公爵邸 1
エクルストン公爵家の夜会当日は、朝からアントニアは侍女達に磨かれていた。久しぶりに磨かれることと、妊婦であることもあり、普段なら侍女達がかなりキッチリと仕上げるところを、アントニアの負担にならないようにと、気を使いながらの時間となったようだ。
コルセットも必要ではないだろうと思うほどの腰の細さのアントニアだが、さすがに今は妊婦であり、お腹も目立ちにくいだけであってコルセットは厳禁だった。
アントニアは腰を強調するデザインでなければ、問題なく着こなせそうではあったが、二人目の御子に何かあってはいけないから、と侍女達が懸命に考え選んだデザインは腰よりも高い位置に切り替えのあるAラインのドレスだった。
スカート部分のふんわりと広がるデザインで腹部に視線がいかないように、首元や胸元に刺繍やアクセサリーを持ってくることで、アントニアが妊娠していることを知らなければ、気付けないような装いとなった。
肌の露出もあまりないように、レースの生地で腕や肩を覆っている。その上からドレスと揃いのショールを肩に掛ければ、寒さも薄れるだろう。
トニーの瞳の色の藍色をドレスの生地に使い、レースや刺繍の糸の色には淡い色合いから濃い色合いまでのグレイを使い、光の反射によっては刺繍やレースが浮き立って見えるような仕上がりになっていた。
トニーの装いも同様にアントニアの色を取り入れていた。上下揃いの生地で仕立てられたスーツはアントニアのドレスと同じ色だったが、ドレスシャツの刺繍は、アントニアの瞳の色と同じオレンジから柔らかな落ち着いたブラウンのグラデーションを思わせる糸を使い、袖口や襟などにアントニアのドレスと同じ柄が施されていた。
二人が並び立つことで、一対の人形のようにも見え、使用人達皆が見惚れて、ため息を吐いていた。
§
夜会へ出かけるために玄関へと向かえば、長男を抱き上げたグリフィス侯爵と夫人が二人を見送るために既に来ていた。
「二人共、孫のことは心配しなくていいから、行っておいで」
「久しぶりに二人の時間を楽しんでね」
「まま、ぱぱ、いてしゃい」
「お父様、お母様、ありがとうございます。パパもママもすぐに戻ってくるから、いい子にしててね」
「義父上、義母上、よろしくお願いします」
長男の頭を優しくアントニアとトニーで撫で、馬車に乗り込む。馬車がエクルストン公爵邸へと向かうために動き出せば、小さく息を吐いたのは二人のうちどちらだったのか。
「大丈夫。僕の側を離れないで。必ず守るよ」
「トニー…。いつもありがとう」
「当たり前のことだから」
トニーは王都へ向かう途中に狼の群れと出くわしたことは、きっと偶然の仕方のないことの一つであって、この世界の悪意とは言えないのだろうと思う。けれど、それを完全に否定することも出来ないでいる。
だからこれから向かう先で、アーヴィンやステファニーがいるであろう場所で、何もないという確証も持てないでいる今、アントニアに何かあると考えて行動するしかないと考えていた。
§§§
王家主催の夜会以来、社交の場をアントニアは控えたままだ。トニーは時折参加してはいるが、グリフィス領の近辺に限られている。
アントニアとトニーが揃って参加することで、エクルストン公爵家とグリフィス侯爵家は婚約解消があったとしても変わらず、今後も関係は継続していくというのを示すことが出来る。
双方の家にとって婚約の解消は何の問題にもなっていない、円満な婚約解消だったというのを公の場で示す機会だった。ずっとアントニアがグリフィス領に戻ったきりで、王都で姿を見せたことが王家主催の夜会だけだったから、余計に他に貴族からは『この先、エクルストン公爵家とグリフィス侯爵家はどうなるのか?』というのが秘かに噂されていたようだ。
実際には現当主同士が他の公の場で親しく話すという様子を敢えて見せ続けていた為、悪い意味での噂はあまり聞かない状況ではあったが。現当主同士は良くても、次代の当主同士はどうなのか? それはやはり気になる話題ではあるらしく、アーヴィンとトニーが現当主達のようには親しげではないという話もあり、そこでアントニアとの婚約解消の話が蒸し返されることがあるようだ。もう随分時間も経っているというのに。
だからこそのエクルストン公爵主催の夜会へトニーとアントニアが姿を見せることに意味があった。その事については二人もその意味も理解している。が、グリフィス侯爵から「無理をしなくていい」と言われ、「叶うなら当分領地にいなさい」という半分命令のような事も言われていた。
それに甘える形でずっと領地に居たのは事実だったが、今回の侯爵夫妻の病気に関しては、予想外のことであり、仕方のないことだとアントニアもトニーも思うのだった。
公爵邸の門を潜り、玄関前までのアプローチを馬車で進んでいく。既に到着している人々が乗ってきた馬車が移動していく様子や、まさに今馬車が停まろうとしている様子や、馬車から客人が降りる様子が見ることが出来た。
そんな一角に馬車が停まると、御者が扉を開けるのを待ちトニーが馬車を降りた。そして、アントニアへ手を差し伸べ、アントニアがその手を取るとゆっくりと馬車から降りる。
トニーのエスコートでアントニアは久しぶりにエクルストン公爵邸へと入っていく。
「大丈夫?」
トニーが気遣うようにアントニアへ声を掛ける。するとアントニアはクスっと笑う。
「まだ始まってもいないのよ? 大丈夫だわ」
そう返せば、トニーも笑う。少し過保護かな、と漏らしながら。
夜会の会場となっている大広間へと歩を進める。多くの貴族達も向かう先だ。見知った顔がチラホラ見受けられる、とアントニアは思った。貴族学院で親しくしていた令嬢達の御家族や婚約者もいたし、お世話になった方達もいた。こちらに気付いた方には会釈をしながら、進んでいく。
会場へ入れば、公爵夫妻と元婚約者のアーヴィンと新たな婚約者のステファニーが並んでいた。
グリフィス侯爵夫妻の代理でありながら、実際には招待状を受け取っている立場でもある二人は、アントニアの妊娠もあって一度は断りを入れていた。状況が状況だったため、今回は代理という形での参加にはなってしまっている。それは公爵家も理解してくれているため、早めに帰宅することになっても問題はない。そこまで話をグリフィス侯爵がつけてくれていた。
それだけ、エクルストン公爵としてもアントニア達に参加して欲しいと願っていたことらしい。
アントニア達に真っ先に気付いたのはステファニーだった。時間的に夜会そのものの開始の挨拶はなされていない状況だから、公爵家の人達から一人外れてアントニア達の許へやって来た。
ステファニーが楚々とした様子で二人の前で足を止めた。
「お久しぶりです。グリフィス侯爵次期当主のトニー様。御夫人のアントニア様。お忙しい中、ご参加くださりありがとうございます」
「お久しぶりです。メイプル男爵令嬢、いえ…エクルストン公爵次期当主の御婚約者、ステファニー様」
「エクルストン様と仲睦まじい様子ですね。本当に良かったですわ。がんばりましたのね」
ステファニーの挨拶に返したのはトニー。そしてアントニアはステファニーに、少し声を潜めながらアーヴィンを捕まえてくれてありがとう、と遠回しな意味で伝えていた。少なくともこれでアーヴィンから殺されないという保証は出来たから。アントニアはこれで自身の死亡フラグを完全に折れたと考えているのだろう。
トニーはそれで終わると考えていないけれど。
ステファニーと共にエクルストン公爵家の人々に挨拶するために彼らのいる場所へと近付いて行く。
周囲からヒソヒソと囁く声が漏れ聞こえてくるが、アントニアもトニーも全く気に留めることはなかった。それと同時にアントニアとトニーの二人が並ぶ様に、令嬢達からため息が漏れていることや、令息達から羨望の眼差しが注がれていることも二人は全く意に介することはなかった。
ステファニーがアントニアと親し気に声をかけ、それに笑顔で返すアントニアの様子も、周囲の人々からは注目されていた。
「本当に新しい婚約者様と元の婚約者様は仲がよろしいのね。ただの噂かと思っていましたわ」
「そうですわね。娘が学院でお二人が親しくされているのを見かけたことはないと言っておりましたけれど…」
「あんな噂がありますから、学院で親しくするのも難しかったのかもしれませんわね」
「違うクラスだったとも聞いておりますから、余計なのかもしれませんわね」
さ
どこかの御夫人同士の会話が聞こえてくる。どんな噂なんだか、そんな風に思うトニーだったが、どんな噂だろうと全く気にすることなどないという態度で、アントニアをエスコートしていた。
ステファニーは、トニーとは反対に(アントニア様とトニー様にご迷惑をおかけするような噂話なんてもう忘れてー!!)といった具合に、実はかなり気に病んでいた。
(今の私の最推しはアントニア様なのにー!!)
ということらしい。
前世で読んでいたweb小説の世界に転生したステファニーは信じているが、その小説の登場人物の一人であるアントニアに対し、恋人を寝取られた記憶があるステファニーは、アントニアというキャラクターに心情的に感情移入していたことを思い出したことと、この世界でアントニアと直接話をしたことで、文字だけでは分からなかったアントニアという令嬢が、どれだけ魅力的な人物かを知ってしまえば、推し変してしまう理由としては充分なものだったようだ。
もっともアーヴィン推しだった過去は、現時点で婚約者がアーヴィンとなっているので、推しが増えた感覚に近いようではあるが。
エクルストン公爵一家が揃う場に辿り着けば、当主も夫人もアントニアに対し優しく微笑んでいた。
「久しぶりだね、体は大丈夫かな? 二人目だと聞いているが、くれぐれも無理はしてはいけないからね。
辛くなるようなら、休憩室を使って欲しい。無理せず、楽しんでいってくれると嬉しい」
「公爵様、お久しぶりです。ご無沙汰しておりました。体の方ですが、安定期に入って落ち着いておりますの。お気遣いありがとうございます。今日は久しぶりの夜会ですから、楽しませていただきますね」
「公爵様、いつもお気遣いに感謝いたします。義両親と共に参加出来れば良かったのですが、今回は代理ということで、私共が参加させていただきました。
アントニアのこともお心遣いいただき、ありがとうございます」
「トニー君、こちらこそ君達と会えて嬉しいよ。今日はゆっくり出来るようならそうしていってくれると、ありがたい。
ただし、大切な奥方をちゃんと守ってあげなさい」
「はい、アントニアも子供も守ります」
そんなふうに挨拶を終え、その場から離れた。
公爵夫人とも話をすることはなかったが、夫人は以前と変わらずアントニアに対し親しみを込めた笑みを向けていた。そして、元婚約者のアーヴィンもすっかりアントニアへの気持ちを昇華出来たようで、穏やかに笑みを浮かべていた。
ステファニーがアーヴィンの隣に立てば、そちらに向けた笑みは誰が見ても、ステファニーのことが大切な相手だと分かるものだった。
アントニアと婚約していた頃は、気持ちがあっても表情として現れることが滅多になかったのに。無表情が普通だった彼も、少しは変わったのかもしれない、とアントニアは思ったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
いつもなら水曜日に投稿をすることが多いのですが、今週は祝日が水曜日なので一日前倒しで投稿しました。
そして、今回は文字数が多過ぎる…。バランスよく書けるといいのに…と毎回思います。
今後の課題です。がんばろう。
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