この世界のヒロイン
この世界のヒロインたる令嬢、ステファニー・メイプルはこの世界に転生し、貴族学院に入学してすぐ様非常に困惑することとなった。
この世界のヒーローであるアーヴィン・エクルストンとその婚約者であるアントニア・グリフィスが、知らない間に婚約解消していたからだ。正式には婚約破棄に近い解消。
しかも、アーヴィンからではなく、アントニアから求めたという事実。
「小説の通りに物事が進んでいないなんて、おかしいわ。そう思って、一応…アントニア本人に確かめてみたけど、どうも本当にアーヴィン様のこと、好きじゃない様子だったのよね」
夜も遅い時間にメイプル男爵邸の自室で一人、呟き続けているステファニーだったが、メイプル男爵はあまり裕福ではないため、雇える使用人も少なく、当然ステファニー付の侍女もいない。
おかげで独り言が他の人間に聞かれることもなく済んでいる。
「…しかも、アーヴィン様とのこと応援するって言ってくれたし。どうなってるのかしら。アーヴィン様の気を惹くために婚約を解消したのかもって思ったのに」
アントニアと話をしたあの日。アントニアから励まされた。それは間違いなかった。それにアントニアは新たな婚約者と一緒に仲睦まじい様子で寄り添っていた。アーヴィンと自身が並ぶ様よりも、余程幸せそうで、誰も近付けない、どこかしら特別な空気がそこにあった。
それを無視するように声をかけて、話をしたわけだが…理想的な恋人同士がそこにいる、そう感じたステファニーだった。
「本当にアントニアに裏がないなら、友達に…なりたいって思えるくらいに、素敵な御令嬢だって思ってしまったのよね」
そう言葉にしてしまってからステファニーはハッとしたように、慌てて口元を両手で隠している。
「…ど、どうしよう。私、アーヴィン様推しだけど、実はアントニアもちょっと好きだったのよ」
ステファニーは転生者だ。前世の記憶があり、この世界がループしていることには気付いていないが、この世界が前世で読んだことがあるウェブ小説の世界だということは分かっていた。
だから、アントニアがアーヴィンのことを深く愛していることや、ステファニーとの関係を優先させる婚約者に酷く傷付けられていく様は、小説の中でも胸が痛む程に繰り返し読んだ箇所でもあった。
ただ、実際にそれが自分の為にアントニアを苦しめているというのを小説を読んでいた記憶から理解はしていても、アントニアが焦れる様子も見せなかったし、ステファニーに対し何も感じていない様子しか見せなかったから、アーヴィンとの関係を進めるのも、自身の努力だけがものを言う状態に陥ってしまっていて、戸惑いが大きかったのは事実だった。
ちょうど前世でこの世界の小説を読んでいた時、アントニアと同じような状況が前世の彼女にも起こっていた。恋人がいたが、その恋人が他の女の子と段々距離が近付いていくのを間近で見せ付けられて、嫌だからやめてほしいと訴えても、恋人はやめてはくれない。
『友達なんだから、気にするなんておかしいよ』
そんな言葉を繰り返すばかり。でも、結局は二人が一線を超えて、前世の彼女は捨てられてしまう。そんな自身を慰めるようにアントニアを自分に重ねて読んでいた時期もあった。
でも、この世界に転生したと気付いてからは、前世の自分のような、アントニアと同じような立場はもう嫌、と思うようになっていた。奪われるくらいなら奪う方がいい。もうあんな惨めな思いはしたくない。
だから奪う側のヒロインとして、動く事に躊躇いはなくなっていた。
(どうせ小説の世界なのよ。私の意思なんて関係ないわ。だって、すぐ強制力が働くんだもの。アーヴィン様とのイベントは必ず発生してるし、結果も小説通りだったわ)
ステファニーは、小説の展開通りに全て物事が運ぶと信じて行動していた。
前回、アーヴィンとステファニーには、アントニアが予定外に死んでしまったことで望まない結果が待っていたわけだが、そのことはステファニーが記憶しているわけではないため無いものとなってしまっている。
ともかく。ステファニーは、前世の記憶があるにも関わらず、否あるからこそ、この世界が作り物であり、小説の展開通りにしか進まないと考えている。物語の強制力があるが故にアントニアに対し好意的な自分の気持ちを見ないようにすることで、アーヴィンとの関係を深めていこうと、転生したと気付くたびに考えているのだった。
だから、アントニアにまつわる悪い噂も気にせずに流すことが出来た。振り返ってみれば、それが悪意の塊でしかない行為であるのに、案外気に留めたこともなかった。
最終的にアントニアの死後、アーヴィンと婚約し結婚もするのだが、その果てはアーヴィンとステファニーの幸せな結婚ではなく、二人にとっては大きな罪の枷をはめられたような結婚生活になる。
けれど、ループする世界だから二人がそんな結婚生活を最後まで送ることはなく、新たなループが始まり、幾度となく繰り返しているのだが、それにステファニーは気付く事はない。
ただ、今までの大前提としてきていた「物語の強制力」は、アーヴィンとアントニアが婚約を解消したことで、働かなくなっている。そのことにステファニーもさすがに気付いている。
そして、アントニアは小説で描かれたような嫉妬に狂う少女ではなく、柔らかく笑うたおやかな愛らしい少女だった。
ステファニーは物語と違う展開を見せるこの《今の世界》に、前世でアントニアに対し感じていたただ《一人の恋をする少女》に向ける共感する気持ちを思い出してしまっていた。
かつての自身と同じく、好きな相手から切り捨てられてしまう気持ちを抱えた少女に、感情移入していたことも。
そのことを思い出してしまえば、物語の強制力だとか、奪われるくらいなら奪ってやると思ったことだとか、そういうことが酷くどうでも良く感じられるようになっていった。
「アントニアは言ってたのよ。アーヴィン様に寄り添っていることで、きっと私のことをアーヴィン様が気付いてくれるって。
もうアーヴィン様のことを何とも思ってないって…。アントニアも転生者、なのかな」
そんな言葉を吐き出しながら、ステファニーは自室で物思いに耽る。
小説を読んでいた時にずっと気になっていたアントニアという少女が、本当は決して悪役令嬢のようなキツイ顔立ちでもなく、我儘だったり傲慢だったりという少女ではなかったことに、どこかしら嬉しいと思っていた。それなら、ヒロインであるステファニーと友情を築けないだろうか? そんな風に思ってしまっても仕方のないことだったのかもしれない。
自身の気持ちと重なり過ぎたアントニアが、今は新たな婚約者を得て幸せそうに微笑んでいるのを見てしまったから。それなら、互いにぶつかり合う関係にはならないのだから、親しくなりたい、そう思ってしまったのだろう。
もし、彼女が転生者であったなら、アーヴィンと婚約解消をしたことも納得出来たし、何よりステファニーとアーヴィンを応援してくれている。けれど小説の悪役令嬢が主人公になった物語のような、フラグを折っていくような感じでもない。
…ヒーローの立ち位置のアーヴィンには関心もなくて避けてるようにも見える。アントニアを溺愛しているのは婚約者のトニーであって、アーヴィンがその立ち位置にいるわけでもない。やっぱり転生者ではないのかも、と小首を傾げながら考えてみる。
アントニアが転生者だったら、同じ転生者同士理解し合えるのではないか、そんな希望を持ってもおかしくはないと思えた。
けれど、いくら考えてみても、はっきりとした答えが出るわけではないから、とアントニアが転生者かどうか考えるのは一旦やめたステファニーだった。
ただ、アントニアのことを小説を読んでいた時に、当時の自身と重なり親近感しかなかったことを思い出してしまえば、別の意味でアントニアとの距離を縮めたいステファニーがいたが、それが容易に叶う願いではないと知るのはまだ少し先の事だった。
お読みいただきありがとうございます。
ステファニーの回でした。
次からは、アントニア中心の展開に戻ります。あ、トニーもいるんだった。
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