない。

 床にへたりこむアリシアのそばには割れたガラスが散乱していたが、彼女に怪我はなさそうである。突然の惨劇に多少気は動転しているが、手がつけられないほどではない。


――問題は……。


 ダグラスがエルザを見遣れば、彼女はおぼつかない足取りでわずかに後ずさる。

 血の気の引いた顔面は蒼白で、青みを帯びた唇はふるふると震えていた。


「ぁ……? ……ギ、ル……? っあたし……! ぁあっ……!?」


 エルザの紫色の瞳が、真っ赤に染まった手と血だまりの中で微動だにしないギルベルトを交互にとらえる。

 彼女は浅い呼吸を繰り返し、震える体を守るように胸の前で腕を交差させた。

 まだ元に戻りきっていない鋭い爪先が、露出した彼女の二の腕を傷つける。


「エルザ、大丈夫だ。しっかりしろ」


 エルザの視界からギルベルトの姿を隠すように立ちはだかったダグラスは、震えて丸くなる彼女の背をさする。


「大丈夫。大丈夫だ。ゆっくり息を吐け。大丈夫」


 ふわりと包みこむぬくもりに、エルザは徐々に落ち着きを取り戻していく。

 ゆっくりと背中をさする手のリズムに合わせて、大きく息を吐いた。


「…………ごめん、なさい」


 聞こえるか聞こえないかの謝罪の言葉。

 それは聴力に優れたダグラスの耳にしっかりと届いていた。

 エルザの手が、震えを残したまま弱々しくダグラスの体を押し返す。

 次の瞬間、彼女は逃げるようにしてダグラスの脇を走り去っていく。


「待て! エルザ!!」

「ダグ!!」


 引き留めようと一歩踏み出したダグラスの足を止めたのは、アリシアの悲痛な叫びだった。

 頭を左右に振る彼女は、なにかに耐えるように下唇を噛む。

 座りこんだまま膝の上で握りしめたドレスに、ポタポタと涙のしずくが染み込んでいく。


「よいのです……。まずは、お兄さまの手当てを……」


 力なくつむがれた言葉に、ダグラスは静かに目を伏せた。


 屋敷の外で数羽の野鳥がいっせいに羽ばたいて、空のかなたへと飛び去っていった。




 シャンデリアの明かりが揺れる室内は、ひどく重たい雰囲気に包まれていた。


――あれからもう二日ですわ……。なのにどうして……。


 ベッドサイドのイスに腰かけたアリシアの表情には、隠しきれない疲労が浮かんでいる。

 彼女は眉間にしわを寄せ、神妙な顔つきで目の前を見つめていた。


「アリシア、ギルの具合はどうだ?」


 新しい包帯とあたたかい食事を手に、ダグラスが部屋に戻ってくる。

 トレーをテーブルに置き、彼もまたベッドのそばへ歩み寄った。


「正直、なんとも言えませんわね」


 広いベッドに横たわるギルベルトは、あれから一度も目を覚ましていない。

 規則正しく上下する胸元には、幾重にも包帯が巻かれていた。


「普段でしたらすぐに傷もふさがるはずですのに、どういうわけか治りが遅いように思いますの」


 この程度の傷、ヴァンパイアであればどうということはない、はずだった。


 ギルベルトの負った傷は、二日経過しても完全にはふさがっていない。

 もう目を覚ましてもおかしくないはずなのに、その気配すらないのはどういうことなのか。


「どうして……。ダグにも血をわけていただいたのに……」

「エルザが、()()()()()()()()、だろうな」


 その言葉に、アリシアはおもわずダグラスを見た。

 彼は横たわるギルベルトから視線をはずさず、じっと包帯の下の傷を見つめているようだった。


「ダンピールの能力、それ自体はヴァンパイアに比べればはるかに劣る。エルザの血がいくらヴァンパイア寄りになろうともな。だが……」


 ダグラスは一度言葉切り、わずかに息を吸った。


「ダンピールは唯一、ヴァンパイアに傷をつけることができるともいわれている」

「それが、お兄さまの傷の治りを遅くしていると?」

「おそらくな」


 ダグラスはそれきり口を閉ざしてしまい、アリシアもまたなにかを考えこむように黙ってしまった。

 兄のひたいに乗せた濡れたタオルを手に取れば、冷たかったはずのそれはいつの間にか熱を蓄えていた。

 深手を負ったせいなのか、ギルベルトの熱が下がらない。

 それは彼の体力を消耗させ、いたずらに治癒力を奪っていった。

 時おり苦しそうに表情をゆがめる彼は、うわ言のように何度も何度もエルザの名を呼んでいた。

 そのたびに、アリシアの胸は締めつけられるように痛む。


「……ダグ、あなたにお願いがあります」

「なんだ?」


 ふと、兄のひたいににじむ汗をぬぐうアリシアの手が止まった。力なく離れた腕を、彼女は静かに下ろす。

 うつむいた彼女の手の中で、タオルがくしゃりとしわを寄せた。


 次の瞬間、勢いよく振り返ったアリシアのグリーンガーネットの瞳が、今にもこぼれ落ちそうなほどに潤んでいた。

 それはまばたきの弾みで大粒のしずくとなって、次から次へと落ちていく。

 小さく肩を跳ねさせながらも、彼女はダグラスのシャツをつかんで彼の腕にすがりついた。


「お姉さまを、見つけてっ……!」




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