信じていて良かったと思えた
令嬢達はアントニアから伝えらえた言葉に、急いで互いのドレスを確かめ合う。
そして、間違いなく葡萄ジュースが飛んで染みとなっていることに気付いて、慌て始めた。
「教えてくださり、ありがとうございます!!」
「あの、ありがとうございます!」
「わたくし達これで失礼いたしますわね」
それぞれが言葉を口にした後、慌てて走り出すように勢いよく大広間から消えていくのを見送ったアントニアとトニーだった。
彼女達が見えなくなると、「ふっ」と笑い声を上げたのはトニーだった。
「いやぁ…それにしても、あんな悪戯にあっさりと引っ掛るなんて彼女達は幼いんだね」
「そんなことを言ってはダメよ。トニーが彼女達の気を逸らしてくれている間に、扇子に隠していた葡萄ジュースに浸したハンカチをほんの少しだけ彼女達のドレスに向けただけだわ」
「…少し、だけね。でも、どうして彼女を助けたのか気になるんだけど?」
「……繰り返してるって気付く前の、私がしていた意地悪を。……他の人間がしてるって気付いたから」
「……そう。アンには強制力は働いてないけど、彼と彼女には強制力があるってことか」
「ええ、多分ね。だから…彼女が大怪我をするような事がないとも言えない気がして」
「そうなのか。…でも、それは僕達が気にすることじゃないよ」
「ええ。だからもうすぐ戻ってくる彼女と、彼にも一応言うだけは言っておこうかと思うの」
「……えぇ、なんか嫌だな。僕のアンが減っちゃう…」
「減る? トニーって時々意味が分からないことを言うわね」
「あー、うん。気分の話だから気にしないで」
そんな会話をしている間にステファニーがドレスを着替えて戻ってきていた。それと同時にステファニーがなかなか戻ってこないことを心配したアーヴィンも大広間の扉へ向かう動線上、アントニアとトニーのいる方へと歩いてきていた。それに気付いたトニーがアントニアに苦笑気味に話しかける。
「…本気で逃げられなくなった気がするけど、アンは二人と話す気はある?」
「避けてばかりもいられないから、話すくらいなら大丈夫だわ」
「了解。それじゃ、のんびり二人を待ちますか」
「ふふ、そうね」
やがてステファニーが駆け足になりそうになるのを我慢しながら、というのが分かるくらいには速足でアントニアの元へとやって来た。それと同時にステファニーを見つけたアーヴィンが、彼女のドレスが変わっていることに気付き、こちらも急ぎ足でやって来た。
「ステファニー! 一体どうしたんだい? ドレス汚してしまったの?」
「あ、アーヴィン様。実は……その…」
アーヴィンの目にはステファニーしか見えていないのか、と思う程にアントニアとトニーに気遣いがなかった。
アーヴィン自身が心配していた、アントニアへの感情などもう気にしなくていいものなのだと、自身が気付くかどうかは別として。
「お久しぶりです、エクルストン様。事情は私からお話しますわ」
「…、アントニア夫人。こちらこそお久しぶりです。事情…何かあったのですか?」
アントニアから挨拶をされ、初めてアントニアとトニーの存在に気付いたアーヴィンは、一瞬動揺をみせたもののすぐにそれを綺麗に消して見せた。
「ええ、ステファニー様を僻んだ御令嬢達に絡まれていらっしゃったのです。その時にドレスにジュースをかけられてしまいましたの」
「その…、葡萄ジュースだったので染みが残ると大変だからとアントニア夫人がその場から離れるように言ってくださったんです」
「そんなことが…。夫人、ステファニーを守っていただき、ありがとうございます」
「お気になさらずに、頭もお上げください」
アントニアとステファニーの二人から事情を聞けば、自分が婚約者から離れてしまったせいか、と内心後悔で項垂れてしまった。それと共にアントニアへ頭を下げていた。
穏やかな声で頭を上げるよう伝えるアントニアに視線を移せば、ずっと自分が慕ってきた彼女だとアーヴィンは思ったが、それほど自身が彼女に焦がれることがなかったことに気付いた。
彼女の隣に立つトニーも穏やかに笑っている。
(ああ、そうか。トニー卿は私がもうアンを求めることがなくなったのだと分かっているのか…)
アーヴィンの隣に戻ってきたステファニーは、アントニアに向けてキラキラとした笑顔を見せている。自身の婚約者がかつての婚約者に寄せる信頼を見た気がした。
「お二人は随分長く王都から離れていたと聞いていたのですが、今回は久しぶりに王家の夜会に?」
ずっと心の内で気に掛かっていたのだろう疑問をアーヴィンが問い掛ける。アントニアとトニーは一瞬視線を絡ませて、二人だけが分かる何かがあるのか小さく頷き合い、口を開いたのはトニーだった。
「アンの体調もすっかり戻ったので、一度王都へ戻るのもいいかと義両親とも相談しました。子供も馬車の旅に大丈夫な年齢になりましたから、両親にも会わせたくて」
「お子様は随分大きくなられたのでしょうね」
「ええ、男の子なので元気過ぎて毎日使用人達も含め、大人が大変ですわ」
「…誰に似たんだろうね?」
「私じゃないわ。私はずっと大人しい良い子だったもの」
夫であるトニーの揶揄い口調に妻のアントニアが少し拗ねたように言葉を返す様子に、ふとアーヴィンは幼い頃のアントニアが案外お転婆だったことを思い出した。
二人揃って庭で走り回ったことや、芝生で寝転がったり、虫を見つけては観察してみたり、アントニアが実は女の子らしくなったのはもう少し年齢が上がってからだったことも。
だからだろうか、アーヴィンがクスクスと笑い始めたのは。
「アーヴィン様? 何かありましたか?」
「ああ、いや…。夫人の幼い頃のことを思い出してしまっただけだから。申し訳ありません」
笑い始めたアーヴィンに声を掛けたのはステファニーだったが、それに直接言葉を返しながらも、アントニアへと笑った理由を告げ謝るのだった。
そこでアントニアが幼少の頃の自身を思い出したのか、淑女の仮面が取れてしまったようだ。アーヴィンに向けて慌てた様子で、何かを言おうとしたけれど、トニーがアントニアの腰に手を置き、抱き寄せることで気を逸らしていた。
「それ以上は、妻の幼い頃の行動に問題があったことが他の方にも知られてしまいますから、口の端に上らせるのは控えていただけると助かります」
「! 勿論言いません。ただ、ふと懐かしいことを思い出しただけです。なんでしたら、トニー卿にだけお教えしましょうか?」
「それは……是非!」
「トニー!?」
その場の和やかな空気は、二組のカップルの間に以前には冷たい空気も、危うい思いも、複雑な願いすらもあったことが嘘のように感じられなかった。
アントニアとトニー夫妻はただ仲の良い様子を見せ、また元婚約者と対面したはずのアーヴィンとステファニーもまた穏やかに笑みを浮かべ、それぞれが互いに信頼し合う様を見せている。
そして、そんな空気を断ち切る様にアントニアがステファニーに声を掛けた。
「ステファニー様。最近、学院で何かお困りのことはございませんか?」
「え? あ…あの、それはどういうことでしょうか?」
「いえ、先程の御令嬢のこともありますけど、きっとエクルストン様と婚約をされたことで、ステファニー様のことを良く思わない方がいらっしゃると思います。
私も小さなことでしたけど、何かしら色々と言われておりました。さすがに手を出されたことはありません。でも、ステファニー様は男爵家の方です。お立場としては他の方よりどうしても弱いと思います。
…ですから、ステファニー様に何かあってはいけない、と思いましたの」
「アントニア様…。私のことを心配してくださって? あ、ありがとうございます!」
「とんでもない。もし、悪意ある方に今日の事よりも、悪質な事をされたとすれば、それはもう犯罪になってしまうかと思います。くれぐれも御一人にならないように気を付けてくださいませ」
「はい、アーヴィン様やお友達と常に一緒にいるようにいたします」
そこまで口にし、ステファニーからも気を付けることを確認出来たためか、アントニアがふわりと微笑んだ。一瞬息を呑んだのはアーヴィンだったのか、ステファニーだったのか。
そんな安堵した様子を見せたアントニアを腰に回した腕で強く引き寄せ、彼女の髪にキスを落としたのはトニー。
「ト、トニー!? 人前ではやめて、といつも言ってるのに!」
「我慢出来ないから。…諦めて」
「……うぅ」
アントニアの少女らしい様を今まで見たことのないステファニーは、頬を染めて恥ずかし気に顔を両手で隠してしまったアントニアに、驚いたのと同時につい小さく呟いてしまっていた。
「…推せる」
幸い誰にも聞かれることなく、ステファニーはアーヴィン推しからアントニア推しに…推し変を秘かにした…ようだった。
アーヴィンはそんなアントニアの様子よりも、ステファニーが何かしら様子が変わった気がして、そちらが気になっているようだが、それを彼が理解できるはずもなかった。
お読みいただきありがとうございます。
アントニアが葡萄ジュースでしたことは、子供と水で遊んでいた時に実際にそういうようなことがあったんじゃないかなぁ、と思います。
ステファニーは前々からアントニアのことが好きなのを自覚してましたが、そこが一段上がった気がします。
もっと進んだらストーカー予備軍になりそうで、ちょっと怖い。次回でそんな感じのことが漏れた気もしますが、見ない振りで(;・∀・)
ブックマーク登録、評価の☆を★にしていただけるととても嬉しいです。
モチベーションも上がります!
どうぞよろしくお願いいたします。
評価、いいね!、感想をありがとうございますヽ(=´▽`=)ノ




