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ヴァンパイアキス  作者: 志築いろは
第1章 ついてない日はとことんついてない
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第2話 昼番終業五分前

 自身を呼び止める声に嫌々ながらも振り返れば、多くの部下に慕われる温厚な隊長はにこやかな笑みを浮かべていた。

 その手には、使い込まれた茶色い革のファイルがひとつ。

 エルザの観察眼がたしかならばそれには、先ほどまでルティスが目を通していた報告書がはさまれているはずである。


「はい、エルザ。お仕事」

「はぁ? アルヴァーにやらせればいいじゃない!」


 本日のエルザは昼番だ。そして床にうずくまったままのアルヴァーは夜番である。

 昼番の待機時間は終わったはずなのだから、必然的にこれは夜番の仕事となるはずだ。

 意味がわからないとばかりに、エルザはルティスに向かって眉を寄せる。いくら上官であろうがお構いなしである。


「僕の時計は、まだ昼番終業五分前♡」


 そう言って彼がポケットから出した銀の懐中時計は、たしかに終業時刻の五分前を指していた。

 つまりはまだエルザの待機時間なわけで。この仕事は必然的に、昼番である彼女の任務となるわけである。


「……」

「……ざまぁ……。ってぇ!?」


 八つ当たりついでに、エルザは足元の男に再度蹴りをお見舞いしてやった。ブーツのつま先が脇腹に入ったので、相当痛いはずだ。

 アルヴァーが涙目で床をのたうちまわっているが、そんなものは無視である。


「誰かさんが性懲りもなく呼び出したりしなければ、定時で帰れてたってのに……」

「エールザ」

「……ったく、了解しました」


 そう言って、エルザはルティスの手から報告書の入ったファイルを引ったくる。


「どーせ、死に損なったグールでしょ」


 はさまれた報告書をペラペラとめくりながら、エルザは羅列された文字に目をすべらせた。

 調査チームからの所見には、やはり基本情報から予想できうることしか書かれていない。


「だからって油断すんなよな」

「あんたに言われたくないわよ」


 床を這ってソファにたどり着いたアルヴァーに、エルザは背中を向けたまま悪態をついた。


 『グール』とは、ヴァンパイアのなりそこないとも、ヒトのなりそこないともいわれる異形の生物である。

 理性はほとんどなく、本能的な衝動のままに行動する性質があるが、知性があるぶん、たちが悪い。

 やつらは月明かりの乏しい真夜中を好んで活発に活動し、ヒトや家畜を喰い荒らすのだ。太陽光に当たればその肉体はたちまち灰と化してしまうため、昼間は廃墟や森、地下の暗がりにひそんでいることが多い。

 日中そうした場所に近づき、思いもよらずグールに襲われ喰われた、というのはよくある話だった。


「チームメイトは誰でもいいよ。なんだったらそこのアルヴァーを連れて行っても」

「ひとりでいいわ」


 ルティスにファイルを突き返して、エルザは今度こそきびすを返した。

 少々乱暴に閉まったドアには目もくれず、彼女は颯爽とその場をあとにする。


 廊下に響く足音が遠のいていくのを、アルヴァーとルティスは黙って聞いていた。


「……よかったのかよ。ひとりで行かせて」


 エルザの足音が完全に聞こえなくなったところで、アルヴァーはちらりとルティスを見た。

 エルザの出ていったドアを見つめるルティスは、相変わらず微笑みを浮かべたままである。


「彼女がそれをご所望だからね」


 その言葉に、アルヴァーは小さくため息をついた。


「お前がそんなんだから、いつまでたってもあいつは仲間を頼ろうとしないんだよ」

「仕方ないよ、こればっかりは……」


 ルティスが眉を下げて言う。


「僕らがいくら言ったところで、彼女が()()()()()であるという事実は変わらないし、受けてきた差別が消えるわけじゃない」


 ルティスの言葉に、アルヴァーは居心地が悪そうに視線を落とした。


 エルザ・バルテルスは、正確に言えば『ヒト』ではない。

 ヒトとヴァンパイアの間に生まれた異端児―『ダンピール』である。

 通常ダンピールとして生まれた者は、その身に流れる強すぎるヴァンパイアの遺伝子に肉体が耐えきれず、幼くして死んでしまう。

 だがごくまれに、すべてが順応し成長するものがいる。


 それがエルザだった。


 姿はヒトとなんら変わらない。生き血をすするヴァンパイアとは違い、好きこのんで吸血行動などしない。

 しかしながら、半分はヴァンパイアであることもまた事実である。いつその血に飲みこまれ、ヒトとしての理性を失うかわからない。


 実際過去には、ダンピールと思われる幼子が暴走の果てに両親を喰い殺した事例がある。

 ダンピールの出生率および生存率は極めて低いものであり、このような事案は非常に稀有なことではあるが、前例がある以上ヒトはそれを無視することはできない。

 だからこそ、ダンピールはクルースニクによって保護および監視対象とされている。

 エルザが団体に属しているのは本人の意志だが、やはりそれを快く思わない者は少なくない。


「とはいえ、同期である僕らのことは、もうちょっと頼ってほしいとは思うけどね」

「そらみろ。お前も思ってんじゃねぇか」


 視線を上げたアルヴァーは、小さくため息をついた。


「あいつを慕ってる隊員も、結構いるんだけどな」


 アルヴァーのつぶやきに、ルティスは「そうだね」と小さく相づちを打った。

 エルザの身体能力と戦闘センス、判断力に裏打ちされた実績を認めている者は多い。彼女自身がそれを受け入れないだけで。


「心の傷は、そう簡単には消えないものだよ、アルヴァー」

「……そういうもんかね」


 微笑みを浮かべたままのルティスをちらりと盗み見て、アルヴァーは天井に向かって深々と息を吐き出した。




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