願っていれば、叶う望みもあるのだと
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その後、貴族達の国王への挨拶の列が途切れ始める頃になると、アーヴィンとステファニーは公爵夫妻と共に他の貴族達と挨拶を受けることになった。
多くの貴族達は公爵との繋がりを求めて、また次期公爵とも顔を繋いでおきたいと考えて。
中には大胆にもアーヴィンだけに聞こえるよう、自身の娘を婚約者にと言う者すらいたくらいだった。
アーヴィンは口元だけ微笑んでいながら、一言でバッサリと切り捨てていたけれど。
『私の最愛は、彼女だけですから。貴殿の大切な御令嬢を愛人にでもしたいのですか?』
所詮頑張っても正妻になれないし、絶対に愛する対象にもならないがそれでもいいのか? アーヴィンの言葉にはそう含ませたものがあった。
そうまで言われては、二の句が継げない。ただ引き下がっていくしかなくなるようで、徐々にそういう人間は減っていった。
ただ、アーヴィン自身ももしアントニアにそういう自身の気持ちを伝えられていれば、また違ったのかもしれないと、繰り返し考えてしまう。そう考えた瞬間にステファニーに対し罪悪感を抱いてしまう。けれど、ステファニーが大切なことに変わりはない。アントニアを失った後の消えない喪失感を埋めてくれたのは彼女だけだったし、何より誰よりも自身と向き合ってくれたのも彼女だけだった。だから、今この場で立っていられる。
(まだアンが僕の中にいる。でも、もうそれは抜け殻のようなものだ。ステファニーへの感情はアンへ向けてきたものよりもずっと強いし、ずっと優しい。だから…大丈夫)
§
「アーヴィン、私達は陛下に呼ばれてしまったよ。少し場を離れるが、大丈夫かい?」
「大丈夫です」
「じゃあ、行ってくる」
「はい」
挨拶を待つ貴族達はもういないように見える。が、公爵夫妻が二人から離れた瞬間から、アーヴィンの友人やステファニーの友人が彼らを取り巻き始めた。とは言っても、令息達と令嬢達に別れてはいたが。
初めのうちは友人達に守られる形だったものの、時間が進むにつれアーヴィンの周りには令嬢達が増えていき、またステファニーの周りも少し似たようなところがあった。
ステファニーが親しくしている令嬢に、化粧室へ行くことを告げ一人で友人達の輪から離れ、大広間の扉へ向かっていた時だった。人の波を縫うよりも、人の少ない壁際を歩いていたステファニーの前から並んで歩いてくる三人の令嬢達が視界に入った。
その三人のうち、ステファニーとすれ違ったさいにステファニーに近い端にいた令嬢がステファニーに軽くぶつかった。けれど、ステファニーは令嬢がぶつかってきたと感じた。同線を塞がれたと感じたからだ。
その瞬間、令嬢が持っていた飲み物が零れ、ステファニーのドレスにかけられていた。
「きゃっ!」
「まぁ! ごめんなさいね、大丈夫…ではないですわね。こんなに汚れてしまっていますわ」
「これではもうこの場にいられませんわね、まぁ大変ですこと。ふふ、いい気味だわ」
「あらあら、葡萄ジュースの染みはなかなか落ちませんのよ。彼女、わざとではなかったのよ? お分かりですわよね? クスクス」
令嬢達はステファニーにぶつかり、故意にドレスに飲み物をかけた。幸いアルコール臭はないけれど、葡萄ジュースをかけられたようだ。早く染み抜きをしないと、ドレスの汚れは落ちない。いや、そもそも染み抜きが難しいものを狙ってかけたのだろうか。
ステファニーは、アーヴィンに贈られたドレスに付けられてしまった汚れに、ただ俯き唇を噛むだけで、今の状況をどうしようか、と考えていた。それが、令嬢達にとってはステファニーが気落ちしている、今にも泣きそう、そんなふうに映ったのだろう。
「貴女なんて、アーヴィン様に全く相応しくありませんのよ! 男爵家の人間が、どのような方法でアーヴィン様を誘惑されたのかしら。本当に恥知らずですこと!」
「そうですわ。釣り合わない貴女のお相手をされているアーヴィン様がどれだけご迷惑だと思われているのか、御存知ですの?」
「本当、わたくし達も見ていて眩暈がしそうですわ。あまりに相応しくなさ過ぎて! いい加減アーヴィン様から離れてくださらないかしら。貴女では、誰も納得しませんのよ!」
丁度壁際の柱の影になるような場所だったせいか、死角になっているような場所での出来事は、ステファニーに悪意を持つ令嬢達にとって証人を作らせないために誂えたような場所だっただろう。もしかしたら、令嬢達が故意にその場にステファニーを留め置くように遮った結果かかもしれない。
けれど、それを阻止するかのような声が響く。ステファニーにとってそれは、久しぶりに聞く声だった。それと同時に令嬢達にも同じだったはずだ。
「…ごきげんよう。ところで、一体何をなさったのかしら? 私全部見ておりましたのよ」
ステファニーの背後からふわりと柔らかな声が響く。令嬢達とは対峙する形になっているはずなのに、誰も気付かなかった。きっとステファニーに悪意を向けることに必死だったのだろう。
突然声をかけられ、その声の主がしばらく姿を見せていなかった人物だったこともあり、誰もが驚いていた。
「アントニア、様」
ステファニーの背後から現れた人物は、深い藍色のAラインのドレスを纏っている。落ち着いたその色が夜空を切り取ったようにキラキラと星が瞬いているように見えるのは、まだこの国では珍しいガラスで出来た極めて小さなビーズを刺繍で使っているからだったが、その人物がアントニアであるとステファニーが認識した時点で、キラキラと輝いて見えているようだ。
つい、ステファニーが彼女の名前を漏らしていた。自らのドレスのことなど頭から消えてしまっていた。いや、令嬢達のことすらもう頭にはない。そんな様子を見せている。アントニアへ目を輝かせ、口元は喜びを湛えている。
「王都へ戻られていたのですか?」
歓喜に打ち震えるステファニーの声は、微かに涙声にも聞こえる。対して令嬢達は、自分達が無視された恰好だったわけだが、ステファニーへの嫌がらせの言い訳をなんとか考えようと、でもその場から逃げ出す口実も考えているようだった。
「ステファニー様、お久しぶりです。お元気…そうですけれど、ドレスが…。折角エクルストン様に贈っていただいたものでしょう? 早く染み抜きをしなくてはいけませんわ」
「は! そうでした! 折角アントニア様にお会いできたのに、私失礼させていただきますね。あの、後でお話をさせていただけますか?」
「ええ、構いませんわ」
「ありがとうございます。すぐに戻ります!」
決して走ることはなく、けれど足早にその場を去って行くステファニーを見送りながら、令嬢達と対峙したままのアントニア。口元はドレスと同じ色の生地で作られた扇子で隠されている。けれど、口調と違い、優しく細められた目元は酷く獰猛にも感じられるものだった。
「随分以前に、わたくしも貴女方にないことばかり言われた記憶がありますわ。皆様その頃とお変わりないのですわね」
ストレートな言葉を投げたのは、きっと今までのループしてきた世界とは変わったからだろうか。それでも、穏やかな口調は変わらない。きっと扇子で隠された口元もとても穏やかに微笑んでいるのだろうと想像出来る程に。
「そ、そんなことは…」
「わ、わたくし達失礼いたしま、…!」
アントニアとは逆方向から、トニーが現れ、にこやかにアントニアに手を振って見せていた。それに応えるようにアントニアも笑顔で手を振っている。間に挟まれた格好の令嬢達を完全にスルーしたような形で。
けれど、トニーがアントニアに近付き、そこで初めて気付いたというような表情を見せながらも、そうではなかったのだと彼女達に示して見せた。
「これはこれは、確か辺境伯家の御令嬢と…その御友人の伯爵家と男爵家の御令嬢方。随分以前に私の大切なアンを貶めてくれたというのは、皆様のことでしたか。それでは、後程各家の御当主様にお話をさせていただきますね」
「トニー、そこまでする必要はないのよ。皆様も理想の婚約者を探してらっしゃるだけなのですもの。人のものを横取りしたいと思うくらいに」
「な!」
「ああ、なるほどね。それなら仕方ないか…。僕なんてアンをアーヴィン卿から横取りした口だしね」
「そうなるのかしら?」
「「「……」」」
辺境伯家の令嬢と呼ばれた令嬢は、自身に思い当たる節があるのか一瞬顔を赤くさせて怒りを見せたが、続け様にトニーが発した言葉で、訝し気な表情へと変えた。
三人の令嬢は逃げ道を塞がれたこともあり、仕方なくその場に留まってはいるが、正直トニーから醸し出される空気は自分達にとってかなり良くないものだということだけは理解しているようだ。
肝心なトニーは、にこやかな表情を見せるばかりで、会話を聞いていなければ誰も脅しているとは思わないだろう。それに対するアントニアも、穏やかな笑顔を浮かべているため、やはり悪意を向ける相手に話しかけているようには見えないだろう。誰の目にも留まりにくいこの場所で、近くには誰もいない状況で、たとえ遠くからここにいる五人を見る人間がいたとしても、談笑しているとしか見えない。
「変な言掛りをしてしまいましたわね、ごめんなさいね。…ところで」
「な、なんですの?」
「皆様のドレスですけれど、大丈夫かしら…」
「「「え?」」」
「多分なのですけれど、先程ステファニー様のドレスに飲み物がかかったさいに、皆様のドレスにもかかったのではないかしら?」
「……」
慌てた様子で互いのドレスを確認し始めた三人の令嬢に、ただただ穏やかに笑顔を向けていたアントニアだったが、最後の言葉を発した辺りからは、頬に手を当てながら、少し困ったと言うように眉尻を下げながらの微笑に変わっていた。
お読みいただきありがとうございます。
アントニアとトニーが登場しました。アーヴィンの予想は外れましたね。
そして悪役令嬢的な令嬢も登場です。相変わらず名前がないですけども。
アントニアは案外引篭もりの才能があるんだな、と4章を書きながら思ってました。
トニーがアントニアを閉じ込めてるわけじゃないですよー、ええ。
ステファニーは…意地悪されてます。でも、アントニアを見た瞬間に頭の中が切り替わっててちょっと怖いと思った作者です。そこは内緒です。
次回は金曜に投稿予定です。
予告:少しだけアーヴィンが不憫な存在だと証明される…かも。
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