淑女への道
ルークからの提案で、まずは歩くのではなく、立つ事を意識して練習をすることにした。
言われた通りに、頭上に本を乗せてそっと手を離すと、今まで一度も成功しなかったのが嘘のように、私の頭上に本は乗っていた。
「歩こうと意識しすぎて、バランスを取れなくなってたんだよ」
「本当だ、立つ事だけを意識すれば、意外と簡単に出来るものね」
本当に些細な事だけど、少しずつでも前に進める気がして、少し気が楽になった。
何回やってもダメなときは、どうしようかと思った。
ほっとした私の表情に気が付いたルークが、にっこりと微笑んだので、思わずつられて笑顔になる。
「それじゃあ、今度は少し廊下に出て、歩く練習をしてみましょうか」
そう言って、部屋を出ようとするルークの後について部屋を出ると、ちょうどパティがこちらに向かって歩いてくるところだった。
どうしてこの広いお屋敷の中で、こうタイミング悪く会っちゃうかなぁ……
また、嫌味の一つでも言われるんだろうと覚悟しながら、パティに目をやる。
「あら……」
そら来た。今度は何を言われるのやら……
次に繰り出されるだろう口撃に、少し顔が引きつりそうになりながら、思わず身構える。
「やぁ、パティお嬢様。相変わらず、ビスクドールのようにお美しいですね」
パティより先に、口を開いたのはルークだった。
ルークの口から、そんな言葉が出てくるのは、なんだか意外に思えた。
そんな事は普段から言われ慣れているパティは、きっと優雅にあの天使のような微笑で、お礼を言うんだろうな。
それで、みんな騙されるんだよね……
そう思って、何気なくパティの顔を見て驚いた。
なんと、あのパティが、顔を真っ赤に染めて俯いている!
ちょっと、もしかしてパティって、ルークの事……
今まで見た事もないパティの姿に、そんな事を考えてしまう。
「バカにしてるのかしら?!」
「おや、気に障ったかな? 褒めたつもりなんだけど?」
あら? 何やら雲行きが怪しくなってきたような……?
それに、パティが私以外の人に、裏の顔(?)を見せてるのって初めて見た。
私は二人のやり取りに、黙って耳を傾ける。
あくまでにこやかに言葉を続けるルークだったけど、眼鏡の奥の瞳は笑っていなくて、二人の間には険悪なムードが漂っていた。
どうやらパティは、褒め言葉が嬉しくて赤くなっていたわけじゃなくて、怒りで顔が紅潮していたらしい。
「私は、失礼しますわ」
パティは一瞬、青碧の瞳に怒りの色を浮かべて、この場から立ち去ろうとした。
「あ、そうだ。ちょうどいい。パティ、アンナに優雅な歩き方の見本を、見せてあげてくれないかな?」
「なっ……どうして、私がそんな事をっ……」
パティの様子を、まったく気にする様子も無く、当然のように言葉を続けるルーク。
もしかして、実はルークってすごい人かも。
この屋敷に来てから、パティの魅力に惑わされずに、ここまではっきり物を言う人を見た事がなかった。
更に意外だったのが、不満そうな表情を浮かべながらも、パティがルークの提案を承諾した事だった。
いきなり私に、平手打ちをするような娘が、大人しく言う事を聞くなんて……
もしかして、パティってルークに何か弱みでも握られてるのかな?
そうでも思わなければ、目の前で起きている事が信じられなかった。
「アンナ、そういう事ですから、パティのお手本を参考にして下さいね?」
ルークが、急にこちらを振り返ってそう言ったので、私は慌てて頷く事しか出来なかったけど、さっきパティに向けられていたような、冷たい微笑みは無くて、ちょっとだけ安心した。
そこから、三人での奇妙なレッスンがスタートした。
さすがに生まれながらのお嬢様だけあって、パティのお手本は完璧だった。
頭の上に、本を乗せているとは思えないほど優雅で美しく、まるで滑るように歩くパティは、悔しいけど綺麗だと思った。
性格はかなり問題あるけど、本物のお嬢様なんだよね……
あれで、性格が良かったら、非の打ち所が無いのに、もったいないな。
「さすがですね、完璧です」
「もういいでしょ」
ルークが拍手をしながらそう言うと、パティは頭上の本をルークに手渡し、廊下に設けてあるテーブルセットの椅子に腰掛ける。
少し不機嫌そうに俯くパティは、彼女にしては珍しく無口だった。
「さあ、アンナ。今のパティの歩き方を参考にしてやってみて下さい」
ルークは、不機嫌そうに黙っているパティを、気にする様子も無くそう言った。
また、そんな簡単そうに言う……
「彼女が、私みたいに歩けるわけないじゃない」
「パティ、君には言ってないよ?」
もう我慢出来ないといった風に言ったパティに、ルークが優しくたしなめる様にそう言うと、パティは再び黙り込んでしまった。
ルークの一言で、こんなにも変わるなんて。
私は、二人の間にある確執が何かは分からなかったけど、ルークは完全にパティの上位に立っている、という事は確信した。
この、パティにも苦手な人がいたのね。
少しばつが悪そうに座っているパティを見て、ちょっと可愛そうに思いながらも、胸がすく思いだった。
ルークに家庭教師をしてもらっている間は、パティも少しは大人しくしてるかもね。
「さあアンナ、パティの事は気にせずに、続けましょうか」
悔しそうに唇をかみ締めているパティを尻目に、私のレッスンが再開された。
もしかしたら、ルークは私にとって、頼もしい味方になる人かも?!
ルークが家庭教師に来てくれた事は、私にとって大きな一歩かもしれないと思った。