一つの出会い 4
図書館から移動したアントニアとトニーの辿り着いた先は、アントニアにとっては初めて訪れる場所だった。
本学舎の右翼にあり、学生寮近くではあったけれど、専門課程の教室が多く並ぶ学舎ということもあり、人の気配はまるでなかった。
誰もいない教室へと足を入れ、教室内の様子をキョロキョロと視線を彷徨わせては目を輝かせるアントニアがいた。専門課程で使われる教室の為、見慣れない物が並んでいるせいだろう、と誰もが容易に想像出来た。
実際、専攻する授業によっては卒業するまで利用することのない教室も多いのだから、仕方がないと言えた。
「…勝手に使っても大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫ですよ。もう何度となくこの教室を使ってきてますけど、未だに教師や他の学生達を見かけたこともないですから」
「そうなんですね。…もしかしなくても、今回だけでなく前回もその前にも、ここを利用したことがあるんですね?」
「そうですね」
少し口元を緩ませている相手に対し、アントニアは今回初めて入る教室に興味津々な自身の態度に、少々気恥ずかしい気持ちになっていた。
「早速ですが、本題といきましょうか。
試験対策で図書館にいたあの日の話、覚えていらっしゃいますか?」
トニーの問い掛けに、気を取り直して姿勢を正して口を開いたアントニアは、思い出しながら、一つ一つ頭の中で確認しながら答えていった。
「ええ、覚えています。アーヴィン様とステファニー様の二人の噂の出所がステファニー様ご自身であること、それから…繰り返されているこの世界の記憶があること、それと、あの二人が結婚をすることと、その結婚が破綻してしまうかもしれないというお話しでしたわ」
「良かった、覚えていてくださってるだけで充分なのですが。
まずは私のことをお話しします。名前はトニー。これはもうずっと変わりありません。何度繰り返してもトニーです。
家名はその時々であったりなかったりです。今までの経験から言うと、貴族だったり、平民だったりと毎回違うので、立場的にはモブなんでしょうね。
私と言う存在は、この世界に干渉することのない立場、だと理解しています」
「貴方は立場がいつも変わるのですか? 私はずっと変わらずにアントニア・グリフィスのままですけど」
「そうですね。今回は貴族で子爵家の嫡男だったので学院に入学していますが、前回は平民で教会の司教でしたし、その前はこの学院の用務員でしたね」
自身とはまるで違う立場を生きてきたというトニーという人物に、アントニアは興味を惹かれてしまった。
(今の自分とは違う人物を生きるというのは、どういう気持ちなのかしら? しかも身分すら違うのなら、私のような一方的に殺されていくだけの立場ではないのだから、とても自由なのではないかしら?)
自由時間が多いとは言っても、殺されることが確定しているアントニアにとっては、目の前の人物に対し非常に羨む気持ちを持ってしまっても仕方ない状況ではあった。
が、アントニアは純粋に興味だけを持ったようだ。
「司教様として生きてらっしゃったのですか? 教会ではどのようなことをなさっていたのかしら? 私は自分だけの生活しか知らないから、とても興味深いですわ。
それに用務員というお仕事もどのようなものなのかしら?」
「はは、アントニア嬢は好奇心の強い方なんですね。…そうですね、そのお話しもいずれは致しましょう。
でも、今はそれをすべき時ではないでしょう?」
「あ…ごめんなさい」
「とんでもない。アントニア嬢の可愛らしい一面を見られて得をしましたよ。それで、ここからが本題になります」
「お願いします」
この後はトニーが以前見てきたループし続ける世界の、つまりはアントニアが死んだ後の出来事を伝えるものだった。
アーヴィンとステファニーは、卒業式でアントニアに断罪のようなことを仕掛ける。これはアントニア自身が知っていることだがトニーは知らなかった。
学院の用務員になるまでは、ただなんとなく同じ時間を繰り返しているというのを理解しているだけだったからだ。
用務員になることで初めてアントニアや、アーヴィンとステファニーというこの世界の中心にいる人物を知り、この世界で何が起こっているのかを理解したようだ。
アーヴィンとステファニーが婚約をし、教会で結婚式を執り行うが、その式を終えた後にアーヴィンが誰かは分からないが、罵られる場面があったそうだ。
『婚約者を殺しておいて、よく幸せになろうとするものだな』
小さな声だったけれど、静まり返った教会内ではよく響いたらしい。
そして、何事もなかったように教会堂から皆が出ていった後、次にはステファニーに向けられた心ない言葉があったらしい。
『人のモノを盗んでおいて、それを罪のない人のせいにするなんて図々しい人もいたものね。しかもその人を死に追いやってるのだもの。余程盗んだモノが素晴らしかったのね』
この言葉は明らかに女性のもので、アーヴィンには聞こえていないが、ステファニーの近くにいた人々にはよく聞こえていたようだ、とトニーは話した。
アントニアが学院内で亡くなっていることは知っていたものの、用務員の時に教師達と親しくはないという役割だったために誰に殺されているかをトニーは知らなかった。
だから、アントニアがどうやって亡くなるのかが気になっていたようだ。
「あの…とても言いにくいのだけれど、私はアーヴィン様の手で殺されてしまいます。多分、私はステファニー様に罪を着せられて、それに対してアーヴィン様がステファニー様の言葉を信じて、私を殺すんでしょうね。
繰り返していると気付く前までは、私自身がステファニー様に嫌がらせをしていたのは事実ですけれど。でもこの世界を繰り返していると気付いてからは嫌がらせについては、強制力がない限りしていませんの。
何回繰り返しても、あれは慣れませんから…いい加減殺されたくはないのですけど、ふふ」
アントニアの言葉にトニーが痛ましいものを見るように、彼女を見つめていた。そして、手を上げて彼女の頭に触れて、優しく撫でた。
「どうされました?」
アントニアにはその意味が分からなかった。そんな風に接してくれたのは、家族だけ。それでも、この世界では関係がいくら良好な家族という設定があっても、どこかしら関係性が希薄なのだ。
それはアントニア自身が自身の死によって家族に何かあっては嫌だという思いから、家族と距離を置いているせいでもある。
だから、トニーの態度が理解出来なかった。
「貴女が、とても悲しい。もし、私が彼の立場なら…絶対にそんな思いをさせやしないのに、と…思っただけですよ」
「ありがとうございます。そうですね、だからあなたの婚約者は幸せですね。トニー様がいつも彼女を大事そうにしてらっしゃいますもの」
アントニアは、トニーと婚約者の二人が仲良く並ぶ様を思い出して、幸せそうに微笑んだ。
「幸せそうに笑う人達を見ると、私も幸せを分けてもらったような気持ちになります。だから、お二人の姿を見ると本当に嬉しいのです」
彼女の言葉にトニーは驚く。普通なら羨んだり、僻んだり、妬んだりする場面ではないのか、と。
本当の意味でのヒロインはステファニーではなくアントニアなのではないか、と感じてしまっていた。
今回トニーは貴族で、婚約者がいる。もし、婚約者がいなければ…目の前の人物を幸せにしたい、そう思ってしまったことに戸惑わないではなかったが、それでもアントニアの儚げに微笑む様は何よりも美しく感じたし、守りたいと思ってしまったことは、彼の中で取り消しようもなかった。
「アントニア嬢に確認したいことがあります。今までのアーヴィンとステファニー嬢のことは、私自身は前回含めて全く知らないのと同じです。
ですが、なんとなくなのですが、今回は今までと違うのではないか、と感じるのです。何か今まで違うことをされていますか?」
核心を突くような問い掛けに、一瞬アントニアは息を止めてしまっていた。
その問いに答えようとして、初めて呼吸を止めていたことに気付いた。
アントニアは深呼吸をしてから、トニーに答えた。
「多分、していたと…思います。でも、本当に些細なことなんです、けど…」
アントニアが自由時間にアーヴィンと二人きりのお茶会をしたさい、お土産にとクッキーを焼いて持っていったり、他にも焼き菓子を作っていったり、ということがあったこと。そのお礼という形で、アーヴィンからもちょっとした細工物をいくつか貰ったことがあることを話した。
「それは、お茶会の度に続けていったのですか?」
「いえ、学院の入学準備が始まった頃にはなくなりました」
「もしかして、お茶会そのものがなくなった、なんてことはないですよね?」
「…ぁ、そう…ですね。毎回入学前にはお茶会そのものがなくなっているのが、当たり前のことなので気にしてませんでした」
「あー。つまりお茶会をしなくなることは、この世界のお約束のようなものなんですね」
「そうかもしれません」
第三者視点での意見というのは、思ったよりも理解し易いのだと感じたアントニアは、自身のことではありながらトニーに話を聞いてもらうことで、何らかの答えが得られるのではないか? という期待をしてしまいそうになっていた。
そのことにすぐさま気付いた彼女は、内心慌ててその考えを捨て去ることにし、話を続けた。
「少し気になったんですが、どうして今回は今までしたことのないことをしようと思ったんです? 実際に貴女の周囲はそれで変化があったんですよね?」
「そうですね。本当は婚約なんてしたくなかったというのが本音です。解消出来るのなら今だってすぐに解消したいんです。でも、どう考えても難しいから、せめて自分だけでも快適な環境にいたいって思ったんです。
…別に悪くはないでしょう? 双方共に悪い感情を持たないでいられれば、それで充分だったので。
どうせ入学してしまえば、彼女と出会ったアーヴィン様は私の事なんていつも通り忘れていくはずなのだから、それまでの間は嫌いな相手に冷たい態度で隣にいられるよりは、マシかなって思っただけなんです」
「………嫌いな、相手?」
「婚約者だし、幼馴染みでもありますから、情がないわけではありませんけど。何度も何度も一方的に詰られて、殺され続ければ…好意すら嫌悪になるのも当たり前では?」
アントニアの発した「嫌いな相手」という言葉は、トニーには余程気になる言葉だったようだ。それに対し、迷いなくその理由を説明するアントニアに、彼がどう思ったのかは分からない。
ただ、彼女が嫌悪を滲ませた表情だけではなく、どうしてか苦しそうにも見える表情を見せていたことにトニーが興味を惹かれていることなどアントニアが知るはずもなかった。
お読みいただきありがとうございます。
「図書館」と「図書室」と入り混じってた箇所があったので、直しました…。
きっと変換の時に何も見ずにやってしまったんだろうな、と反省中。
気付けて良かった…。でも、今後も似たようなことがある自信しかないのが悲しいです|ω・`)
誤字等あったら、教えて頂けると助かります。
そういうことのないように心がけてますが、なかなか難しいですね。
よろしくお願いしますo(_ _)o