結婚 1
この世界のヒロインであるステファニーとヒーローであるアーヴィンの噂が、様々な形で好奇心や妬みなど悪意を孕みながら学院内に広がっていく中で、アントニアは彼らに関わること全てから背を向けるように結婚に思いを馳せていた。
次の休みには結婚式である為、それは当然とも言えた。
いつもなら週末だけの休みではあるが、今回は前日から学院を休み、屋敷へ戻る予定だ。そして、翌日に挙式と簡易的な披露宴を行う。翌々日の休日には新婚の二人のためにゆっくりとする日という形だ。休み明けにはいつも通り学院に戻るアントニア。
両親もトニーも学院をもっと休んでもいいのでは? と言うが、結婚のことはクラス内で知っているのがアントニアの友人である令嬢達だけだった為、アントニアは退学するまでは今まで通り過ごしたいと伝えていた。それに、せっかく親しくなった友人達との時間を大事にしたいという気持ちもあった。
そう言われてしまえば、トニーも彼女が学生でいられる時間が残り少ないこともあり、本当は結婚したばかりだから一日と言わずずっと一緒に過ごしていたいと言えなくなってしまったようだ。
おかげで、結婚式後すぐに学生生活に戻るという予定を立てることが出来たアントニアだった。
§§§
学院の朝、アントニアは誰もが授業の為に寮から出払った後、ゆっくりと馬車に乗り込み、グリフィス侯爵邸への帰路についた。
結婚式の為に戻ってきたアントニアを真っ先に迎えたのは両親ではなくトニーだった。
「アン、お帰り!」
「お義兄様、ただいま戻りました」
「義父上も義母上もアンの帰りをずっと待ってらっしゃるよ。行こうか」
「ええ」
荷物を使用人に任せ、二人は両親の待つリビングへと急ぐ。
扉をノックし、返事があればドアノブに手を掛けたのはトニー。扉を開けてアントニアを先に通し、自身は後から入る。
リビングには両親がソファで並んで座り、アントニアを待っていた。
「お帰り、アン」
「お帰りなさい、アン」
「ただいま戻りました。お父様、お母様」
両親の向かい側に並んで座ったアントニアとトニー。暫くはアントニアの学院での様子を聞く両親とトニーだったが、翌日の結婚式の話に話題が移れば、二人は互いに見つめ合ったり、思案し合ったりと仲睦まじい様子を見せる。そんな様子を両親が微笑ましく見ていることなど、二人は気付かない。
でも、この部屋にいる人達にとって、今は家族という形を取ってはいるが、明日からは本当の意味での家族になれる。でも、家族の形は変わる。
トニーはあくまでも養子として迎え入れられた人間。けれど、明日からはアントニアの夫だ。更に結び付きが強くなるのだと、誰もが感じているのだった。
家族の時間を取った後、アントニア付の侍女が待ちかねたと言わんばかりにアントニアを拉致していった。
「お嬢様、ささっ、明日の為にも今から準備いたしましょう」
「え? もう?」
「はい! 皆がずーーーーーっと待っておりましたから! しっかり磨かせていただきますよ!」
「アン、頑張って。皆アンを綺麗にするためにずっと待っててくれたんだから」
「分かりましたわ。じゃぁ…お願いね」
「勿論です! それでは参りましょう」
「行ってきますね」
両親もトニーも少し困ったように笑ってリビングから出ていくアントニアを見送ったのだった。
その後彼らは彼らでそれぞれの準備をするために自室へと行くのだった。
アントニアは自室へと向かいながら、侍女と話をしていた。
「今日は貴女達に明日の支度をしてもらうのよね。他には特にはなかったのよね?」
「はい。お嬢様は週明けにはまた学院に戻られますから、負担にならないように時間にゆとりを持たせたいとトニー様が仰られましたから」
「…お義兄様ったら。皆にも感謝しかないわ。ありがとうね」
「とんでもございません。私達にとってお嬢様は誇りですから! もう明日の為に皆準備は万全です!」
「ふふ、私は果報者ね。だって、結婚した後も貴女達とも一緒にいられるんですものね。働き者で、頑張り屋さんで、信頼できる人達ばかりなんですもの。この家でずっと居られるなんて…本当幸せだわ」
「お嬢様…。この場にいない者達にもお嬢様のお気持ちを伝えさせていただきますね。きっと喜びます」
「ええ」
そしてアントニアは自室に辿り着くと同時に、早々に浴室へと行き、そこからはアントニアを磨き上げる為に必死な侍女達の目に少々引きながらも、でも彼女達の気持ちをありがたく感じるのだった。
すっかり磨き上げられたアントニアの肌はこれ以上ない程、綺麗なものとなっていた。
元々陶器のように白く滑らかな肌ではあるものの、更に透明度が上がっていた。シミ一つない様も貢献しているのは間違いなかった。
髪も艶を増し、触れなくとも触り心地が容易に分かるほどにサラリとしているのが見て取れた。
そうしてアントニアは、何がなくとも美しい少女ではあったものが、今となってはこれ以上ないと言える美しさを放っていた。もし、トニーが今この場にいたのなら、間違いなく月の女神だとか、綺羅の精霊などと人ではなくなるような言葉を吐いただろう。
「お嬢様! 完璧ですよ。あぁ、本当お美しいです。お嬢様付きの侍女になれたこと、これほど嬉しかったことがございません。本当、私のお嬢様が完璧過ぎて困ります…」
「…何言ってるの? 私はそんな特別な人間じゃないわよ?」
「「「いいえ!」」」
「え…」
「「「お嬢様は特別です!」」」
声を揃えて侍女達がアントニアを特別だと主張したことで、トニーと同じようなことを考える人間がいることが証明されてしまった形になり、少々アントニアは頬を染めて照れてしまったようだ。
「…ありがとう」
「「「きゃあ!」」」
そんなアントニアを見て、侍女達はまた声を挙げていた。グリフィス侯爵邸の使用人達にとっても、アントニアは自慢の御令嬢、ということのようだ。
そんな風にして式前日は磨かれつつ、侍女達とも穏やかに交流し、夜には家族との時間をゆったりと過ごしたのだった。
§
翌朝からは、事前の準備も終えていたこともあり、ゆとりをもって…ということもなかった。
結局は朝早くから準備の為に起きることになったし、ドレスの着付けや化粧などでアントニアはゆっくりと食事を摂ることも出来ないまま、軽く摘まめるような一口サイズのサンドイッチやクラッカーと果実水を用意してもらってはいたものの、水分くらいしか口に出来ないまま時間となった。
結婚式は簡略なもので行うことも考えたアントニアだったが、トニーがそれを諫めた。
「義父上も義母上もアントニアの晴れ舞台だからと、とても大事に思っておられるんだよ。それに侯爵家の結婚式なのだから、立派なものを考えてくれてる。お二人の気持ちをちゃんと受け取るべきだと思うよ」
そう言われてしまえば、自身の気持ちよりも家族の気持ちを優先しようとも思えた。今までは結婚式なんて望む前にいつも死んでいたのだから、華々しくこの日を迎えていいんだろうとも思う。
今までのことがどうしても頭の片隅から離れない。だから、《すぐに死んでしまうかもしれない私が結婚式なんてしても…》とどこかで考えてしまっていた。
でも、そんなこと考えなくていいんだよ、とトニーに言われた気がしたのだろう。素直にトニーの言葉を受け入れたアントニアを、トニーが優しく抱きしめたのはごく当たり前のことだった。
そんなことがあって今日を迎えた二人は、王都にある教会の神殿にいた。
神殿の作りは三階建てで、荘厳と一言で言い表せる建物だ。王都の中で一番大きな建物は当然王城だが、その次に大きな建物が神殿だった。全体に白い石で覆われた外壁はただそれだけで厳かな空気を纏っている。
神殿内に入れば、建物の外の喧騒が嘘のように静かで、ただ建物内にいる人々の囁きのような静かな声すらもかき消されていくようだった。
神殿に入ったアントニアは、ただ静謐な空気に心が洗われるようで、今から結婚式を挙げるのだと静かに感じていた。そして、改めて今日という日に感謝をしていた。
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