第29話 最悪の後悔
ちょっと厳しい表現が出てきます。ご注意ください。
僕は左手に持っていた長柄の刀である長巻を両手で握り直し、最上段に構える。そしてそのまま正面のナーガに向かって、静かに歩き出した。全身力まず、膝を柔らかく、重心を前に、そして自然体。時間を掛けるつもりも余裕もない。さあ、かかってこい。
あくまで自然体のまま、殺気も出さずに、ただナーガへ近付く。ナーガの武器は当然、3mはあるヘビの形をした両腕だ。鬼神ボディの太ももより太いそのヘビは、第4世代のエーテルボディを噛みつけば引き千切るし、飲み込めば溶かすし、巻き付けば砕いてくる。さらに牙から毒も出してくる。その両手の、長くて早くて厄介極まりないヘビを、まず最初に仕留める。
僕にとってナーガとの距離はまだ遠い。しかし長い蛇の手を持つナーガにとっては、あと数歩で射程距離になるだろう。両手で長巻を持って上段に構えた状態なので、僕の胴体はがら空きだ。そして狙い通り、バネのように縮んでいたナーガの両手が、2匹同時に槍のように伸びて、僕の胴体を噛み付こうと飛びかかってきた。
惑星ミヌエトに墜落した宇宙船内で、メデューサさんに同じヘビ攻撃を受けたとき、一世代前の鬼人ボディだった僕は、その腕のヘビにスピードもパワーもまったく敵わなかった。僕はヘビの攻撃をいったん喰らってから反撃する方法しかできなかった。
ナーガの両腕のヘビも、やはり同じように速い。でも鬼神ボディの反応がよくなったのか、メデューサさんよりナーガの方が多少なりとも能力が低いのか、もしくは両方なのか、ナーガのヘビ攻撃はそれほど脅威に感じなかった。さらに初見や不意打ちならともかく、初めからその攻撃が来ると分かっていれば怖くない。なにより今纏っている鬼神なら問題ない、とすら感じてしまった。
僕はヘビの突進に合わせて長巻を振り下ろし、まずナーガの左手というか左ヘビの頭部付け根を斬り飛ばした。そこがヘビの弱点である事は前から承知しているが、狙った通りに鬼神の体が動いた。そして長巻が地面にぶつかる直前に全身を捻ってその勢いを止め、手首を捻って刃を上に向けて振り上げる。鬼人時代からの得意技である秘剣燕返しだ。
その時にはナーガの右ヘビに左肩を噛み付かれていたが、構わず燕返しで右ヘビの胴体を斬り上げた。首元と違ってヘビの胴体は強靭だったためか、残念ながらそれを両断するまでは出来なかったが、長巻の刃はヘビの胴半ばまで喰い込んだ。この燕返しの一撃によって肩に喰い込もうとしていたヘビの牙が僕の肩から抜け、噛みつき先を失ったヘビは宙に弾かれた。鬼神ボディの表層は思った以上に頑強で、ヘビの牙を奥まで食い込ませていなかったのも大きい。僕は右ヘビの胴体から抜けなくなった長巻から手を離すと、腰の後ろに備えていた刀を抜き取る。そして獲物である僕の姿を見失っていたヘビに向かって飛翔し、先ほどと同様に右ヘビの頭を斬り落とした。
鬼人ボディより機敏で強力な鬼神ボディは、この攻防で僕が描いた通りにナーガの両腕をほぼ完封することができた。しかし頭部が無くなっても、残ったヘビの胴体で締め付ける事は出来るはず。ナーガもそう思ったらしく、こちらに突進しながら腕のヘビを僕に巻き付けてきた。僕は右腕だけナーガに向けて突き出してヘビに束縛されないようにした上で、頭部を失ったヘビを体に巻き付かせた。南米の大蛇はワニを締め付け殺すらしいし、ナーガの両腕も頭部を失ってもなお相当な力が感じられる。両腕のヘビを僕の体に巻き付かせた事で、ナーガの目が一瞬だけ得意げに輝いたように見えた。でも残念、僕は右手に仕込まれた必殺のブロウガンを作動させ、ナーガの顔面ど真ん中を射抜いた。両腕に力を込めていたナーガは両肩を動かすことが出来ず、その結果、頭部の回避動作が一瞬遅れた。人間の顔で言えば鼻の部分に、ブロウガンの針が突き刺さった。
僕は肉を切らせて骨を断つという言葉通り、自分の体を餌にする。今の所は狙い通りに事は進んでいるが、もし相手がメデューサさんだったらこうもうまく行かない気がするのはなぜだろう。いや、そんな事より今はナーガだ。僕は自分の体をコマのように回転させ、体を締め付けてくるヘビごを巻き取りながらナーガとの距離を縮める。魂が格納されている頭部にダメージを受けたナーガの力は弱まっており、両腕のヘビがどんどん僕の体に巻き取られていく。そしてナーガが姿勢を崩した瞬間、僕は大地を蹴って体を捻り、ナーガの首を両脚で挟んだ。一部の格闘技では禁じ手であるヘッドシザースという技だ。腕の倍以上の力が込められる脚での締め付けだが、僕はさらに髪の刺毛を伸ばしてナーガの頭部を突き刺す。痛みがないエーテルボディだからこそ手加減はしない。
エーテルボディには骨や神経がなく、そのかわりに主要幹という水道のホースみたいな物が頭部から全身につながっている。この主要幹がボディにエネルギーや命令を伝えている。主要幹はその周りをエーテル人工細胞の筋肉繊維で分厚く保護されており、この管が無事であればボディはどんな状態でも再生可能だ。さらに携帯するリペアキットでエーテル人工細胞はほぼ復元できる。
しかし主要幹だけはリペアキットでは修復できないし、主要幹がなにかしら損傷を受けるとエネルギーや命令の伝達を失ってエーテルボディは機能が著しく低下する。そして首は主要幹を保護する筋肉繊維が他より少ないため、頸部は人間同様にエーテルボディの数少ない急所なのだ。ナーガでさえ首は鬼神ボディと同じ程度の太さである。僕はナーガの首にヘッドシザースで組み付きながら、脚の力をさらに込める。頭部中央にブロウガンの攻撃を受けた直後に、頸部を圧迫されたナーガは、どんどんその力を失っていき、地面に倒れ込んだ。僕は体に巻き付いていたヘビを無理やり引き剥がすと、刀を掴み直しナーガ本体の首も斬り落とした。
すると僕の体に何重にも巻き付いていたヘビも完全に脱力して地面にだらしなく寝そべった。ヘビの束縛から抜け出した僕は、ナーガの首の切断面に手の平を当てて会話を試みる。ナーガがメデューサさんと同型のエーテルボディなら、その中の魂も形を保っているはずだ。
◇
ナーガの魂に触れた瞬間、僕が感じたのは恐怖だった。いや、僕自身が恐怖を感じたのではなく、ナーガの中に囚われていた魂が感じていた恐怖が、そのまま僕に伝わってきたのだ。
30年前にマザー全体を襲った毒性パウダーは筋肉を弛緩させてしまうが、致死性はなかったようだ。そのパウダーを吸い込んだ人間は、意識を失うことなく身体だけが動かなくなるという恐怖を長時間に渡って味わっていた。そして内臓を動かす筋肉も弱まっていき、呼吸するのも苦しくなっていく。このまま死ぬのか、マザー地表に残された人々はそう思った。
しかしガバナーによって、別のパウダーがマザー地表にばら撒かれた。それは何と生命維持の効果を持っていた。本来なら医療用の生命維持機能パウダーが、地表で動けなくなった人間を死なせないように頒布されたのだ。体が動かせなくなり、呼吸困難になっても、なお生き続ける体。マザーの大地に太陽の光が届かなくなり、あたりは暗闇に閉ざされる。筋肉が軋み、内臓が悲鳴を上げ続け、五感が狂う。苦痛と恐怖に震える。
誰か助けてと声も出したくても出せない。そのうち、助けはいい、この苦しみから開放してくれ、殺してくれと誰もが声なき声で叫ぶ。生命維持のパウダーは最低限の機能しか持っていないようで、地表の人々は地面に倒れ込んだ姿勢のまままったく動けない。時間だけが過ぎ、手足の一部が壊死し、その激痛が体中を蝕む。眼球や鼻などの敏感な器官が機能不全に陥り、周囲が認識できなくなる。それなのに魂だけが生かされている。感じ取れるのは激痛だけ。死んだほうがまし、いや死なせてくれ、そう思っても死ねない。その状態が何ヶ月どころか何年も続いた。マザーに取り残された人は、それでも大部分が生きていた。
地表の建物は腐食し、時間を掛けて崩壊していった。その崩れた建物に巻き込まれて死ぬことが出来た人間は、まだ幸せだったことだろう。
そんな生き地獄に取り残されていた人間を救ったのは、マヌエアリーフに避難した人達ではなく、生き地獄を作ったガバナーだった。侵食型エーテルボディを開発し、それを地表に放ったのだ。侵食型エーテルボディは、地表の生ける屍状態の人間を見つけると体内に取り込み、その名の通りに魂を侵食した。初期型のバルログに侵食された人間は、魂の形を失っていた。しかしナーガに侵食された人間は、激痛からは解放されたが、恐怖は侵食されてもなお続いていたのだ。
ガバナーにとって、鼻や口は戦闘に不要と判断したのか、バルログやナーガには目と耳しかない。しかしナーガに取り込まれた魂は、ナーガの目を通してしてマザー地表の惨状を目の当たりにし、ナーガの耳から生き残った人達の声なき悲鳴を聞く羽目になった。恐怖は消えるどころか、さらなる恐怖が積み重なった。
そしてバルログやナーガは、創造主であるガバナーの命令を実行するための人間兵器でもあった。その命令とは、マヌエアリーフから地上に捜索に来た人間やエーテルボディの抹殺。惑星ミヌエトに墜落した宇宙船のロイヤルガードやメデューサさんも宇宙船コアから同じような強制命令を受けていたけど、その命令に多少は歯向かう事もできていた。しかしナーガのもつ強制命令はそれを改良したのか、とても逆らえないものだった。
30年前のマザー地表で起きた大災厄から、今このときまで、このナーガの中に居た魂は、痛みと恐怖しか感じてこなかった。あまりにひどすぎる。マザー地表の説明を受けてアイトさんが泣いたとき、僕は泣かなかった。その時、僕はただ傍観者的な視線でしか考えていなかったからだ。でも今、僕は直接マザーに取り残された人の魂をこうして知った。
僕はバカだった。マザー捜索に参加する事を、第三者視点で考えてしまっていた。無理を感じたら地球に戻ればいい、そんな風に考えてしまっていた。あまりに無責任だった。
違う。マザーに残った人達も、マヌエアリーフにいる人達も、助けてほしかったのだ。今のままでは誰も何も助からない。進展しない。だから本来ならまったく無関係の地球人にも、藁にもすがる思いで助けを求めたのだ。僕はバカだった。ようやくそれに気付いた。僕はバカだった。自分ではいろいろ考えていたつもりが、実に浅い考えでマザー地表に来てしまった。そしてそんなバカな自分に、大切なアイトさんも巻き込んでしまった。なんて事をしてしまっているんだ、僕は……
◇
その時だった、鬼神ボディが僕に感謝を伝えてくれた。惑星ミヌエトで、このボディに入っていた魂の残渣だろうか、こんな愚かな僕に、言葉をくれた。
◇
惑星ミヌエトで、鬼人ボディに残されていた魂も、僕に助けを求めていた。幸運にも、僕は彼らを助ける事が出来た。
そうだ、失敗なら取り戻せばいい。仕事で起こしたミスは、仕事で取り戻すしかない。僕に今できることを全力で実行する。このマザーで起きた大災厄に首を突っ込んでしまった以上、途中で放棄する事も逃げる事もしない。僕は出来る限りの事をしたい。
こんな愚かな僕に、ナーガの中にいた魂は、最後に知る限りの事を教えてくれた。こんなバカな僕を応援さえしてくれた。ありがとうございます。本当にありがとうございます。僕の魂は涙を流しながら、お礼を言った。
◇
ナーガの魂とどれだけの時間を会話していたか分からない。一旦、ナーガの頭部を地面に置く。刀をしまい、長巻を背中に掛ける。バックパックから荷物を取り出し、右手のブロウガンに新しい針を装填する。そしてナーガに触れていた右の手の平を見つめる。鬼神よ、改めて力を貸してほしい。そう願うと、鬼神ボディがわずかに震えた。




