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生きる為の退屈

 王都にアントニア達が滞在して一週間。貴族学院の卒業式まで一ヶ月程という時期。

その間、アントニアは長男と、母親の三人で過ごすことが多かった。トニーは、義父である侯爵と共に侯爵としての仕事を少しでも学ぶということで、執務室で過ごすことが殆どになっていた。

とは言いながら、別のことで動いていたわけだが、アントニアがそれを知ることはないだろう。

アントニアとトニーが王都に滞在している理由は簡単だった。エクルストン公爵家での夜会後、雪が連日降り続いていたからだった。

雪が降り止んだ後は、晴れの日が続いていたが、代わりに気温はずっと低く冷え込みが激しい日々が続いていた。


 良く晴れた冬の朝。霜がおりるほど冷え込んだ王都では、雪が降り積もったかと思える程に真っ白な地面が広がっていた。

よくよく見れば、冬場の寒さに強く緑を湛えている草の上に霜の結晶が、雪のそれとは違うささやかな、けれど繊細な風景を作り上げていた。

 身を切られるような冴えた空気とピンと張り詰められたような感覚を受ける早朝に、朝日に照らされた結晶達が虹色を垣間見せるのをよくよく見れば気付く事もあるかもしれないが、気付く者のないまま儚く溶けるのを待つだけ。アントニアは、そんな侯爵邸の庭を暖かな部屋から窓越しに見つめていた。


(寒さは体に障るから、気温が高くなるまでは屋外に出てはダメ、と言われているけれど…。その気温が高くなるまでというのが、きっと春になるまでということよね)


 案外活動的な一面を持つアントニアは、キラキラと輝いて見える庭に出てみたくて仕方ないようだ。まだベッドの中にいるトニーは、アントニアが起きていることにも気付かずに眠っている。

そんなトニーを窓際から振り返りつつ視線を向けてみたが、先程から衣擦れの音すらさせず、眠り続けている夫が(生きてるのだろうか?)と、思ってしまったアントニアだった。が、よくよく見れば上掛けが呼吸のために少し上下する様子が見えた。


(ちゃんと生きてる。相当お疲れなのね…。眠れる時に眠ってほしいわ)


そう思いながら、再び庭へと視線を戻す。徐々に太陽が高く昇ってくる。明るさが増すと同時に、気温も高くなっていくようだ。庭に落ちる木々の影も短くなってきているだろうか。それと同時に霜で白くなっていた地面が徐々に白ではなくなっていく。


(少し肌寒いかしら…。ベッドに戻るとトニーを起こしてしまうし、暖炉の火は点いてるからやっぱり暖炉前かしら)


ガウンだけでは寒さを感じたアントニアは、暖炉の前に移動し、暖を取ることにした。暖炉前に置かれた一人用ソファに身を沈め、ソファの背凭れに掛けられていた膝掛けを肩に掛けてから少し目を閉じた。


(少し前まで暖かい冬で良かった、なんて思ってたのに。急に冷え込んできたようね。確か学院の三学年の冬は冬の終わり近く…ちょうど今頃から雪が酷く降り続いてはいなかったかしら)


 繰り返されてきた今までを振り返り、卒業式前のことも思い出したアントニアは、少し体を震わせていた。もうあの頃とは違う。アーヴィンから殺されることはないと思う。でも、トニーが危惧する『この世界から殺される可能性』は、以前の自身も感じていたことではなかったか、と思い返し、いつの間にこの世界の強制力を忘れていたのか、とアントニアは改めて身震いした。

 元婚約者からは殺される心配はない。ステファニーも悪意を感じない。だから、二人に対しては警戒はしたとしても、一定の距離さえ保てば問題はない。けど、それ以外の『アントニアの死』を求める何かがあるとしたら、どう対処していけばいいのか、アントニア自身はどうしようもないと思っている。

 そんな考えに囚われたからなのだろうか、突然腹部に違和感を感じた。子供が手や足を動かしたせいで、感じるそれとは違う。

違和感から、小さな痛みが走る。徐々にその痛みが強くなっていく気がする。

出産前にある陣痛に似た痛みだった。ただの痛みがあっただけなのか、アントニアは自身のお腹を優しく撫でながら、小さな声で語りかける。


「まだ出てくる時ではないのよ。ゆっくりゆっくり温かい場所で、もう少し大きくなるまで過ごしてちょうだいね」


 お腹の子供に話しかける。小さくお腹の中で動く気配が伝わる。アントニアの言葉が子供に届いたのかもしれない。

お腹の痛みが落ち着き、その後また痛みが出ることもなかった。すっかり手と足の指先が冷えてしまったけれど、子供の為にベッドへ戻ることにしたアントニアだったが、冷えてしまったアントニアのせいでトニーが起きてしまうところまでがお約束だった。

 冷えてしまったアントニアを心配したトニーは、両手でアントニアの手を包み込むように握るところから始まり、アントニアを抱き締めていたわけだが、それなりに温かくなってきたのを確かめた後は、アントニアに毛布を掛けてみたり、触れて冷たい箇所をひたすら撫でてみたりするのだった。

アントニアも少し困った顔をさせながら、トニーを拒否も出来ず、仕方なくトニーにされるがままとなるのだった。


 §


 その後しばらくして、王都は雪が降り続いた。大通りは馬車が通れるように雪かきがされていたし、人々も多く行き交っていたが、そうではない狭い道や路地裏では雪が残るばかりで、雪かきすらされていない道もあるようだった。

そして、アントニアは屋敷の外に出ることなく、以前に感じた痛みもあり、体を冷やさないように常に暖かな部屋で過ごすようにしていた。

 暖かな部屋の窓から見える庭は、一面の雪と、手入れされている植物達との対比が綺麗だな、とアントニアは感じていた。


「寒いけど、庭に出てみたくなるわ…」


 アントニアの自室ではあったが、誰もいないわけではなかった。トニーもいたし、長男もいたのだから。アントニアの言葉を拾い、応えるならトニーなのだろうが、この時は息子だった。


「まま、さむい、めっ!」

「まぁ!」


 長男が言いたかったのはきっと、寒い場所に行くのはダメ、ということなのだろう。小さな、まだ言葉すら覚束ない幼い子供に言われてしまえば、アントニアも困ったように笑ってはしまったけれど、長男に顔を向けて、大きく頷いていた。


「はい、お母様はお外に行きません」

「まま、いいこ!」

「ありがとう」


 長男はアントニアが座るソファの隣に座り、ぎゅっと抱き着いた。アントニアはそんな長男を優しく抱き締める。まだ幼い息子に宥められた格好のアントニアは、トニーに苦笑気味に話し掛ける。


「叱られちゃったわ。でも、褒められもしたわ」

「ははは、流石に君も言う事を聞くしかないね」

「そうね。この子がこんなにしっかり者だなんて、私知らなかったわ」

「君と僕の子供だからね」

「…ふふ、そうね」


 穏やかな家族の時間だった。けれど、この冬の寒さがアントニアの体に障った、と言われれば否定できない程に毎日が底冷えして、どれだけ部屋を暖めていても、ふとした瞬間に寒さを感じる冬の終わりだった。

やがて春へと季節が変わり始めるだろう時期になっても、まだ寒さは厳しく、アントニアもそれに耐えられなくなったかのように、体調を崩した。

最初は些細な異変だった。アントニアが長男を出産する前にあったような、お腹が張るような感覚だった。けれど、徐々に出産の準備をするべく、体が整えられていくものだ。だから、それなのかもしれないと思うだけだった。でも、そうではなかった。

些細な異変、と思った数日後にそれは起こった。急激なお腹の痛みに、アントニアは堪え切れずに座っていたソファの上で突っ伏してしまう。

 幸いにも二人掛けのソファだったこともあり、体を横たえることが出来た。部屋にいた侍女のドリーからトニー、侯爵夫妻にアントニアの状況が伝えられる。それと同時にグリフィス侯爵家の主治医にも連絡が取られた。

医師が到着した頃には、アントニアはベッドへと移され、痛みに苦しんでいた。


 診察を終えた医師によれば、アントニアの症状は切迫早産に当たるもので、早期の出産になりかかっているということだった。

そして、それがどういう意味なのかも伝えられた。

時期としては貴族学院の卒業式直前だった。そして、アントニアの出産はなんとか避けられるかもしれないし、無理かもしれないし、とにかくどうなるのか医師の判断も難しいということだった。

母子共に影響があるため、出来るのなら早産にならないように、治療していくという話だった。

 その日からアントニアは、再びベッドの住人となった。アントニアは比較的すぐに元気になったように見える状況だった。

けれど、医師からは決して体を動かしてはいけないと、きつく言い渡されていた。

些細なことで、体調を崩してしまえばいつ破水をしてしまってもおかしくない、子供が出てきてしまってもおかしくないのだとも。だから、無理をしてはいけない。退屈してしまうだろうが、我慢して子供の為にも可能な限り体を動かさないように、ということだった。


 毎日、家族が入れ代わり立ち代わりでアントニアを訪ね、そして日々の出来事を話して聞かせた。アントニアは顔色も良く、いつも笑っていた。誰もが安心していた。きっと、産み月までなんとか大丈夫だろう、と。

翌日には貴族学院の卒業式ということを、アントニアもトニーも忘れてしまっていた。

それほどまでに、アントニアの体調に気を配り過ぎていた結果だった。

お読みいただきありがとうございます。

完結まで、毎日は無理ですが出来る範囲で投稿していこうと思います。


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