婚約の解消 3
誤字報告ありがとうございます。
非常に助かります(^▽^)
ある秋の始まりの日に、一通の招待状がグリフィス公爵邸に届いた。宛名はアントニアだ。
アントニアが封を切り、招待状を見て、一瞬体を揺らした。
その場にいたのは、侍女のドリーだけ。慌てたドリーがアントニアを支えるように抱き止め、ソファへと座らせた。
「お嬢様、大丈夫ですか!? とにかく体を横にしたほうがいいかもしれません。ベッドに行かれますか?」
「大丈夫よ、ありがとう。ソファで少し休むわ。それでも辛かったら横になるわね」
「分かりました。奥様が少し前にお茶会から戻られてますから、念の為伝えて参ります。それからトニー様にも」
「ええ、ありがとう」
ドリーはすぐさまアントニアの部屋から下がると、グリフィス侯爵夫人の元へと急いだ。途中すれ違った他の使用人にはトニーにアントニアが体調を崩したかもしれないことを伝えてもらうよう頼み、別の使用人にはアントニアの部屋へ水差しとグラスを持っていくよう頼んだ。
ドリーが侯爵夫人の元へ行き、アントニアのことを伝えれば、急ぎ夫人が娘の元へ向かった。
部屋に辿り着けば、そこには既にベッドに横になる娘と、その義兄がベッド脇で彼女を見舞っているのが視界に入ってきた。
夫人は内心感じるものがあったようだ。義理とは言え兄妹だが、それにしても距離が近いのではないか? と。
そうトニーとアントニアの距離は、誰が見ても普通の家族としての距離だ。けれど、二人の間にある心の距離が近いせいなのだろう。ベッドで横になるアントニアの、どこか安堵している表情や、心配して手を握るトニーの様子が物理的な距離ではなく、気持ちの距離の近さを如実に感じ取らせてしまうのだった。
母親がやって来たことに気付いたアントニアは、義兄に向けていた笑みをそのまま母親にも向ける。
「お母様、きてくださって嬉しいです」
「急いで来たのよ。アントニア、大丈夫?」
「はい、少しだけ眩暈がして、でもドリーがいてくれたから、何事もなく済みました」
「そう、良かったわ。暫く横になっていれば多分大丈夫だと思うけれど、念の為お医者様をお呼びするわね。ゆっくりしなさいね」
「はい」
母親としての言葉をアントニアに告げながらも、時折視線は娘と息子となった二人の繋がれた手に行っていた夫人は、アントニアとの会話を終えるとトニーに声を掛けた。
「トニー、少しいいかしら?」
「はい、お義母様」
「アンは少し眠ったほうがいいと思うから部屋から出ましょうか」
「そうですね。アン、それじゃお義母様と一緒に出るね。おやすみ」
「おやすみなさい、お義兄様、お母様」
アントニアの部屋を出た二人はそのままリビングへと移動した。
家族だけが使う部屋で、来客がない限りは普段はリビングで皆過ごしている。
使い勝手のいい落ち着いた色合いの家具が並び、飾り気のない様はグリフィス侯爵一家を容易に想像出来るような室内だった。
そんなリビングの中央に置かれたソファセットに向かい合わせで座る義理の親子。
「トニー、貴方に聞きたいのだけれど…もしかしなくても、アントニアのこと妹として見ていないわね?」
「お義母様、突然何を仰るかと思えば! どうしてそのようなことを思われたのでしょう?」
唐突な問いにトニーは笑って答えるのが精一杯だった。一体どうしてそのようなことを聞かれることになったのか、さっぱり分からなかったからだ。
「きっとずっと判っていたのだけれど、気付かない振りをしていたのね。でも分かってしまうものだわ。貴方達のあの距離感は、一朝一夕では築けるものではないもの」
「…距離感、ですか?」
「そうね、アンも貴方も、互いに信頼し合ってる。義理とは言え兄妹であるならとても大事なことだから、見逃してしまったのよ。でも、違うわね。二人共男と女として互いを意識しているのよね」
義理の母親は、いつもは物静かで穏やかな人という印象しかなかったトニーだったが、案外そうではないのかもしれないと理解した瞬間だった。
率直で、でも決して相手を詰ったりすることのない、理知的な人物なのだと理解し直した。
「……お義母様、直球ですね。もしその通りであったなら…ですが、その場合僕はアンのことをたぶらかした悪い狼みたいな扱いになるんでしょうか?」
「そういうわけではないのよ。ただ、事実を知りたいだけなの。ほら、アンには婚約者がいるでしょう? でも正直彼とアンは上手くいっているとはとても思えないもの」
「アーヴィン様ですね。確かにお茶会から戻る度にアンは酷く疲れた顔をしていますからね」
そこでトニーと夫人は、少し黙り込んでしまった。
「…少し聞きたいのだけれど、アーヴィン様とアンは貴方から見て良好な関係には見えないのよね。アンからは何か聞いていないかしら?」
「…勝手に話すと後で怒られそうだけど、話したほうがいいと思うので伝えます。アーヴィン様はアンと二人きりのお茶会の時に、いつも何も話をなさらないそうなんです。
だから…アンはその時間が相当苦痛のようです」
「ま! 婚約者としての交流の為の時間なのに、何も話をしていないの? いつからなのかしら…さすがにそこまでは聞いてないわよね?」
「かなり…以前からのようです」
「え? まさか…。この婚約はアーヴィン様がとても強く望まれて結ばれたのよ。なのに、アンとの時間を何も会話しないままずっと?
無口な方なのは知っているのよ。だから…ここへいらっしゃる時も二人の間で使用人からは会話があまりないと聞いてはいたのだけれどね…」
二の句を告げられなくなったのはグリフィス侯爵夫人。
改めてアントニアが婚約者にされている状況は決して良好なものとは言い難い、と思うトニー。
確かに前回のアーヴィンは、ステファニーがもし登場しなければ、という条件付きにはなるが、きっとアントニアと睦まじく寄り添い、良い関係を築いて結婚に至ったのではないだろうか、と想像出来ないわけではなかった。が、あの時はアントニアが気紛れにアーヴィンに近付くようなことがあったからだ。
でも、今回はそういうことは一切していないのを彼女から直接聞いているトニーとしては、アントニアとアーヴィンの関係は、アーヴィン自身が動かない限りは関係改善は望めないだろうということが予想出来た。
つまり、前回以外の、それまでのループではアーヴィンは絶対に自分から動いてはいない。ということは今回も同じだろうと容易に想像出来る状況で、アントニアをアーヴィンから奪うことも簡単だと考えるトニーがいた。
「とにかく、二人がそのような状況であるなら、アントニアの気持ちを最大限優先させた形で、婚約を考え直す必要がありそうね」
「そうですね、アンのためにもお願いいたします」
「それで、貴方の気持ちを知りたかったの」
「僕の…ですか」
体勢を立て直した夫人は、真っ直ぐとトニーに視線を向けて、けれど柔らかく微笑んで見せた。
その意味を計りかねるように小さく首を傾げながら、トニーは言葉を返す。
「もし貴方がアンの側にいたいと望んでくれるなら、なのだけれど。私達夫婦にとっても愛娘とずっと一緒に暮らせるということにもなるわ。
他家に嫁がせるよりも、家族として一緒にいられる可能性が高くなるわけだから…私としては二人の婚約を推し進めるのもありかしら? と考えるのよ。
勿論侯爵がどう考えるのかは別よ。彼がダメだと判断したら…分からないのだけれど。でも、少なくともアンが貴方と結婚すれば、この家の血は間違いなく続くことにもなるし、彼はアンを大事にしているからずっと家にいるということになれば、反対をしそうにもないけれどね」
予想外、と言うのだろうか。トニーにとって援護射撃のような心強い言葉が聞こえてきて、自分の都合のいい幻聴でも聞いたのかと、目の前の夫人に驚きの視線を向けてしまったのは仕方のないことだった。
夫人はクスクスと笑いながら、言葉を続けた。
「私としては先代様同士の約束よりも、アンの気持ちを大事にしたいの。だから、アンが貴方を選ぶというのなら、婚約解消に否はないのよ。その為にも貴方の気持ちが知りたいの」
夫人の言葉にやっと納得したトニーは、小さく頷いてから、視線を夫人に向けたまま自身の気持ちを偽ることなく伝えることにした。
リビングに来て、侍女が用意してくれたお茶は、まだ湯気を立てている。が、そろそろ温度は下がってきているだろうか。それでも二人がカップに手を付けることはなかった。
「お義母様、僕の気持ちはもうずっと前から決まっています。アンを義妹という立場での家族ということではなく、妻という立場での家族にと望んでいます。
僕にとってとても大切な人です。守りたいし、慈しみたい。誰にも傷付けさせたくない。とても大切で、大事で、今この家に迎え入れられているだけでも幸せだと思っていますが、もし許されるのなら…アンと二人でこの家を守っていきたいとずっと思っていました」
「そうなのね。これで安心したわ。これから私は夫を説得しなくちゃいけないわね。でもその前にアンの気持ちも確認しないとね。それでハッキリすれば…夫もこちら側に来るでしょうから心配ないと思うのよ」
「…お義父様も賛成してくださるなら、安心ですが」
「そこは任せて頂戴ね! 彼の妻たるものの腕の見せ所だわ。案外すぐに賛成してくれるはずだから。アンには本当に甘いのよ」
夫人の言葉は、トニーの気持ちを充分に励ましただろうし、納得もさせただろう。そして何よりアントニアとの関係を認めてくれるものでもあった。
だから、トニーはアントニアに自身の気持ちをもっと強く伝えていこうと思うのだった。
すっかり冷えてしまったカップを少しだけ口にしたトニーだが、冷えているから喉には優しいものに感じられた。緊張しているつもりはなかったが、気付かず緊張していたようだ。
だから、喉が知らず乾いてしまっていたようで、喉を通るお茶はとても心地よかった。
「ありがとうございます。アンの為に僕も精一杯がんばります」
「ええ、お願いね。私達家族からアンが欠けるのは…やっぱり淋しいものね」
「はい。家族が増えることがあっても、減ることがないようにアンを守っていきます」
「ふふふ、頼むわね」
そんなやり取りの最中、トニーは感じたのだった。
今までアントニアは常にアーヴィンの手に掛かり、殺され続けてきた。つまり、今目の前にいる彼女の母親はその度にどれほど嘆き、悲しみ、絶望してきたのだろうか。アーヴィンを恨まずにいられるわけがない。
それに気付いてしまえば、アントニアを守ることは今自分を受け入れ、家族として愛してくれているアントニアの両親をも守ることに繫がるのだと理解出来た。
だからこそ、トニーはこの家族を守ることにもなるのだから、とアントニアをアーヴィンから奪うことを強く心に誓ったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
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そう言えば、1章を終えた後、一瞬だけでしたけど日間ランキングに紛れ込んでたようです。
遠巻きに眺めて他人事みたいにしてしまってました。しばらく考えてから、ポン!と手を打ったわけです。
「ああ!これ、読んでくれた人や評価をしてくれた人達のおかげじゃないか!」
気付くの遅すぎ案件で、自分が情けなかった…。
皆さんに評価やブックマーク登録をしていただいた結果です。本当にありがとうございます!
何よりこの作品を読んでいただけてるんだな、としみじみしてたりします。
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