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第6節『神秘と人為』

 ルート35では今、天使化したカレンと機械化したエヴリン師長が対峙している。傷つき倒れたリアン、アイラ、そしてレイ少尉の虚ろな瞳がその様を見守っていた。


「天使だと!馬鹿な。そんな非科学的なことがあってたまるか!」

 エヴリン師長は動揺を隠せないでいる

「そうですね。その当惑には同感です。しかし、私は友人を、大切な人達を守らなければなりません!」

 毅然と応対するカレン。二人の間で空気が大いに緊迫した。慎重に距離を測りながら互いに、相手の出方を見守っている。

「ふざけたことを。我らが師の計画は絶対なのだ!」

 そう言い放ち、両手に携えた錬金銃砲を矢継ぎ早に発射するエヴリン師長。その銃撃は人間の応答速度を遥かに超えた目にもとまらぬ速さであった。しかし、天使の力を得たカレン、いやラファエルは、『転移:Magic Transport』の術式を小刻みに使用して、それを巧みに回避していく。法弾がその身体をとらえようとする刹那、彼女は術式によって巧みに姿を消していくのだ。法弾は素通りし、銃声だけがむなしく響いた。

 カレンは法弾をかわすだけなく、術式を繰り出すたびに着実にエヴリン師長との距離を詰めていく。その手には、雷と閃光を宿らせた美しい長剣が握られていた。刹那、その手の刃を下から上に素早くなぐ。閃く軌跡がエヴリン師長の歪に機械化された金属の左腕を薙ぎ払い、それをもいだ。痛みを感じるわけではないようだが、しかし、師長の身体はその衝撃で大きく左後ろに傾斜した。


「小娘が。粋な真似を!」

 強がっては見せるが、もぎ取られた左腕の継ぎ目からは火花と人工的な液体が噴き出している。師長は身をひるがえしラファエルとの距離を取ると、残る腕に握られた錬金銃砲で、その身を捕えようと慎重に狙いを定めた。


 初夏の南風はえが湿度の度合いを強める。肌に絡みつく湿気た風が心地悪い。全身機械のエヴリン師長はそれをどのように感じているのだろうか?頭上ではか細い声で空が鳴き続けていた。


* * *


 右手に握られた錬金銃砲を乱雑に発射する師長。ラファエルは、防御障壁を幾重にも展開して、それを弾き飛ばしていった。


挿絵(By みてみん)

*防御障壁を展開して弾丸を防ぐカレン。


 つい先刻まで、エヴリン師長の動きは人間の反応速度を遥かに超えた脅威そのものであったが、人智を越える天使の力を得たカレンの前では、もはやその輝きを失っていた。幾重にも撃ち出される法弾の群れは、すべて彼女の展開する防御障壁に飲み込まれて消えていくのである。


「くそぅ。いったいそんな力をどこで手に入れたというのだ?」

 師長は苦々しく言葉を発する。

「人間のよすがをないがしろにするあなた方には分からないことです。これは、人と人を繋ぐ、愛と信頼の結晶なのですから。」

 毅然として言い放つカレンの姿を、リアンの青く美しい瞳が羨望の色をもって見守っていた。しかし、その身体は痛みに動かない。


「人間のよすがだと。我々にも、人間を越えた自然科学とのえんがここにあるのだ。我々の願いは、信念は絶対なのだ。断じてお前ら等に負けはしない。」

 虚勢を張ってみるものの、師長の声は脅威と恐怖の色に染まっていた。


「あなた方を私は哀れに感じます。人間を捨て、そんな機械の塊になって、いったい何を成そうと言うのですか?たとえ永遠の生命と時を得たとしても、人間を、日常を捨てたならば、私たちに残るものは何もありません。」

 そう語るラファエルの言葉は、実に神々しい響きを奏でている。


「小娘が、知ったようなことを。我らが先生の悲願も知らずに!」

 そう言って、なおも乱雑に錬金銃砲を連射するエヴリン師長。


挿絵(By みてみん)

*左腕を失いながらも、錬金銃砲を乱雑に打ち出すエヴリン師長。


 しかし、結果は悲しくも同じであった。その全てがカレンの展開する防御障壁に飲まれていくのだ。

「くそぅ、そんな力が何だというのだ!我々の選択は、決意は、絶対に正しいはずなのに!」

 目の前の状況に口惜しさと焦りをにじませるエヴリン師長。しかしその手の撃ち出す弾丸は、一発たりとて彼女の下には届かなかった。

「自ら人を捨てたとしても、人は人を越えられません。それはむなしい虚構だとなぜ気づかないのですか?」

 ラファエルは語りかける。

「むなしい虚構だと!?我々は、自然科学の力で、錬金術の力で、自然それ自体がもたらす制限を取り払い、完全で永遠な存在となるのだ。それは、断じて間違いではない。我々は正しく、我々は完璧なのだ!」

 そうまくしたてながらなおも錬金銃砲を連射するが、防御術式と移動術式の組み合わせによってラファエルは全て凌いで見せる。

「くそぅ!」

 エヴリン師長のやるせない声があたりに響いた。


* * *


「もういいですか?せめて貴女に、生命としての、人間としての安らぎを与えることが、私にできる最後の術だと思っています。」

 そう言って、ラファエルは手にした閃光の剣をさっと構えなおした。

「小娘が!我らの崇高なる願いと実践を理解もできぬくせに!」

 師長の声色が一層ヒステリックになる。なおも銃弾は雨嵐のように彼女に襲い掛かるが、それは彼女にとってもはや敵ではなかった。


ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!


 法弾を撃ちだすエヴリン師長の声に狂気の色が乗る。対して、ラファエルは冷静さを失わない。移動術式を小刻みに繰り返して師長との距離を確実に詰めていくのだ!刹那、一筋の光の帯が水平に深夜の中空を切り裂いた。それと同時に、エヴリン師長のその哀れな機械の首は、胴と切り離されて中空に舞う!


挿絵(By みてみん)

*手にした光の剣をまっすぐ真横に薙ぐカレン。


 ラファエルは身をひるがえすと、落ち来るエヴリン師長の首めがけて剣を突き出し、それを串刺しにした!

「あぁ…。」

 心もとない声とともにエヴリン師長の眼窩を照らしていた妖しい魔術光は、その輝きを失っていった。やがて、その頭部はガシャリという鈍い金属音を立てて、その場にくずおれる。もはやそこに生命の輝きは潰えていた。

 ラファエルは、静かにリアンたちの方に向きを変えて術式の詠唱を始めた。


『我が生命の器を依り代として、生命の雲をなさん。慈愛の雨よ、地を満たせ。傷を癒し、病を癒さん。慈雨:Rain of Affection!』


挿絵(By みてみん)

*創り出した影(生命力の一部)から、回復と完全治療の雨を降らせるカレン。


 詠唱が終わるや、彼女は生命力の一部を依り代とした影を生成して、それを中心に生命力にあふれる叢雲を創り出し、そこから完全回復と完全治癒の雨を降らさせたのである。

 リアン、アイラ、レイ少尉、その他その戦場にいたすべての味方の傷と体調不良を回復していく。

 傷の癒えたリアンが立ち上がり、すっかり姿を変えたカレンのもとに近づいてきた。

「カレン、その姿はどうしたですか?」

 おそるおそるリアンが問う。

「私は天使になってしまいました。でも、リアン。あなたたちが無事で本当に良かった。」

 そう言うと、ラファエルはリアンの小さな体を抱きとめた。その腕の中で、リアンの身体は緊張で硬くなっている。

「リアン、もうすぐアイラとレイ少尉も目を覚まします。あなたたちはこれからもここを死守してください。残る敵はあと少しです。私は先生方と共にいきますから。お願いしましたよ。」

 そう言うと彼女はその背の美しい翼を羽ばたかせて天空に向かって身をひるがえし、闇夜に光る月に向かって羽ばたいていった。その姿は瞬く間にリアンの瞳に映らなくなっていく。

「カレン!!」

 その場の静寂を、リアンのか細い叫びだけが艶やかに彩っていた。


* * *


 ルート35を脅かす敵のほとんどが去った。残るは、デイ・コンパリソン通りでネクロマンサーらに迫る巨悪と、ホエール・アイズルに潜む黒幕だけである。

 グランデとラヴィのもたらした援軍の力を借りて押し寄せる敵襲を退けたネクロマンサーとソーサラーは、更に奥から耳に届いてくる地響きのような足音と今まさに対峙していた。深夜の宵の中から、脅威が静かにその姿を現してくる。それは、既に人間の姿を完全に捨てた、かつてのシン・ブラックフィールド医師その人であった。


挿絵(By みてみん)

*デイ・コンパリソン通りの奥からその変わり果てた姿を現すシン・ブラックフィールド医師。


「いやぁ、先生。よくお会いしますな。我々にはやはり特別なえんがあるのかもしれません。どうでしょう?先日のお話、私としてはまだ諦めたわけではありません。そちらの大変に優れたソーサラーの先生もご一緒に、我々とこの素晴らしい奇跡を享有なさいませんか?この力、我らがプレプトルの残してくれたこの秘術は、人間という生き物の可能性の外延を自ら押し広げることを叶える素晴らしいものです。私は、あらゆる遺恨を越えてこの素晴らしいわざをあなたがたと共有したいと思っているのですよ。」

 大気全体を振動させるかのような不気味な響きを伴って、その恐るべき説得は耳に響いてきた。


「残念ですが、私の答えは変わりません。わたくしたちは、人間の、その自然のままの在り方と可能性を信じているからです。人の力は、人が自ら操作すべきものではありません。それは運命に委ねるべきものだと私は信じています。」

 ネクロマンサーは毅然と言い放つ。


「運命ですと?それは奇遇なことです。私も運命の存在を尊重しております。ただ唯一先生と見解が異なるのは、我々は運命を所与として受け入れるだけでなく、それを自らの手で切り開くことに望みを見出していることだと言えるでしょう。人間には、己の道を自ら開き、運命を自律的にその手で同定し得る権威と資格があるのだと、そのようには思いませんか?運命を愛する先生のその心、実に惜しい。私は、是が非でもそれを手に入れたいと、今なお願ってやまぬのですよ。」

 シン・ブラックフィールドは不気味に言い寄ってきた。


「ご冗談はもうそれくらいに。私は、人間の内なる可能性と、そこに繋がる積極的で前向きな運命の導きを信じています。あなたにしてみれば、ただ座して死の近づきを受け容れるだけの愚かな生き様に見えるかもしれませんが、人間性を、日常を、不自然に捨てたところで、本当の変革など得られるものではありません。自然との持続的な共存、それこそが我々を安寧に生きながらえさせる唯一の途だと私は信じています。」

 そう言うネクロマンサーの瞳は生命への確信と尊重に美しく輝いていた。

「私も彼女と同じよ。あなたのように人を捨ててまで命を長らえ、他人を力で支配しても、そんなことで得られるものに何の価値もないわ。さぁ、決着をつけましょう!」

 ソーサラーも意を決している。両者の間に緊張が高まっていくのがわかった。深夜の風が再び湿度と熱気を帯び始める。星々は妖しく宵闇を彩っていた。


「そうですか…。それは実に残念なことです。しかし、私は力の説得力というものを信じておりましてですな。そういうあなた方の短慮を、今度は別の仕方で変えてみましょう。先生方、どうかあなた方の言う、人間の、我々が目指すのとはまた異なる別の可能性とやらを見せてください。私もそれに実に興味があります。」

 そう言うと、シン・ブラックフィールドは静かに片腕を挙げた。そこから一瞬まばゆい魔術光が走ったかと思うと、彼の周りをおびただしい数の『人為の兵士』が取りまいた。どうやら魔術を用いた一種の召喚術式の様だ。


挿絵(By みてみん)

*シン・ブラックフィールドに呼び出されて二人に襲い掛かる『人為の兵士』の大軍。


* * *


「前座は引き受けたわ。」

 そう言って、ソーサラーは『天使化:Angelize』の術式を唱える。周りに展開した巨大な魔法陣からは魔法光があふれ、その身体に転化を促していく。やがて、彼女は真の姿を現した。


挿絵(By みてみん)

*天使化したソーサラー。


「おお、実に素晴らしい。それがあなた方の言う、我々とはまた違う人間の可能性と外延の拡張の仕方だと、そういうことですな!その力、がぜん欲しくなります。必ずや、我々の試みに取り込ませていただきましょう!」

 シン・ブラックフィールドがそう言うと、人為の兵士たちが、雪崩をうって押し寄せてきた。しかし、ソーサラー、いやウリエルに躊躇いはない。静かに距離を測ると得意の術式を最大級で放って見せた。


『水と氷を司る者よ。我は汝の敬虔な庇護者也。わが手に数多の剣を成せ。氷刃を中空に巡らせよ。汝にあだなす者に天誅を加えん!滅せよ。(最大級の)氷刃の豪雨:- maximized - Squall of Ice-Swords!』


挿絵(By みてみん)

*『氷刃の豪雨:Squall of Ice-Swords』の術式で瞬く間に敵陣を薙ぎ払うウリエル。

 彼女の持つ美しい氷の刃は瞬く間に無数の群れを成して、踊るように舞い、シン・ブラックフィールドがたった今呼び出した『人為の兵士』の群れをずたずたに引き裂いていった。その無機質な体躯であたりは死屍累々となる。

「さぁ、前座は整ったわ。あとは任せたわよ。私は一足先にみんなの所へ行くわね!」

 そう言うとウリエルは美しい翼をひるがえし、深夜の中空に舞いあがると瞬く間に闇夜の中へと姿を消した。


「おぉ、おぉ、何と素晴らしい奇跡を私は目にしているのか。これぞまさにわがプレプトルが仰っておられた天界の秘術。我々は、神秘や奇跡といったまやかしに頼ることなく、この手で、人間と自然の力で、もうすぐその境地にきざはしをかけるのだ。なんという素晴らしい瞬間。なんという陶酔。いいでしょう、先生。あくまでも我々に歯向かうと言うのであれば、その身を我々の尊い悲願の生贄として差し上げましょう!」


 そう言うと、シン・ブラックフィールドは、その手に滾らせた魔術光を一気にネクロマンサーに向けて解き放った!とても防御術式は間に合わない。ネクロマンサーの身体を、闇を払いのけるような眩さが覆う。やがてその光のうねりは鳴りを潜め、静かに宵闇に塗り替えられていった。全てが消え去ったかに思われたその場には、美しい1柱の天使が荘厳にたたずんでいる。


* * *


挿絵(By みてみん)

*光の中から姿を現した、天使化したガブリエル。


「なんと!先生もまた、その力を備えておいでなのですか!!今宵は何と素晴らしい時であることか!こんな奇跡を二度も目の当たりにできるとは!我々はあなた方のその神秘を越えて、この手で、人間の力でもって、その力を凌駕するのです。我が力をその身に刻まれるがよろしかろう。ついに、ついに我らの悲願が成就する時が来た。わがプレプトルよ、どうか見守っていてください。力を与えてください。」


 そう言って目を閉じたシン・ブラックフィールドの身体もまた眩い魔術光に包まれていく。やがて翳り行くその光の中から醜悪な存在が姿を現した。


挿絵(By みてみん)

*おぞましい姿に姿を変えたシン・ブラックフィールド。


 驚異的な姿をさらすシン・ブラックフィールドと、それに対峙するネクロマンサー、いや、ガブリエル。両者はともに、全身に魔法光と魔術光を滾らせている。


挿絵(By みてみん)

*手にした霊の剣から、紅色の稲妻を放つガブリエル。


 刹那、ガブリエルは手にした霊の剣から紅色の稲妻を放って、シン・ブラックフィールドに浴びせかけた!その明滅は、余すところなくそのおぞましい巨躯を打つが、しかし、彼は全身に張り巡らせた魔術光のシールドでそれを凌いで見せるではないか!


「その程度ですかな?天使などといってみたところで、奇跡などに頼るようでは力の底は知れていますな。」

 シン・ブラックフィールドは、地を這うような声でクククと笑った。その目はこの世のものとは思えない複雑な色の光を煌々(こうこう)と放っている。


 次の瞬間、彼のその摩訶不思議な目から光線がほとばしる。それは、闇夜を切り裂く一陣の剃刀のようにしてガブリエルに襲い掛かってきた!あたりの空気の熱量がどっと増す。彼女は巨大な防御障壁を展開してそれを凌いだ。


挿絵(By みてみん)

*光の盾を展開して、魔光線を防ぐガブリエル。


 彼女の展開する障壁と魔光線は、接触面におびただしい力を蓄えて、周囲を熱くして陽炎で夜景をゆがめた。それはまさに、天使と悪魔の衝突のようである。

「ほほう。その姿、伊達ではないようですな!」

 そう言うが早いか、シン・ブラックフィールドはさっと中空に身をひるがえすと、鋭い爪を備えるその巨大な手でガブリエルに襲い掛かった。固い者同士が鋭くせめぎ合う金属音を奏でて、ガブリエルの剣と、シン・ブラックフィールドの爪がかちあう。ぶつかっては離れ、離れてはぶつかる、そんな激しい空中戦が展開されていった。両者とも、その背の翼の羽音を漆黒の空に響かせながら舞巡り、刹那、刹那、互いの得物をぶつけあう。鋭い金切り音と羽音の他にあたりに聞こえるものはもはやない。折り重なる静と動だけが、静寂を脅かしていた。


「やりますね!その執念だけは敬意に値するかもしれません。」

 頬を伝う汗をぬぐいながら言うガブリエル。

「どうやら、私ひとりでは分が悪いようですね。助力を請うことにしましょう。」

 そう言って、ガブリエルは口元を不敵にゆがめた。

「助力ですと?あなたの相方はもはやこの場を去られたではありませんか?悪あがきはやめて、我々の悲願のための生贄におなりなさい。それとも、翻意して我々に与しますかな?私は寛大ですから。」

 シン・ブラックフィールドは、なお余裕の表情を崩さないでいる。


『冥府の門よ、煉獄の門とともに開け!囚われた霊魂を解放せよ。我は生命と霊を司る者なり。我が呼び声に応え、その姿を現せ!開門:Open Gates!』


 ガブリエルが術式を詠唱すると、彼女の背後に重々しい魔法光とともに冥府の門が開かれ、そこから、極めて高位の死霊の群れが召喚された!


挿絵(By みてみん)

*冥府の門から高位の死霊を召喚するガブリエル。


 呼び出された死霊たちは押し寄せる波のように群れを成して、シン・ブラックフィールドに襲い掛かっていく。多くは、全身に張り巡らされた魔術光と彼の巨躯によって阻まれ消滅するが、しかし、いくつかは確実にその身体を捕え、呪われた歯と鉤爪によって、それを引き裂いていった。

 固いものが金属をひっかく不快な音を奏でながら、機械的とも悪魔的とも形容しがたい彼の身体が引き裂かれていく。柔らかくも滑らかでもない火花と重い油のような液体をにじませながら、それはもがくようにして全身にまとわりつく死霊をむしり取っていた。


「おお、素晴らしい。本当に素晴らしい。いま、わがプレプトルの仰っておられたことの真意が手に取るようにわかるのだ。我々は自らの手で神秘を踏み越えて永遠の存在へと変わることができる。そのためにもこんなところで手を焼いているわけにはいかない。終わりにしよう!消し飛べ!」


 シン・ブラックフィールはその禍々しい口から、おびただしい量の魔術光の力場を束にしてガブリエルに向けて撃ち出した!彼女の身体はその光の中に、あっという間に飲み込まれていく。


* * *


 彼は勝利を確信した安堵の瞳で、その口からほとばしる強大な魔術光を見守っていた。しかし、それが徐々に陰っていくと、その中に迫りくる影が見えるではないか!!なんと、ネクロマンサーは片手に剣を構え、もう片方の手で防御障壁を展開しながら、捨て身でその光の渦の中をまっすぐに駆け巡ってきたのだ!


挿絵(By みてみん)

*捨て身で光の渦を駆け抜けて来るガブリエル。


 天使化したときローブの上に身に着けていた甲冑のほとんどは先の魔術光によって砕け散り、はげ落ちてしまっていた。しかし、彼女はそれをものともせずに、まっすぐに光の渦の中を抜けて来る!そしてそのまま、右手に構えた霊的な神秘の剣をシン・ブラックフィールドの額にある第三の眼に突き立てたのだ!!


 があああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…!!!


 全方位にとどろく重苦しい断末魔とともに、シン・ブラックフィールドの全身を覆っていた魔術光は次第に鳴りをひそめ、か細く明滅しながらその輝きを失っていった。大きな地響きを伴ってその巨躯は後ろ手に倒れ込むと、それっきり動かなくなった。

 ガブリエルは全身の傷による苦痛に耐えながら静かにひとつ大きなため息をつくと、他の天使たちと同じように翼を大きく羽ばたかせて黒い空に吸い込まれていった。

 夜の帳はまだ深いが、それでも東の彼方は微かに白んでいる。雲の群れが静かにその色に染まっていた。


 こうして、フィールド・イン、アカデミー、デイ・コンパリソン通り、ルート35に迫った全ての敵勢力が退けられた。残るは、オッテン・ドットの残党とホエール・アイズルに座す敵の黒幕のみということになる。

 夜が明け、中央尖塔5階のアカデミー最高評議会議事堂には、ダリアンらが集っていた。しかしそこに、天使と化したユイア(ウォーロック)、ウィザード、ソーサラー、ネクロマンサーの姿はない。闇夜に飛び消えて以降、彼女たちの行く末はようとして知られなかった。アカデミーを代表する参謀長官を欠いたことで作戦遂行の継続を危ぶむ声も上がったが、最高評議会自体は健在であり、かつ、名将ダリアンとその副官セリアンが健在であるのなら奪還戦の実行は不可能でないとして、最高評議会の委任を受けたダリアンを最高総司令官とする新たな布陣で、オッテン・ドット市街区奪還作戦が行われることになったのである。


 陽は静かにその高度を増し、中央尖塔が落とす影の長さを少しずつ短くしていく。南部戦線の脅威が排除されたことで、ようやく国防省安全保障特別委員会所属の正規軍も一部南下を始め、これまでずっと司令部の頭を悩ませてきた兵力の数的問題は、にわかに改善を見せ始めていた。


* * *


 その3日後、正規軍とアカデミー私設軍隊の連合から成る魔法社会軍は、オッテン・ドット地区への進軍を開始した。当初は、市街区の奪還について敵残党からの相応の抵抗が予測されたが、実際にはほとんど戦いらしい戦いを経ることなく、オッテン・ドット市街地を奪還することに成功した。

 というのも、今は懐かしき、シーネイ村のネリー村長とハインダス氏らが、ケトル・セラー街とポンド・ザック街から義勇兵を集めて解放軍を組織し、シーネイ北方路からオッテン・ドット沿岸通りを南下して、同市街地の解放に奮戦していたからである。


挿絵(By みてみん)

*周辺都市群から義勇兵を集め、解放軍を組織してオッテン・ドット地区奪還に力を尽くしたシーネイ村のネリー村長とハインダス氏。


 魔法社会軍が同市に到着したときには、もう既に主戦は終わっていて、残党を排除しながら市庁舎を取り戻すだけという様子になっていた。その日のうちに、同市奪還は高らかに宣言され、その翌日からは敵の根拠地『ホエール・アイズル』への侵攻作戦が進められる運びとなる。

 なかなか沈まない初夏の太陽が、西の地平にゆっくりと位置して、その赤い光線をいつまでもオッテン・ドットの市街区に注いでいた。同市街区は敵の侵攻と占領によってすっかり瓦礫の山と化してはいたが、それでも、夕日の中で蘇る生命力の色をたたえていた。


 それから二日後、魔法社会軍は正規の海軍力を動員して内海を渡り、ホエール・アイズルへの上陸作戦を敢行した。しかしそこでも敵残党はもはや瓦解しており、同島内に置かれた敵根拠地の最奥部には、既に何者かによって無力化されたかのマークス・ヴァレンティヌの成れの果てが、残されているのみだったのである。


挿絵(By みてみん)

*何者かによって朽ち果て、静かにそこに佇むマークス・バレンティウヌの残滓。


 それは、アブロード・シアノウェル、シン・ブラックフィールド、エヴリン・シンクレアらと同じように全身を機械化され、人工的に用意された脳髄に古い記憶を移植された異形の存在であったが、しかし、その力の大半はもう既に失われており、その哀れな残滓はアカデミーおよび政府関係者からの取り調べに対して、ぼそぼそと世迷言を言うだけの存在に成り下がっていた。


 アカデミーと政府は、会話が可能な程度にマークスの体躯を解体し、その場に残されていた各種の証拠や試料を回収すると、オッテン・ドットを経て各庁舎に凱旋したのである。


 恐るべき脅威から解放された魔法社会の市民たちは、諸手を挙げてその凱旋の行列を歓迎した。陽の光が、その様をまぶしく照らし出している。


 こうして『シメン&シアノウェル病院』の怪異から始まった、魔法社会全体に対する革命事件は幕を下ろした。結局、ホエール・アイズルを襲撃してマークスを無力化した勢力の正体はわからずじまいで、アカデミーも政府も、その事実の発表に大いに苦慮したが、結局にして、首謀者3名の戦死をもって当該事件は解決したのであるという至極無難な方便によって事態を収束させたようである。市民たちにも、真相究明の熱意は残されていなかった。


 後に、この動乱は『三医人の反乱』として長く語り継がれた。この物語に間近で接したダリアンとセリアンは、姿を消した5柱の天使に最大限の配慮しながら、その足跡を魔術書にしたためることに決め、『詠唱者の書』、『術具・法具一覧』、『魔術総目録』の3部作を完成させた。それら一連の書籍群はまとめて『万象の起源:Omnialcay(オムニ・アルケイ』と称され、後世まで語り継がれることになったという。


* * *


 今、相変わらずの黴臭い空間に、いつもの面々が揃っていた。いや、そこにひとり小さな存在も加わっているようだ。人を離れた5つの神秘、それをエメラルドとサファイアの瞳が静かに見守っていた。

 入り口の外では霧が色濃く渦巻いている。現世と隔絶された空間にいつもと違う時間がゆっくり、ゆっくり刻まれていた。

Echoes after the Episode

 今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。今回のエピソードを通して、

・お目にとまったキャラクター、

・ご興味を引いた場面、

・そのほか今後へのご要望やご感想、

などなど、コメントでお寄せいただけましたら大変うれしく思います。これからも、愛で紡ぐ現代架空魔術目録シリーズをよろしくお願い申し上げます。

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