プロローグ
その日は、朝から雨が降っていた。黒い服を着た人々の列が、次々と教会へと吸い込まれていくのをじっと見つめる少年。
湿気でまとまりのなくなった美しいブロンドヘアーを、気にもしない様子で、ただそこに立ちすくんでいる。
印象的なブルーグレイの瞳に、いっぱいの涙を浮かべながらも、零すものかと唇をかみ締めている様子は、周りから見ても痛々しいほどだった。
「ジェリー、泣いてもいいのよ?」
年配の女性が、自分のバックからハンカチを取り出し、彼へ手渡したが反応はない。
そんな様子がまた涙を誘ったのか、辺りからは鼻をすすり上げる音が聞こえ始める。
「あれは……じゃない……」
彼が呟いた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
ーあれは母さまなんかじゃない……
ポツリと呟き、人の間をかき分け、教会の裏庭へと歩き出す。
10歳の誕生日を、ついこの間迎えたばかりの少年、ジェレミーには、最愛の者との別れを受け入れろというほうが、無理な話なのかもしれない。
しばらく歩き、教会裏の大きな木の根元に座り込むと、また堪えていたものが溢れ出しそうになり、慌てて手の甲で拭う。
「だれっ!?」
背後に気配を感じて声をかけると、茂みの中から彼より少し幼い印象の少女が姿を現した。
「びっくりさせちゃった?」
悪びれる様子も無く、笑顔で答える少女。
「私は、アンナ。あなたは?」
そう問いかけられ、答える事が出来ずにいるジェレミーの隣に、アンナは、なんの断りも無く腰掛ける。
「!? な、なに?」
生まれながらに、貴族のジェレミーにとって、少女アンナの行動は、驚くべきものだった。
まだ子供ながらも、立派な紳士になるべく教育を受けてきている彼には、
初対面の相手の隣、しかも、地べたに直接座り込む、などという行動に出る女の子は、理解し難いものだったのだ。
「どうして? このほうが話しやすいでしょ?」
そんな彼の心情を、知ってか知らずか、彼女は気が抜けるほどの警戒心の無さで、相変わらず屈託の無い笑顔を向けている。
「なんか、君を見ていると、警戒した自分が、バカみたいに思えてくるよ……」
アンナの様子に、ジェレミーは脱力して、木の幹に寄りかかる。
先ほどまで降り続いていた雨が上がり、空には太陽が顔を覗かせ始めていた。
木漏れ日が、アンナの頭上に降り注ぐと、ジェレミーが何かに気がつき、表情を変える。
「君、その髪の色……」
そう言うと、アンナは少し曖昧な表情になって言った。
「珍しい色でしょ? 赤毛でも栗色でもない半端な色。私は好きじゃないんだ。友達には、鉄さび色だーなんて言われるし、あなたみたいにキレイなブロンドがうらやましいな」
日に当たり、キラキラと輝いて見えるジェレミーのブロンドを、眩しそうに見つめながら、
比較するように自分の髪を、指先に絡ませている。
「そんな事無いよ! 君のその髪の色。確かにあまり見ない色だけど、とても綺麗な色だと思う。僕の母さまが、同じ色をしていたんだ」
また、母の事を思い出したのか、ジェレミーは俯いてしまう。
「もう、触れることも出来なくなってしまったけれど……」
アンナが、真っ白なハンカチを差し出している。
「泣かないで。私には、母さまも父さまもいないからわかんないけど、きっと、とても悲しい事なのね」
そう言って、アンナも目を赤くする。
「泣いてなんか無いよ! そう言う君のほうが、必要みたいだよ?」
逆にハンカチを取り出しながら、アンナに差し出し、ジェレミーは不思議な気持ちになっていた。
彼は、母を亡くしたばかりなのに、アンナと話しをしていると、その辛さも幾分和らいでいくからだ。
彼女の髪の色が、彼の母と同じ色をしているからなのか、それとも彼女の雰囲気に流されたからなのか。
「ありがと……」
ジェレミーから差しだされたハンカチを、素直に受け取り目元を押さえるアンナ。
「君は、父さまも、母さまもいないって言ったけど、どこからきたの?」
そんな問いかけに、黙って彼女が指を差す。
その先にあるのは、教会に併設されている孤児院で、ジェレミーの母、レディ・ローレンが寄付をしていた場所でもあった。
「そう……」
なぜか、ジェレミーは自分の身分を、アンナに話す事は出来なかった。
同情心からともとれるが、ただ普通の友達でいたかったからだろう。
大概、彼が名前を口にすると、恐縮して友達になれないか、逆に利用しようとして近づいてくるか、のどちらかなのだ。
二人の間に、短い沈黙が流れる。
しばらくすると、孤児院のほうが騒がしくなっているのに気がつく。
「いっけない! シスターが、気がついちゃったみたい」
そう言い、慌てて立ち上がるところを見ると、どうやら黙って抜け出してきたようだ。
「私、もう行かなきゃ。そうだ、あなたの名前、聞いてなかった」
アンナは立ち去ろうとして、腰を上げながら尋ねる。
「僕? ……ジェレミー」
自分の身分を明かしたくないジェレミーは、ファーストネームだけを口にした。
「そう、ならジェリーね。またね!」
彼の言葉を疑う様子もなく、晴れわたる青空のような笑顔を残し、風のように去ってしまう少女。
最愛の母を無くした日、彼は、不思議な少女に出会った。
今まで会った、どんな女の子とも違って、破天荒で驚かされたけれど、明るく優しい少女だった。
人生で、最悪な一日になるはずだった今日と言う日が、それだけではない、何か特別な日になったような気がしていた。
そして彼女も、まるで聖書に出てくる天使のように美しい少年との出会いに、まるでいつか聞いた、夢物語の中に迷い込んだような、不思議な感覚に囚われていたのだった。