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第2節『決意と逡巡と』

 翌朝、フィールド・インに駐留する敵兵力はなおも不気味な静けさを保っている。クリーパー橋に設置されたアカデミー側の最終防衛ラインから少し距離をとって相互ににらみ合う状況が続いていた。臨戦態勢を解くわけではないが、一方で仕掛けてくる様子もまたなく、両軍の間には鋭い緊張が張り巡らされている。タマン地区を攻略後、一気に南北方向から挟撃を仕掛けてくるつもりなのか、ウィザードたち防衛側の参謀たちは敵軍の意図を測りかねていた。

 一方で、南部の要衝タマン地区では、早朝からついに両軍の衝突が始まった。『トレス・レヴォルティオニス』率いる機械化された人為の兵団は、恐怖やたけりといった人間的感情を持たず、一個の金属の塊であるかのように統率の取れたやりかたで南北市街区を隔てるように敷かれた防衛線に対して果敢に攻撃を仕掛けてきたのである。


挿絵(By みてみん)

*タマン地区南北市街地を隔てる防衛戦に向けて突撃を仕掛ける機械化兵団。


 数の上でこそほぼ拮抗してはいるが、やはり魔法が通用しないという現実は防衛側を窮地に追いやった。かろうじて、術士団の駆使する錬金銃砲の法弾が抑止的効果を発揮するものの、増援として派遣された『常設魔法国防部隊』の魔法攻撃は、全くというわけではないものの、しかしほとんど有効性を見いだせずにいる。防衛線はかろうじて維持されていたが、しかし、このままではジリ貧なのも間違いない。『連合術士隊』もまた奮闘し、果敢に前線で応戦したが、その損耗は激しく、正午前にはその大部分が後退を余儀なくされた。タマン地区最北部のウーナ地区に開設された野戦病院には、重症患者が次々と運び込まれてきていた。そこには見知った懐かしい人物の姿もある。


挿絵(By みてみん)

*ウーナ地域に開設された野戦病院で治療と看護に当たる懐かしい人物。


 それは、リズとハンナだ。彼女たちは共に高等部進学の際に魔法学部から看護学部に転籍しており、魔法医療従事者としてのキャリアを着実に積みつつあった。今では、アカデミーのエリート部隊である『遺体回収特務班』のメンバーとして、特に今作戦においては、野戦病院のスタッフとして辣腕らつわんを振るっている。

「ハンナ、要最優先処置者が2名搬送されてくるわ。すぐに手術の用意を!」

「ええ、心得ているわ。搬入され次第執刀します。麻酔等必要な薬剤をすぐに準備して!」

「もちろんよ。まかせておいて。」

 現場では心強いやり取りがなされていた。ハンナは『ケレンドゥスの毒』の依存を見事克服し、今では非常に優れた魔法外科医として活躍している。リズもまた、魔法医師の資格を得て、彼女と共に多くの生命を救っていた。かつて、大きな遺恨を抱えていた彼女たちの間に本物の連帯と信頼の絆が築かれたことには、人のよすがの妙を見る思いと言えよう。南部防衛戦線から搬送されてきた術士団所属の重傷患者について、リズがバイタルを確認し、手早く麻酔を施すと、ハンナが適切・迅速な手術を行っていく。こうしてまたひとつの生命が救われるのだ。慌ただしい喧騒けんそうの中で、確実に救命措置が講じられていった。


* * *


 錬金銃砲の効果を了知した作戦参謀本部は、より効果を高めるために、使用法弾を『白銀の法弾』から『徹甲法弾』に変更する方針を決定し、直ちに南部への輸送を開始した。その補給物資の第一陣は昼前には南部防衛戦線に到着し、術士団は直ちに法弾を変更した。セリアンの慧眼けいがんは実に見事なもので、午前中は侵攻の抑制が精一杯であった防衛戦線は息をにわかに吹き返し、徐々にではあるが敵勢力の撃退に成功し始めた。勢力的には均衡を取り戻しつつある。『連合術士隊』も直接武具による白兵戦をやめ、錬金銃砲による応戦へと切り替えたが、それも奏功したようで、午後2時過ぎ頃には、遂に敵の攻撃の第1波を退け、後退させることに成功した!とはいえ、防衛側が被った被害もまた甚大であり、兵士たちはみな疲労困憊ひろうこんぱいであった。

 早朝からの物々しさがようやく一段落をみたとき、時計の針はすでに午後3時を回ろうとしていた。実に、『白銀の銃砲部隊』2個中隊のうち1小中隊と『連合術士隊』2個小隊がほぼ壊滅という有り様で、同じ規模の攻撃が繰り返された場合に再度防衛できるかについては厳しい局面を迎えていた。司令部は急遽、多数の錬金銃砲を南部防衛戦線に支給して、『常設魔法国防部隊』をもそれによる攻撃に従事させる方針を採択した。幸い、機材と弾薬は豊富な供給が可能であったが、錬金銃砲の練度という点でははなはだ心もとないところがあったのは否めない。しかし、満足に通用しない魔法よりは効果が期待できるはずだという、そんな目論見に基づく作戦の変更であった。

 夕方、再度敵の小規模な突撃を受けた。しかし目論見通り、司令部の作戦変更には一定の効果が認められ、防御側はこれも退けることに成功した。だた、やはり魔法使いによる銃砲攻撃の練度には大いに課題があり、相対的にみれば攻撃効果よりも損耗そんもうの方が激しい状況を呈していたのである。多くの人員が次々と北部の野戦病院に送られる。皆、増援なしにこれ以上は耐え難いというというところまで追い詰められていた。

 時刻は午後7時を回っている。敵方はオッテン・ドット地区からの増援を待っているのだろうか、その日はそれ以上の攻勢をかけてくることはなかった。しかし、防御側もまたこれ以上の攻撃に耐えられる状況にはなかったのである。戦場での夜が更ける。作戦参謀本部としては、東部防衛に回した部隊の一部を南部に振り向けたいところだが、東部を手薄にもできないため、頭を抱えていた。『魔法使い緊急即応部隊』については、その派遣準備こそ整ってはいたが、魔法効果が薄いことが明々白々となりつつある今、魔法使いの一隊を南部に送ったとしてどの程度戦況の回復を見込めるかという深刻な問題に突き当たっている。少なくとも、魔法を有効的に行使できるようにするための、何らかの戦術を開発することがまず求められていた。

 吹き抜ける初夏の風は、雨季のはじめを思わせる不快な湿気を含んでおり、それが首脳陣に嫌な汗をかかせている。現場では、明日の攻撃をどう凌ぐか、そのことが盛んに軍議にかけられていたが、攻撃効果の薄さと数の絶対的不足という深刻さが、彼らの頭上に重くのしかかっていた。ゆっくり、ゆっくりと夜が更けていく。


* * *


 夜半、アカデミー最高評議会の議場では、ウィザードとダリアン、それにセリアンが学徒出陣に踏み切るかどうかで議論を交わしていた。その様子をソーサラー、ネクロマンサーとユイアが見守っている。

「南部防衛戦が一進一退ですが、じわじわと追い詰められつつあります。幸い、徹甲法弾を軸にした錬金銃砲には確かな効果のあることがわかってきましたから、『熟練:Adept』以上の学徒を、まずは術士を中心にして動員して数の上で防御線を強化しましょう。」

 戦略地図を眺めながら、ダリアンが提案する。

「学徒出陣は本来あってはいけないことですが、ここで防衛戦が瓦解がかいすることは何としても避けなければなりません。私も参謀顧問に賛同します。」

 やむ方なしという調子でセリアンも同意した。ウィザードだけが険しい顔をしている。

「先生、ここはご決断を。明日の朝までに増援を回さなければ、防衛線が突破されかねません。」

 決断を迫るダリアン。

「…。」

 ウィザードは、意を決しかねていた。

 その時だった。おもむろにユイアが声を発する。

「お願いがあります。少しの間で良いので、私と教授を2人だけにしてください。」

 思いがけないその申し出に、皆、ユイアの方を見た。

「ユイア君、ここは君が口を出すところではない。控えていたまえ。」

 ウィザードは厳しい調子で一蹴しようとしたが、ユイアは真剣そのものだ。

「いいえ、譲れません。お願いです。教授と話をさせてください。」

 その声色を聞いて、ダリアンたちが先に譲った。

「先生、彼女の話を聞いてあげてください。私は副官とともに他にできることがないかむこうで再検討してきます。しばらく休憩といたしましょう。」

 そう言うと、彼はセリアンを連れて評議場を後にした。ネクロマンサーとソーサラーもそれに続く。議場にはウィザードとユイアだけが残された。

「ユイア君、分を弁えたまえ。」

 ウィザードはなおも厳しい姿勢を崩さない。だがユイアも負けてはいないようだ。

「あら、私たちに分なんてあるの?今はユイアではないわ。私よ。私を見て!」

 そう言うと、ユイア、いやウォーロックはウィザードの瞳をまっすぐに見つめた。

「な、なんだよ。ったく、しょうがねぇな。わかったよ。話を聞くよ。で、どうしろというんだ?」

 観念したようにウィザードが言う。

「教授、私に禁忌術式の使用命令付き使用許可を出してちょうだい。」

 それを聞いてウィザードの茜色の瞳がこれ以上ないくらいに大きく丸くなった。

「あんた、自分の言っていることの意味が分かっているのか?」

「ええ、もちろんよ。要するに、クリーパー橋に配備している兵力を南部に回すことができれば、当面の難題は解決なわけでしょ?」

「それは確かにそうだが、だからと言って東を丸裸にはできないんだぜ。」

「もちろんよ。東の敵勢力を殲滅できればいいわけよね。なら、禁忌術式を使わない手はないじゃない?」

 ウォーロックもまた、まっすぐにその茜色の瞳を見つめている。

「しかし、相手は大隊規模だ。少なく見積もっても1000はいる。禁忌術式を使うという事は、そいつらをあんた一人で相手にしなきゃならないってことなんだぜ。いくらあんたが破格にバカ強いといっても無茶が過ぎる…。しかも禁忌術式といってみたところで、魔法が効く保証はどこにもないんだ。」

 ウィザードは動揺に震えていた。

「ねぇ、私が考えなしにこんなことをあなたに頼むと思う?」

 彼女を落ち着かせるよう声のトーンを落としてウォーロックは言う。さまざまな想いを巡らせながらも、何かを断ち切るようにしてウィザードは首を横に振った。

「駄目だ、許可できない。むざむざあんたを死地に送るようなことはあたしにはできないよ。確かに、あんたならやってのけるかもしれない。でも、いくらなんでも危険すぎる。駄目だ。許可はできない。」

「そう…。とにかく時間がないわ。もう少しだけ考えてちょうだい。」

 そう言って、ウォーロックも議場を後にした。残されたウィザードはうなだれながらも必死に思いを巡らせていた。

 初夏の夜は、刻一刻と決断の時を迫る。ダリアンたちがノックをしたが、

「すみません。すぐにお呼びしますから、もう少しだけ一人にしておいてください。」

 そう言って、ウィザードは椅子に腰を下ろした。


* * *


 彼女は、テーブルに両肘をつき、組んだ両手を額に当て祈るような姿勢をとってじっと考え込んだ。その美しい唇がか細い声を紡ぎ出す。

「なぁ、教授。あんたならこんな時どうする?あいつのいうことはもっともだ。あいつの力ならきっと殲滅をやってのけるだろう。けれど相手はおぞましい機械化兵の大軍だ。そこにむざむざ送り出すなんて、あたしが引導を渡すも同じだぜ。そんなことできねぇよ。いったい、どうすりゃいいってんだ…。なぁ、あんたなら、もし、あんたが今ここにいたらどうするよ?教えてくれよ、頼むよ、教授。」

 その時、聞き覚えのある声が脳裏にこだまするような気がした。

「君たちの友愛とは結局その程度だったのかね?相手の想いを、自分の心を、もっとまっすぐに信じてみたらどうなのか。彼女は、君は、あのとき見事に友愛と信頼を紡いだではないか?なぜ、今それができないと思うのか。信じた先に、道はきっと開かれるだろう。思い定めた道を行きたまえ!」

「教授!」

 ハッとしてあたりを見回すが、そこにはがらんどうの議事堂が広がっているだけだった。その声は、今は亡きパンツェ・ロッティのものであるように思えた。決断し切れない教え子の背を押しに来たのだろうか、その声は、これまで聞いたことのない不思議な温かみをそなえているように感じられた。ほんの一瞬、夢を見ていたのだろうか?そんな不確かさを抱えながらも、その茜色の瞳は、確固たる決意の色を輝かせていた。

「信じた先に、道が開かれる、か…。」


「お待たせしました。皆さま、お入りください。ユイア君、君も入り給え。」

 その声に導かれて、ダリアンとセリアン、そしてネクロマンサー、ソーサラー、ユイアが議事堂に入って来る。各々が所定の位置に着いたところで、ウィザードはその決意に言葉の形を与えた。

「今日時点での学徒出陣は見送ります。もちろん、そう長く持つわけではありませんから、準備は引き続き進めます。」

「では、具体的に、どのように南を防備しますか?」

 ダリアンはあくまでも冷静だ。

「今晩中に、クリーパー橋に駐留する全部隊を『漆黒の渡鴉』の精鋭部隊を含めて南部に派遣します。これにより南部戦線は相当に強固になるでしょう。」

 ウィザードはそう言った。

「それはよいのですが、しかし東の防備はどうなさいますか?」

 ダリアンは問う。

「それについては、秘策があります。ユイア君!」

 その言葉に従って、ユイアがウィザードの隣に歩み寄った。

「彼女には卓越した能力があります。説明は難しいのですが、とにかく人智を超越した奇跡的な力を宿していると言って過言ではありません。今夜の内に、フィールド・インに駐留する全兵力を彼女が禁忌術式により殲滅します。その結果が確認でき次第、クリーパー橋の全兵力を南に回します。」

 その声は揺るぎなかった。

「正気ですか、教授!一個大隊相手にたった一人で向かわせるとおっしゃるのですか?」

 ダリアンとセリアンは驚きを禁じ得ない。

「そうです。」

 しかし、ウィザードもまた動じることをしない。

「万一、失敗したとしてもこちらの損失は1兵卒です。大勢に影響はありません。他方で、成功の暁に得られるものはあまりにも大きいと言えましょう。私は、学徒出陣の準備を着実に進めながら、まずは彼女の力量にかける選択をしたのです。」

「ユイアさんは、それでよろしいのですか?それに勝算は?」

 ダリアンは、半信半疑でユイアに問うた。

「もちろん勝算はあります。ただ1つ。敵は確実に殲滅しますが、フィールド・イン市街地も壊滅します。その点だけあらかじめご承知おきください。」

「都市ごと殲滅ですか?」

「そうです。かならず任務を果たして帰還します。」

 ユイアもまた、毅然として決意を示す。

「わかりました。とにかくこの作戦、無謀ではありますが失敗の際のリスクはほとんどありません。教授とユイアさんがそこまでおっしゃるのならば、我々としては口を挟む余地はないでしょう。お二人の決断を尊重します。」

 ダリアンは理解を示した。セリアンも同様のようだ。

「では、これから略式ですが、禁忌術式の使用命令付き使用許可を下します。時間がないので辞令書を用意できません。ここにご同席の皆さんは、立会人としてお見守りください。」

 一同は頷いてそれに応えた。


* * *


 本来、禁忌術式の使用許命令付き使用許可はアカデミー最高評議会によって下される。しかし、戦時下の緊急事態という事で、魔法学部長代行のウィザードがその命令下賜かしの司式を執り行うこととなった。それが恣意的なものとならぬよう、その場にいる全員が立会人となることが求められたわけである。いま、荘厳な雰囲気の中で、儀式が執り行われた。


「ユイア・ハーストハート。汝に『禁忌術式』の使用命令付き使用許可を下す。これから汝はフィールド・イン市街区へおもむき、そこを不法に占拠する敵大隊約1000を許可された禁忌術式の使用により撃滅せよ。なお、使用する術式の選択は汝に一任する。これが今回の、魔法学部から汝への特別辞令である。最高評議会の追認はおって取り付ける故、汝は直ちに任務にあたれ。質問はあるか?」


 お決まりの辞令が交付される。

「ございません。ユイア・ハーストハート、謹んで辞令を拝領いたします。」

 緊急のことであったため、辞令書に変えて口頭での命令のみとなった。その様子を立会人たちが厳粛に見守っている。

「それじゃあ、行ってくるわね。朗報を期待していてちょうだい。」

 そう言うが早いか、ユイアは議事堂を後にした。一同は、静かにその背中を見送っている。時刻は夜11時に差し掛かろうとしていた。


 議事堂のある中央尖塔の5階から1階に降りると、寮棟の近くでカレンを見かけた。ユイアはカレンに声をかける。

「こんばんは、カレンさん。ご機嫌いかがかしら?」

 いつもの調子だ。

「ユイアさん。作戦立案は順調ですか?」

 カレンが訊ねる。

「ええ、これから、魔法学部の特命を帯びてフィールド・インまで行ってくるわ。いい知らせを届けるから、楽しみにしていてね。」

 いたずらっぽい調子で言うユイア。それを聞いたカレンの目は点になった。

「フィールド・インにおひとりで、ですか!?」

「そうよ。あの不届きな連中をちょちょいと片づけてくるわ。」

「でも、そんな!そんなの危険すぎませんか?」

 カレンは心配でならないといった様子だ。

「大丈夫よ。…幸い誰もいないわね。あなたにだけ特別よ。」

 そういうと、ユイアはアッキーナの卵を使って天使の姿を取った。

「私のこと、覚えているでしょ?」

 その言葉を聞いて、カレンはますます驚きを大きくする。

「あなたは、あのときの!」

「そう、あなたたちの先生を天使に変えた悪い天使よ。」

 そう言って、ユイアは舌を出して見せた。カレンは完全に言葉を失っている。

「でも、でも…。」

「驚くのは分かるわ。でも、今こそこの力を使わないとね。そしてあなたにもいつか、そんな決断をする日が来るのかもしれない。」

 ユイアは意味深なことを言うと、カレンの手を取った。

「これは?」

 手のひらの中に何かを握らされてカレンが問う。

「これは、天使の卵よ。実はこれを渡そうとあなたを探していたの。あなたや、あなたの大切な友達が窮地に陥った時、これがきっと皆を助けてくれるわ。だから持っておいて。使わないに越したことはないけれど、お守りだと思って。ね?」

 そう言ってから、ユイアはウィンクをした。

「使い方は分かるわよね?」

「はい、確か卵に術式が刻んであると、あの時…。」

「賢い子ね。その通りよ。」

 ユイアはあたたかい微笑みをカレンに向ける。

「お願いね。これであなた自身と、あなたの大切なお友達を守ってちょうだい。きっと約束よ。」

 そう言って彼女は小指を差し出した。そこにカレンの華奢な指が重なる。

「頼んだわよ。」

「は、はい。」

 まだ状況がよく呑み込めないながらも、カレンは返事をした。

「じゃあ、行ってくるわね。」

「あ、あの。ご武運を。」

「ありがとう。」

 そして、ユイアは正面ゲートの方に消えていった。闇に溶けていくその後ろ姿を、両手に卵を載せたカレンが静かにじっと見送っている。


 ゲート前の通りを5月の風がさらっていく。涼しさの中に夏の湿気をともなう複雑な装いであたりの木々の枝をしきりに揺らしていた。ざわざわという音が、宵闇に沈む静けさを一層際立たせていく。ユイアは今、マーチン通りを抜け、クリーパー橋をフィールド・イン市街区に向けて駆けていた。


* * *


 クリーパー橋の西端で、ユイアは守備隊の隊長に呼び止められた。

「おい、ここで何をしている。この先は危険だ。すぐに戻れ。」

「魔法学部の特命を帯びてフィールド・インに向かいます。特命の詳細については作戦参謀本部にお問い合わせください。」

 ユイアは毅然と言い放つ。しかし、少女をたった一人で敵地へ乗り込ませるという命令の意図が、隊長には直ちに理解できなかったようだ。

「とにかく、一時待て。作戦参謀に確認する。」

「わかりました。」

 ユイアの返事を聞くが早いか、隊長は作戦参謀本部に連絡を取り始めた。

「…。そうですか。わかりませした。通してよろしいのですね?かしこまりました。命令通りにいたします。」

 そして通信は終わった。

「君は、ユイア・ハーストハートだな。作戦参謀本部の確認が取れた。行ってよい。しかし、護衛もつけずに大丈夫なのか。必要なら、数人回すが…。」

 そう言って、合図しようとする隊長をユイアは制止した。

「大丈夫です。これは『禁忌術式』の使用命令付き使用許可ですから、私がひとりでおもむく必要があります。それより、おそらく皆さんにはまもなく移動命令が出ると思いますから、あらかじめその準備をお願いします。」

「わかった。逐次作戦参謀本部の指示を仰ぎつつ最善を尽くす。貴下の武運を願っています。」

「ありがとうございます。みなさんにもご武運を。」

 そう言うと、ユイアはクリーパー橋を越えて、敵に占拠されたフィールド・インの市街地へと脚を進めていった。

 同市西部の住民たちは、かろうじて隣接する中央市街区への避難が間に合ったが、中央部や東部の住民たちの多くは侵攻の犠牲となっていた。この街に市民はもう残っていないようで、中央部あたりに布陣された敵拠点の灯す魔術光が妖しく夜を照らしている他に存在は感じられなかった。ユイアはそこに向かって懸命に駆けていく。やがて、その陣営が間近に視界にとらえられる。


「動くな!貴様ここで何をしている!?」

 人間のものとは到底思えない、重く輻輳ふくそうする機械的な声に呼び止められた。それでもユイアは臆することなく前進を続けた。

「おい、警告が聞こえないのか?それ以上行くなら発砲するぞ!二度はない!」 


挿絵(By みてみん)

*ユイアを制止しようとする機械化兵の守備隊。


 その声にもお構いなしにユイアはずんずんと進んで行く。

「撃て!構わん。排除しろ!」

 その声とともに、機械化兵は手にした錬金銃砲を一斉に撃ちだしてきた。深夜の市街地に幾重にも銃声がこだまする。

 ユイアは、小さな魔法盾を多重的に輻輳ふくそう的に展開し、その銃弾の雨をことごとく防いでいく。ちょうど、シーファとの模擬戦で繰り出したのと同じ防御術式だ。しかし、あの時とは、同時展開の数も1つあたりの強度も全く違う。守備隊が放った弾丸は、結局全てはじかれてしまった。



*いくつもの魔法盾を多層的に同時展開してすべての弾丸を防ぐユイア。


「それで終わりかしら?お話にもならないわね。」

 そう言って、ユイアは『光の剣:Photon Blade』の術式を展開すると、生成した光の剣を大きく水平に薙ぎ払った。たちまち、機械化兵の上半身と下半身は別れを告げ、切断面は赤熱を放ちながら、その場にむくろを横たえていく。ユイアは、ただそれらを踏み越えるようにしてなおも前進していった。

 やがて、一層重苦しく輻輳ふくそうする非人間的な声があたりにこだました。


* * *


挿絵(By みてみん)

*いくつもの魔法盾を多層的に同時展開してすべての弾丸を防ぐユイア。


「なんの騒ぎかと思えば、魔法使いがひとりでのこのこ死にに来たか?」

 それは、かのアブロード・シアノウェル医師の声であった。

「死にに来る?冗談はそのバカみたいな身体だけにしてくれるかしら?私はフィールド・インを奪還しに来たのよ。」

 いつもの皮肉な調子でユイアは言う。冗談みたいな身体、彼女がそう形容した通り、アブロード医師は、5メートルはあろうかという巨大な体躯を重厚な錬金金属の外装で覆っており、もはや人間の面影はかろうじてその声に残されるばかりになっている。巨大な錬金銃砲を携え、もう片方の手の拳にはおそるべき魔術光をたぎらせていた。


挿絵(By みてみん)

*ユイアの前に姿を現したアブロード医師の成れの果て。


「そうね。前言撤回。その哀れ極まる格好のあなたに同情しに来たのよ。すぐに引導を渡してあげるから、ちょっとだけおとなしくしていてね。」

 相変わらず、ユイアはひょうひょうとした態度を崩さない。アブロード医師はそれにいくばくかいらだっているようだった。

「小娘が。跡形もなく消し飛ばしてやる!」

 そう言うと、彼は右手に携えた巨大な錬金銃砲から、まばゆいばかりに高圧縮された魔術光を解き放った。あたりはまるで一瞬真昼のようになり、先ほどユイアが金属くずに変えた機械化兵のむくろを瞬く間に蒸発させていく。その光線の通った後は空気がびりびりと振動し、高熱で陽炎かげろうが立っていた。だが、彼女はその魔術光のど真ん中に立っていた!やがて、あたりで燦然ときらめいていた魔法光のたぎりがなりをひそめると、そのただ中に、ユイアが確かにいるのである。彼女は障壁によってそのおびただしい魔術光の収束の全てを防ぎ切ったのだ!


挿絵(By みてみん)

*高密度の魔法盾によって錬金銃砲が放った魔術光を凌ぎ切ったユイア。


「ば、馬鹿な。貴様いったい何者だ!?」

 アブロード医師は動揺を隠せないでいる。

「私、そうね。冥途の土産に教えてあげるわ。もっとも、そんな風になってしまったあなたの行く冥途がどんなところなのか見当もつかないけれどね。」

 そう言うと、アイラは詠唱を始めた。


『契約に従い、我に力を。我は汝の力を継承する者なり。天使化:Angelize!』

 詠唱とともに、彼女の足元には大きな魔法陣が展開され、そこからおびただしい量の魔法光が解き放たれて彼女を包んでいく。彼女は人型の光のとなってその中に溶け込んだ後、ゆっくりとその真の姿を現した。


挿絵(By みてみん)

*魔法陣の中から姿を現した天使化したユイア。美しい秘宝の剣を携えている。


「私はこういう者よ。」

 ユイアはなおも調子を変えない。

「天使だと!ふざけるな。そんなものが存在するはずはない!!」

 対照的にすっかり冷静を欠いているのはアブロード医師の方だ。どうも彼らは天使の実在を知らないらしい。ということは彼らのプレプトルというのはやはりパンツェ・ロッティではないのか?

「その目で見た事実も受け入れられないほどのおつむになっちゃったのね。かわいそうに…。あなたが認めようが認めまいが、存在するものは存在するのよ。」

 ユイアはきっぱりと言い放つ!

「お、おのれ。天使であれ、なんであれ、退けてしまえば問題はない。消えてしまえ!」

 アブロード医師は再び錬金銃砲を乱雑に撃ち放ってきた。それはユイアの身体をとらえはするが、彼女は意に介するでもなくその場に静かにたたずんでいる。

「もういいかしら?そういえば、人間の自然性を知りたいと、そう言っていたわね。いいわ、教えてあげる。これが、人間の自然、よすがの力よ。あなたたちのしていることはただの力の横暴だわ。人間は、力だけで従わせることができるほど単純な存在ではないのよ。それがわからないあなたたちに未来はないわね。」

 それから、ユイアは詠唱を始めた。


『時空と空間を司る者よ。その胸襟を開き、我に神秘をなさしめよ。それは絶対の禁忌なり。空間の存在を否定し、在るものをことごとく無に帰せ。小さな神の名によって命ず。時間の法則を破り、全てを飲み込まん。時則崩壊:Ruin the Rule of Chrono!』


 それは魔法というより文字通りに奇跡であった。空間それ自体が歪み、何もない虚空に亀裂が生じて、その場に存在するありとあらゆるものを粉々に砕きながら飲み込んでいった。


挿絵(By みてみん)

*驚異的な魔法効果をもたらす『時則崩壊:Ruin the Rule of Chrono』の絶対禁忌術式。


 都市も、機械化兵も、そして巨大な奇怪になり果てたアブロード医師をも瓦礫屑がれきくずに変えながら、時空の割れ目と思われるところに全てを吸い込んでいった。あたりは星も月もないかのように真っ暗になり、ただ、ずたずたに引き裂かれた大地だけが心細げにその表面を平らげている。ひょうひょうという風音だけが、まだそこに大気が存在し、この世とそことが連続しているのであることを、かろうじて物語っていた。

 ユイアはその言葉の通り、フィールド・インに駐留する敵の全軍を指揮官のアブロード医師ごと消し去ったのである。

 その事実は、参謀本部が放った監視用の使い魔によって直ちにアカデミーの指揮官たちに伝えられた。報が届くや否や、速やかに部隊の再配置は実施され、南部戦線は一層の強化をされたのである。これで当面の間、少なくともオッテン・ドットからの増援が合流するまでの間は耐え忍ぶことができるだろう。一同は安堵にほだされながらも、作戦を終えてなお帰還しないユイアの身を案じていた。


 初夏の夜が次第に明け方へと向かう。遠い東の空がほのかに白み始めた。再び、南部戦線において激戦が始まることだろう。乱れることのない時計の音だけが、夜から朝へと時の移ろいを運んでいた。

Echoes after the Episode

 今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。今回のエピソードを通して、

・お目にとまったキャラクター、

・ご興味を引いた場面、

・そのほか今後へのご要望やご感想、

などなど、コメントでお寄せいただけましたら大変うれしく思います。これからも、愛で紡ぐ現代架空魔術目録シリーズをよろしくお願い申し上げます。

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