予兆 1
アントニアが二人目の子供を授かり、悪阻で再び苦しむことにはなったものの、子供を自分の体の中で育てているという実感をまた味わえることに喜びを日々重ねていた。
元気に動き回るようになった長男の世話は使用人達に丸投げになってしまっている状況で、アントニアは彼らには申し訳ない思いもあったが、それでも愛情をかけてくれる大人が一人でも多ければ、それだけ子供にとって自分自身が愛されていることを感じられるだろうから、と彼らの厚意を遠慮なく受け取っている。
それでも、子供にとって母親は誰にも変えられない存在なのは間違いなかった。
食事をあまり摂れないアントニアだったが、かならず子供と一緒に摂るようにしていたし、本を読む時間は欠かさなかった。一緒に外へ出て、散歩するということはまだ暫くは無理のようだ。
食が細くなったために、かなり体重が落ちてしまっていて、ベッドで横になっていると本当の病人のようでもあった。
しかし、医師の診断によれば、徐々に悪阻も落ち着いてきているから、今後は徐々に体重も増えていくだろうとのことだった。
皆がそのことに安堵した頃、王都にいる侯爵夫妻が領地へと戻ってきた。
「義父上、義母上、お久しぶりです。お疲れの所申し訳ないのですが、アンに会ってあげてください。きっとお二人に会えば、アンも安心しますから」
玄関前で使用人達と並び出迎えたトニーは、夫妻にそう告げていた。久しぶりの両親との再会はアントニアの心を落ち着かせ、癒してくれるだろうから、と。
それに二人も愛娘の様子を知りたいだろう、と。
暫くは親子水入らずで過ごせるように、使用人達にも伝えていた。
悪阻も落ち着いてきていたこともあり、随分楽しそうに両親との時間を笑顔で過ごしていたようだった。また夫妻も元気そうな様子を見せるアントニアにほっとしているようだった。
アントニアが眠り始めたところで、二人は寝室を後にした。それから二人の為の居室へ移動すれば、次に相手にするのは孫だろう。それを見計らったかのようにトニーが二人の許へ孫を連れて行った。
「おじいさまと、おばあさまだよ。ご挨拶しようね」
まだ言葉をうまく話せない幼子だけれど、じっと祖父母の顔を見れば、自分の母親を思わせるものがあるのか、すぐに笑顔を見せていた。
「じ…じ、ばっば」
懸命に二人を呼ぼうとしている様子に、夫妻は孫をただただ微笑ましいと目元を緩ませていた。
抱き上げていたトニーも二人へ近付き、祖父である侯爵に長男を渡した。
祖父に抱かれ、すぐ隣には祖母がいる状況に一瞬戸惑った様子を見せていたが、父親のトニーが離れずいることで、安心したようだ。すぐに祖父母へと顔を向けて、笑っていた。
無条件で可愛いと言えるのが孫というものらしい。二人は愛娘のアントニアに向けるまなざしとは別の、けれど愛しいものへ向けるまなざしで孫を可愛がっていた。
二人に遊んでもらう形で、長男も機嫌よく過ごすことが出来た。アントニアがベッドから降りていられる時間が増えたことも大きかったが、新たな大人との出会いも長男には大きかったようだ。
§
侯爵夫妻の滞在は十日間程だったが、久しぶりに家族が揃ったことでアントニアも精神的に落ち着いているようだった。それも僅かな時間で終わってしまったが、家族に支えられているという事実を感じられたおかげか両親が帰ってしまった後でも精神的な安定は得られたままのようだ。
幸い領地は気候も良く、温暖な土地柄のおかげで、アントニアは日々ゆるやかに膨らんでいく自身の体を長男の時のように大切に育んでいった。
アントニアが二人目の子供をお腹に宿したのは、十八歳を目前にした時期で、夏の終わりを感じさせ始めた頃だった。そのことがトニーには少し気掛かりだった。
もしアントニアが貴族学院を退学していなかったなら、ちょうど三学年ということになる。それは、アントニアが元婚約者のアーヴィンに殺されることになる年齢ということだ。
トニー自身はアントニアが死ぬことが前提で、この世界が成り立っているのではないのか? そんな疑問があった。今はもうアーヴィンとの関係は終わっている。だから、彼に害されることはないという確信はある。
けれど、前回アントニアは自身の手で自らを終わらせている。彼女自身の死を切っ掛けにして、世界が変化しているのを前回嫌という程感じ取ったトニーだからこそ、今回もアントニアに何かあるのではないのか、と警戒している。
「元婚約者ではない、別の何かがアンを殺すかもしれない」
ただの思い過ごしで終わるのなら、それが一番いい。でも、以前とは何もかもが変わってしまっている今、アントニアがアーヴィンに殺されない未来が確定しているだけ、トニーはそんな風に考えていた。
今は悪阻が落ち着き、随分出来ていなかった長男との庭の散歩を楽しむアントニアを執務室から眺めている。そんなトニーは大切な妻を、家族を守る為に、今出来ることを考えるだけだった。
穏やかに過ぎる日々は、あっさりと壊れるものなのだと思い知るのは、何時だってこの世界が繰り返され続けている世界だと知るアントニアとトニー。
それは本当に唐突に、そして誰もが動揺しないではいられなかった。
§§§
アントニアの悪阻もすっかり落ち着き、安定期と呼ばれる色々な面で妊婦が安定した時期に入っていた頃のことだ。
本当なら参加する必要もない夜会だったが、トニーとアントニアはその日の夜会はどうしても参加しないではいられない状況に陥ってしまっていた。
グリフィス侯爵夫妻が、夜会の一週間前から体調を崩してしまったことが一番だったこと、その夜会の主催者は叶うならトニー、アントニア夫妻に参加してもらいたいと希望していたこと、その二点において二人が侯爵夫妻の代理として参加する必要に迫られたということだった。
主催者の名前を聞いて、二人の眉間に深い皺が寄ったことは間違いない。夜会の主催者はエクルストン公爵だったから。
グリフィス侯爵からトニー宛に届いた手紙を読み、トニーは酷く不快だという表情のまま過ごしていた。
王都へ戻らなくてはいけない事情は理解しているし、その為に王都へ戻ることに対して否定する気持ちがあるわけじゃない。
ただ、それとは別のところで拒絶しかなく、その為に体も態度として出てしまっていたようだ。
そんなトニーの様子にアントニアも同調したい気持ちしかなかったが、流石に長男がいることや使用人達にどうしてそこまで二人揃って拒絶するのか、という疑問を与えるのは良くないだろうと思い直し、トニーに寄り添っていた。
まだ幼い長男にとって、王都へ戻ること自体理解出来ていない。
使用人達は、アーヴィンとのことが原因で領地へと戻ってきているのではないか、という推測をしている者がそれなりにいたようだが、今回の二人の様子からきっとそれが正解だったのではないか、という確証を得た者が出て来てはいたようだ。但し、アーヴィンの何が原因なのかまでは流石に理解は及ばないが。
執務室の執務机に置かれた侯爵からの手紙を手にし、一人用のソファに崩れるように座ったトニーは、本来なら有り得ないくらいにグッタリとした様子だった。背もたれに思い切り背を預け、首元を緩めるためにシャツのボタンを二つ外しているだけでも、普段見られないくらいにトニーらしくない様子ではある。
ただ、そうしないではいられない程に、王都へ戻ることが気に掛かって仕方ないからだ。
季節はもう冬。王都へ戻るには雪が心配な時期。けれど、この冬は例年にないくらいに暖かく、雪がそれなりに降る王都ですら雪が降っていないそうだ。だから、王都への移動は問題ないだろう。
その上、アントニアも安定期に入っていて、少しくらいなら問題ないと思える。だからこそ、これがアントニアの死が身近となる王都行きに、トニーは酷くイライラもしているし、憔悴もしてしまう原因だった。
「前回のアンは、冬に…王都の自室で逝ったと聞いてる。躊躇いもなかったと…」
ちょうど雪の降る季節だった。アントニアが自死したことを知った瞬間に、トニーは自身の手から大切なものが零れ落ちたことを理解した。決して自分のモノではないアントニアだったはずなのに、もう自身のモノとして定めてしまっていたのだろう。二度と奪われないように、とその瞬間考え始めていた。それをトニー自身自覚していた。
きっとあの瞬間が、モブという立場であったのに、トニーという名前を与えられたキャラクターが誕生した瞬間でもあったのだろう。トニーが二度とモブには戻れなくなったと言ってもいい。
「前回より前は、卒業式の後に元婚約者に殺されてきた…。春先だったけど、まだ肌寒さも残る頃だ」
王都、寒い季節、この二つがアントニアの死を思わせて、トニーは王都の寒い時期が好きではなくなった。
以前は寒さで空気が張り詰めた感覚や、雪で王都が白く覆われた様は好ましく思っていたはずなのに。
「…今回の王都行きは、何もないといいけど」
義両親が体調を崩した原因は、冬に流行る風邪のせいであって、決してこの世界がアントニアを強制的に何かしようとしているわけではないと、トニーも頭では理解している。
実際今はもう回復に向かっていて、二人共ベッドから出ても大丈夫になっているし、今回の夜会にトニー達が代理で参加するのも、二人に無理をさせたくないから、というのもある。
その気持ちに関してはアントニアも同じで、グリフィス侯爵夫妻の健康を心配した純粋なものでしかない。
だからこそ、そこにこの世界の悪意があるような気がしてしまうトニー。
「必ずアンを守らなければ…」
改めてアントニアに向けられるかもしれない悪意、もしくは殺意。それが人からではなく、この世界かもしれなくても。
お読みいただきありがとうございます。
アントニアとトニーの子供、地味に育ってます。まだ言葉は話せないけど、がんばって覚えてるところです。
そしてまたもや王都に戻らされる状況に陥ってます…。大丈夫かなぁ。
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