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全てを失ったのに私は裁判されるらしい!?

作者: 鷹のつめ

「エリシア・アルフィールだな? 国家資金の横領また奴隷の人身売買の罪状により、お前に裁判所への出頭命令が出されている。一緒に来てもらおうか」


 突然、私の家を訪れた銀の鎧を纏った者がそう告げる。

 最初、鎧の騎士が発した意味が理解ができなかった。


「はい……? 私が、ですか……?」


 鎧の男は「そうだ」と淡々と無機質な声色でそう応えた。

 寝耳に水——一瞬耳を疑った。

 私には全く身に覚えのない事案だったから。

 納得がいかず、私は罪状の詳細について尋ねようとした。


「——私に何故そのような容疑が掛けられているのでしょうか……?」


 しかし、返答はない。

 私から見ても鎧の男は不気味な存在でしかなかった。

 素顔は兜で覆い隠されていて見えず、相手の表情から感情が把握できない。

 機械的な立ち居振る舞いと無感動な口調。

 話をしていても微動だにせず、一回り大きな身体で私を見下ろし、射殺すような視線が送られる。


 正直怖かった。

 兜越しからでも分かる、その凍てつくような眼光に身体の震えは止まらない。


 ただこの人が本物の騎士であることは一目見て分かった。

 上級騎士クラスの赤を基調とした装飾。

 それは彼の剣を収める鞘に刻まれた、王家の紋章そのものだった。


 自分の中で騎士偽物説が否定され、どうにもならない焦燥感が脳内を支配して行く。


 ——嫌だ! 行きたくない。


 横領? 奴隷の人身売買? 

 私がそんな真似するわけない!

 しかし私には“私自身の行動”を証明する手段がない。

 裁判が始まれば、まず間違いなく罪が確定する。

 それが例え、無実で嘘偽りのものであったとしてもだ。

 しかしここで彼の言う出頭命令に背けば、その時点で私の処刑は確定してしまうことだろう。


 あっ、気の抜けたように察する——すでに私は詰んでいた。




 結末は変わらない。

 そうだとしても私は延命を選択。

 少しでも一縷の望みに賭け可能性を見出すべく、私は騎士の言い分を呑み同行することにした。


 あー、先が思いやられる。

 そういえば職場に一切報告できてない。

 今日も仕事だったのに、大丈夫かな?

 などと、自身の処遇についての問題を抱えているにも関わらず、先に思いつくのが仕事なあたり泣けてくる。

 もっと他にあるでしょ——家族とか恋人とか。

 いないので自分で言ってて悲しくなるけど。

 家族や恋人はいない。それでも私には友と呼べる存在はいた。



 それは私の仕事仲間であり元同僚——仕事の話題が出たので少しだけ話そう。

 私の仕事——それは。

 王都から南東部の地域を統べる貴族に雇われの第二秘書だった。

 だった、というのも今現在秘書は私一人で、第一秘書——マリア・ティンベルはひと月ほど前に辞めている。


 彼女は優秀だった。

 私と比べるのもおこがましいくらいに。

 そう思わされるほど、彼女は秘書としての仕事をそつなくこなし、敏腕っぷりを遺憾なく発揮。

 幾度となく”できる理想の女性“としてマリアに助力してもらっていた。


 彼女の性格も純真そのもので、自分より仕事ができていないからといって、他を見下すような傲慢さも持ち合わせてはない。

 誰に対しても分け隔てなく、場に陽気な雰囲気をもたらす、まるで女神のよう。

 周囲からも親しまれ愛された存在——それがマリア・ティンベルという人間。


 理由について深くは知らないが、噂では“結婚”と聞いていた。

 だから私は同じ秘書として助け合い、そして一番仲の良い親友として「おめでとう!」と一言だけでもお祝いしたかった。

 でもできなかった。言えなかったのだ。


「……マリア……どうしてる、かな……」


 めでたい話のはずなのに何故か彼女は浮かない顔で、とても話の詳細を尋ねる雰囲気ではなかった。

 それは職場最後の日まで。



「——エリシア——今までありがとっ! みんなもお世話になりましたっ!」


 花束を渡した私を含め、白銀の少女は皆に笑みを振る舞いた。

 彼女の笑顔は職場の皆を明るく照らし安堵させ、幸福が痛いほど伝わってくる。

 普段と変わりない様相、だが私にはそうは思えない。


 自分を作りいつもと違って、どこかぎこちない。

 いつも一緒にこうしていたからこそ、違和感を感じて——などと。

 私は嫌な女だ。彼女の本心を蔑ろにして、余計な勘繰りをしてしまっている。


 そう、これはダメだ。

 マリアは自分で選択したのだ。私の勝手な思い込みでとやかく言うことではない。

 そんなことは重々分かっている——だけど私の心のモヤ、胸のつっかかりは取れない。


 だから、かもしれない。

 そんな私の心配を彼女は察したのか、二人の時間を作ってくれた。


「——エリシア…… ごめんなさい。貴方一人にしてしまって…………」


 その場所は二人の思い出が詰まった私の部屋だった。

 二人でベッドの上に腰掛け、マリアは徐に謝罪の言葉を口にした。

 一心に私の瞳を見つめたまま。

 私は今後の仕事の負担について、謝罪されたのだと思った。


「——ううん、こっちのことは気にしないで。それよりもマリア、貴方の方が心配よ?」


 小さく首を振り、穏やかな微笑みを浮かべていた。

 ——「私は大丈夫」だと、言葉にせずとも仕草が物語っている。


 マリアは強かった。心身ともに。

 だが表には全く出さないが故に、どうしても私には無理をしているように見える。

 溢れんばかりの不安な気持ちを抑制し、頭の中を苛んでいるはずなのに、必死に我慢しているようにしか思えてならなかった。


 恐らく私は彼女の境遇に対し考え悩み、マリア以上に沈んだ表情をしていたのかな。

 そんな心配性な私の感情を察して、見兼ねたのかいつもの調子で彼女は寄り添ってくる。


「エリシア! 手を出してっ!」


「えっ? どう、して…………?」


「いいから! ほら早くっ!」


 突然マリアは私の片方の手を取って、包み込むようにしてギュッと握ってきた。

 指先は少し震えてて冷たい——しかしさすがと言うべき彼女の包容力、しばらく握られていくうちに私の心も温かなものへと変化していく。

 元気を与えなければならないのは私のはずなのに、逆にマリアに励まされてしまっていた。

 そしてそれとはまた別に。

 彼女がまるで宝物のように、大切に包んでいた私の手の中には何かの物体の感触を得ていた。


 ——何、でしょう……? 硬い……?


 私の手の平には小さくて丸みを帯びた硬い何かが収められている?


「マリア、これは……?」


「——肌身離さず大事にしてくれると嬉しいかなッ!」


「えっ! 何っ! どうしたの!?」


 刹那——何が起こったのか理解が追いつかなかったが、驚いたのと同時に私の上半身がピクッと跳ねた。


 本当に一瞬の出来事。

 マリアは握っていた手を離した途端、私の頬にキスをしていた。

 触覚から脳へと伝達され状況を察知した頃には、もうすでにあどけない笑みを浮かべる彼女の姿が目の前にあった。

 私は目を見開いて、キスをされた箇所に手を当てる。

 突然の出来事に驚きと動揺、鼓動が早く高鳴っているのを実感しているが。

 マリアは変わらず、いつも通りのらしさ全開で。


「おまけっ! じゃあねっエリシア! 貴方のこれからの幸福とご武運を願ってる——」


 最後にマリアは扉の前で小さく手を振り、笑みを浮かべながら私の部屋を去っていった。

 その光景は何というか、嵐のようだった。

 余計な心配をさせないように、マリアなりの別れの挨拶だったのだろう。

 結局、私自身は彼女の力になれなかった——その事だけは今も少し後悔している。


 もう彼女には会えないのかもしれない、だけど——

 マリアが私の幸福を願ったように、私もマリアの幸せを願い続けていた。


 彼女から頂いた宝物。

 青のどこまでも澄んで透き通り綺麗な輝きを放つ石? もしくは水晶?

 私は宝石や水晶の類には疎く、これがどういった物なのかは分からない。

 けれどもマリアが最後に手渡してくれた物には変わりない。

 片時も肌身離さず大切にする。

 その輝く石はペンダントにして、いつも衣服の内側に身につけていた。


 ——マリア……元気にしている……かな?



「——ここだ。入れ」


 開口一番、平坦な口調で鎧の男に入室を促される。

 久々に発せられた言葉——それほどまでに彼は無口な男だった。

 それは嫌疑をかけられている者に対しては、至極当然な事なのかもしれない。


 ここに来るまでの間、一切の会話はなく無言の重苦しい時間が続いていた。

 痺れを切らして私から何を聞くにしても返答はなく、これから不条理な裁判が行われるにしてもヒントの一つくらいは欲しいもの。

 私は彼に語り続けたが、返答は“無”であった。


 鎧の男に連れて来られて、私はある建物の中にいた。

 恐らく裁判所。もしくは裁判をするに相応しい場所。

 外観や内装の建築物の造りは、街並みのものとは明らかに違い高級感があった。


 閉ざされた大きな二つの扉——ひと二人分くらいの高さはありそう。

 私一人の力じゃ、押し開けるのも難しいかも。

 このまま扉が閉ざされたまま、裁判も始まらなければ良いのになどと、淡い期待秘めていたが。

 いとも簡単に鎧の男の腕力により、重そうな扉は軽々と開かれる。

 私の願望は見事なまでに、あっさりと打ち砕かれた。


 ——マリア、少しばかり……私に勇気をちょうだいっ。


 衣服の上から、胸に手を当てて念じた。

 私もマリアのように強く、そして屈しないように。

 指先からは石の硬い感触が伝わってくる。

 石に触れるだけで彼女がそばで見守ってくれているような、そんな気がしていた。

 ごくり、と固唾を飲み込んで、私は意を決し部屋の中へと入っていく。


 入廷するとすでに席に着いている者が複数名。

 皆一様に鎮座し、鋭い視線で睨みつけるようにこちらを向いていた。

 ちょっとだけ怖い。場の雰囲気に気圧されそうになるが、グッと堪えて鎧の男に案内される席へと歩み始める。


 そんな中、私の目に入る者が三名いた。

 一人はこの裁判を執り仕切る裁判長なのだろう。中央の壇上に座り、格好も他の者たちと違い一線を画している。

 おぉ〜、あれが法廷が荒れた時に”静粛に!“と皆に呼びかける時に使う通称——“カンカン”かぁ、私も鳴らしてみたい!


 二人目はすでに私たちとは別の場所のようにも感じる。

 正確には同じ空間にはいるものの、階層が異っており随分と高い位置の座席に座り陣取っている。

 複数の護衛のような人たちが周囲を警戒して囲っていた。

 たかが私一人の裁判に随分と厳重な警備をしているな。別に食ってかかったりなんかしないし。


 そして三人目。


「ガウス様……何故、こちらに……?」


「被告人。私語は慎むように」


「申し訳ございません。私の雇用主がいらっしゃったので、ついお声を上げてしまいました」


「よい、裁判長。エリシアよ——このような事になってしもうてワシは悲しい。是非ともお前の無実をこの目に焼きつけたいと思うて、わざわざやって来たまでだ」


 見覚えのあった雇い主と他愛もない会話をしつつ、鎧の男に案内された席へと座る。

 木で造られた横長のちょっと小さめの椅子だった。

 一人座る分には女の私なら多少余裕があるが、二人は到底不可能。

 だから私一人、そこに座らされるんだろうなって思っていたのだが、私が着座した途端何故か隣に鎧の男も座ってくる。

 ぎゅうぎゅうに詰められ、外側へと追いやられる私の身体は悲鳴を上げ。


「無理無理無理! ここに二人は座れない! 私、押し潰されちゃうよ!」


 ゴツい鎧に非弱な私の肉体が肘掛けへと押しつけられる。

 当たり前だが狭いし、痛い痛い!

 鎧の人も全然座れていないし、私も逃げたりしないからそこまで密着しなくても良くない!?

 ちょっとの間、鎧の男が強い意思の元奮闘するが。

 二人は無理だと判断したのか、私の席の後ろに立っていることにしたようだ。

 でもどこか不服そう。どうして?


 私が着席した事により、これでこの場には全員が揃ったようだ。


「それでは——エリシア・アルフィールの裁判を執り行う——まずエリシアは証言台に」


 いよいよ裁判が始まる目前。

 異様な雰囲気となり、場が沈黙と化す。

 歩みを進める私に対しての視線がより強まり、皆が一挙手一投足に注目している。

 私は裁判長の指示の下、証言台の前についた。


 証言台の前に立ったのを確認した後、手順の遂行を始める。


「——エリシア・アルフィール。貴方には国家資金の横領また奴隷の人身売買の嫌疑がかけられている。罪状については間違いないか?」


「間違い“しか”ありません!!!」


 裁判長からの問いに、私は勢いに任せて宣言した。

 否認するところは否認する。

 というより、肯定する要素が一つもないこと自体が問題なのだけれど。


「ふむ、ならば貴方自身が無実の罪を着せられている——その証明は可能か?」


「証明する手段はありません」


「ならばエリシア。貴方が犯人ということに——」


「——なりません。私はこの裁判そのものに異議を唱えたい。そもそも嫌疑が嫌疑たり得るものなのか? 私が捜査線に浮上したところから全て根本からの見直しを要求する」


 真っ向から否認する——いや、“否認するしかない“。

 突然、何の前触れもなく私はこの場に呼び出されたのだ。

 私には手札がない。

 罪状を否定したくとも、証拠がなく証明が不可能。


 この場では何を言っても分が悪い。

 ならば今私がやるべきこと、何を持ってしても今日一日で罪を確定させないよう必死に抵抗するのみだった。

 次の裁判までに何日か猶予があるはず、時間さえあれば無罪に向けての準備も可能。

 それにどこから私にこのような嫌疑がかけられてしまったのか、このままでは到底納得できない。


「情報の信憑性について異議を唱えたいとのことだが、それについては確固たる証拠が私の元に提出されています」


「——確固たる、証拠……そのようなものが、あるはず…………」


 裁判長は分厚い紙の束を壇上から見せつける。

 一瞬。

 あるはずのない証拠を見せつけられ、動揺する私を鼻で嗤ったような音がこの一室の中から聞こえたような気がした。


「ここには貴方が秘書になってからの決算の全てが詳細に記載されています。中身について確認したところ、所々収支の数値に差異が生じている。つまり貴族が受け取る国からの支援金はそのままに支出を減らしていたのです。聞くところによると決算については貴方が行っていた——そうですよね? エリシア・アルフィール」


「そ、それは……そうですが……」


「貴方が差額を懐に入れていたということでは?」


「——ち、違います!」


 お、おかしい。

 確かに私は決算の担当はしていたが。

 全て正しい数値を報告して、雇用主に提出していたはず——なのに、どうしてっ!


「——裁判長。私はまだ聞いておりません。その証拠とやらを提出した者の名を」


「そうでしたね。証拠を提出したのはそこにおられる——ガウス・ガルザード卿だ」


 その名を告げられた瞬間。

 感情が逆撫でされ、私は何とか抑制するもガウスの方を睨みつけるように見やった。

 部屋に入室した時、すでに予感はしていた。

 嫌疑が横領、室内には雇い主であるガウス。

 そしてこの部屋に入室する時、私の姿を見た一瞬下卑た嗤いを浮かべていたような気がしていた。


「やはり、そうですか。ガウス殿、あなたが……」


「エリシア。貴様のこれまで行った不正を暴くため、その証人として私はこの場に呼ばれたのだ」


 強気な姿勢を崩さず、堂々と善人を気取るガウス。

 不敵に嗤い、まるで演劇を見るかのように楽しんでいた。


 同時に私は確信を得る——この貴族は敵だと。

 私の不正——否。

 貴方の不正を私に擦りつける、これが目的か。

 初めから取り柄のない私を秘書として雇ったのも合点が入った。


「ガウス殿。貴方の目的は私に不正を擦りつける為にわざと……」


「人聞きの悪いことを言うな。エリシア——全てはお前が勝手に行ったことよ」


「では、人身売買の件はいかがですか? そもそも奴隷制度についてはこの国においてすでに廃止されておりますが? ガウス殿が承知をしない私に罪を着せること自体、貴方が裏で手引きしていたという裏付けではないのですか?」


 最低限の抵抗。

 推察しかできない私にしてみれば、発言に割と的は射ているはず——ただ証拠はない。

 だから誰かしらでも良い、この状況を疑問を呈する者が現れてくれれば。

 味方についてくれれば猶予を得られた後、私の無実を証明してみせる。


「フフッ……! ハッハッハッハ!!! 必死だなぁエリシア! 貴様は分かっておらぬなぁ〜、お前の指摘、議論に意味はない! 全てはお前がやった事に過ぎんのだ!」


 ガウスは今が裁判の最中だということも忘れ、声高々に狂ったように嗤っていた。

 何だその物言いは。

 議論に意味はない、だと。

 まるで何をしたところで、全て決まっているみたいな。


 ——ま、まさか……


「——な、ん……で……」


 室内の一面を見渡す。

 傍聴していた者、そして裁判長ですらも醜悪な目の色で私を嗤っていた。


 最早、無実を証明できるか否かが罪の所在の論点ではない。

 彼らは全て、すでにガウスに買収されている。

 淡い期待に過ぎなかった。

 この場には私の味方になってくれる者など、初めから存在しない。

 何が起こったとしても、ガウスの都合の良い方向へと筋書きが出来上がっており仕組まれたものだった。


「——ガウス、殿…………あなたという人は……」


「ようやっと、気づきおったか。お前の茶番楽しませてもらったぞ?」


 茶番はどっちだよ。

 この裁判そのものがとんだ茶番劇だ。

 どうすればいい、この状況を打開できるだけの策が今の私にあるのか。

 ダメだ。思い至らない。

 私がここに連れてこられた時点で、相当分の悪い戦いになるのは決定的であり覚悟していた。

 真っ向からやり合う力はそもそも持ち合わせてはいない。

 勝敗はすでに決していた——はなから逃げ道は無かった。



「——お? おおっと! これはこれは! まさしく絶景かな!」


 あ、あれ。

 張り詰めていた緊張の糸が途切れ、私は思わず涙していた。

 胸が締め付けられるほど痛み、その場に立っていられなくなるほどで。

 私は悔しいと、そう痛感させられていた。


 何が悔しいって、この裁判の結末なんかじゃない。

 この男に仕えていたこと自体が恥ずるべきであり。

 私の見る目が無かった、という非情な現実。

 そう思うと自然と涙が溢れて、感情の波が抑えきれなくなっていた。


「——ハッハッハ! やはりお前は見込み通りの女だ! エリシアよ。この呆気ない幕切れの前に、お前に一つ良い事を教えてやろう」


 涙する姿を見たガウスはさらなる愉悦を求めて、私の心をズタズタに引き裂こうと躍起になる。

 思惑通りの展開となって、彼は至極ご満悦だった。

 何を今更、ガウスに言われようとも私には響かない。

 すでに私はもう——


「お前の大好きな友であるマリアは——ワシが貰った」


「——ま、マリ、ア…………?」


「なぁに、お前よりも完成が近かったマリアは一足先にワシが手をつけておいた」


 ま、マリア……が。

 そんなの嘘だ。嘘に決まっている。

 マリアがこんな奴に屈するなんてありえない!

 私の知っている彼女なら——絶対に。


「信じられないといった顔つきだな、だがこれが事実だ。幾度となく彼女を喰らい堪能しておる。彼奴(あやつ)の嗚咽に苦しみ助けを乞い、咽び泣き続ける姿は、とてもイイものであったぞ!」


「——違うッ!!!」


 悍ましい男の声そのものを、遮断するつもりで全力で否定した。

 彼女の顔、表情、仕草、日々の思い出、マリアと過ごした様々な記憶が脳裏を過ぎる。

 必死に否定の言葉を叫ぶが、理解が追いつかなかった。

 次第に視界が遠のいていき、意識が朦朧とする。

 頭ではガウスの話を否定したいのに、もしかしたらと考えてしまっている自分がいた。

 脳内をぐるぐると私の知っているマリアと、ガウスの言うマリアがせめぎ合って正常な判断が鈍り始めている。


 それでも話の真偽関係なく、確実に言い切れることも分かった。

 マリアが最後の日まで、元気がないように思えたのも全ての元凶はガウス。

 コイツのせいでマリアは苦しめられていた!


「貴方がっ! マリアを……酷い目に……!」


「——人聞きの悪いことを。マリアならこの場にいるではないか? のう、マリアよ」


「マリアがいる、だなんて…………よくもまあいけしゃあしゃあと、どこまで私をおちょくれば気が済むんだぁ!!!」


 冷静さを失い、ガウスに対しての怒りの沸点はとうに超えていた。

 私はともかくマリアまで————許せないっ!

 憎むべき存在、忌むべき存在。

 ガウスは私が怒り狂う姿を見て、今もなお「おぉ〜! 怖い怖い!」と、ヘラヘラしながらこの状況を楽しんでいる。

 激情に駆られそうになり、私はもう我慢の限界を迎えていた。

 しかし。


 どこからか「はい」と——

 ガウスの呼びかけに小さく、淡々とした声で返事が聞こえた。


「——えっ…………」


 声が聞こえたのと同時に、咄嗟に室内全体を見渡し始める。

 猛っていた精神は一気に鎮静化され、私は平静さを取り戻していた。


 ——マリアがここに、いるの……?


 室内にマリアの姿はどこにもない。

 それもそうだ。初めからこの場に女性は存在していなかった。

 なら、どうして声が?


「こちらですよ」


 再び同様の声を私は耳にする。

 今度ははっきりと聞いた。どこからの発声かも分かった。

 しかし——なんで? 


「なんで……鎧の人から、聞こえて、くるの…………?」


 私の後ろにずっといた鎧の人——いや、初めからだ。私の家にやって来た時からずっと一緒にいたんだ。

 鎧の人は自ら兜に手をかけて、ゆっくりと取り外す。

 男だとばかりに思っていたがその面影は一切なく、素顔を見た私は驚きを禁じ得なかった。


「お久しぶりですね、エリシア。でもごめんなさい——今はガウス様の味方なの」


 私の方を向いて挨拶をするその姿は紛れもなく、マリア・ティンベルそのものだった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ついにだ——ついに!

 ワシの長年の念願が叶う時が来たのだ。

 夢にまで見た光景が、今なお繰り広げている。

 この裁判が死地である事を知った時のエリシアのあの表情——たまらなく美味である!


 ——ええのぅ〜! ええのぅ〜! エリシアはやっぱええのぉ〜う〜!!!


 これから起こるショータイムに権力者は胸を高鳴らせる。

 マリアの名を出した途端、彼女は我を忘れ猛り狂っていた。

 普段はお目にかかれない、エリシアの逆上も新鮮味があって良い。


 エリシアの全身を隅々を舐めますように見やる。

 ワシは確信していた。幼少の頃からな。

 ずっと目をつけていたのだ——こやつは育てば必ずおいしく実ると。

 もう少しだ。もう少しでワシの求める理想の女へと完成する。


 その過程でマリアが手に入ったのは思いがけない嬉しい誤算。


 アレも、まだまだ味わい深くなるぞ?

 煌びやかに燦然と輝き、思わず魅入られるほどに美しい肩先までの銀色の髪。

 目鼻立ちの整った端正な顔立ちに、成熟した肉体に加え、凛とした騎士にも劣らぬ清い心をワシの色に穢す。

 ワシが育てつつ、じっくりと堪能している最中だ。


 これだから女遊びというものはやめられん!


 徐々に見初められて行く、女子の姿はまさに絶景。


 貴族の特権は私欲のために使えるだけ使う。

 この裁判長もガウス・ガルザードが買収し、ワシの意のままに行動する。

 観客も皆同じだ。口裏合わせはすでに完了済み。

 この劇場——もといこの裁判では、彼女の勝ち目は万に一つもありえない。

 すでに勝ちを確信し、ニヤけが止まらない。


 エリシアは秘書として雇われた理由を“全ての罪を秘書である私自身に被せるため“と考えているのだろうが、それはあくまでオマケに過ぎん。

 罪に着せるのは単なる理由づけ。

 ワシの真なる目的はエリシアを“完全な所有物”とする、ただこの一点のみだ。


 彼女も元は伯爵家令嬢の一人だった。

 だが現在エリシアに両親はいない。公爵であるワシが殺した。

 正確にはワシの部下だがな。貴族の権力をフルに活用して奴の両親を破滅へと導いた。

 今回のエリシアと同様に、冤罪にかけ始末。


 だからワシは独り身となったエリシアをすぐさま引き取った。

 彼女に教育を施し、秘書としてワシの懐に置いてから、これまで手出しをせず美味しく実るのを待ち焦がれた。

 全ては他を魅了するほどの美しさを、エリシアが兼ね備えていたのが悪いのだ。



 此度は違うぞ?

 エリシアの両親のように、見捨てたりはしない。

 ワシは公爵の中でも、とびっきり優しいと有名なガウス様だ。

 極刑を科せられた彼女を、権力を使って救い出して見せよう。

 なぁに、ヴァルトリア王国の公爵であるワシならば容易いことよ。


 さすれば——

 内なる黒い欲情が溢れんばかりに、狂気の笑みを浮かべる。

 恩を売られたエリシアは、最早ワシに何を言われようが逆らえん。

 絶対服従の傀儡女の完成だ。

 他を魅了する愛らしくも麗しい花と、凛とし可憐に咲き誇る一輪の花。

 ワシは二つの花を同時に手に入れる!


 ——欲しい、欲しい…………欲しいッ!!!


 エリシアを思うたび、ワシの欲求は臨界点に達する。

 何年待っていたことか。

 何年待たされていたことか。


 落ち着け、もうまもなくだ。

 エリシアとマリア、ワシが育てた二人を同時に喰らうのはな。


 さあ、最後の締めと行こうかの。

 光の失われたエリシア。絶望と失意に満ちた(まなこ)は一体どんなものか、想像するだけで涎が出そうになるほどそそられる。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「裁判長。これ以上は時間の無駄だ。早く判決を下すべきではないか?」


「——ええ、そのようですね」


 遠くの席から依然として行く末を見届けていた、ガウス・ガルザードは裁判長に刑の確定を求めていた。

 裁判長も裁判長らしからぬ顔でニンマリと、ガウスと視線が交錯する。


 彼にとってしてみれば、長々と裁判を続ける理由はない。

 そもそも形のみで、裁判として成り立たせる気もないのだろう。

 極端な話、参加をさせるだけさせといて、有無を言わさず「はい君、死刑ね」みたいな展開だってやろうと思えばできたはず。

 性格の悪そうな、あの貴族のことだ。じっくりと様子を伺いながら楽しんでいたに違いない。

 さっさと私に罪を着せて、自身の身の安全を保証されたいと思うのはガウスとしては当然の思考。


 私——エリシア・アルフィールの罪を巡る裁判は終幕を迎えていた。


 これも私の運命という名のさだめ、か。

 両親も私が幼い頃に亡くなり、唯一と言って良い友も失い、最後もまた私一人。

 納得は到底いかない。受け入れる気も毛頭ない。

 だが私は負けたのだ。用意周到に準備してきたガウスの前に私は無力だった。


「——マリア…………」


 貴方がどのような境遇に身を置き、何故あいつの肩を持っているのか大方の想像はつく。

 私も似たような状況を今現在、味合わされてる身だから。

 例え対立したとしても、これまでの思い出が色褪せるものじゃない。

 もう会えないと思っていたけど、私は最後にマリアの顔を見られて嬉しかった。

 だからこれを——貴方に。


「——では判決を下す。被告人——エリシア・アルフィールを!」


「——お待ちくださいっ!」


 突如、淀んだ場内の空気を澄んだ声色が切り裂いた。


 周囲にいる皆一同がどよめき始め、声の主の方へと視線を向けた。

 誰もがこの裁判に終止符が打たれる。

 この一件はエリシア・アルフィールに全ての罪が確定し、無事閉幕を迎える。

 私以外の誰もがこのシナリオに疑念なく、遂行させることに重きを置いて臨んでいたはず。


 なのに——なんで?

 どうして貴方(マリア)は私の前に立っているの?

 私は自身の衣服の中へと、突っ込んでいた左手をそのまま硬直。

 目を丸くさせ、呆然と状況を眺めていた。



 彼にとっての終幕(ハッピーエンド)を迎えるはずだったこの劇場に、水を差されガウスは激昂した。


「いきなり何を言い出すんだマリア! この裁判はもう終わったのだ! 意味なく口を挟むのはこのワシが許さんぞ!」


「意味ならあります。私なら”彼女の罪“を完全に証明できる。だから判決の前に私の話を聞いて欲しい。絶対的な証拠があればあなたたちにとっても、理不尽な判決で罪悪感に苛まれなくて済むでしょう?」


 証明……?

 何を言っているの? 私が罪を犯した証明を今更して何になるんだ?

 すでに極刑宣告は決まっているというのに。

 この裁判は形式的なものだけで中身がない。犯罪をやっていようがいまいが、私に罪を着せるだけの裁判。

 私の反論は何一つ聞かず、証拠が無いと断罪。

 そうでしょ? ガウスも裁判長もみんなグル。それに——マリアも…………。


 私はマリアのことが好きだった。

 彼女がいなくなった後も、余計なお世話だったけど心配で気がかりだった。

 人として友人として、言いようのない虚しさに支配される。

 どうしてなの? 貴方はあの時なんで私にあんな表情を。


「私はガウス様の一騎士として、清廉潔白な結末を望んでいるだけです。それともガウス様にはこのまま裁判を続けられると問題があるのでしょうか?」


「何が騎士だ! たかだかそれらしい格好をさせているに過ぎんお前が、似合わん行いをしよって! まあ良かろう、余興を続けたいのであれば止めはしない。ただ意に背けばお前もどうなるかは知らんがの」


 ガウスは無作法に貴族らしからぬ大きな音を立てて、不機嫌そうに再び席に着いた。



 場内は再度落ち着きを取り戻したところで、マリアが私の前まで歩み寄る。


「さてと、エリシアはなぜ罪を犯したのかしら?」


「私は何もしていないし、何でこの場に呼ばれているのかも分かっていない!」


 平然と何食わぬ顔で追求する彼女に、怒気を孕んだ声色で私は訴えた。

 マリアなら理解してくれるはず、そう信じていたけど。

 しかしガウスの手前、一歩も引き下がらず。


「いいや、貴方は立派に罪を犯している! どうしようもないくらい! すっごい重罪だっ!」


 マリアは鋭い眼光で私を攻め立てる。

 心は何度も抉られ、グサグサと刺し続けていた。

 誰でもない彼女から発せられる罵声の言葉に、私は胸が張り裂けそうになる。


 ——なんで……? どうしてなの……?


 友に見捨てられた、その事実は立場的に理解していたとしても、私の精神には少なからず衝撃があった。

 徐々に気が遠くなり、悲壮感にも苛まれる。


 それでも——

 相対する存在になったとしても、恐らくマリアも私と同じ境遇に身を堕とし、ガウスの言いなりになっている被害者。

 私が耐える事で、彼女の苦しみが少しでも晴れるのであれば。

 今の私には——それくらいしか…………。


「でもね、エリシア。証拠がどこにあるのか、私は知っているの」


 私の両肩を掴んで、深刻そうな面持ちで私の目を一心に見つめる。

 それはまるで、全て知っているかのような口ぶりだった。

 全てを見通されるような無垢な瞳を向けられ、ついうっかりと証拠について認めてしまいそうになるがやっぱり無いものはない。


「な、ないよ、そんなものは。私の全身隅々まで見渡しても絶対にね。だってなんにもしてないしっ!」


 彼女の瞳に当てられそうになって、そっぽを向いた。

 ——その瞬間。


「じゃあ、遠慮なく——私が出してあげるからっ!」


「——え、えええっ、ちょっとっ! どこ触ってっ!? い、いやっ!」


 突如、マリアが私の衣服の中に手を突っ込んで(まさぐ)り始めた。


 ——く、くすぐったいっ!


 周囲(おとこども)がざわめき始める。

 ストリップショーでも始まるのかと、食い入るような目線を送られた。

 お忘れだろうが今は裁判の場だぞ、己らは! 早く止めないかっ!

 予期せぬ事態に皆がこちらを注視するが、ガウスも身を乗り出して息を「ハァハァ!」と荒げながら状況を見つめている——この変態親父目っ!


「——おっ? これかな?」


 疑念を抱きながらも、次第に何かを見つけたようでマリアは目を輝かす。

 ポロンと、「これだっ!」と言い、私の衣服から曝け出した。


 私は咄嗟に自身の身体を覆い隠すように、その場で塞ぎ込む。

 やっぱりマリアはもう私の知っているマリアじゃないんだ。

 こんなこと一回もされたことないのに——これもアイツのせいだ!

 ギリッ——と、ガウスを睨みつける。


「ワ、ワシは……何も吹き込んではおらんぞ!」


 一瞬、怖気づいたような目をして彼は狼狽えていた。

 ガウスの趣味がマリアにもうつってしまったと考えるとやるせない。

 私は乱れた服装を元通りにして——って、


「——あ、あれ?」


 別に乱れてなどいなかった。

 羞恥とくすぐり地獄の目には遭わされたけど——何だったんだ?

 隈なく全身を見渡したが結果分からず、首を傾げていると。


「嬉しいわ! エリシアっ! 肌身離さずずっと持っていてくれたのねっ?」


「えっ? な、何がっ?」


 不意にマリアが私の死角から目の前に現れた。

 その上これまでの感情を失った声色とは異なって、嬉々とした声を上げるもんだから私もビクッと驚いてしまった。


「それよ、そーれっ! みんなにもよく見せてあげてくれない?」


「えっ? うん……良いけど…………」


 マリアは先ほどのじゃれ合いの中で、衣服の外に出されていた首飾りを指差す。


 ——これのどこが証拠なんだろう?


 私は疑問を抱きつつ首飾りを外して、紐の部分を持ち皆に見えるようにかざした。

 室内の明かりに照らされ、青く透き通った輝きを放っている。

 だけど、少し違和感があった。

 ただ光り輝いているだけではない。青い石を起点に光源の反対側には模様のようなものが、壁伝いに浮かび上がっている。

 なんだろうこれ? こんな仕掛けがあったんだ、と呆けていると。


「「「うおぉおおおおおお!!!」」」


 急に場内がどよめきに支配された。

 周囲を見渡すと室内の全員が椅子から跳び上がり、呆然と石から映し出された模様を見つめている。

 裁判長なんか、腰が砕けてしまって立てなくなってしまっていた。

 その光景をまざまざと見せつけられた私も目をぱちくりさせていて。


「ば、バカなッ! あ、あ、ありえない! 何故こんな小娘が王家の紋章の入った輝石を!!!」


 どよめき後の沈黙。

 静寂に包まれた中、最初に声を荒げたのはガウスだった。


「そうですガウス様。エリシアは王家の紋章を宿した青の輝石を所有している。ガウス様ほどのお方ならこの意味がお分かりですよね?」


 ——青の輝石って確か。


 私も過去、王家の紋章については耳にしたことがあった。

 母上が私を寝かしつけてくれる時、おとぎ話の一節で出てきていたような。


 いや、思い出せない。なんせ幼少期の何十年も前の話だ。

 母上との光景は朧げながらに覚えていても、お話そのものは記憶の中からは消えていた。


「青の輝石を持つエリシアはすでに王家に見初められた存在。すなわち求婚の証というわけです」


 へぇ〜、そうなんだぁ〜。

 マリアから貰った時も、とても綺麗な石で大切にしようと片時も外さず身につけていたけど。

 そんな重要な物だとは考えが及ばなかったから。そもそも私には縁遠い代物だし。

 ——って、え?



「えぇええええ!!!」


「——おっ、ようやく気づいた?」


 ウィンクしながら私を見て微笑むマリア。


「バカな! そんな話あるわけがっ! 第一エリシアに輝石を渡したのは一体誰だというのだ!」


「——それは…………」


 輝石を持っていた私の視線の先に、場内の人間皆が注目する。

 だが私が見ている人物を知った途端、彼らの中で再び動揺が走った。


「ガウス様。エリシアに輝石を授けたのは私です」


 主人であるはずのガウスに向けて堂々と宣言。

 それは同時に彼女が王族宣言をしたという裏返しだった。


 周囲のガウスの手先たちは「ふざけるなっ!」と一蹴した。

 適当なことを抜かす小娘に、当然ガウスも同じく憤慨する。


「仮にだマリアよ。お前が本当に輝石を渡していたとしても、王家の血筋までも有しているわけでは無い! 輝石の受け渡しは王位継承権を持つ男のみのはずだ。さすればそれが本物かどうかも疑わしい。それにお前は女だ。価値も効力も無いとワシは考えるが?」


 ガウスの話が本当なら、私も彼の指摘は最ものように聞こえる。

 でも渡されたのは本当にマリアからだし——それに彼女は本当に王族なの?

 マリアっていう名の王族、私は聞いたことない。


 それに彼女はどう見たって女の子。

 私も女だし——なんかもう色々と想像が広がって行く。

 頭を悩ませていると、徐に彼女が両手で私の顔を包み込む。

 至近距離でマリアの顔が私の目の前に、釘付けにされてしまっていた。


「ずっと心配してたんだよ? あなたのそばを離れることが決まってから、ずっと気が気じゃなかった。あいつに何かされるんじゃないかって考えるだけで、私は夜も眠れずに……」


 哀愁漂う彼女の表情に嘘偽りは微塵も感じられない。

 マリアも私と同じく、ずっと気にかけていてくれていたのだ。

 彼女の言葉は私の心をあったかい気持ちにさせてくれる。とても嬉しかったのだ。

 でもこれ以上は彼女の立場的にも危うくなる。

 取り返しがつかなくなる前に、マリアの暴走を止めようとするが私は異変に気づいた。


「——エリシアに触れて良いのは私だけだ。エリシアを愛でて良いのも私だけだ。エリシアに甘えられるのも私だけだ」


「——ま、マリア……?」


「汚れた手で彼女の身体に触れるなどと万死に値する。ましてや罪を着せるなどと言語道断ッ! 許すまじ、絶対に許すまじ!」


 マリアは呪いの呪文でも唱えるが如く、ぶつぶつと小言を口にしていた。

 ちょっとずつだけど、黒い何かが出始めているような。

 私から手を離して、状況を見下ろすガウスの方へとマリアは向き直る。


「貴方には失望しましたガルザード卿。公爵の地位を有していながら、未だに気づかれないとは」


「フン、お前がワシの邪魔立てをしたいのはよく分かった。この裁判が終わった後は覚悟してお——」


 ガウスは憤りを露わにするが、彼の怒りはまだ可愛いものだと痛感させれる。

 私は知らない。物静かであっても、あそこまで殺気立ったマリアを見るのは初めてだった。



「王家の瞳は人々を魅了する。ヴァルトリア王国の一族は幻惑魔法を得意とする一族」



 足先から徐々に上半身に向いて、煙のように姿形が変化する。

 声にもならない音を上げて、信じられないとばかりに動揺する者もいたが。

 少なくとも私には神秘的な現象に思えた。


 ——マリアって、本当に……


「お、お、マリアス王子ぃ殿下ぁ〜!?」


 我慢ならないとばかりに、その姿を見た観客の一人が声を荒げた。


「王子殿下だと? 何を言っておる。そやつはワシの秘書の——なッ!?」


「そうです。秘書として貴方に仕えていました。ですが——」


 剣を鞘ごと掲げ、隠していた紋章を皆に晒した。

 領主がマリアを見る目も驚きと焦燥の色に変わっていく。


「マリア・ティンベルは仮の姿。又の名をヴァルトリア王国第一王子——マリアス・ヴァルトリア。お久しゅうございます、ガウス・ガルザード殿。この姿では実に十年ぶりであるか?」


 銀髪の美しくも気高き少女は、凛々しく端正な顔立ちの少年へと変貌を遂げた。


「な、に…………マリアは……」


「貴方が見ていたマリアという女は初めから存在しない」


 マリア、いやマリアス王子からの現実味のない、しかし眼前で見せつけられ紛れもない事実を突きつけられて場内は騒然とした。

 一瞬、ガウスも理解が追いつかない様子で固まっているように私には見えたけど。


「これはこれは! マリアス王子。お久しぶりでございます! しばらく見ないうちに大きくなられて、貴方様の成長を嬉しく思っております! では私はこれで——」


 異常なまでの変わり身の早さだった。

 これが激しい貴族の権力争いの中で生き残った者の技術というやつか。


「まあ、待て。貴公の始めた裁判がまだ途中ではないか」


「——滅相もございませぬ。裁判はたった今閉廷を……」


「裁判長はまだ何も言ってはおらぬぞ? それに勝手に閉廷とはどういうことだ? 貴公はこのエリシアに泥を塗られた身であろう? ここで引き下がってはガルザード家の名が廃るのではないか?」


「——い、いえ……これは何かの間違いであったのでして…………」


「間違い? 間違いでこれほど事を大きくし、エリシアの名誉に傷をつけた。そういう話で相違ないか、ガウス殿?」


「——そ、それは…………」


 煮え切らない態度でガウスは言葉に詰まった。


「この際、白黒つけたらどうだ? 国王陛下の御前だぞ?」


「へ、陛下がっ! この場に! い、いつからっ!」


 国王陛下の存在をチラつかされた途端、恐怖に身を震わせ狼狽えながら、その存在を確認するように周りを見渡し始める。

 階層の違う上段の席を陣取っていたお方。

 護衛に囲まれており姿はよく見えていなかったが、その御身が白日の元に晒された。

 白髪で逞しいまでの伸び上がった髭が特徴的な御仁。

 いかにも王様という風貌をしていた。


「マリアスにどうしてもと頼まれてな、婚姻の儀と聞いていたのだが。何やら面白いショーを見せてもらったぞ? ガウスよ」


「私は知らないッ! 何も知らないッ! 何かの陰謀で…………ひぃっ……!」


「マリアスの言う通り、ここで白黒させようではないか。それがガウス——お前の為にもなるであろう。事実確認をハッキリとさせるまでは、お前を帰す気はないから覚悟するんだな」


 荒鷲のような鋭き眼光でガウスを射抜く。

 国王陛下の威圧感の前に、すっかり縮み上がってしまったようだ。


 以降も「私は知らない!」の一点張りのガウスであったが、国王陛下とマリアス様の追及は留まることを知らず。

 次第にすっかりおとなしくなってしまい、一言も喋ることなく終焉を迎えるのであった。





 後日。

 私にかけられていた二つの嫌疑。

 国の調査により無事に晴れて、私は無実であると証明された。


 後に聞いた話だがガウスが罪をなすりつけ、私を所有物にする計画は王家の後ろ盾を得ていたことにより頓挫。

 中々に気味の悪い話、考えるだけでも悍ましい話だが。


 最初からガウスには完璧なアリバイなど必要ない。

 だって、どんなに核心を突かれたとしても、(エリシア)の罪として強引に押し通す。

 これはそういう裁判。だから裁判長も買収した——そのはずだったが。


 私一人であればどうとでも事実を捻じ曲げるのは容易かったのだろうが、背後に王族がいたのが彼の誤算だった。


 ガウスは私に着せていた二つの罪と、すでに王家に見初められていたエリシア・アルフィールを貶めた国家反逆罪の計三つの罪状によって、爵位は剥奪となり地下牢に幽閉にされていた。彼に買収されていた人たちも同様の罪に問われている。



 そして私はというと。

 雇い主であったガウス・ガルザードは牢獄行きとなり、職を失った私は自室の後片付けに追われていた。

 そこにはなぜか。


「エリシアあらかた終わりましたよ!」


 第一王子であるマリア、もといマリアスの姿が。

 もちろん私から手伝いを頼んだわけではない。一国の王子にこのようなことをさせてはバチが当たると主張したのだけれど。

 部屋で過ごした時間を再び共有したいと言い張った。


 強情なところは昔と変わらないな。

 私も薄っすらだけど、幼い頃の記憶を思い出した。

 まだ両親が健在で私はその時に、王宮に招かれてマリアス様とは親交があったのだけど。


 当時のマリアス様の印象を一言で言うと、暗い。

 子供とは思えないほど大人びて達観した思考をお持ちの方だった。

 その反面、見えない重圧がのしかかっていたのだろう。

 第一王子の責務に振り回され、表情は徐々に失われていった。


 そんな時だった、彼と出会ったのは。

 沈んだ表情の彼の姿にいても立ってもいられず、色々と遊びに連れ回した。

 時には危ないこともしたりと、傍若無人に振り回し続けたんだけど。

 子供だったとはいえ、あの時の私相当やばかったんじゃ、と今となっては想像するだけで身震いする。


 まさかマリアがあのマリアス様だとは微塵も思わなかったけど。



「ベッドの上ですが、マリアス様はお座りになられますか?」


 休憩も兼ねて、マリアス様をこのような場所に座らせるなど大変心苦しいのだが、私だけ座るわけにも行かないので尋ねてみる。


「話しにくそうですね——やはりエリシアはこっちかなっ!」


 マリアス様は幻惑魔法を使ってマリアの姿となり、ちょこんと座る。

 そして、隣に座るようにとベッドをポンポンと、複数回叩いた。

 余所余所しい仕草が垣間見えていたのか、気を使わせてしまったようだ。


 でもやっぱりマリアの姿の方が馴染み深いかな。とても安心感が違う。

 マリアス様も他人行儀な私がしっくり来ないから、マリアになったんだと思うしぃ!

 もう、無礼講だよね。

 気を使わせてしまったそのお詫びに、此度の礼といつぞやのお返しを兼ねてマリアに攻撃。


「マリア! 助けてくれてありがとっ!」


 隣に座ると見せかけて、不意にマリアの頰にキスをした。


「や、やっぱりエリシアは罪だっ! 昔っからそうだ! やはりエリシアは狂おしいほど可愛くて愛らしい! 罪だ! 罪!」


 罪だと主張するマリアも新鮮味があって良い。

 反応は私の時と同じだった。

 急な攻めに驚いたようで、された箇所に手を触れゆっくりと私を見つめ直す。

 視線が交錯するのを私はしたり顔の後、満面の笑みで出迎えた。




 全てを魅了する王家の瞳。

 私は今もマリアスの幻惑に、囚われているのかもしれない。

 けれど姿形は関係ない。

 友であれ婚約者であれ、マリアであろうがマリアスであろうが。


 全てを失った者が、唯一許されたこと。

 この幸せな時間がずっと続いて欲しい、それがたった一つの私の願いであった。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

6/16追記 誤字脱字報告助かりました! ありがとうございます!

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