親子の会話
エクルストン公爵邸での夜会から二人は無事に帰り、トニーが侯爵夫妻にも何事もなく公爵家との関係は良好だと周囲に知らしめることが出来たことを伝えていた。
アントニアはその話をただ頷きながら聞いていた。両親である侯爵夫妻も安堵していた。
「二人には代理となってもらったが、結果的に何事もなかったのなら、これで良かったんだろう。ありがとう」
「義父上、お二人の体調が心配だったのです。当たり前のことですから、礼など不要ですよ」
「そうですわ、お父様。私達が代理として参加したいと考えたのですもの」
「二人共、本当にありがとう。私達はいい息子娘に恵まれたな…」
「ええ、あなた」
ささやかな家族の時間を過ごした後、トニーは義父である侯爵と領内でのことで話があるらしく、アントニアと母である侯爵夫人は、各々の部屋へと戻っていった。
「義父上、お体の方はもう大丈夫だと聞いておりますが、その後どうですか?」
「すっかり大丈夫だ。色々心配をかけてしまったな」
「いえ、元気になられたのなら本当に良かったです。二人目の孫の相手もしていただかないと困りますから」
「! そうだったな。二人目は女の子がいいんだがな…。アンが生まれた時、本当に可愛くてな…」
「……っ、ちょっと色々、ええ、今…不用意に女の子が生まれた想像をしてしまった自分がバカだと…」
「何を想像したのかは、分かるがな。あまりに先のことを考えすぎると、辛くなる。考えない方がいい」
「はっ! 義父上もアンの生まれた時に?」
「そうだな…。考えても仕方のないことだが、考えてしまうだろう? 可愛い娘が他人の男に嫁ぐとか、絶対無理だって…」
「…そう、ですね。……自分の娘が、とか考えたら無理、ですね」
「あ。トニーはうちの自慢の息子だから、無理とは思わずに済んでいるよ」
父親という立場の男同士で娘が生まれたら、などとある種妄想に近い想像をしている義理の親子は、くだらない会話だと思いながらも続けている。
気付けば、知らず別の話題へと移っている、会話などそういうものだ。
「そう言えば、夜会で公爵家の新しい婚約者の方が、他の御令嬢に絡まれていました。以前の夜会でも絡んでいた令嬢達だったので、アーヴィン卿に伝えて事なきを得たのですが…」
「…確か、辺境伯家の令嬢とその友人の令嬢達だったか」
「はい。彼の御令嬢達はアンにも言葉だけだったそうですが、嫌味のようなことを言っていたそうです。ですから、彼女達の家の御当主様方には手紙で軽くお伝えしてはあります」
「…アンには接触していないが、メイプル男爵家の御令嬢には接触をしていた、か」
「きっとエクルストン公爵閣下も対処されると思いますが、こちらでも何か対策を考えた方がいいか、と」
「そうだな。現時点では公爵の対応だけで問題はないだろうが…」
蟀谷に手を当てながら、考えるふうにした侯爵だったが、トニーに意見を求めるように視線を合わせた。
「アンに接触をしない間は問題にするつもりはありません。ですが、茶会や夜会と言った場で、未だにアンがアーヴィン卿への執着があるような変な噂や、メイプル令嬢に対する悪意ある行為をアンがしているというような噂もあります。
正直、アーヴィン卿とメイプル令嬢のお二人がアンに対し、非常に好意的に友好的に動いてくださっている現状で、私や息子との幸せな暮らしが事実であるにも関わらずの噂です。
アンへの悪意しかない噂の出所は、しっかりと掴んでいます」
「……件の令嬢か?」
「はい」
「辺境伯は非常に付き合いやすい御仁だがな。…令嬢への教育には失敗しているのか」
辺境伯は、国境沿いを守る為の要であり、重要な立場でもある。伯爵とは言いながら、実質侯爵家に並ぶ立場にある。
「どうして件の令嬢は、アンにそこまで…」
「かの令嬢が話していたのを直接聞いた者から聞いた話です。本来なら、アーヴィン卿と婚約をするのは自分だったと。幼い頃にアーヴィン卿と接点があったようです。
その時にアーヴィン卿に婚約してほしいと訴えたらしく、婚約というのが何か分からないアーヴィン卿に対し、かの令嬢が説明をしたとか。
すると、アーヴィン卿が表情を明るくし『婚約したい』と応えたと。
だから、本来ならアンではなく自分が婚約するはずだったのに、気付けばアンが婚約しており、その後婚約解消されたかと思えば、令嬢が立ち入る隙のないままメイプル令嬢が婚約者に収まってしまっていた、ということらしいです」
トニーが辺境伯家の令嬢のことを侯爵に伝えれば、腑に落ちない様子の侯爵にトニーも同意しながら頷いている。
「…アンが積極的に望んで婚約した形ではなかったのだがな。結果的には先代同士の口約束があってのことだったし」
「多分、ですが。かの令嬢が『婚約』の説明をしていますよね。それに対しアーヴィン卿の言ったという『婚約したい』というものが、かの令嬢へのものではなくアンに対するものだったのではないかと。
ただその当時、アーヴィン卿が言ったことを自分との婚約を肯定したものと理解したと考えれば…アンへ向ける感情も見えてきます」
「それなら、確かに勘違いもしてしまうかもしれないな。幼い頃というのであれば…」
「ただ、アンはもう結婚して子供もいますし、アーヴィン卿にとっても過去になっているのです。
それでもアンに対し恨みのようなものを募らせてしまっているようで、非常に不快です」
二人には、彼の令嬢のアントニアに対する憎悪にも近い感情を感じたのか、眉間に深い皺が刻まれている。侯爵はそれに気付き眉間を指で撫でながら、トニーを見る。
「トニーの気持ちはよく分かる。感情的になり易い令嬢ということなのだろう。きっと思い通りにならなかったことも滅多にないような生活もしてきているのだろうし…」
「義父上、分かってくださり嬉しいです。
とりあえずは、かの令嬢がアンに対し今以上に接触しないのであれば、何もしません。噂も時間が経てば忘れられるものですから。
ただ、アンがアーヴィン卿をかの令嬢から奪ったと思い込んでいる限りは、アンへの悪意ある噂は消えないと思っています」
「婚約解消になっているのに…いや、だからか。自分の慕う相手を奪っておきながら、その相手を捨てた。そして他の男と結婚し子供も産んでいる。
それが令嬢にとって、自身を侮辱されたと感じている…のかもしれないな」
侯爵の言葉にトニーが、何かに気付いたように表情を硬くした。
「……他家の令嬢に対し言うべき言葉ではないのでしょうけど、言わずにいられない」
「…ここだけの話だ。言っていい」
「ありがとうございます。かの令嬢は…頭が悪すぎる」
「…私は聞いていない。安心しなさい」
「因みに義父上は?」
「トニーと同じだ」
義理の親子はアントニアのことを話しだせば、尽きることがないらしい。そしてアントニアを害する者がいるのであれば、排除するだけという一致を見せる親子でもある。
辺境伯令嬢に関しては、今は排除対象ではない。が、警戒すべき対象という認識で一致した。
貴族学院内でアントニアが彼の令嬢に貶められるような事実はない。頑張ったとしても噂を流すくらいしか出来ない。だからこそ、死亡フラグがここでも折れたと言える状況は出来上がっている。
けれど、トニーは「噂」が二種類あるからこそ、油断してはいけないと感じている。
アントニア自身を貶める噂と、ステファニーを絡めた噂の二種類。
前者はアントニアだけが一方的にアーヴィンを未だに慕っているという無理のあるもの。誰も信じないような噂。
後者は新たな婚約者をアントニアが貶めるように仕向けているというもの。二人が接点をあまりに持たないからこそ、成り立ってしまいかねない噂だ。しかも一つ目の噂を補ってしまいかねない噂でもある。
アントニアがステファニーに直接手を下さなくても、誰かに頼んでステファニーに悪意を向けている。そんな噂であれば、アントニアが王都にいなくても成り立ってしまう。
トニーは噂自体は一度流れてしまえば手を出しようもないが、新たな噂が流れないようにすることは可能だと考えている。だから、義父に『今以上に接触しないのであれば、何もしません』とは伝えたものの、実際には動くつもりでいる。
どこまで彼の御令嬢が理解するのか、こちらの意図を把握出来るのか、全く予想出来ないけれど。




