学び舎にて 1
貴族学院の入学式当日の朝。
アントニアはいつものように目覚め、侍女達は身支度の手伝いをしたり、入学式の為に忙しく動いていた。
それはいつものことで、侯爵邸でもそうであったし、学院の女子寮でもそうであった。
朝食を摂り、時間にゆとりを持たせて寮を出た。侍女達は部屋から出て廊下での見送りとなった。女子寮の出入り口まで見送りとなると、他の生徒達も同じことをするようになるため、朝の忙しい時間帯に出入口に人が集まり過ぎては遅刻する生徒が出るとも限らない。
そういう理由から見送りは廊下の扉前と決まっていた。
アントニアは入学式が行われる場所を聞かれなくとも分かっていた。だから、詳細を記した用紙も持っていない。どのクラスになるのかも分かっている。担任がどんな容姿の教師かも分かっている。
今回は前回と違って、トニーがいない。婚約者にはなっているけれど、学内にはいない。とても心許無く感じてしまっていた。
でも、こればかりは仕方ないことと諦めて、一人の時でも出来ていたことや、していたことを思い出しながら対処していけばいいか、と思うことにしたようだ。
そうは言っても、アーヴィンとの婚約解消によって、この世界がどう変わっていくのか、全く未知の展開になるのかもしれないと考えれば、決して楽観的にはなれないのも事実だ。
その為、アントニアは最悪の結果も想定しながら動くことを選択していた。
前を歩いていく新入生達の背中を見ていると、その中に見慣れた背中を見つけた。元婚約者のそれだった。
しばらくすると、新入生の波に逆らって歩いている一人の令嬢がいることに気付いた。
髪の色は件のヒロインと同じピンクブロンドだ。ゆるくウェーヴしたハーフアップが朝日に輝いて見える。
先程見つけた背中の主とそろそろすれ違う辺りだろうか。
予定通りにピンクブロンドが一瞬躓いたような様子を見せ、いきなりその頭の位置が進行方向へ倒れ込むのが見えた。
が、その近くにいた元婚約者が危なげなくその令嬢の腰を抱き止め、助けていた。
二人は何かしら話をしている。きっと助けてくれてありがとう、とか、当たり前のことだから気にしないで、とか、そんなやり取りなんじゃないのかな、と考えるアントニア。
きっとその予想は当たっているのだろう。二人はそのうち別のことを話しているような様子を見せ、そして並んで会場のホールへと移動を始めるのだった。
「そうそう、さっさと二人はくっついちゃってください。私の心の安寧のためにもお願いします。そして、私に一切関わらないでくださると最高です」
そんな声にならない小さな呟きを漏らしながら一人進んでいくのだった。
その後入学式はいつも通り、前回のような隣にアーヴィンがやって来て座るというようなイレギュラーが起こることもなく、式は行われた。
入学式が無事に終わり各クラスへと移動する中、またヒロインがアントニアにぶつかり、アントニアは怪我をしてしまうのもいつもの流れだった。
毎回強制力の為に言わされる台詞は、勝手に口から紡がれる為覚えているものではあったが、言いたくないという気持ちが少々強かったのか、小さな声でいつもの言葉を言うことになった。
言われたヒロインも、本来とは違う表現の仕方をするアントニアに違和感を覚えているようだった。が、アントニアがループしているこの世界での記憶を忘れることなく覚えているなんて知るはずもないのだから、何に違和感をヒロインが感じたのかは分からない。
アントニアは、ヒロインともう二度と関わりたくない、そんな気持ちを抱えながら医務室へ行くことを告げその場を去ったのだった。
前回はアーヴィンがアントニアを抱きかかえて医務室へと行ったわけだが、今回は通常通り一人で行くことになった。途中、見知らぬ令息が何人か付き添いを申し出てくれたが、遠慮なく断った。
肝心なクラス分けだが、そちらも担任も何ら変わることなくいつも通りであることに少しだけ残念に感じながら、元婚約者もまた同じクラスで、違うクラスだったら良かったのに…と思いながらも素知らぬ振りをして過ごすことにしたアントニアだった。
アーヴィンとアントニアのクラス内での座席は、以前も婚約者ということが一切考慮されていないものだった為、教室の窓側の前方にアーヴィンが、廊下側後方にアントニアの座席があった。
それがアントニアにとっては有難く、アーヴィンとの接触を避ける為に考慮されたものだと信じていたところがある。
勿論そんなことはないのだが。
それはともかく、アーヴィンとステファニーが教室で毎日仲良くする様を見ないように教室後方にある扉から逃げるということも、二学年になる前には毎日のことだった過去を思い出せば、やはりいい席順だとアントニアは思うのだった。ちなみにクラス編成は最終学年までずっと変わらない。
入学式直後のクラス内の様子だが、今までと明らかに違うのは、アーヴィンの周囲に人が多いことだ。特に令嬢の姿が圧倒的だ。
以前までは婚約者がいる状態だったこともあり、アーヴィンになんとか取り入ろうとするのは令息達が圧倒的に多かった。
しかし、今回はアーヴィンは公爵家嫡男でありながら婚約者がいない立場。つまり…婚約者のいない令嬢達にとってはこれ以上ないいい物件ということになる。
見目麗しい王子様らしい風貌をしたアーヴィンなら、想いを寄せている令嬢だっていそうだ。
そういうわけで、そんな令嬢達に取り囲まれているのを見ていると、早々に婚約を解消出来たことに安堵しているアントニアだった。
それに対して、アーヴィンはアントニアとの関係を失ったことで、ずっと心ここにあらずといった日々を過ごしていた。
だから、アントニアを入学式で少し見かけただけで、胸が締め付けられるように苦しくなり、まだアントニアを想う自身に苦しむことになるのだった。
§§§
アントニアは今回もクラスで友人となった令嬢達と毎日過ごすようになった。
彼女達の中には婚約者がいる令嬢がいて、彼女は婚約者ととても仲が良く、婚約者と恋人関係となっていることで理想的なカップルと呼ばれていた。
前回のトニーの婚約者だった令嬢だ。今回はトニーではない別の令息で、前回のトニーと同じ爵位…。トニーが消えたから、今の令息は別のモブが役割を当て嵌められたのだろう。
日々は穏やかに過ぎていった。この世界のヒロインとヒーローがどう動いているのかは、アントニアという立場では直接二人を見る機会が少ない為、噂を聞くくらいしか知らなかった。
以前までは、アーヴィンの周囲にステファニーが近付いているという噂が自然と聞こえてくるのが当たり前だった。それはあくまでも婚約者だから、耳に入ってくるという状態だったのだと今回改めて知ることとなった。
なぜなら、友人の令嬢達から伝え聞いた話で、初めて二人の噂を知ることとなったからだ。
前回までは婚約者のアントニアの元に噂が届くような仕組みでもあるのか、教室内でも、食堂でも、とにかく二人の噂が否応なく耳に入ってきた。
しかし、今回は友人の令嬢達以外からは案外噂が漏れ聞こえることがないのだ。初めての事に少し戸惑いはないわけではなかったが、正直アーヴィンから解放されたという実感を得るには充分な出来事であり、それに気付いたアントニアは、真っ先にトニーにそのことを伝えるために手紙を認めたのだった。
ちなみに、アーヴィンとステファニーの噂は、アーヴィンの周囲に侍る令嬢達の中でピンクブロンドの男爵令嬢が、他の令嬢達から顰蹙を買っているというものばかりだったが。
それと同時にアントニアが感じたことは、アントニアが婚約者から外れても、代わりにこの世界のヒロイン、ステファニーをイジメるような令嬢は早々に現れそうだ、ということだ。アントニアが気付いていないだけで既にいるかもしれない。
アーヴィンと婚約中にアントニア自身もとある御令嬢に嫌味を言われる程度のことは実際にあったから、案外その御令嬢辺りが今回は以前のアントニアの役割を担っているかもしれない。
アントニアは自身の身代わりになるかもしれない令嬢を止めるつもりは一切ない。
誰かがアントニアの代わりに死ぬとしても、繰り返し殺され続けたことはやはりアントニアの倫理観すら狂わせるくらいには恐怖なのだろう。
アントニアはアーヴィンとの関係が終わったことで、学院では全く強制力のない日々を穏やかに過ごしていた。そのおかげで繰り返し生きてきた今までが、どれほど緊張状態を強いられるものだったかという事に気付けた日々でもあった。
そんなストレスフルな日々からの解放は、アントニアを朗らかで、誰もが親しみ易い令嬢へと変えていった。
彼女の周りには令嬢だけではなく、気付けば友人の婚約者を中心とした令息達も加わることが増えていた。中には彼女への下心を持つ者がいたかもしれないが、アントニアのトニーという婚約者の存在は彼女の傍にいないにも関わらず充分なほどの牽制力があった。
すぐ隣にいない婚約者のトニーの影響力は、貴族学院内では絶対的なもののようで特に二学年、三学年のトニーを知る学生達が、原因のようではあった。
トニーが在学中に一体何をしたのかは、アントニア自身も知らされていない為分からないし、例えトニーに尋ねたとしても答えはなかっただろう。
彼女に気持ちを寄せるような子息達は距離を置きながら彼女を見守るだけで、そういう気持ちのない者だけが傍で一緒に過ごすようになっていった。
そうしてアントニアは学院の生徒としての時間を、楽しんでいた。友人達と一緒に試験対策の勉強をしたり、一緒に街へ出かけたりということもあった。
休日の外出のさいには、トニーも一緒に行動することが多く、そういう場合は婚約者のいる令嬢とその婚約者とも共に行動することで、ダブルデートのような形を取り楽しむこともあった。
そうして、問題の夏季休暇に入った。当然のことだったが、エクルストン公爵家からの招待はなく、今まで必ず夏にはエクルストン公爵領へと行っていたが、今回初めて訪ねることもなくトニーと両親で、家族としての時間を大切に過ごしている。
両親は年を重ねても仲睦まじい様子を見せ、アントニアはトニーと二人で「両親のようにずっと仲の良い夫婦でいたい」と話すことも多かった。
その度にトニーからは「アンが嫌だって言っても、絶対に放してあげないからね。僕の腕の中だけがアンの自由になる場所だから、覚悟するように」と、何の宣言か分からないことを言われるのだった。
正直意味が分からないアントニアは、曖昧に笑って頷くだけだった。
お読みいただきありがとうございます。
活動報告に本編とは一切関係のない、アントニアとトニーのどうでもいい日常をひっそりおいておきます。
ちょっとしたものですが、砂糖を吐き出したい気分の場合は眺めてみてください。
次は金曜に投稿予定です。
またよろしくお願いいたします<(_ _)>




