表と裏
晩餐会の翌朝……
アンナは、リリスが紅茶を入れてくれているのをボーっと眺めていた。
カークベリー伯爵が、あの子なのかな……
「アンナお嬢様? どこかお加減でも悪いのですか?」
漠然とそんな事を思っていて、リリスに声を掛けられ、初めて自分が考え事をしていたのに気が付いた。
「え? あー、ごめん、なんでもないの。慣れない晩餐会に出席してちょっと疲れちゃっただけよ」
リリスに心配を掛けた事が、申し訳なくて、慌てて紅茶のカップを手に取る。
そんなアンナの様子に、リリスがもう一度口を開きかけた、その時……
バンッ!と大きな音と共に、部屋のドアが開かれた。
驚いてドアに目をやると、なんとそこには妹のパティの姿があったのだ。
パティ?!
アンナは突然の出来事に、手に持っていたカップを床に落としかけた。
パティは、そんなアンナを、気にもしない様子で目の前まで歩み寄ると、有無を言わさずにアンナの頬を打ちつけたのだ。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
「いったーいっ! いきなりなにすんのよっ!」
言うと同時に、アンナも同じように打ち返し、部屋に乾いた音が響き渡る。
「あなたなんかに、ジェリーお兄様は渡さないんだからっ!」
そう言ったパティが、更にアンナに掴みかかろうとして、あわや取っ組み合いの喧嘩になりかけたその時、呆然としていたリリスが我に返り、なんとか二人を引き離す。
「お嬢様方、お止め下さいっ!!」
リリスの言葉に、パティは悔しそうに唇を歪ませて、部屋を出て行った。
「ちょ……なんなのっ!?」
あまりにも唐突な出来事に、アンナはパティが去った方向を、呆然と見つめる事しかできなかった。
アンナの混乱した頭に、パティの言葉が蘇る。『あなたなんかに、ジェリーお兄様は渡さないんだからっ』
「アンナお嬢様、大丈夫ですか?」
リリスに声を掛けられて、なんとか冷静を取り戻すが、どう考えても納得の行く理由は見当たらなかった。
「一体、なんだったの、今のは……」
パティに打たれたところがピリピリと痛んでいた。
アンナの頬は、少し赤くなってはいたものの、幸い跡が残るようなものではなく、朝食の時間にはすっかり元に戻っていた。
アンナがダイニングルームに行くと、お父様の足元に縋りついて泣いているパティの姿が目に入る。
パティの真っ白な頬には、先ほどアンナが打ちつけた跡が痛々しいほどに残っていた。
やられた……
そういう事だったのね。
アンナは、その状況を一目見ると、自分が置かれた立場を理解した。
天使の顔を持つ、悪魔な妹の罠に、まんまと掛かってしまったのだと気が付いたのだ。
透けるように白いパティの肌は、一度赤くなってしまったら、なかなか元には戻らないのだろう。
何も痕跡の残っていないアンナが、いくらパティが先に手を出してきた、と訴えたところで、真実味は無い。
正に、それこそがパティの企みだったのだ。
それで、いきなりあんな事してきたのね。
これで、納得がいったわ。
私が、もっと冷静でいられたら、何も問題はなかったんじゃない……
アンナは、自分の浅はかさを後悔した。
「アンナ、こちらに来て掛けなさい」
いつもは穏やかなお父様は、見たことも無いような厳しい表情を浮かべている。
言われるがまま、椅子に腰掛けて、次の一言を待つ。
「どういうことかね?」
「待ってください、お父様! パティがいけないんです。何かアンナお姉さまの気に障ることをしてしまったのですわ、きっと……」
パティは、か細い声でお父様にそう訴えた。
あんたはちょっと黙っててっ!
アンナはそう言ってしまいそうになるのを必死で堪える。
「お言葉ですが……」
思い余って、意見しようとしたリリスを、厳しい視線で咎める。
「アンナ、君も慣れない生活で、疲れているのは分かる。でも、もう子供じゃないんだ。レディとしてのマナーも身に付けていかなくてはいけないよ?」
「そうよ、アンナ? 急には無理なのは分かるのよ。でもね、夏になればシーズンがやってくるわ。せめて、それまでに基本的なマナー等を学んで貰う為に、あなたには家庭教師を付ける事にしますからね?」
怒鳴られる事を覚悟していたアンナにとって、それはとても意外な言葉だった。
まるで、小さな子供を諭すように、そう両親に語りかけられて、素直に頷く事しか出来ないアンナであった。