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ただ幸福だと思っていたのは誰だったのか 1

 本学舎右翼にある専門課程の空き教室で、アントニアとトニーの二人が話をしてから数日後、夏季休暇に入った。

 全寮制なので、長期休暇の場合は余程の理由がない限りは帰省するのが普通だ。その為、ほとんどの学生が寮を出て、王都内の屋敷や各領地に戻っていく形で、久しぶりの家族との再会を果たすこととなった。それはアントニアも例外ではなく、王都のグリフィス侯爵邸へと戻り家族との時間を楽しんでいるのだった。


 いつものように今回もアントニアの元へ婚約者のアーヴィンからは手紙は届かなかった。

そしてアントニアも手紙を送ることはなかった。もう見捨てた相手に縋ることもないし、この後に続く事柄を知っているせいか、虚しい結果しか招かないことに時間を割くことがバカバカしかったからだ。

 この世界がループしていると気付いた初めての時の衝撃は大きかった。

初めての夏季休暇にアーヴィンへ何度も何度も手紙を書いて送った。会えないことが淋しいと思うくらいには、アーヴィンのことを慕っていたから。だから、アーヴィンとの関係を良くすることで、自身の死も避けられるのではないか? と考えたというのもある。

しかし、実際にはアーヴィンは一学年の夏季休暇でステファニーと互いに気持ちを確認し合って恋人同士となっていた。

 毎年エクルストン公爵から領地へ招待をされるのだが、そこでアーヴィンとステファニーの逢瀬を見てしまうという強制力が発生する。

二人が仲睦まじく手を繋ぎ、微笑み合う。気付けば二人がキスをしている場面まで見てしまうという、アントニアにとっては何の罰ゲームだろうか? というような苦行を一学年の夏に迎えるのだが、今回もそうなるだろう。

 そして、招待されている立場からエクルストン領の領館に滞在することになるのだが、あの年にはアーヴィンがアントニアの送った手紙の束を迷惑そうな顔をして「焚き付けになるから、焼いておいてくれ」と使用人に言いながら渡すのを見てしまったのだ。

あの時から、アントニアにとってはアーヴィンという人間を信頼出来なくなった。

彼はもう私という存在が邪魔なんだな、そんな風に理解したのと同時に、失恋の痛手でアーヴィンという存在を受け付けなくなったのかもしれない。

 それから、嫉妬のあまりステファニーに何かをしたかもしれないし、していないかもしれない。アントニアは混乱しただけでなく、この後彼女は恋い慕った相手に殺されてることを覚えていたから、もうそれで全て終わるならそれでいい、そんな風に考えていた。

が、実際に殺されて、また十三歳で目覚めるということを繰り返せば、アーヴィンという相手に対しての気持ちなどあっさりと消え去ってしまう。それ以上に殺されるという事実が大きいからだ。



 §§§



 アーヴィンからの手紙が届かない夏季休暇の間、今回も予定通りエクルストン公爵からの領地への招待状が届いた。これは強制力の働く時間なので、逃げることが出来ない。

例えアントニアが本当に動けないほどの、しかも死熱を出していたとしても、領地へ出発する直前でその熱は間違いなく下がるし、例え家族が「ゆっくり寝ていなくてはいけない」と直前まで言っていたとしても、時間になれば「さあ、出かけましょう」という言葉に変わるのだ。

 アントニアが今まで強制力に抵抗するために試してきたこと全てで確認したことだから、間違いない。

故意に大怪我をしようとして階段を踏み外しても少しの擦り傷で終わったり、冷たい浴槽に長時間浸かって体を冷やして風邪をひいたり、高熱が出るように様々なことをしてみたり、体を労わらないことを重ねても、結局は強制力が勝ち体はすっかり元気になるだけだった。

仕方ないからと自死出来るかどうかの確認もしているが、悲しいくらい思い通りにならなかった。

 切り立った崖のある場所へ行き飛び降りてみようと試みたが、人が近くにいたらしく助けられてしまった。偶然かもしれないと考え、日を変えて時間を変えて、何度か試したが全て人に助けられている。

つまり、無事に落ちることが出来れば死ぬことが出来て、助からないことがハッキリしているから、アントニアを助ける人物が配置されている、そう彼女は感じたようだ。

この世界がアントニアに対し、アーヴィンに殺される以外の死を望んでいないのだと思っても仕方ない事だろう。


 自分の生き死にを自身で決められない状況に、彼女は絶望するしかなかった。

だから、婚約者と恋人となったステファニーの二人には強制力が働かない限りは近付きもしなかった。それなのに、アントニアはステファニーを害したと断罪された。

 そんな事実は一つもなかったのに。

そうしてアントニアはもうどうせ思い通りに動けない、生きられない、死ねない、そんな世界にいるのだから最後はちゃんと殺してもらおうと思うようにもなった。

それでも、体を裂くような剣の痛みは耐えられるものではない。だから、どうあっても心は壊れていった。


 今までのことを考え始めて、気付けば思考がぐるぐるとし始めていたアントニアは、一度軽く頭を振った。それから、嫌ではあったものの、エクルストン公爵領に行く準備を始めた。

最低限度の準備でいい。最低限日数の滞在。滞在中にお茶会とパーティが開かれたはずだから、その為のドレスは必要で、他には簡素なドレスと、強制力の為に外出する日があるからその時のための服も用意しなくてはいけない。

 非常に苦痛を強いられる場面を見なくてはいけない。婚約者と恋人となったステファニーの親密な場面を。

ため息を吐くことで、見なくて済むならいくらでもため息を吐いただろう。が、実際には無理だと分かっている。だから、ため息を吐く代わりに、その場面を少しでも見なくていいようにと、本を選ぶことにした。その場面を最低限度の時間だけ見る。後は視線を本に戻すように演出する。

そうだ、あの場面はアントニアが婚約者の裏切り行為に茫然自失とするか、取り乱すか、現実逃避をするか、とにかく行動の指定はされていない場面だった。


(そうよ、本を読むことで動揺していることを示すようにすればいいのよ。手にした本を落としかけて、なんとか自身を落ち着かせようと本を開くの。その本は上下逆さまになっていて、全く文字を追えない状態で、でも気持ちを落ち着かせようと必死に本を読んでいる振りをして、周囲に動揺を悟らせないようにして…。そんな風な誤魔化し方でもあり、よね?)


 そう思い立ったら、お気に入りの本を選ぶことにしようと本棚に行き、本選びを始めたのだった。


 公爵領に出発する日となり、アントニアは小さく息を吐いてから馬車へと乗り込んだ。見送ってくれた家族としばらく一人だけ離れることが寂しかったが、これは避けられないものだから、諦めたのだった。

 王都からエクルストン公爵領まで二日の日程。道中はいつも穏やかな天気に恵まれる。無事に領館まで辿り着き、公爵夫人に大歓迎され、客室に案内された。

アーヴィンは出迎えにも来なかった。これはいつもそうだから、アントニアも気にしなかった。むしろ、顔なんて見たくない。だからそのことでは文句もなかった。


 いつもと同じ白で統一された家具と、淡い緑の壁紙とカーテンが掛かる客室で着替えを終えて暫くゆっくりとしていると、部屋を訪ねてくる人がいた。侍女のドリーが扉で応対している。どうやらアーヴィンのようだ。


「お嬢様、アーヴィン様がいらっしゃいました」

「分かったわ。お通しして」


 部屋にアーヴィンを招き入れると、困ったような顔をさせた婚約者がアントニアを見つめていた。


「アン、久しぶり…。元気だった?」

「はい、元気でしたわ。アーヴィン様もお元気でしたか?」

「それなり、かな。…今日は、出迎えに行けなくて、ごめん。領地に関する仕事があって、それをどうしても早く終わらせたくて……」

「そうなんですね。大変ですのね」

「まぁ…そう、だね」


 一体何の用だろうか? そう思うアントニアを前に、アーヴィンはただどう会話を切り出せばいいのか、と迷っているようだった。

話すことなど何もないだろうに、と考えているアントニアとは違い、アーヴィンはアントニアをどう繋ぎ止めておけばいいだろうか、と必死ではあった。が、それをアントニアが察することなど永久にない。

つまりは、アーヴィンが行動しないことで、アントニアの気持ちが離れていくという事実を知りもしないアーヴィンの過失だろう。


「もし良ければ…なんだけど。二人で、…街に一緒に行かない?」

「街ですか? …そうですね、ここでずっといても退屈しそうですし、いいですよ」

「…良かった。それじゃ、ここへ来たばかりだから疲れてるだろうし…二日後でいい?」

「二日後ですね、分かりました」

「ありがとう。楽しみにしてるよ」

「こちらこそ、ありがとうございます」


 そんな風にして約束は取り付けられた。

今は自由時間だ。強制力のない時間。けど、アントニアは首を捻っていた。


(アーヴィン様から出かけようだなんて、今まで一度も誘われたことがない。過去には手紙を燃やされる出来事があったのに。

…あれも自由時間でのことで、アーヴィン様が私を嫌っていた証拠だと思えたし、諦めるにも充分な理由の一つだったんだけど。どういうことかしら?)


 相手の行動の意味なんて理解出来ないアントニアは、ただひたすらその謎に挑んでみようとしたが、分かるはずもない。婚約者がアントニアのことを好ましく思っているだなんて。

真逆のことを真実として理解している彼女が、婚約者の真意など理解できるはずがないのだった。

例えアントニアに縋る様に『婚約解消』を嫌がったアーヴィンを見ていたとしても。


 二日後。朝から快晴で、暑くなりそうだと想像出来る空を見上げながら、アントニアとアーヴィンはその日を迎えていた。

 エクルストン公爵領の領都にある中心街へと馬車に乗り出かけた。

出かけたのはまだ昼には早い時間帯だったが、朝市が開かれている通りは活気に溢れていた。

そんな通りを婚約者の二人は並んで歩いてる。自由時間でなら何の強制力もない。だから、ヒーローであるアーヴィンがヒロインではない別の誰かと一緒に出掛けていても問題はないのかもしれない。

前回までなら、アントニアが領館に滞在している間も婚約者を放置して、恋人であるステファニーとの逢瀬で時間を埋め尽くしていた。ただ、まだ二人がエクルストン領で会っていないから、二人だけで過ごすことがないのだと理解している。

でも、二人が出会ってしまえば、二人の親密な様子を見てしまうことになるのだろう。が、それとこれは別の話だ。

アントニアにとっては、婚約者に構ってもらいたいわけではない。むしろ放置してほしい。その上で、婚約を穏便に解消出来るのならしたいのだ。

婚約者という肩書が付いて回ることすら苦痛なのに、面倒を引き起こす相手でしかないアーヴィンと一緒に過ごしたいと願ったことなどもう1ミリもないのだ。

 ともかく、今は早くに街散策を終えて、領館に帰れるように動こうと心に決めているアントニアだった。

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