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希望と夢と未来と 1

「それでは、ステファニーの背を押して、階段から落としたのは辺境伯令嬢だったということなんですね」

「そうですね。本人が認めています」

「理由は…話しましたか?」

「それは言いたくないようで、全く話そうとはしません。それもあって少し困っています」

「…私が直接話すことは可能ですか?」

「誰とも会いたがらないそうですから…難しいのではないでしょうか。数日後には領地へ戻るとも聞いています」

「そうですか…」

「…ところで、エクルストン公爵閣下はどうお考えかお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「…父上は、公爵当主として令嬢に対し、相応の罰を望んでいます。大切な嫁…義娘になるステファニーへの暴行、一歩間違えば足首の捻挫だけでは終わらなかった話ですから」

「分かりました。貴族学院としては厳しく当たることは決まっています。後は、辺境伯家がどこまで対応されるか…だけとなりますが」

「お聞きしている対応で充分です。貴族学院を卒業までしたはずの令嬢が、問題行動があっての卒業取消となれば、相当なものになるでしょうから」


 アーヴィンは貴族学院の応接室で学院側の責任者である学院長と事務室長、アーヴィンのクラスの担任と対面していた。

主に話は事務室長からだったが、学院長が黙ったまま相槌を打つように首を上下させているのを見れば、あくまでも事務室長の話は決定事項の連絡、確認というところのようだ。

 辺境伯令嬢の処分は、貴族学院の卒業取消ということとなった。

既に卒業式を終えた後のことだった為、退学という扱いは叶わなかったことで、令嬢について言えば、不名誉な事は一つ減った形だった。

 けれど退学があろうとなかろうと、婚姻や健康面を理由とした退学でない限り、貴族学院を卒業出来なかった令嬢というものは、卒業後の社交界での身の置き方は相当厳しいものとなるのが通常の事。それが、卒業式まで学院に在学していたものが卒業取消ということになれば、その結果がどういうことに繫がるのかは誰もが容易に想像出来た。

彼女が今後表立って姿を見せることができるかは、分からないだろう。


「こちらから連絡を取っても、令嬢に会えるかどうかは分からないでしょうね」

「辺境伯卿は謝罪をと仰っていましたから、直接お話する機会はあると思いますが、令嬢とは多分難しいだろうと思います」


アーヴィンが頷くと、事務室長は小さく息を吐いた。そこで初めて担任が口を開いた。


「それで、メイプル嬢の調子はどうだ?」

「はい、元気に過ごしています。色々とあって気疲れでもしているかと思ったんですが、笑っているので大丈夫そうです」

「それなら良かった。こちらも最後の最後でこんなことになるなんて思いもよらなかったから、済まなかった」

「いえ、先生方は私達を助けてくださったので、全く気にしていませんし、大丈夫ですよ」

「そう言ってもらえると助かるよ」


 アーヴィンは口元を綻ばせたものの、すぐにまた唇を引き締めた。

その後は、学院側から改めて謝罪を受け、エクルストン公爵側として不問とすることを伝え、アーヴィンは屋敷へと戻っていった。

 帰りの馬車の中、アーヴィンはどうして彼女がステファニーを害するようなことをしたのか、それが妬みだとか嫉みだとか、それだけじゃないことだけは理解出来た。


(きっとステファニーの言っていた私に対し想いを寄せていてくれた、それが原因なんだろうが…)


 やり切れない気持ちを抱えながら、それでも大切なステファニーが治らない傷を負う事がなかったことや、最悪の状況にならなかったことに、改めて安堵した。


(そう言えば、彼女はアントニア夫人に対しても悪意を向けていたな。夫人の悪い噂ばかりを広げていたのは彼女だと…。ステファニーだけでなく夫人にもどうして…)


 令嬢の考えが分からないままに理由を探しても、答えは見つからない。結局は令嬢と話す機会がない限り、本当の答えなど分からない。



 §§§



「…こんなことしたって、ダメなことくらい分かってたわ。でも、気持ちが抑えられないのだもの。アーヴィン様はきっと私の事…呆れただろうし、蔑んでるわよね…。

でもいいのよ、これで私も諦めがつくわ。もう幼い頃からのこの気持ちは、きっと恋や愛ではなくなってる気がするもの…。情けないし、惨めだし、やり切れない…。

もうこれで、二度とアーヴィン様に会うこともないのだもの。私は…修道院に行くの。二度と外へ出るつもりもないの。そう決意していなくちゃ、アーヴィン様に会いたいって気持ちだけで、何をするか分からなくなるもの…。私だって…これ以上嫌われたく…ない、のよ」


 辺境伯令嬢は王都の屋敷内にある自室で、ひっそりと過ごしていた。

ただ彼女は幼い頃からの恋心を拗らせて、もうずっとアーヴィンに絡め取られたままだった。やっと彼女は自由になれるのだと、自分に言い聞かせているところだった。

辺境伯である父親には全く似ていない彼女は、母親によく似た顔立ちに手先の器用さで、刺繍など誰の目にも芸術品と言える程に素晴らしいものだと分かるような作品を作り上げていた。それ以外にも令嬢らしい気配りも出来るし、優秀な人間だった。けれど、辺境伯家では子供が男ばかりで、そんな中やっと産まれた女の子だったことが彼女にとってのある意味不幸の一つだったかもしれない。

 家族皆が彼女を溺愛し、彼女の願うことは全て叶うのが当然だというように育ってきてしまったことだ。勿論彼女の両親は愛情を込めて叱る時には叱っていたはずだ。けれど、それ以上に甘やかされた部分があったのだろう。自尊心の塊…と言える側面があったのは間違いない。

そして、それを彼女もどこかしら自覚もしていたのだろう。

きっと悪い人間じゃあない。けれど、人を傷つけるようなことをしてしまったことで、自身のアーヴィンに向ける気持ちを捨てなくてはいけないものだと、やっと納得出来たのだろう。


「…っ、苦しくても、きっと…忘れるから。この気持ちは、……捨てなくちゃいけないの…」


 誰もいないたった一人だけの部屋で、彼女は座っているソファの上で涙を流していた。

ただ涙を流しながら、自身がしたことを悔いる気持ちはあった。でもまだ、それだけだった。


 ただ一つだけ。アントニアへ向け続けた感情は、アーヴィンを慕う上で避けられないものだった。

本当なら自身が婚約者になるはずだと信じて疑わなかった彼女は、アントニアにその座を奪われたことで、幼いながらにアントニアのことを憎んだ。

それが激しい嫉妬を伴うものだったが故に、アントニアとアーヴィンが婚約を解消したことも一層感情をかき乱されてしまう原因で、アントニアへ憎悪を募らせてしまっていた。


『アーヴィン様を奪っておきながら、捨てるだなんて…』と。


 その憎悪がアントニアに対する悪意ある噂を囁くきっかけとなった。そして、その噂は静かに広まっていった。そして誰もそれを信じてはいなかった。トニーとの関係を見ている者が多かったから。

 途切れることのないアントニアの噂があり続けることで、アントニアという表舞台に滅多に登場しなくなった人間に対し、誰もが関心もあまりないが故に噂をただの娯楽として消費していった。

 仮定の話でしかないが、辺境伯令嬢がステファニーよりも先にアーヴィンに寄り添っていたなら、今アーヴィンの隣にいるのはステファニーではなかったかもしれない。

そのことに気付けているのかどうか、彼女自身きっと無意識下で理解していて、だからアントニアもステファニーも許せないと思ってしまったのではないか。

だから、ステファニーに助言をしたアントニアを許せるはずもなかっただろうし、貶めてしまいたくて仕方なくなったのだろう。

こんなことをしても二人が揃って表舞台から完全に消えることはないことくらい判っているし、アーヴィンと添い遂げることが出来ないことも判っている。でも、それでも…と願ったのは、やはり彼女のエゴだった。


 §


 その後アーヴィンから令嬢に面会を求める連絡があったが、彼女はアーヴィンと会うことで感情的になってしまうこと、謝罪をしたいという気持ちはあるが直接話すことは難しいという理由から、会うことを拒絶した。

直後に辺境伯令嬢から謝罪の手紙がステファニー、アーヴィンへと届けられていたが、ステファニーとアーヴィンが予想した程度の理由しか書かれていなかった。

心底申し訳なく思うという気持ちは伝わるものではあったが、ステファニーがどうして負傷しなくてはいけなくなったのかは、詳細が書かれているわけではなかった。

結局は、どうしてそうなったのかをただ推測するしかない状況になってしまった。

 そうして令嬢は領地へ戻り、辺境伯領内にある規律が厳しいことで有名な修道院へと入った。彼女自身はもう二度と修道院から出るつもりはないという噂が流れてきたが、誰も興味を持つことはなかった。

 ただ、彼女が修道院に入って暫くしてから、素晴らしい刺繍作品が修道院に展示されるようになった。それはまるで絵画のようで、大きな布地に刺された刺繍は、少し距離をとって見ることで全景が見ることが出来るものだった。

 臨場感のある色彩豊かな作品で、宗教画そのものだった。次第にこの修道院に展示される刺繍作品が増えていき、修道院で刺された刺繍のハンカチをはじめとしたとした布小物は、どれも素晴らしく、修道院が孤児院運営のために行うバザー以外では手に入らない為、他領からわざわざバザーだけのために訪れる人々が増えたそうだ。

 刺繍の右下に小さく()()()()()()()()が刺繍されている作品が特に素晴らしいものだと言われている。

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