穏やかな日々 2
グリフィス侯爵領での時間はアントニアにとって、十八歳までを貴族学院で過ごしてきた今までとは違い、とても心安らかに過ごせる時間だった。
しかもトニーとの間に儲けた子供も一緒だ。自身を産み育ててくれた家族ではなく、自身がトニーと共に築いていく家族と一緒にいることに、大きな意味があった。
繰り返し幾度となく婚約者から切り捨てられ、殺され続けた十八歳の春に至る道とは全く違う今。
アントニアがどれほど落ち着いた日々を過ごしているのかは、想像に難くない。ただ、今は未だアントニアが十七歳で、十八歳になっていない。まだ夏の今、十八歳の春まで八ヵ月以上も先のこと。
アントニアが強制的に命を奪われる可能性がないわけではない、そう感じてしまっても仕方ないと言える。
それを危惧したからこそ、トニーもアントニアも王都に近付くことがないよう、領地へと戻ってきている。それと同時にトニーは領地運営に励んでもいるが。
トニーが領地運営に関わる様になってから、領地の収入が徐々に増えているそうだ。これもきっとトニーの以前のモブ時代に培った何かの影響だろうとアントニアは考えている。
以前の記憶のおかげで、グリフィス侯爵領が豊かになるのなら、それはトニーが望んでのことなのだからとアントニアは深く気にすることではないと思うのだった。
§
領内の問題のある場所へ出掛けて行くトニーを見送ることも多く、領館では子供の頃からの馴染みである使用人達と一人息子と過ごすことになる。
トニーがすぐ近くにいるわけではないが、特に問題が起こることもなく穏やかに過ごしている。またトニーもアントニア達の安全の為にグリフィス侯爵家の私兵達に常に厳戒態勢で領館を守らせているようだ。
何事もなくアントニアも息子も笑顔で過ごせていることに安堵してはいるが、アントニアの死が待っているかもしれない貴族学院の卒業式を過ぎなくては、安心出来ないようだ。
(アンが婚約解消すれば問題ないと思っていたけど、不安が拭えなかった。自分との婚約、結婚、それに出産と全く違う生活になっているアンだけど、それでもアンの十八歳の春、卒業式という時期までは油断しないほうがいいから…)
そんな考えを常に頭の片隅に置いているトニー。繰り返す世界が、全く違う形で動き出していることが現実だと感じながらも、またこの世界が繰り返していくのではないか、という疑念があるからかもしれない。
(僕達が今生を全うしたとしても、アンは十三歳の朝から繰り返していると言っていたから…同じように、繰り返す可能性を否定できない。
僕がまたトニーとして生きるとしても、今回グリフィス侯爵家の養子になるために義弟となるはずだった彼と権利の交換をまたする必要もあるだろうし…。
そういう可能性を全て頭に入れておかないと、アンを守れない)
結局、二人にとってアントニアの死を無事に避けられたとしても、またこの世界が繰り返すなら…アントニアとアーヴィンの婚約を解消させるところから考えなくてはいけなくなる。
そのことに気付いた時から、トニーはたった一つ決めたことがあった。
「何が何でも、アンを必ず守り通す」
たったそれだけだった。アントニアが自死したあの時から、何一つ変わっていないものだった。
§
アントニアとトニーが気にし過ぎていたのかと思う程に、領地での生活は何事もなく穏やかに過ぎていくだけだった。王都の両親が訪ねてきては、王都での出来事や様子を伝えてくれる。勿論手紙でもだ。
そんな時間のかかる情報の他には、人の噂くらいでしか王都から離れた地方では情報が入ってこない。が、案外商人達の情報網は侮ることが出来ないこともあり、トニーは彼らからも話を聞くようにしているようだ。
花々が咲き誇る季節でもある夏には、領館の庭に植えられている植物も様々な種類の花が植えられており、その花々を毎日眺め楽しむアントニアの姿が見られた。それがあった為なのかアントニアへトニーと息子が二人で花冠を作ったから、と手渡していた。
「まぁま、う」
「……まぁ! 可愛らしい素敵な花冠…。もしかして、作ってくれたの?」
「う」
「ありがとう。かあさま、とっても嬉しいわ。今まで一番のプレゼントだわ」
「う!」
まだ一歳になったばかりの小さな子供の手で作ることはまず無理だと誰でも分かる花冠。そのほとんどをトニーが作ったのは間違いなかった。
けれど、綺麗に編まれた中に時々花弁が潰れていたり、茎が折れてしまっているのをアントニアが見つけては、それらを優しく撫でていく。
まだ幼い息子は喃語は出ても言葉をちゃんと話せない。けれど、その目も表情も、何もかもがアントニアに伝えてくれている、と感じているようだ。
受け取った花冠を自身の頭にのせ、にっこりと笑んで息子に見せた。
「二人共、ありがとう。今日はずっと花冠をしているわね」
「アン、よく似合うよ」
「ありがとう。ドライフラワーにしてずっと飾らなくちゃね」
「わざわざ?」
「ええ、だって二人からの贈り物よ。とっても大事なものよ。ドライフラワーにすれば少しは長く楽しめるわ」
「そうだね。うん、それは僕達も嬉しいね」
「う!」
小さな息子は嬉しそうに笑い、父親と母親に挟まれながら、幸せそうにしていた。
それは同時にトニーもアントニアも同じだった。
誰がこんな優しい穏やかな時間を想像出来ていただろうか。
アントニアが…もし、以前と同じような時間を繰り返しているだけだったら、彼女の身に起こるほんの少しの未来に絶望しかないだなんて、それこそ理解も出来ないだろう。
だからこそ、今あるこの時間がかけ離れ過ぎていて、あの時間軸のアントニアが、今のこの時間を想像出来ないように、この時間を知っている者達もきっと以前のアントニアの行く先を想像出来ないだろう。
穏やか過ぎる日々に小さな変化が起こるのはもうすぐのことだった。
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