第三回 良臣擇主而効忠 良禽擇木而棲身
建安三年の秋、冷たい風が吹き荒れる中、呂布は袁術との密約を深め、高順に小沛攻略を命じた。
「劉備を攻め滅ぼし、臧覇を組み込むぞ!」
呂布の野心は、燃え盛る炎のように、周囲を照らし、同時に焼き尽くそうとしていた。高順は、渋い顔でうなずいた。その瞳には、主君の危うさを映していた。
え?お前にそんな野心あったっけ?まぁ…一応、草原の覇王にまで登り詰めたんだからこんくらいは出来るよね?
同時に破滅への道も加速して行った。
「呂布め、許せん!」
陳珪の低い声が、闇に消え入るように響いた。
「袁術との縁組、断らせねばならぬ!」
呂布は、韓胤からの縁組の申し入れに最初は乗り気だった。
「袁術と組むか…悪くないな」
呂布はそう呟いた。しかし、陳珪の説得が始まった。
「袁術はあてにならない!曹操こそが、我々の味方だ!」
陳登は、鋭い視線で呂布を見据え、訴えた
「主公、曹操と手を結ぶべきです。徐州の安定のためにも!」。
呂布は、半信半疑ながらも曹操の左将軍への任命を受け入れた。
「左将軍か…悪くないな」
陳登は曹操の前に立つと、毅然とした表情で言った。
「呂布は、一刻も早く滅ぼすべきです!徐州の平和のためにも!」
曹操は満足げに笑った。
「陳珪、陳登…貴様らの忠誠は、確かだな」
呂布は、陳登の帰還を訝しんだ。
「陳登…あの男は何を企んでいる?」
しかし陳登は巧みに言葉を操り、呂布を持ち上げた。
「主公、貴方は鷹のごとく鋭い!徐州を制覇されるのは時間の問題です!」
張勲率いる袁術軍が攻めてきた時、陳登は父に言った。
「父上、袁術軍は内部分裂しています!今こそ、楊奉と韓暹を味方につけましょう!」
陳珪は、呂布に策略を提案した。
「呂布よ、楊奉と韓暹を味方につけろ!それが、勝利への道だ!」
呂布は、その策略を実行し、大勝を収めた。
「陳珪、陳登…お前たちの知略は、見事だ!」
小沛は落城し、劉備は呂布に従った。しかし、その勝利は、束の間の輝きに過ぎなかった。
曹操の大軍が、徐州へと迫っていたのだ。
「曹操が来るぞ!」
その知らせは、呂布の心臓に氷の塊を突き刺したかのようだった。
何にも変わってねぇじゃん!クソがッ!
彭城の陥落は、呂布にとって大きな打撃だった。陳宮は、必死に策を講じた。
「主公! このままでは、下邳も危うい! 速やかに、退却すべきです!」
しかし、呂布は、陳宮の忠告を聞き入れなかった。
「逃げるか!俺は、ここで曹操と戦う!」
自尊心と、焦燥感が、呂布の判断を曇らせていた。
幾度となく、曹操軍と激突するも、結果はいつも同じだった。 大敗。 呂布は、下邳に籠城し、抵抗を続けた。 城内は、緊張感で張り詰めていた。
長期戦に疲弊した曹操軍。撤退の機運が高まる中、荀攸と郭嘉の策略が炸裂した。それは、巧妙に仕掛けられた水計だった。
「これで、呂布の終わりだ…」
曹操は、静かに呟いた。
城内は混乱に陥った。侯成、宋憲、魏続… 彼らは、呂布の裏切りを画策し、陳宮を捕らえた。
「将軍…申し訳ありません…」
侯成は、呂布に謝罪した。しかし、その言葉は、呂布の胸に突き刺さるような痛みに変わった。
「…自分を曹操に売れ…」
絶望的な状況の中、呂布は、残された部下たちに、最後の命令を下した。しかし、彼らの忠義は、最後まで揺るがなかった。呂布は、一人、曹操の前にひざまずいた。その姿は、かつての威風堂々とした猛将とは、かけ離れたものだった。
「呂布!」
曹操の冷酷な声が、風を裂いた。 縛られた呂布は、屈辱に満ちた表情で、曹操を見据えていた。
「貴様…家臣の妻を…!」
曹操の言葉は、呂布への非難と、同時に、己の勝利への確信に満ちていた。
呂布は、何も語らなかった。 ただ、絞め殺されそうな首筋をさすり、呟いた。
「縛りがきつい…少し緩めてくれ」
曹操は冷笑した。
「虎を縛るのに、きつくせぬわけにはいかぬ!」
呂布の狡猾さを、曹操はよく知っていた。呂布は、意地悪そうに笑った。
「これで天下は定まったな。貴公が歩兵、俺が騎兵を指揮すれば、天下の平定は容易いことだ!」
その言葉は、挑発とも、諦観とも取れる、曖昧な意味を含んでいた。
曹操の顔に、疑惑の影が走った。劉備が、一歩前に出た。
「曹公!呂布は、丁原、董卓を裏切った男です!信用できません!」
曹操は頷いた。劉備の言葉は、曹操の心に、残る疑念を払拭した。
呂布は、劉備を睨みつけた。
「この大耳野郎!一番信用ならんのは、そなただ!」
その怒号は、虚しい抵抗に過ぎなかった。
呂布の首は、刀で斬り落とされた。陳宮も同じ運命を辿った。呂布は、劉備への命乞いも試みたが、曹操はそれを拒否した。王必の進言に従って、曹操は呂布を処刑したのだ。
呂布、陳宮の首は、許に送られ、晒し首にされた。 しかし、後には、静かに埋葬されたという。英雄の最期は、人々の記憶の中に、様々な解釈とともに刻まれた。
城外では高順が兵三万を連れて救援に駆け付けたが、時すでに遅く、趨勢は決まっていた。
何ィ!?コノヤロウ…!早ぇんだよ!なぁ〜んてなっ!おっしゃァ!生き残れるぜ!
高順は一旦兵を引き上げて良成まで下がり、再起を図ろうとしていた。
曹操は一応張遼に
張遼は、高順の前に立った。二人の間には、沈黙が流れていた。張遼は、かつての仲間、そして今は、同じ土俵に立つ者として、高順を見据えていた。
「高将軍…」
「文遠兄…」
張遼は、静かに口を開いた。
「貴様の忠義、そして、その武勇は、我も認めている。呂布…貴様は、彼に尽くした。その気持ちは、よくわかる」
「おい…?口の利き方に気をつけろよ?此方は主を失って気が立ってるんだ…」
高順は、それ以上何も言わなかった。ただ、張遼の言葉を静かに聞いていた。
「しかし、呂布は…もういない。貴様の忠義を尽くすべき主君は、もはやこの世にはいないのだ。今、貴様が選ぶべきは、生き残ること、そして、その力を天下のために役立てることではないか?」
張遼は、言葉を続けた。
「曹操…確かに、冷酷な男だ。しかし、彼の元で、貴様の才能は、より多くの人々を救うことができる。呂布の下では、貴様の才能は埋もれてしまった。だが、曹操の下であれば…違う」
張遼は、高順の目を見て、言った。
「高順、共に戦おうではないか。天下統一という大義の下に…」
「文遠、これ程屈辱な事があろうか?ならば陳元龍の首を持って来い!それが条件だ!」
沈黙が続いた後、高順はゆっくりと、しかし力強く頷いた。彼の目には、まだ迷いが残っていたが、決意が感じられた。張遼の言葉は、高順の心に響いたのだ。 それは、もはや主君への忠義ではなく、天下への忠義へと変わる瞬間だった。
「郭嘉、高順の件だが…」
曹操は、深いため息をつきながら、酒杯を置いた。
「あの男の才能を無駄にするわけにはいかぬ。しかし、そのまま重用すれば、他の将の反発は必至であろうな…」
郭嘉は、静かに酒を呷り、言った。
「公のおっしゃる通りです。呂布の腹心であった男を、容易に信任できるわけもありません。しかし、彼の能力を無視するのも、また惜しい。辺境の要塞を任せるのは如何でしょう?防衛は困難であり、彼の能力を試すには絶好の場所です」
「なるほど…辺境か。だが、それで彼の忠誠心を試せるかどうか…」
曹操は、考え込む。
「もし、彼が反旗を翻せば…」
郭嘉は微笑んだ。
「その可能性は否定できません。しかし、公の眼力と、彼の統率力を見極める機会にもなります。仮に反乱を起こしても、辺境であれば、容易に鎮圧できるでしょう。そして、もし彼が忠誠を誓い、その地を盤石の要塞へと変えたなら…それは、彼の才能を証明するだけでなく、他の将の疑念を払拭する絶好の機会となるでしょう」
曹操は、ゆっくりと頷いた。
「奉孝、よくぞ言ってくれた。まさにその通りだ。辺境の要塞…高順には、相応しい舞台であろう」
静かに酒を酌み交わす二人の影には、天下統一への野望と、それを成し遂げるための冷徹な戦略が潜んでいた。
高順は、曹操の陣営へと招き入れられた。豪華な帳幕の中央には、曹操が座していた。その威圧感に、わずかに緊張が走ったが、高順は平静を装い、曹操の前に立った。
曹操は、高順をじっと見つめた。鋭い視線は、高順の内心を深く探るようだった。しかし、高順は、その視線に屈することなく、堂々と曹操と対峙した。
「高順…貴様の武勇と忠義は、すでに広く知れ渡っている。 張遼から、貴様のこれまでの経緯を聞かされた。 呂布に忠誠を尽くした…その気持ちは、よくわかる。 だが、今は、新しい時代だ」
曹操は、言葉を続けた。
「貴様の能力は、我にも必要だ。兗州での攻防、見事だった。随分と苦しめられたからなぁ…流石の呂布も貴様の戦略と統率力なくして、あれほどの成果は得られなかったであろう」
曹操は、ゆっくりと立ち上がり、高順に歩み寄った。
「高順、私の軍門に加われ。貴様の才能を、天下統一のために役立ててくれるか?」
孟徳…、やるじゃねぇか!いいよ、配下になって野郎じゃねえか!はっはっはっはっ!
高順は、一瞬の沈黙の後、深く頭を下げた。
「承知いたしました。これよりは曹公を主とし、この命を捧げます!」
高順の声は、力強く、決意に満ちていた。それは、新たな主君への忠誠を誓う、高順の新たな出発だった。
「公、一つ宜しいだろうか?」
「何だ?」
「先主、呂布配下の諸将を我が軍の配下に加えたい…」
「ほぅ?」
「魏続、侯成、宋憲、成廉、魏越、曹性の六人を麾下に頂けないだろうか?」
「何故かね?」
「はっ、并州以来の戦友にして某が、常に皆と共謀して公と戦をして来たからです」
「では、陳公台では無く貴様が…?」
「はっ…」
これを聞いた諸将は怒りに震えた。曹操は其れを抑えて続けた。
「では、聞こうか、濮陽ではどうやって儂の『空城の計』を見破った?」
高順は不敵に笑って切り返した。
「公は用兵の大家である前に、元より狡猾な人間ですからな…、疑い深い性格を元に計算してみれば態々民を外に出てまで畑を耕かせるのは出来なくは無い芸当でしょうが…」
曹操は神妙な面持ちで話を続けさせた。
「…続けよ…」
「王佐の才である荀文若、主謀の荀公達当たりはこの様な事は許せないだろうし…、幾ら鬼才の郭奉孝もこのような事は容認しないだろうと、更に曹公の性格を踏まえれば…おそらく虚勢を張ったと…」
「ふふははははっはっ!なるほどのぅ?高順よ、一つだけ明言しておく…儂のところに来なければ何がなんでもその首を飛ばしておったぞ…?」
うん、知ってる!因みに…曹昂助けたの俺だよ?知らないだろ?まぁ、いいんだけどさ!
「では、某は…公の慧眼に命を救われましたな!はっはっはっはっ!」
その後、曹操、郭嘉、荀彧、荀攸の四人に呼び止められ、門前の外には典韋と許褚が居た。
「さて、何用で?」
「ふむ、そこまでの智略を持ってしも呂布を助けられなかったが、貴様は何処まで天下を見ていた?」
「はっ!正直に申し上げますと、劉表、孫策、袁術、張繍らは放っておきます。今の公の強敵は袁紹のみに御座います。それに…」
「いえ、なんでもありません…」
「そうか…」
「はい、今は兗州の地を固めて、司隸を強化し、徐州を安撫するのが要かと…」
荀彧が空かさず話を続けた。
「ほぅ?何故かね?」
「まぁ、言い難いんですがね…、兗州を固めなかったから呂公と俺に攻められて、今や皇帝を向かい入れ更に西は長安、東は徐州と支配下の土地が広がった…、公は運が悪くもこの黄巾の乱以来荒廃した中原を支配してしまったからですかな…?」
「…」
此処に、荀攸が袁紹と戦う理由を詰めてきた。
「袁紹は四世三公の名門…、更には冀、幽、并、青の四州を支配し、その将兵は我が軍の十倍、将軍は我らにどう戦えと?しかも、南を放っておけとは…」
更に郭嘉も悪戯っぽくこちらを試すように言葉を足した。
「しかし、袁紹の支配してる所には士は広く集まり、民は多くおります。配下の許攸、郭図、審配、逢紀等は皆智謀に長けており、田豊、沮授は忠臣として名を馳せている。顔良、文醜も其の勇を三軍の冠するもの、高覧、淳于瓊等は当世の名将である。袁紹の下に使える人間は居ないと言うのは…」
「では、主謀殿にお答えします。孫子曰く、敵を知り己を知り百戦危うからずです。袁紹の為人は友である公が最もご存知でしょう。四世三公と言えども其れは祖先の陰徳であってあの袁本初の能力ではござらん。強いていえばその名声に従う者が強いだけです。それに、幾ら袁紹の兵が多いと言えども、所詮は烏合の衆に過ぎず、田豊は剛毅を持って上意を犯し、許攸は欲張りにして智が足りず、審配は威張るだけで謀が無く,逢紀は有能だが使えない。それぞれまるで火と水のように互い相容れず。顔良、文醜なぞ匹夫の勇を誇るだけの輩相手にするまでも無い。その他は凡庸な者ばかり。百万の大軍だろうが、相手としては不足なもの…結論、取るに足らぬと言うことです。其れにあの袁紹の事ですから戦ってればそのうちツキが回って来ますよ」
四人は黙った。呂布の愚鈍に呆れ、高順の鋭さに慄いた。静寂が、帳幕を満たした。曹操は、高順の言葉に驚きを隠せない様子だった。郭嘉は、薄く笑みを浮かべ、荀彧と荀攸は、深く頷いていた。典韋と許褚は、門の外で、その様子をじっと見つめていた。
曹操は、ゆっくりと口を開いた。
「大胆な… しかし、鋭い見識だ。確かに、袁紹は名門の出である。しかし、その実態は、貴様の言うとおり、烏合の衆に過ぎないのかもしれない」
郭嘉は、酒杯を傾けながら言った。
「高順、貴様は、呂布の敗北を、単なる運の悪さと片付けてはいない。その分析力、見事だ。袁紹の内部の腐敗を見抜き、その弱点を的確に突いている」
荀彧は、穏やかな表情で言った。
「高順の言う通り、袁紹軍は、表面上の強さの裏に、内部の腐敗を隠している。 我々は、その弱点を突くことで、勝利を掴むことができる」
荀攸は、鋭い視線を高順に向け、言った。
「袁紹の優位性を覆すための戦略、貴様には、何か具体的な策はあるか?」
高順は、静かに答えた。
「はい。袁紹軍の内部抗争を煽り、その結束を崩す。そして、個々の弱点を突くことで、全軍を瓦解させる…それが、私の考えです」
曹操は、高順の言葉を聞き終え、大きく息を吐いた。
「高順… 貴様の才能は、想像以上に大きなものだ。 我は、貴様の力を信じよう」
「実際、どう出るかは分かりませんが…」
その言葉は、高順への信頼、そして、天下統一への揺るぎない決意を表していた。帳幕の外では、典韋と許褚が、静かにその瞬間を見守っていた。
次の日、俺は徐州に残され、そのまま下邳で兵三万を率いて徐州を治める事となった。