第六十七回 遼王入境四州降 魏皇帝陰謀発覚
竇輔を始末し、安心しきった高順には怖いものなど無かった。南征の緒戦は関羽と張飛率いる元蜀漢指揮官達は高順にとって鶏肋な為、仕方無く中軍に置いた。
「牽招、久しぶりだ。」
高順は、かつての部下だった牽招に、肩を叩いた。
「まさか、ここで再会するとはな。」
彼の声には、感慨深さと、どこか達観した語気が混じっていた。
牽招は、複雑な表情で頭を下げた。
「…将軍…」
「涼州からの知らせか。夏侯淵が…そうか」
高順は、報告書を軽く受け取った。
「そうか、子脩がやったか…。あの若者は…孟徳の息子にしては随分と正直すぎる男だった。」
高順は、曹昂の無実を改めて確認した。しかし、それは、亡き友への手向けだった。高順は、ただ、目の前に起こった出来事を、巧みに利用しただけだった。
「司馬懿…か。」
高順は、報告書に書いてある三文字『司馬懿』を軽く見た。
「やはり、深く関わっていたな。 だが、それもまた、都合の良いことだ。」
高順は、司馬懿の陰謀を以て晋の成立を完全に不可能にしようとした。また、自身の成功に繋げる材料として利用した。高順は、大きな野望を抱いていたわけではない。 彼は、ただ、目の前の状況を冷静に判断し、最適な行動を選んだだけだった。漢の動揺は、彼にとって、都合の良い追い風だった。 それ以上の意味は、何もなかった。
四州の陥落で魏は北に対する備えを失い、黄河の南岸に布陣し遼との決戦に備えた。
「子文、勝てるか…?」
「はっ、勝たねば成りませぬ…」
「ふふふ、前線への斬り込み、戦局を見渡す炯眼…私は其のどちらも父上から受け継いでおらぬようだな…」
「…」
「ふっ、独り言だ。気にするな」
「兄上、この際、隴西に退がっては如何か?」
曹彰は此処で曹操の死、曹昂の追放以来初めて曹丕の事を兄と呼んだ。曹丕も少しばかり驚いたが、素直に喜んだ。
「良かろう。母上の事は任せよ…」
「はっ!」
「しかし、奥方は気丈だな」
「えぇ、本人も言っておりました。『このぐらい務まらなければ遼王の恥』だと」
「そうか…」
曹丕は幾度となく暗殺を試みたが、悉く未遂に終わった。母、弟、未知の集団この三勢力に全て阻まれた。
以来、任城王妃は服の中に常に帷子を着込むようになったと言う…。
曹丕は隴西では無く、合肥に逃げた。そこには守将の徐晃が居たからだ。父の配下では名将と名高い徐晃は常に曹操軍の別働隊を率いて戦っていた。一軍の将言うに申し分無かった。
錦衣衛よりこの報せを聞くと高順は直ぐさま関羽、張飛らに兵十万を与え、兗州、徐州に向かわせた。
「兄貴、こんな数…聞いてねぇぞ!」
張飛が、険しい表情で関羽に告げた。 眼下には、魏軍の先鋒部隊が展開している。その数は、容易に十万を超える。
「あの兵の装備…見たことのないものばかりだ。」
関羽も、その異様な装備に驚きを隠せない。
「高順からの援軍はいつ来る?」
張飛は、焦燥感を募らせていた。
「すぐに来るとは限らぬ。ここは、我ら自身の力で突破するしかなかろう…」
関羽は、冷静に状況を判断する。
「しかし兄貴…このままでは…」
張飛の言葉は、不安と焦燥で震えていた。その時、遠くから、かすかな太鼓の音が聞こえてきた。
「あれは…!」
関羽は、鋭い眼光で音のする方を見た。
「援軍か…それとも…?」
一方、遠く離れた場所で、高順は、地図を睨みつけていた。
「まさか…ここまで来るとは…」
彼の顔には、驚きと、同時に、冷ややかな笑みが浮かんでいた。
「予想外の事態…だが、それもまた、面白い」
彼は、静かに、しかし確実に、次の手を打つ準備を進めていた。 遼東軍の出現は、彼の計画を狂わせる脅威となる可能性もあったが、同時に、新たな機会をもたらす可能性もあったのだ。
「さあ、舞台は整った…。」
高順は、静かに呟いた。 彼の次の行動によって、戦局は大きく変わるだろう。
曹丕が合肥に着いた頃、呉蜀の使者を呼び寄せ三国同盟を結んだ。
合肥の寒々とした広間で、曹丕は虚ろな笑みを浮かべていた。 その笑みは、まるで凍えるような冬の風のように、魯粛と諸葛亮の心に冷たさを吹き込んだ。
「ああ、呉と蜀の…使者諸君。まさか、こんな場所で、こんな私と顔を合わせるとはね。人生、何が起こるかわからないものだ」
曹丕は、嘲笑するように言った。
「さて、三国同盟…実に魅力的な提案でしょう? 貴方達も、そろそろ、私の圧倒的な力に気づいた頃合いではないかね?」
魯粛は、眉をひそめて言った。
「曹公の提案は、確かに魅力的ではありますが…その真意が、いささか不透明な点が気になります。 魏の…恩恵…とは、一体どのようなものなのでしょうか?」
その言葉は、明らかな不信感を孕んでいた。曹丕は、さらに笑みを深めた。
「恩恵? ああ、確かに。貴様らには、想像もつかないほどの恩恵がもたらされるだろう。例えば…存続の保証とかね。 遼の…あの厄介な連中から、守ってあげよう。まるで、お守りをするかのようにね。」
その言葉は、明らかに、皮肉と脅しを混ぜ合わせたものだった。
諸葛亮は、静かに、しかし鋭い視線を曹丕に向けた。
「曹公は、ご自身にとって都合の良いように、状況を操ろうとしておられると、私は思います。 この同盟は、貴方の野望達成のための一手段に過ぎないのではないでしょうか?」
彼の言葉は、冷静沈着でありながらも、曹丕の策略を見抜いていることを示していた。曹丕は、椅子に深く腰掛け、ゆっくりと葡萄酒を味わった。
「鋭い洞察力だ。感心したよ。しかし、その洞察力が、貴方達を救うとは限らない。この世は、常に弱肉強食なのだ。 そして、私は…この世の頂点に立つ男だ」
彼は、唇の端を少し上げて、意味深な笑みを浮かべた。
「同盟か…それとも…滅亡か。 貴方達の選択は、既に決まっているのだよ」
その声には、冷酷なまでの自信がみなぎっていた。 彼の言葉は、まるで、運命そのものを宣告しているようだった。
魯粛は、拳を握り締めた。曹丕の言葉は、吐き気がするほど冷酷で、その本質は、同盟などではなく、魏による支配の布石であることは明らかだった。しかし、現状を鑑みると、魏との同盟以外に、呉が生き残る道はないのかもしれない。
「…条件を聞かせてもらおう。 この、不本意な同盟の…」
魯粛は、強い抵抗感を抱きながらも、現実を受け入れざるを得なかった。
諸葛亮は、依然として冷静だった。彼は、曹丕の言葉の裏に潜む危険性を理解していた。しかし、同時に、この同盟が、遼東という新たな脅威に対抗するための、唯一の手段であることも理解していた。
「同盟の条件は、文書で提示して頂きたい。 そして、その条件は、三国全てにとって、公平なものとする必要がある」
諸葛亮は、穏やかな口調で、しかし強い意志を持って言った。 彼の言葉は、妥協を示唆しながらも、決して屈服していないことを示していた。
曹丕は、薄ら笑いを浮かべた。
「ああ、もちろん。 文書は用意してある。 しかし、諸君、忘れないでほしい。 この同盟は、あくまで、私の好意によるものだ。私を裏切ろうものなら…どうなるか、想像もつくだろうね?」
彼は、鋭い視線を、魯粛と諸葛亮に交互に向けた。 その視線には、殺意すら感じられた。
その場に張り詰めた空気は、刃物のように鋭く、三人の使者と、その背後に控える三国それぞれの運命を、静かに切り裂きかけていた。 同盟成立の喜びなど、微塵も感じられない、重苦しく、そして恐ろしい沈黙が、合肥の広間を支配した。 表面上は三国同盟が成立したものの、その実態は、魏による支配への第一歩に過ぎない。 この同盟は、真の結束を生むのか、それとも、更なる破滅へと導くのか。 その答えは、まだ、誰にも分からなかった。 しかし、一つのことは確かだった。 この世の頂点に立つのは、曹丕だけであるという、彼の揺るぎない自信があったのである。
曹操の死後、高陵に立つ典韋と許褚の姿は、生前の勇猛さとは異なる、静かな威厳に満ちていた。 彼らは、主君の眠る地を、静かに、しかし厳しく護っていた。 その姿は、まるで、二本の不屈の岩のように、揺るぎない存在感を放っていた。 しかし、その静寂を破るように、曹彰が現れた。
曹彰は、二人の巨漢の前に立ち、深い敬意を込めて頭を下げた。
「典将軍、許将軍。子文です」
彼の声は、やや震えていたが、その中に、強い意志が感じられた。
典韋は、ゆっくりと目を細めた。
「…四公子? 久方ぶりですな」
彼の声は、低く、重々しかった。許褚は、黙って曹彰を見据えていた。 彼の鋭い視線は、曹彰の心の奥底を見透かそうとしているようだった。
曹彰は、ためらいなく言った。
「魏の未来は、危うい。遼東の脅威は増大し、内紛の危険性も高まっている。私は、父上亡き後、魏を護るため、貴方達二人の力を必要としているのです」
彼の言葉には、切実な思いが込められていた。
典韋は、ゆっくりと頭を振った。
「我々は、主君の墓を守ることを誓いました。 他の任には…就く事が出来ません…ご容赦を…」
許褚も、同様に、静かに首を横に振った。
曹彰は、彼らの反応を予想していた。しかし、曹彰は諦めなかった。
「私は、貴方達に、新たな使命を与えようというのではない。 私は、貴方達の力を…魏の…そして、父上の…遺志を守るために借りたいのだ」
彼は、強い意志を持って、そう言った。典韋と許褚は、しばらくの間、沈黙を守っていた。 彼らは、曹彰の言葉の中に、真の誠意を感じ取っていたのかもしれない。 そして、ついに、典韋がゆっくりと口を開いた。
「…承知いたしました。 我々は、主の遺志を継ぐ貴殿を、支えましょう。」
許褚も、それに続いて、静かに頷いた。 二人の巨漢の、静かな決意が、高陵に響き渡った。 魏の未来は、まだ分からない。 しかし、二人の最強の武人が、その未来を守るために、曹彰の下に集結したことは、一つの希望の光を、闇の中に投げかけたように見えた
夕暮れ時、曹沖は曹操の高陵を訪れた。 静寂に包まれた陵墓前で、彼は偶然、曹彰とその軍勢と出くわした。 曹彰は、予想外の出会いに、少し驚いた様子だったが、すぐに落ち着いた表情で曹沖に話しかけた。
「倉舒…!?八弟!まさか、こんな場所で出会うとはな。」
曹彰は、驚いた口調で言ったものの、その言葉には、どこか緊張感が漂っていた。
「どうしたのだ? 父上の墓前に…?」
曹沖は、これまでの出来事を簡潔に説明した。 曹丕の冷酷な策略、そして、彼自身の窮地。 そして、魏の未来に対する深い不安。 彼は、言葉を選びながら、しかし率直に、全てを曹彰に打ち明けた。
曹彰は、曹沖の話を静かに聞いていた。時折、彼の表情は険しくなり、拳を握り締める様子も見られた。 曹沖の話が終わると、曹彰は深い溜息をついた。
「…なるほどな…知ってはいたが…、多くの者と話し合っている。 曹丕は、決して、父上の後継者としてふさわしくない。 彼の野望は、魏を滅ぼすだろう。」
彼は、周囲にいた武将たちに視線を向け宣言した。 その言葉には、揺るぎない決意が感じられた。
「我々は、曹丕が曹家の当主としての地位を否定する。そして、今、隴西の夏侯淵をはじめとする、宗室の諸将らと連絡を取り、彼らと共に、魏の未来を守るために戦う!」
曹沖は、曹彰の言葉に、希望を感じた。 彼は、今まで一人で抱えていた重圧から、解放されたように感じた。 高陵に立つ二人の姿は、もはや悲しみや不安だけで彩られているわけではなかった。
洛陽に入り曹昂は、落ち着いた声で言った。
「今、ここに、魏は滅びる。 長きにわたる混乱は、今、終わりを告げる。 我々は、漢の正統なる後継者、献帝陛下を擁立し、我が曹家の手で乱世を終わらせる!」
高順は、曹昂の言葉を静かに補足した。「曹魏は今、終わりを迎える。 漢の光を再びこの地に灯し、民に安寧をもたらそう」
彼の声は、力強く、しかし冷淡で、揺るぎない決意を示していた。 それは、もはや、個人的な感情など微塵も含まない、冷徹な正義の宣言だった。
これにより、孫堅率いる孫呉、劉禅率いる蜀漢が鑑への恭順を示し、一同洛陽に会するものと思われたが権力の座、そして混乱から生まれる富と名声。 それらは、一部の者にとって、手放すことのできない魅力だった。 魏、呉、蜀、三国の文臣武将の中には、長く続いた戦乱の終結を望まない者たちがいた。 彼らは、暗闇の中で蠢く影のように、水面下で暗躍し、新たな混乱を企んでいた。 平和な世の中は、彼らの利権を奪うものだった。 彼らは、それぞれの思惑を胸に、水面下で糸を操り、新たな火種をくすぶらせていた。 彼らの存在は、真の平和への大きな障害となるだろう。
曹丕、司馬懿、賈逵、王基、鄧艾、鍾会、徐質、諸葛亮、馬謖、劉封、魏延、張翼、張嶷、馬忠といった蜀の精鋭たちが結集し、呉からは孫策、周瑜、朱然、呂蒙、徐盛、全琮、丁奉といった錚々たる面々が加わる。 魏の面々を加えれば、この反乱軍は、三国を揺るがすほどの圧倒的な力を持つだろう。 それぞれの武将の個性と野心、そして複雑な人間関係が絡み合い、まさに「嵐の前の静けさ」のような緊迫感に満ちた状況が生まれる。 この反乱軍の目的は、単なる権力掌握だけではないだろう。 彼らは、それぞれの理想を掲げ、新たな秩序を築こうとしているのかもしれない。 あるいは、単に混乱の中で生き残ろうとしているのかもしれない。 その真意は、闇の中に隠されている。
集まった諸将の中には徹底抗戦を唱える者で集められていた。
「洛陽への恭順など、戯言だ!」
「我らに、平和など必要ない。」
「混沌の中にこそ、我らの未来がある。」
「天下を我が物とするのだ!」
「この混乱こそが、我が天下への道だ…」
「ならば、全てを焼き尽くしてしまおう…」
「この機会を逃すわけにはいかない。」
「我らは、新たな時代を築くのだ!」
「勝算はある。だが、油断は禁物だ」
高順らはこれを聞いて驚きを隠せなかった。