第42話 家に帰れない
夕刻の空は今にも降り出しそうに変化している。いつもより暗く感じるのはそのせいだろうか。俺は重い足取りで帰路に就く。この角を曲がれば俺に家だ。ん? これは何だ? 俺の家が炎に包まれているではないか。家事なのか? いや違うぞ。炎のような熱気で家だ包まれているのだ。
これは絶対にマリーの怒りの表れだよな? このまま帰っては危険な気がする。まずは芽依に電話して家の中の様子を聞いてから帰ったほうがよさそうだ。早速スマホを鞄から取り出した。
『芽依か?』
『お兄ちゃん、今帰ったら確実に死ぬよ』
いきなり凄い情報を手にしてしまった。
『マリーさんだけでなくマリーさんの両親も怒りが爆発してるよ。もちろん小百合さんも日本刀の手入れをしているし』
2号が怒りを爆発させているとなると確実に死ぬな。
『だから今夜は帰らないほうがいいよ』
『帰るなってどうすりゃいいんだよ?』
『ホテルに泊まるとか?』
俺は慌てて財布の中身を見た。680円。こんな金額で泊まれるホテルってあるのか?
『ダメだ。お金がない』
『だったら公園で寝るしかないね。それが明日の朝を迎える唯一の方法だよ』
とんでもないことを簡単に言ってくれる。
『それと、帰ってこないとわかったら、きっとマリーさんたちが捜しに行くから近くの公園はやめたほうがいいよ』
仕方ない。隣町まで行って公園のベンチで寝ることにしよう。酔っ払いに絡まれなければいいが。
『言っとくけど芽依も怒ってるんだからね』
『どうしてだ?』
『せっかく厄介な人が自ら離れていったのに、自分からよりを戻したんでしょう?』
『うう』
『全くバカだよね』
プチ! プープープー。それだけ言うと芽依は通話を切った。
俺は深いため息をつくと隣町へと歩き出した。別によりを戻そうなんて気は全くなかったんだ。落ち込んでいる人をほっておけなかっただけだからな。なんて言葉信じてもらえるわけないか。足取りも重く歩いていると冷たいものが顔に当たる。今にも泣きそうな空がついに泣き始めたのだ。雨はどんどん強くなっていく。これは泣いているというより号泣というべきだろうか。俺は慌てて鞄から折り畳み傘を散りだして固まった。
「この傘‥‥芽依のだ‥‥」
ピンクの水玉模様。さすがに男子高校生がこの傘をさすのはきついか。だが風邪をひいても建物の中に入れる保証がないので思い切ってこの傘を差すことにした。すれ違う女子高生が笑ってゆく。仕方ないよね。一人ずつ説明をするわけにもいかないし。俺は再び大きなため息をついた。
俺は駅が見えるあたりまで来てふと立ち止まった。待てよ。このまま隣町まで行ってもこの雨じゃ公園のベンチで寝るのは不可能なのでは? 他の場所を探すか。だが680円ではネットカフェでも一晩は過ごせないぞ。友達の家と言っても高校に入ってからの男友達はまだいない。中学校時代に仲が良かった友達で頼めそうな人もいない。唯一頼めそうな元囲碁部の部長は東京の進学校に行ってしまった。
まさか女友達に泊めてくれということはできないだろう。そもそも女友達もいないのだが。いるとしたら‥‥。俺は慌てて頭を振って浮かびかけた日葵の顔を消す。そんなことをしたら完全な死亡フラグだ。いや待てよ。
ピンポーン。
「はーい。どなたですか?」
ドアの向こうから明るい日葵の声が聞こえてくる。
「ごめん四朗だ。頼みがあってきた」
「ええ! どうしたの?」
驚きの声とともにドアが開いた。
「急にどうしたのよ? まさか四朗から来てくれるなんて。とにかく入って」
俺は周りを気にしながら中へと入った。日葵のアパートに入ったところをマリーに見られていたら大変だ。
「どうぞ座って」
日葵はお茶を入れてくれえるようだ。流しで何かしながら俺に声をかけた。
「ああ」
「頼みって何?」
暖かいお茶を出しながら日葵が聞いた。
「ええっと。ずいぶん勝手なお願いだが」
「なになに?」
妙に日葵の顔に笑みがこぼれている。
「悪いが今晩泊めてくれないか?」
「えええーーー!!」
日葵が予想以上に大声を出す。
「ダメならいいんだ」
「ええ、うっそう。どうしましょう。心の準備が」
「いや、だから‥‥」
「そっか~。ついに私も決心する時が来たのか~」
「そうじゃなくて‥‥」
日葵が顔を両手で覆いながらもじもじしている。
「もしもし日葵さん?」
「わかった! 今夜から私はあなたのものよ」
「俺の話を聞け!」
日葵は鳩が豆鉄砲を食らったようなきょとんとした顔で俺を見ている。
「別にここに泊めてくれと言ってるんじゃないんだ」
「どういうこと?」
「こんな小さなアパートに泊めてもらったら、さすがに無事では済まないだろう」
「そんなあ。無事に済まないだなんて~」
日葵がさらに笑顔になって首を振り始めた。日葵よ。無事に済まないのはお前じゃなくて俺の方だ。
「そこで頼みたいのはこの前の別荘に泊めてもらえないだろうか? 無理ならほかの何かでもいい。お父さんが経営する会社の一室とか」
「もう、どこに泊まったってやることは一緒なのに~。四朗ったら」
「何もしませんから」
日葵はさらに首を振って恥ずかしがっている。
「俺の言葉聞いてる?」
しばらくの間、自分の世界にどっぷりとつかっていた日葵は、
「私に任せて」
というとスマホをかけ始めた。きちんと伝わったのか? かなり不安だ。もしかして雨の公園で風邪をひいていた方がよかったのかもしれないぞ。そして30分後。再び呼び鈴が鳴った。日葵と一緒に入ってきたのは初老の男性だった。




