秋空の君
どこで区切りを入れるのが正解なのか……。
燃え尽きる夏は美しい。陽炎のようで。
私の主人さまは、正しくそのようなお方だった。主人さまと言っても、一介の使用人に過ぎない私にとってはお言葉を頂いたこともない雲上人だが、雇用主ではあるので、間違いではないだろう。
夏の暮れの、滑つき燃え上がる幻の炎。あの果敢なくも、力強い様相に魅了されたことが一度でもあるなら、自ずと主人さまの美しさは、理解し遂せるに違いなかった。私などは、遠目にお目にかかった程度で感嘆するほどだが、側付きの侍女殿などは毎晩溜め息を吐かれて、顔を赤くなさる。私は侍女殿よりも階級の低い女中であるので、私が彼女と同室──恐れ多くも城に部屋を賜っている──であるのは、彼女の世話をする為だ。侍女殿はそこいらの横柄な女性とは違い、慎ましく聡明な方だが、唯一女性で主人さまのお側に支えられる身ということで、妬み僻みも多かった。
同時に私は、格の高い使用人からあれこれと嫌がらせの指示を受けるものだが、大抵は家政婦長へ報告をし、ことなきを得ている。それは侍女殿への真心というよりも、恥ずかしながら面倒臭がりの私にとって、細々とした人間関係の維持管理が、面倒に当たるからというのが、大凡の理由である。
私は辺境伯家に代々仕える一族の娘で、父は曲がりなりにも御領地の一角を預かる代官だった。父は先代さまの時代からご当家にお仕えしており、生家も、遡るとそれなりの歴史がある。そんな私がどうして侍女でなく女中として務めているのかと言えば、私が所謂出戻りであるからだ。
夫は隣の領地の騎士だったが、複数の領が合同で行った馬上試合にて、傷を負ったのちに亡くなった。商家に嫁いだ叔母の繋いだ縁であったが、中々悪くなかったのだろうと思う。酒に弱く穏やかな性格で、あまり筋肉がつかないのだと嘆いていた通り、引き締まってはいたが騎士にしては細身だった。良き夫だったが、彼が亡くなったのは私が嫁いで一月もしないうちのこと。貴方に花を捧げたいのだと仰っていたのに、私が花を捧げることになった虚しさは、筆舌に尽くし難い。
様子見として半年ほど留め置かれたものの、私の腹が膨らむこともなく、持参金と同じだけの補填を受けて郷へ返された。
それからというもの、父は私の再嫁の口を探っていたが、未だに芽は出ていない。
序でに兄がことあるごとに出ていけと言うもので、見兼ねた祖母の提案により、私は主家の女中と相なったのである。
初めは侍女として城に上がる予定だったのだが、何がどうしてこうなったか、今は女中に落ち着いている。とは言え家政婦長の直属であるので、待遇は悪くない。私はどうにも昔から、あくせくしたようには見えないらしく、侍女殿がおいでになる前は、私もそれなりに陰口を叩かれたものだ。懐かしい。出戻り出戻りとあまりうるさいので、貴方方は行き遅れではと返したところ、大抵の者が口をつぐんだ覚えがある。
さて、私などよりも主人さまのことだ。
主人さまはどうにも、侍女殿と恋愛関係を構築なさっているらしい。結構なことである。
侍女殿は元々子爵家の御令嬢で、王都の屋敷で行儀見習いをなさっていたのだが、社交期が終わりを迎えた時、主人さまが領地へお連れになった。ちなみに主人さまは辺境伯を賜る身で、侍女殿とは二爵違い。婚姻なさるなら、ぎりぎり可と言った具合か。
御領地へお連れになったなら、当然そのおつもりだろうと家宰が息巻いていた。
逆に様子見をと訴えられたのは領地の侍女で、彼女は主人さまの奥方候補筆頭でいらしたから、当然と言えば当然だろう。他にも若い娘たちが俄かに色めき立っていたが、私と家政婦長は今のところ中立だ。何しろ主人さまほどのお方となれば、婚姻にも王の許可が入り用になる。そして風の噂で伺ったことだが、未だ独身の王妹殿下は主人さまに御執心であると。一筋縄ではいくまいというのが、私どもの意見である。
しかし、私や家政婦長はともかく、家宰が乗り気であるのだから、臣下たちもそうそう反対はすまい。
ゆえに私は家政婦長から申し付けられた侍女殿の見極めの名目のもと、主人さまとの仲を微笑ましく見守っているのだった。
侍女殿は本日も主人さまに振り回されておいでだ。
主人さまが夏なら侍女殿は秋だろうか。精神的には少々主人さまよりも大人びておられるようで、苦笑がちな様子が目立つ。御髪にしても私が端正込めて整えているが、中々美事な艶をお持ちだ。端的に美髪でいらっしゃると申し上げたところ、とても照れたお顔をなさっていた。褒められ慣れていないとすら仰る。とても愛らしくておられるので、謙遜だろう。
序でに言えば、我らが主人さまもまた、大変麗しい。
侍従らと侍女殿の努力の賜物である。私も、手入れの仕方を指南した甲斐があったというものだ。
昼過ぎ、侍女殿が部屋へ戻ってこられた。慌てたように衣装箱を引っ掻き回されるので、何をお探しなのかと伺ったところ、何と主人さまと遠駆けをなさるのだという。手間取っておられるご様子なので、僭越ながら私の乗馬服をお貸しすることにした。夫がまだ婚約者だった頃、乗馬が趣味だという彼に付き合って誂えたものだ。一度相乗りをして大層喜び、あちらから何着か仕立てて頂いたので、最初に仕立てた一着を差し上げることにした。紳士的な主人さまながら、こうしたところには気が回らないらしい。家宰の耳に入れておくべきだろうか。
お帰りになった後ではないほうがいいだろうと、家宰の部屋へ向かうと、先客がいた。主人さまの婚約者候補の娘だ。侍女殿を追い出せの、私にいうことを聞かせろのとあまり聞くに堪えないことが聞こえてくるもので、溜め息が溢れた。このような方が就けるほど、辺境伯夫人の名は安くないはずである。もしも彼女を奥さまと呼ばざるを得ないなら、主人さまには御領地から出さないことをお勧めしたいものだ。
その後折を見て家宰に事情を説明したところ、随分と長い間黙りこくり、天を仰がれた。若君の情操教育がどうの、不徳の致すところがどうの、最終的には、あまり粗忽では侍女殿に逃げられてしまうとまで嘆かれて、少々愉快なほどだった。勿論口にも顔にも出さなかったが、私がそういった性格であることは家宰も存じておられる為、恨みがましい目で見られたことは追記しておこう。
加えて侍女殿が冷めたりなさらないよう、それとなく言い繕っておいて欲しいと命じられた為、私は職務の合間を縫ってそれとなく、侍女殿の御心を計ったところ、幸いにも興醒めなさってはおられなかった。少し恐ろしかったけれど、殿方が乗馬なさる姿はあのように凛々しいものかと頬まで染めておられる。
その旨には同意したいところだ。
亡き夫が馬を駆る姿は、大変胸が弾むものだったので。
侍女殿は勿体なくも私に親近感を抱いて下さっているようで、私がその旨を申し上げると、お顔を輝かせられた。何ともはや、若いお嬢さんの衒いのない笑みというものは眩く、気持ちを明るくしてくれる。侍女殿は仮にも子爵家の御令嬢とあって、所作格好もうつくしく、御気性もこの通り穏やかでおられる。
先代の奥方さまは華やかな御気性で、残念なことに領地は肌に合わないと仰り、滞在される際も極力、周囲を気に入った者だけで固められていたそうで、城の侍女たちにはその名残りがある。私が雇い入れられたのも、これが原因だ。
主人さまは御父上を尊敬なさっており、翻ってかの方と反りが合わなかった母君を、あまり好んではおられない。その為領地を継いだ際には大鉈を振るわれ、母君の、謂わば太鼓持ちであった者たちを大部分解雇しておしまいになった。そうして代わりの人材として見出されたのが、古くから御当家に支えている一族出身の私であり、家政婦長だった。家政婦長は元々城仕えの身であったのだが、先の奥方さまの勘気を被り、長く閑職へ飛ばされていたのだ。家宰など古くを知る方々はそれを覚えており、この抜擢に繋がったという。
それゆえ、兎にも角にも主人さまが見初められた御令嬢が先の奥方さまとは異なる御気性であったことに、一同胸を撫で下ろしていた。
──さて、私にある内示が降ったのは、一月の末であった。
何と、社交期から侍女殿について、王都へ向かうようにとのこと。これは本格的に、主人さまも御心を固められたのかも知れない。私に内示を伝えて下さった家政婦長の弁によると、主人さまは侍女殿が、私を姉のように慕い──歳を思えばなるほど、そのようなものか──大層心の支えにしておられると聞き及んだ末、此度の内示を下されたそうだ。しかし、主人さまが私を認識しておられたとは。
そう溢すと、家政婦長は俄かに呆れた顔をなさり、こう仰った。
認識も何も、貴方は主人さまの乳兄弟だろうと。
目の前が開ける心地がした。初耳である。詳しく聞いたところ、私の母は主人さまの乳母の一人であり、それが縁で兄は主人さまの側近──こちらも初耳である──を務めているのだとか。私は兄に嫌われているので、何から何まで存じ上げなかったのだ。生家に確認したところ、事実であるとの旨が返った。そういうものは、もう少し早く伝えて欲しいものだ。
ぼやいた頃には季節が巡り、初春の頃。
主人さまは最早隠しもせず、公然と侍女殿を馬車に連れ込み、出発なされた。私は後続の馬車で、兄と幾人かの侍女侍従と乗り合わせ、大変肩身の狭い思いをする羽目になったが。
兄の妹嫌いは健在どころか、少し見ぬ間に磨きがかかったらしい。此度の私の同道にもさんざ異議申し立てをされたそうで、ご苦労なことである。ひたすら不機嫌な顔をした兄を見て、家宰がそう仰っていたのを思い出した。
不憫と申せば、私たち兄妹と同乗することになった侍女方だろう。
一部は私を良い気味と笑い、一部は私を庇って下さり、また一部は兄に色目を使っていた。そう広い馬車でもないので、人数比は一対一対一である。最後の、我関せずと色目を使っておられた方は、逆にすごいと思った。何しろ兄は既婚者であるからして。よもや愛人志望なのだろうか。
因みに私を庇って下さったのが侍従であったおかげで、兄は王都までの道中、居た堪れなくなった侍従が口をつぐむまで不機嫌を貫いた。とはいえまあ、いつものことである。私が何も言わないもので、皆さまにもさぞ窮屈な思いをさせてしまったのだろう。
後ほどきちんとお詫びは申し上げたが、一部の方からは何とも言えない扱いを受けたことを、ここに記しておく。
王都に着くや否や、主人さまの前に現れたのは、別邸においでのはずの大奥さまであった。
当国の法では、爵位持ちと婚姻した夫人は離縁ないし死別した場合でも、どちらかが再婚するまで前夫亡夫の爵位と夫人の敬称を許される。その為大奥さまは未だ辺境伯夫人の称号を許されているのだ。その為大奥さまが王都の屋敷にいらっしゃるのは何もおかしなことではない。あくまでも、一般的に見ての話だが。
彼女の場合は別邸におわすよう主人さまから申し付けられておられるので、王都の屋敷においでなのは、奇妙な話なのだった。この時ばかりは私たち兄妹も大奥さまを警戒し、示し合わせて侍女殿と主人さまを庇った。しかし、大奥さまはそれをご覧になって気分を害したご様子で、躊躇なく兄の頬を打擲なさったのである。
曰く、断りもなく辺境伯と大奥さまの間に割り入るとは何事かと。
序で私をご覧になるや、一目で母の子と見抜かれ、顔を歪められた。そして主人さまに向き直り、私と侍女殿、そして母に宛てた聞くに耐えない罵詈雑言を並べ立てられたのである。これが辺境伯夫人の仰ることかと開いた口が塞がらず、私はつい呆然としてしまった。遂には侍女殿にまで気遣われてしまう始末である。全く不甲斐ない。
ところで私は先頃、私は主人さまを陽炎に例えたものだが、あれは些か心得違いであったかも知れない。
兄を殴られたことと、乳母である我が母を詰られたこと、最愛の侍女殿を侮辱されたことに心を痛められた主人さまは、それはもうお怒りだった。兄や侍女殿が総出で宥めても賺してもご機嫌が治らず、弱り果てた兄がお前も何か言えとばかりに私を見るもので、私は僭越ながら、主人さまを御慰めすることになった。主に共感する方向で。兄の額どころか手の甲に青筋が立つのを横目に、主人さまのお怒りに一つ一つ頷いていると、やがて主人さまは気が抜けたように瞑目なさり、口をつぐまれた。下手に反対のことを言うよりも、共感されたほうが人間安心するものだ。それでなくても主人さまは懸命でおられる。鎮火は時間の問題だった。
侍女殿が純粋にほっとした顔をなさる傍らで、兄が色々な意味で鬼の形相をしていたが、結果的に問題がないのだから、あそこまで怒らずともよいと思うのだ。私は涼しい顔を貫くことにした。
これ以降、私は主人さまの信頼を勝ち得たようで、女中という肩書きながら、侍女殿に付き添って主人さまのお側に控えることが増えた。幸いにも、王都の屋敷は侍女殿と親しい同僚も多いようで、御領地におられる頃よりも気持ちが華やいでいるように見受けられる。
私としては一安心、といったところで、事件は起きた。
侍女殿の生家へ、ある筋から婚約の申し入れがあったのだ。始末が悪いことに、送り主は侯爵家の御次男。いつぞやの夜会で主人さまに同伴した侍女殿を見初めてとのことだった。私共としては眉を顰めざるを得ないことに、子爵でしかない御生家では断るに断り切れず、辺境伯家へ話が持ち込まれたのは、殆ど外堀を埋められた頃合いであった。所謂、詰みの状況である。
主人さまは烈火の如くお怒りであるし、侍女殿は酷く打ち拉がれ、夜毎啜り泣かれる。同じく付き従っていた兄曰く、主人さまはその夜会で、侍女殿と複数回に亘って踊られたらしい。
なるほど、お怒りになるのも無理はない。
それが許されるのは夫婦、婚約者、恋人の三択であり、公衆の面前でそうした振る舞いを行うのは、どう考えても牽制であるからだ。またきな臭いことに、かの侯爵家の令嬢は主人さまに執心なされておられるそうで、御次男は特に、妹君を可愛がっておられると聞く。少なくとも真っ当な婚約ではあるまいと、憔悴した侍女殿を見るに見兼ねて、私は旧友たちへ久方ぶりの文を出すことにした。
夫の喪に服して以降、筆をとる機会がなかった為、長らく疎遠になっていた縁だが、未婚の令嬢の危機とあれば協力してくれる方も多い。その中の一人にはかの侯爵家と派閥を異にする大家へ嫁いだ女性もあり、身分違いながら、私のことを友人と呼んで下さっていた。同じ家庭教師に師事した朋輩であるから、先生の顔に免じて許して下さるだろう。
元来、私はこのような面倒事や修羅場が嫌いである。愛憎劇というものを見る度、如何にも心が疲れてしまうのだ。そういったことを好む方にとって主人さまや侍女殿の煩悶は美味しいものがあるのだろうが、生憎と私には毒でしかない。私は労が嫌いだが、安寧を手に入れる為の苦労は惜しまないつもりだ。
兄が怪訝な顔で何を企んでいるなどと仰るのでそう申せば、主人さま共々黙りこくってしまわれた。そうおかしなことではないだろう。私はただ、波風立たない安穏とした暮らしを望んでいるだけである。ひいては辺境伯夫人の座が空位となっている現在の状況は、私にとって望ましくない。
──結果として、此度の騒動は摘発という形で決着がついた。
物語風に言うならば、悪辣な企みをした兄妹はばっさりと切り捨てられ、主人さまと侍女殿は恋人同士の絆を確かめ合って終幕、といった具合だろうか。切り捨てられたといっても内々の話であるし、実際に何か侍女殿に非道を働いたという物証がない為、ごく軽い処罰である。しかし派閥間や家同士、王の目もあり令嬢の方は女子修道院へ、御次男は社交界への出入りを禁じ、領地にて生涯を終えることになったそうだ。
侍女殿は実害がなかったせいかその辺りには興味がなく、主人さまは不満げだった。風の噂ではどうも、もう少し重い罰を望まれていたが、議会に却下されたらしい。恋は盲目、実に畏ろしきかな。ただそのお陰で辺境伯領の苛烈さが周知され、貴族たちの意識が引き締まったのは何も悪いことではないらしい。私のような木端役人の娘には判りかねるが、主人さまと宮中伯閣下の歓談を伺うに、そういうものなのだろう。兄と違って私は、せいぜい騎士の妻になれる程度の教養しかないのである。
主人さまと侍女殿の仲が、決定的な進展を見せたのは春も盛りの頃であった。
その年、辺境伯領の片隅で起きた、隣国との諍いの種を見事摘み取られた主人さまは、褒賞を授けようと仰せになった王へ、婚姻の御許可を請われた。辺境伯家は王家が王を名乗る以前の御代より、臣として仕えてきた一門であった。その為今日に至るまでも王家の信厚く、国境という要地を賜っているのだ。だがそれ故に、王家と近しい彼らの婚姻には、様々な制約がある。王家は基本的に貴族の婚姻に関して口を挟まない。しかし公爵や辺境伯、王族たる公爵家御当主の婚姻となると一転し、慎重な構えをとるのだ。
例えばこの度、主人さまの婚姻の場合には、このような制約が課せられていた。
一つ、王族近縁ではないこと。
一つ、他国籍ではないこと。
一つ、同派閥内の者ではないこと。
いずれにも、明確な故あってのことだ。
まず以て主人さまの母君は現王の御従兄妹であらせられる。一条はこれに倣い、王家と辺境伯家の結びつきは十分に硬いものであるという趣旨故。
第二に、主人さまは辺境を御領地として治め奉る身であり、これが他国と通じることがあってはならないという仰せだ。
第三に、辺境伯は王国に忠実であり、いつ如何なる情勢にあっても中立であることが求められる。その為複数の派閥と縁を結び、付かず離れずを推奨するという意である。
幸いなことに、侍女殿はこれらに掠りもしない。御生家も全く潔白であることが証明されている。少々爵位が低いことが懸念材料ではあったが、先日の一件もあり、王はこれを御許しになった。──晴れて主人さまと侍女殿は、結ばれる次第となったのである。
これには私も、文を交わしていた家政婦長らも胸を撫で下ろした。噂では、あの若さまがと涙する家宰の姿があったとかなかったとか。私もその場に居合わせたかったものだが、こればかりは諦める他ないだろう。王都と辺境では、些か距離があるのだから。
対して町屋敷も沸き立っていた。
侍従の口から一部始終を耳にした侍女殿は目が潤むほど頬を紅潮させ、剰え涙すら流されるもので、私どもは僭越ながら、微笑ましく拝見した。春というのは何かと華やかな季節だ。御領地では毎年祭りが開かれる季節でもあり、披露目はそれに合わせて来春に決定した。ただ、婚姻の署名そのものは横槍が入らぬうちにということで、侍女殿は一度里帰りをなさり、改めて次期奥方さまとして屋敷に入られる次第となる。
侍女殿、基若奥さまの御支度は郷の方で整えられるとのことで、私は僭越ながら、主人さまの支度に携わらせて頂く次第となった。
婚儀の装束にも流行りというものがある。それは色であったり細やかな装飾であったりしたが、近頃の流行りは装束に用いる布の種類が挙げられよう。
此度の場合は子爵家の名産である植物から繊維を取り出して織布を仕立て、それを辺境伯領へ移して染色し、高名な仕立て屋に依頼して形にする。子爵領の古い風習から、花婿の装束に施す刺繍は花嫁の家が、花嫁の装束に施す刺繍は花婿の家が請け負うということで合意した。
仕上がった装束は見事なもので、こうしたことに疎い者でも、感嘆の息を吐くだろう。
基本的に当国の婚礼衣装は古式に則ったもので、複数の布を巻きつけたり、重ね合わせたりしていくものだ。その為花嫁の、花婿のと言いはするものの、あまり性別で差異があるわけでもない。ただ今回の衣装は、少し目新しく感じられるのではないだろうか。
品のよい金襴緞子を地に、殆ど向こう側が透けて見えるような、見事な織の薄物を重ね、透かし編みの羽織から刺繍へと移ろう姿は、品性というものをよく心得ている。近頃は色や趣向がくどく凝らされたものも多いが、何事も程度というものが重要なのだと、そう思わされる。
厳かな仕立てだが透かし編みや刺繍は古臭い図案でなく、近頃の流行りに倣ったものであるので、愛らしい若奥さまにも重すぎず、よく似合うだろう。僭越ながら私も、針子の真似事をさせていただいた、自信作である。
仮縫いの状態で装束をお召しになった若奥さまは、初々しく恥じらわれ、この世の春よと言わんばかりのお姿であった。殊に若奥さまをご幼少より傅してこられたという乳母殿は感涙なさり、辺境伯家の家人もつられて貰い泣き、という一幕こそあったが、準備は概ね順調に進んでいた。
本番までにあった不慮の出来事といえば、主人さまのかねてよりのご友人であらせられる第二王子殿下より、式に参列したいとのお申し出があったことだろう。殿下は再来年にご婚姻の儀を控える身であり、後学の為、婚約者であらせられる隣国の王女殿下のご来臨を希望なされた。これにより、式の席順などを大幅に変更せざるを得なかったのは、言うまでもない。雲上人には雲上人なりの苦労というものがあるのだ。
そうして開かれたお式は、円満に幕を閉じた。
二人の主人のあの華やいだ尊顔を拝見するだけで、お釣りがくるというものだ。
そうして私はと申せば、このお式の日を最後に、屋敷を辞する次第となった。
お二人が寝所へ出向かれたのを見届けての、密やかな出立であった。荷物は既にあちらへ送ってしまった。身一つの身軽さには変えられない。物らしいものと言えば、護身の為の剣を履いた程度である。
「本当に、良かったのか」
駆ける馬の振動が、つぶさに体へ伝わってくる。私は横目で兄を見上げた。
「はい、兄上。我が儘を聞いて下さり、お礼の申しようもなく」
馬上で体勢を崩してはいけない。低く、和やかな亡き人の声が、風に混じって耳をくすぐるようだった。
「亡き者の頼みを無碍にするほど、俺も腐ってはおらん」
「はい、それはもう」
兄は廉直だ。清廉という言葉がよく似合う。研ぎ澄まされた刃のように折れず曲がらず、欠けることも朽ちることもない。その性根を羨ましく思う捻くれ者の妹に、兄はやはり眉を上げた。
「貴様の口から聞くと嫌味だな」
直裁である。
「まさか、そのような」
潜めて笑い、内心でその通りと微笑んだ。
兄の気性が羨ましい。もっと素直な女なら、夫はあのような試合に赴くまでもなく、今でも心穏やかに在れたやも知れない。村外れの小さな家の前で、私は馬から降りた。昔取った杵柄である。背の高い馬の上からでもするりと降りてしまえるというのに、夫はいつも気を揉んでいた。
「本当に、知らせるつもりはないのだな」
馬上から兄が問うてくる。私は振り向かず、微かに顎をそびやかして言った。
「ございません。兄上にもどうぞ、お達者で」
あの方にも、よろしくお伝え下さいまし。
夫には妹がいた。
次男坊の彼は早くに家から出され、あまり会う機会は巡ってこなかったそうだが、一介の騎士となった己を兄と慕ってくれる、可愛い妹なのだとことある毎にそう言うもので、私も顔すら知らぬ身ながら、あれこれと頭を悩ませ、婚約者であった当時の彼と、何度か連名で贈り物をした。大層喜んでいたよ、と微笑まれるのは気分がよく、あの年も、私はあの人の妻になって最初の贈り物だと気合が入っていたのだ。だが実際に、彼女の元へと届けられたのはその兄の訃報で。
──どうか、あの子を気にかけてやっておくれ。
そんな一言さえなければ、私は終生彼女の顔を知らぬままであったかも知れない。私の心には、それだけしか残らなかった。
「──どうかお元気で、若奥さま、いいえ」
私の可愛い、──。
《解説》
タイトルロール「秋空の君」は侍女殿こと辺境伯夫人と、その兄であり語り部の夫である騎士のダブルミーニング。彼らの生家である子爵家は裕福な家柄ではなく、騎士は幼い内から遠縁の元に預けられ、騎士になるべく育てられます。娘である辺境伯夫人はどこかそれなりの家に嫁ぐことができるなら御の字、そうでなければ次女として身を立てるよう言い含められ、やはり若くして奉公に。そして妹の方は見事玉の輿を掴みました(作中)。
対して兄の騎士は色々あって語り部の「私」と結婚。燃え上がるような恋ではありませんでしたが、穏やかに愛を育み、これから、というところで亡くなってしまいます。これに悲しんだのは勿論家族もそうですが、何より妻の「私」でした。穏やかで包容力の高い夫とクーデレの良妻という組み合わせだったのですが、夫が少しだけ欲を掻き(欲かこれ?)、妻が少し意地を張った為に騎士の死のきっかけが出来上がってしまったわけです。純粋に悲劇。
で元々責任感の強い彼女は打ちひしがれたのち、ふとある時夫がこぼした言葉を思い出します。
あの子を気にかけてやって。
事情があって顔を合わせたことこそないけれど、元より可愛がっていた義妹です。そして当時の彼女はうずくまっていることをよしとできず、何か原動力を求めていた。この言葉がうっかり彼女の心の穴を埋めるピースとして嵌ってしまったと。
その後亡夫の母に連絡をとり、義妹が辺境伯家へ奉公にくることを知り、祖母に恃んで枠をねじ込みました。作中彼女が女中だったのはここら辺りで伝達が上手くいかなかったせいです。ただそれをいいことに同室へ漕ぎ着け、夫の形見もかくやとばかりに可愛がり、影に日向に手を尽くしていましたが、辺境伯との婚姻が無事成ったことで完全に己の手を離れたと判断し、即田舎へ引きこもりました。
即決即断、さっぱりした性格が故の思い切りのよさというか……。
この後彼女は表にでるでもなく、田舎で静かに夫を偲びながら穏やかに暮らしていきます。辺境伯夫人が彼女の正体に気づくかどうかは──まあ蛇足ですね。
ぶっちゃけよくある恋愛ものの他者視点を書きたかっただけなのにどうしてこうなった。
ここまで読了、ありがとうございました。