命の芽吹き
グリフィス領での穏やかな日々は、アントニアの小さな体調不良から唐突にそれぞれの立場を変化させていくこととなった。
その日の朝も、いつものようにアントニアはトニーと共に眠るベッドで目覚めていた。
普段であれば、そのままゆっくりと微睡むこともあるが、一人息子の為に乳母と共に朝を動き始めることを習慣としているため、すぐに起き出すところだった。が、その日はどうにも体調がスッキリとしなかった。
鳩尾辺りが妙に気持ち悪いと感じる。それに怠さもあった。
滅多に熱を出すことのないアントニアは、微熱が出るだけでも怠さを感じる体質なこともあり、まだ眠っているトニーを起こすことにした。
横になったまま隣で眠るトニーの肩を軽く叩いてみる。
「…トニー、眠ってるわよね?」
「ん…、どうした?」
「起こしちゃってごめんなさい。もしかしたら、私熱が出てるのかもしれなくて…」
「熱!?」
「少し…だるいの」
まだ眠さを訴えていたトニーの頭が、アントニアが熱を口にすればすぐさま切り替えたように動き始めた。
急ぎ体を起こし、アントニアの額に掌を当てるトニー。手に伝わる熱は、酷く熱くはなかったため、安堵の息を吐く。が、それでも普段感じる熱よりは確かに高い。
「確かに熱があるね。でも、多分微熱だよ。そうだ、喉は乾いてない? 水を飲もう」
「ええ、喉…乾いてる…ありがとう」
熱のせいで喉の渇きを自覚したアントニアだったが、そのせいか少し咳が出た。
「…大丈夫?」
「大丈夫。少し喉が渇いたせいだから」
「それならいいけど…。はい、グラス」
いつの間にか窓の外はアントニアが目覚めた時よりも明るくなってきていた。アントニアも体を起こしていた。トニーが水差しからグラスへ水を注ぎ、アントニアへと渡す。
水を飲み終えたアントニアからグラスを受け取ったトニーは、すぐさま動き出す。グラスをサイドボード上に戻し、着替えるためにベッドから出た。
「アン、まだ早い時間だからお医者様をお呼びできない。でも、朝一番で来ていただくから、もう少しだけ眠って待ってて。
何か欲しいものはある? 朝食は食べられるかな?」
「…ふふ、トニーありがとう。今日はゆっくりさせもらうわね。朝食は…少しだけなら食べられそう」
「分かった。それじゃ、僕は色々用を済ませたらまた来るから。ゆっくりね」
「ありがとう」
ベッドに横たわったままのアントニアの額にキスを落としてトニーは寝室を後にした。
一人残されたアントニアは、また眠る為に目を閉じた。そのまますぐに寝息を立て始めたアントニアに誰も気付かない。
ただ、少しだけトニーは何か思い当たることがあったようだ。決してそれを口にすることはなかったが。
§
アントニアが次に目覚めたのは、随分太陽が高くなってからだった。それでも、まだ朝と呼べる時間帯ではあったけれど。
まるでアントニアの様子を窺っていたのかと思えるタイミングで、扉をノックする音と一緒に侍女のドリーの声を聞き、返事を返していた。
「アントニア様、お体はいかがでしょうか? 朝食をお持ちしましたが…」
「ありがとう。少し頂くわ」
体を起こそうとしたアントニアをドリーがさり気なく支え、ベッドに座らせていた。
「ありがとう。…ドリー、まだ分からないからここだけの話よ。もしかしたら、なのだけど…」
ベッドの上に座るアントニアの近くにいるドリーにアントニアがそう切り出した。そして、少しはにかみながらドリーの耳元で何かを囁いたアントニアに、ドリーも嬉しそうに笑みを浮かべていた。
それ以上二人はそのことを口にはしなかったものの、体調の優れないアントニアも侍女のドリーも、決して暗い空気になることはなかった。
いつもよりも食べる量が明らかに少ないアントニアだったが、ドリーがそのことでアントニアの不調を強く心配する様子はあまりなかった。
朝食を食べ終えたアントニアはまたベッドで横になっていた。ドリーはすでに退室していたものの、トニーが医師の手配をし終えており、ドリーと入れ替わりになるようにトニーと医師がやって来た。
「アントニア様、月のものは前回いつありましたか?」
「…確か前回は、一月前だったはずです」
「そうですか。それでは少し診させていただきますね」
「お願いします」
医師が診察を終え、部屋から出ていたトニーが寝室へと呼ばれ中へと入ると、アントニアは少し頬を上気させているように見えた。
それが微熱が出ているせいだろうとは思ったものの、でも別の期待もあった。
医師の表情も明るい。病気、ということではないのだろうと予想出来た。
「トニー様、アントニア様、おめでとうございます。ご懐妊です」
「アン…」
「良かったわ。先生、ありがとうございます」
「先生、早い時間にわざわざ来てくださってありがとうございます」
「とんでもございません! こんな嬉しい診断なら朝早くとも辛くありませんわ。定期的にまた伺います。とにかく今はゆっくり無理せずお過ごしください。それでは失礼します」
「ありがとうございます」
グリフィス侯爵の主治医はもうずっとこの年配の女性医師だ。勝手知ったる侯爵邸といった様子で、部屋から出て行った。その後、きっと部屋の外で控えていた執事長がアントニアの様子を医師から聞いているだろう。
「アン、ありがとう。僕達の子供をまた迎えてくれて…」
「ううん、こちらこそありがとう。私の生きがいをまた与えてくれたんだもの」
「大事な僕達の子供が二人になる。絶対にアンのこと守るからね」
「ええ、ありがとう。でも、お腹の子のこともよろしくね」
「勿論さ」
互いに笑い合い、そしてトニーはアントニアの頬へキスを贈る。ふと思い立った様子でアントニアに長男のことを口にしていた。
「しばらくは悪阻で辛い時期になるから、ゆっくりしていて。…あの子は多分アンと遊べなくて大変になりそうだけど、まぁがんばって相手をするから気にしなくていいよ」
「ありがとう。でも、本を読むくらいならベッドでも出来るから、どうしても手に負えなかったら連れてきてね。私だってあの子と過ごしたいわ」
「分かった。でも、無理は絶対にダメだからね」
「はい」
そうしてアントニアはまたベッドで横になった。ちょうど悪阻のために、眠気も強く出ている時期のようだった。ついさっきまで笑って話をしていたのに、アントニアはウトウトとし始めていた。
トニーはベッドに腰掛けながら、アントニアの髪を指で梳く。トニーの気配に安心したかのようにアントニアの表情はとても穏やかなものだった。
けれど、やはり調子は良くないのだろう。微熱が出ているから顔に赤みは差していて決して苦しそうには見えない。けれど、朝食もいつもの半分も食べられていないのをドリーから聞いている。
長男の時も悪阻が酷かった。義母であるグリフィス侯爵夫人も悪阻が酷かったと話していた。幸い義母と違い、アントニアは出産時に血が流れ過ぎるということがなかった為、二人目も望める状態だった。
「…義母上はかなり血が多く流れた為に、死を彷徨ったと仰っていたからな。アンがそうではないと知って、どれほど安心されていたことか」
そんな呟きを漏らしながら、アントニアがその体質まで同じでなくて良かった、と心底思うトニー。
寝息を立て始めたアントニアに、小さく息を吐きながら、指に絡む髪を掬い上げてキスを落とした。
上掛けを肩までしっかり掛け直し、アントニアの頬を優しく撫でると寝室から出たトニーは、侯爵夫妻に嬉しい報告をするため執務室へと急ぐのだった。
お読みいただきありがとうございます。
アントニアが一人っ子の理由が分かった回です。
出産のたびに死を彷徨うくらいに流血してたら、侯爵がもう子供はいいってなるっていう…。
嫁大事!な人なので(笑)
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