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卒業 1

 王立貴族学院の卒業式の朝を迎えていた。

在学している者達にとって、卒業生を送り出す日。卒業する者にとっては自由を謳歌する最後の日。この先は成人した貴族として、生きていくことになる最初の日でもある。

 卒業式は今まで学んできた時間を振り返り、多くの思い出と共に広い世界へと歩き出していく日。

そして、卒業生一人一人が今まで過ごしてきた学び舎を旅立つために、最後の時間を今過ごしている。


 ホールには卒業生が並び座っている。演台では学院長が今まさに卒業生へ向けて、祝いの言葉を語っているところだった。簡潔に、けれど紡がれる言葉は卒業生達の心に響くものだった。

少しだけ卒業する寂しさを感じさせながらも、けれど旅立つ皆に希望が待っていると、この学院の卒業生であるということを誇りに、それぞれが活躍することを願う、そんな言葉が並べられていた。

そして、卒業式が無事に終わり、残すところは卒業パーティとなる。パーティでは貴族として夜会に参加する形式の練習の場、そして学生という立場が最後ということもあり、普段よりも誰もがこの場を楽しもうとしている。婚約者が学外にいる者もこの場では婚約者と共に参加出来ることもあり、誰もが自身のパートナーと共に参加することになっている。


 卒業式が終わり、誰もがパーティ用のドレスコードが必要なため、寮の自室へと戻っていく。侍女や侍従などを付けている者達は問題はないが、そうではない者達は親しい者同士でドレスを着せ合ったり、学院側で手配している使用人の手を借りて、着付けをしたりと、皆それぞれが忙しなく動いていた。

それはステファニーも同様だった。エクルストン公爵家の侍女をアーヴィンが付けてくれたおかげで、ドレスを無事に着ることが出来た。けれど、時間がかかってしまったために廊下に出た頃には、他の卒業生たちの姿はまばらだった。

 後はアーヴィンと共に会場へと向かうだけという状況で、寮の階段を降りている時だった。

皆が急いでいる時ということもあった。だから背後に人がいても全くおかしいことはなく、だからそんなことになるなんてステファニーは思いもしなかっただろう。


(卒業式も無事終わったし、もう嫌がらせもされることもないから、後はアーヴィン様と待ち合わせしている場所まで行って、パーティに参加して、何事もなく終わりよね。

小説だとパーティ会場での断罪まで何もなかったもの)


 web小説での内容を思い出してはいたが、パーティを楽しもうと思いながら階段を降りていた。

背後に人が立つ。その人以外にも何人もが同じ方向へと向かって階段を降りている。だから、背後の人物が何をしようとしているかなんて、気付きもしない。

 ふいに、背中に何かが当たる感覚があった。そして、それに力が込められ押された感覚があった。


「え?」


 そう声が出た時には、もうステファニーは階段を踏み外していた。そして、そのまま階段から滑り落ちてしまっていた。

 幸い、と言っていいのかは甚だ疑問が残るが、ステファニー自身が意識を失うという状況にはなかったし、落ちた直後からしっかりと言葉を話せてはいた。が、階段を滑り落ちたさいにステップの角で腕や足、腰などを打ってしまっていた。

特に酷かったのは、普段履き慣れていないヒールの高い靴を履いていたことが(あだ)となり、足首が腫れてしまい、歩くのが厳しいだろうというのが分かってしまうような怪我を負っていたことだ。

 ステファニー自身は気丈に振る舞い、笑顔を見せていたが、それが嘘だというのは誰もが分かってしまう。

そんな状況であれば、当然のように大きな騒ぎになってしまう。多くの卒業生達のいる中で、ステファニーが階段から滑り落ちたからだ。

 女子寮の中ではあったものの、男手がいるだろうというので、男性の教員やパーティの手伝いの為に駆り出されている貴族の子息達で手の空いた者が数人が駆けつけるような状況になった。

女子寮の入り口近くでステファニーを待っていたアーヴィンだったが、女子寮内のトラブルに気付き、入り口付近にいた令嬢に何があったのかを確かめ慌てたアーヴィンだが、令嬢に礼を伝えた後、急いで女子寮へと行き婚約者が怪我をしたと聞いたことを伝え、なんとかステファニーの許へと駆けつけることができた。


「ステファニー! 大丈夫!?」

「アーヴィン…、大丈夫よ。でも、足首が捻挫でもしたのかしら…酷く腫れてしまっているの。これではパーティに参加出来ないわ…」

「そんなことはどうでもいいよ。医務室へ急ごう!」

「でも…」

「いいんだ、君がいなければパーティに参加しても楽しくないからね」

「…ごめんなさい」

「気にしないで。それじゃ医務室へ行くからね」

「ええ」


 アーヴィンはステファニーの体が思ったよりは酷くないことに安堵はしたものの、腕など目に見えて分かる箇所に青痣が出来てしまっているのを見れば、眉間に皺が寄ってしまっていた。

卒業パーティは基本的に全員参加が義務とされている。けれど、今回のような直前の、予想もつかない状況での負傷の為であれば、欠席しても問題はないだろうとアーヴィンは考えた。

だからこそ、『ステファニーのいないパーティには参加しない』という意味の言葉に繫がったわけだった。

 立ち上がれず座り込んだままのステファニーの膝裏と背中にアーヴィンが手をやり、そのまま横抱きにして立ち上がる。

近くにいた教員に医務室へ向かうことを伝えると、そのままアーヴィンは歩き出していた。


「危ないから首に手を回して」

「…は、い」


 突然お姫様抱っこをされたステファニーは、前世の記憶もあって、異様なまでに羞恥に駆られてしまっていた。アーヴィンに言われるがまま手をアーヴィンの首に回したところで、顔が真っ赤になっている自覚もあるために、アーヴィンの肩に顔を隠すように伏せてしまった。

そんなステファニーにくすり、と笑いが零れてしまうアーヴィンだったが、急ぎ医務室へと向かうのだった。その様子を階段の踊り場の影から憎々し気に見ている者がいたが、誰にも見咎められることはなかった。


 一方で、学院側として卒業パーティの開始時刻が迫っている為、卒業生達に会場へ向かうよう伝えていた。

ステファニーが階段から落ちた前後の様子を知り得ただろう卒業生達には、パーティ終了後に事情を聞くということを伝えていた。けれど、彼女達には暫くその場に留まる様にとも伝えていた。

 ステファニーは明言はしなかったものの、誰かに押されたかもしれない、というニュアンスのことを話していたからだ。

ステファニーの後ろにいた人物が誰なのか、見ていた者がいなかったことも原因ではあった。

 偶然、ステファニーの近くにいた令嬢の中に数人、アントニアと親しくしていた令嬢達がいたわけだが、ステファニーはそれの意味を知る機会はないし、彼女達がそれを話すこともないだろう。

 ステファニーとアーヴィンが去り、残ったのは教員二人と令嬢五人だけだった。その中に、ステファニーに対し悪意を向けた令嬢はいなかった。


 §


「君達にはパーティの参加の遅刻をさせてしまうから、申し訳ないが…取り急ぎ事情だけ簡単に聞かせて欲しい」

「分かりました、先生」


一人が代表して、教員の問い掛けに答えていた。


「まず、確認だが…メイプル嬢が階段が落ちた時、彼女を押したかもしれない人物に気付いた者はいるか?」

「…私は気付きませんでした」

「私もです」

「その時は、お友達と話をしていましたから、見ていません」

「その話し相手は私でした」

「あの…私は、はっきりと見たわけではないのですが…」

「何か気付いたことでもあったのか?」


 教員の問い掛けに令嬢達はそれぞれ思い出しながら、答えていく。五人目の令嬢が、何か気になることがあったようだ。


「振り返った瞬間にメイプル様が階段から落ちるという状況だったのですが…、そのすぐ後ろにいらっしゃった方の着ていたドレスの胸元に大きなルビーのブローチを付けていたことを覚えています。確か…花を模っていたように見えました」

「胸元にルビーのブローチか。ドレスは無理でも、他に何か覚えていることは?」

「申し訳ありません。せめてドレスの色だけでも覚えていれば良かったのですけれど…」


 教員二人と令嬢が話をする傍ら、残りの令嬢達も脳内でルビーのブローチ、という情報から見かけた令嬢の中で同じような人物がいたかを考えているようだった。

一人の令嬢が、ハッと表情を変えた。それと同時に真っ赤なルビーを嵌め込んだ印象的なデザインのブローチを自慢気に話す令嬢のことも思い出していたようだ。


「あの…そのルビーのブローチですけど、大粒のルビーの周囲に花弁のようにシトリンを配していて、花の茎や葉を金細工で作られていたものではありませんでしたか? そして、その横に小さなルビーで同じ花の蕾を思わせるような意匠の物と金の鎖で繋がっているダブルブローチではありませんでしたか?」


 階段でステファニーの背後の人物を見かけたという令嬢は、その問いかけに大きく頷いていた。


「ええ、そうですわ! 花と蕾のダブルブローチでしたわ!」


 この時点でダブルブローチを探すことが確定した。その時点でステファニーの背を押したであろう人物を特定するための手掛かりを得たことになったのだった。

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