第六回 相国吐露心中苦 将軍暗中顕殺機
戦も暫らくないようだから、俺は急いで鐙の開発を急いだ。今までは高順自身の身体能力に頼っていたからどうにかなったものの、俺自身は前世じゃ座って足で踏んで動かす機械にしか乗ったことがないからな〜……。
そういうことで并州から鍛冶屋を招聘して、各種武器、防具の改良・開発を依頼した。大方、鎧の機動性と鐙が重点だね。個人的な我儘で槍を穂先から石突まで全て鉄で作ってくれとお願いしている。突けて、斬れれば問題はない!と思っている。
そこからはずーっと自身の鍛錬、兵を鍛え、連携の強化に一年ほど費やした。三ヶ月に一度兵を司隷から并州に移動させる計画を立てて実行している最中だ。じゃないと兵も将も怠けて使い物にならないからな。
昔、中国の何かのドラマで丁度、董卓みたいなヤツが言ってた。「女は豚のように養い、兵は犬のように養え」ってさ!理由は、女は家から出さないように豚を豚小屋に閉じ込める感じだな。犬はたまに外に連れ出さないと豚のようにぶくぶく太るだけだって言ってた。
騎兵に関しては専ら文遠と飛燕に任せてる。俺は俺自身の私兵を鍛えることにした。手が回らないからだ。
董卓からの召喚と宮殿の惨状
ここ数ヶ月何事もなかったが、突然の気まぐれで俺が呼ばれた。誰かって?董卓に決まってるだろ!行きたくねぇ……生きて帰って来れる自信がねぇもん!てか、朝廷内での人事は俺が参与できる立場じゃねぇし!董卓は、司徒黄琬を太尉に、司空楊彪を司徒に、光禄勳荀爽を司空に任じるなど、朝廷の人事を刷新してあるからね!董卓はまた、名士として名高い尚書の周毖、城門校尉の伍瓊、議郎の何顒、尚書の鄭泰らを身近において信任し、能力がなかったり不正を働いている人物を糾弾させていたりとか、意外とそれなりの善政は敷いていた模様……。悪事と言えば……御史擾龍宗が董卓に業務上の報告をした際、剣を外していなかったことを咎めて殴り殺した。洛陽に入ったばかりの頃に何苗を殺す。董卓は何太后の母・舞陽君を殺害し、袁紹による宦官誅殺の際に殺された何苗の墓を暴いて遺体に辱めを与える。
貴族の財産を没収する。董卓は洛陽の貴族や皇族から財産を没収し、兵士に婦女を略奪することを許した。
村祭りの住民を虐殺する。董卓は二月の春祭りに参加している住民を襲って、男性は皆殺しにし、女性は兵士に与えて、賊を討ったと宣伝する。(旧暦の二月二日は龍抬頭、農事節、青龍節、農耕節など呼び名が様々あるが大まかに言うと豊作を祈る日)とかかな?
朝廷を蔑ろにした越権行為。董卓は、この一年間のうちに改元された光熹、昭寧、永漢の元号を全て排し、中平六年に戻す詔を発した。当時の元号は、良いことが起こった時や悪いことが起こった時、そして皇帝が代替わりした時に行われる改元は称元と言って、特別な意味があった。『光熹』と『永漢』は、少帝の即位と献帝の即位に伴って行われた称元であり、『光熹』と『永漢』の元号を排することは、少帝と献帝の即位を認めないと捉えられても致し方ないのだ。
漸く、宮殿に辿り着いた。そこには呂布もいた。
「将軍……」
「孝父、相国がお呼びだ」
「はっ、では後ほど」
そこには文字通りの酒池肉林の世界が広がっていた。女は一糸纏わぬ姿で踊り、戯れていた。嫵媚な姿態に妖嬈な視線があちこちから自分を見ている。なんかのビデオ撮影か!と内心一人で突っ込んでいた。そして淫蕩な宮殿の中央に董卓がいた。
高順は全身戎装(兜や鎧を纏った軍装姿のこと)でその場にいた為か一際目立った。
「おう!孝父、来たか!」
「はっ、相国様に御拝謁致します!」
「ふははははは!そう畏まるな、楽にせい!」
「ははっ!」
高順に出された料理、酒などはどれも皇帝専属の物であり、貴族でも中々食べられない物があった。当然口を付ける訳にもいかなかった。
「孝父、長安はどうじゃ?」
董卓は無邪気に問いかけるが、高順にとっては待ち構えたら命取りな質問である。
「良き場所かと……」
「民の暮らしは?」
董卓の眼光が無邪気な瞳から凶光が浮かび、高順もそれを察してか、一言も喋ることはなかった。
「……」
董卓もそれを察したのか鼻で嗤い、優しい声色でなだめてきた。
「ふっ、正直に申せ。罪には問わぬ」
「頗る悪いかと……」
ま、言わないとそれこそ死んじゃうからね!
「ふん!生かしてやっておると言うのに、どこにそんな不満が湧くと言うのだ!」
「某にも分かりませぬ」
「ふん!貴様に分かってたまるか!」
「申し訳ございません……」
「ん?お主に怒っておらぬぞ?良い気にするな、好きに飲み食いせよ!」
「はっ!」
「それよりも、貴様参内するのに何故戎装なのだ?もしや……!?」
「い、いえ!滅相もございませぬ!ただ、この高順、軍に籍を置く者ですので、何か戦が……」
「ハハハ!そうか、まあ、良いわ!どれ、良き甲冑を見繕ってやろうかのぅ!」
「はっ!有り難き幸せにございます!」
「ここで一つ昔話をしてやろう……とある国境に一家五人の農家があった。そこには父、母、兄、と弟とその者がいた。国境で辺鄙な所ではあったが、それでも慎ましく暮らし、夫婦共に仲良く、兄弟三人は喧嘩をよくしていたが、それでもごく普通の兄弟喧嘩だった」
長々と話が続き……その話を聞いて俺は董卓自身だと悟り、そこから一つの結論に至った。俺はこう考えた。董卓は若い頃から羌族と親交を結び、貧しい農耕生活を送っていたため、異民族や民衆がどれだけ虐げられてきたかを身をもって知っていた。それによって士大夫階級の人間に何らかの憎悪を抱いていて、さらに天下が乱れているのは宦官のせいだと思って何進の招聘を受けた董卓には、本心から宦官の誅殺に協力する意志があったように思える。そして、洛陽で異変が起こったことを知った時、董卓は自ずからの手で朝廷を支配し、腐敗した政治を正そうと決意したのではないか?
「のぅ?孝父」
「はっ!」
あっぶねぇ〜……半分寝かけてた!
「天下は……誠に忠義の士が多いのぅ!」
「はっ、我々が思っていたより多いかと……」
「なぜじゃ?」
「口にする者が多く、その行いで示す者が少ないからです」
「ふっははは!その答え気に入ったぞ!」
何進の軍と禁軍を吸収し洛陽で軍権を掌握した董卓がまず始めに行ったのは、天子の廃立である。このような董卓の行いに対して、当時最高権力者であった何太后は何の対抗措置も講じていない。これは目の前で宦官たちが殺され、自身も身の危険にさらされた何太后は、当時茫然自失の状態で正常な判断ができなかったからだと思うが、正常であってもできなかったが正しいな、と禁軍を見た時に思った。董卓は少帝廃位の理由を「少帝は素行が悪く暗愚であり、天子の重責を果たすことができない。聡明な陳留王こそ天子に相応しい」としたが、天子廃立の真意は、朝廷腐敗の根源である宦官を重用した最高権力者何太后を失脚させることにあったと言った方が正しい。皇帝と言えども幼ければ権力は伴わないのである、よって国の最高権力者は自然とその母である皇太后に集まるのである。董卓にとって、何太后は宦官たちを擁護して彼らの専横を許した張本人であり、何太后が皇太后として最高権力者の座にいる限り、朝廷の腐敗を正す事は不可能と判断し、そのため何太后が正気を取り戻す前に、何よりも早く少帝を廃位して失脚させるという速戦即決の行動が必要だった。
それに、こういう権力者がよくやることの一つは、近親者を高官職に就けることは世界の歴史を見てもお決まりである。例としては曹魏政権だろう。大将軍を夏侯惇、大司馬に曹仁、もっと言えば自身の鍛え上げた精鋭虎豹騎は甥の曹休などを任命しているが、董卓はそれに倣っていない。名士の蔡邕などを登用したりしている。
「儂はのォ、この漢の膿を全て絞り出して天下を太平にする事が本懐じゃった……それを皆が邪魔しよってからに!」
董卓は豪放磊落な性格をしていて、諸将に良く慕われている。普段の董卓を見ていると史書で書かれているような悪逆な人間には到底思えない……。
「相国のご心労お察し致します……」
「うむ、孝父!お主ぐらいじゃ、儂の心を響かせるような事が言えるのは!」
あかん、おっさん泣きよったで……。だが、董卓も誤算をしていた。東漢十三代皇帝少帝は、霊帝の死後に起こった何太后、何進派と董太后董重派の争いの結果即位した天子であり、中華史上において全ての朝廷が恐れる『党争』と言われるものが展開されたのだ。そのため董卓は『自分は陳留王を養育していた董太后と同族である』と主張して、自分が献帝の正統な保護者であることを強調した。
つまり献帝の即位は、一度は敗北した董太后・董重派が逆転し、何太后何進派が敗北したことを意味する。董太后を死に追いやった何太后とその母・舞陽君を殺害し、何苗の墓を暴いて遺体を辱しめたのはこのためだった。ここで一つ重要なことは、反董卓連合諸侯の内主要な諸侯のほとんどが何進派なのである。
董卓は、董太后の後継者として献帝を補佐する立場をとった。このことは、少帝を擁立した何太后、何進派の反発を招くことは想像に難くなかった。このような場合、危険分子である何太后、何進派の人材を排除するのが常道なのだが、董卓はそれに反して彼らに要職を与えてしまった。その結果、董卓の天子廃立に反対する袁紹と盧植、董卓が驍騎校尉に任命した曹操と後将軍に任命した袁術は洛陽から逃亡し、董卓が信任した周毖、伍瓊、何顒らが推薦した地方官の多くは董卓に反旗を翻し、今日に至る。つまり反董卓連合とは、董卓の残忍な行いに対する反発ではなく、献帝を擁立した董卓に対する少帝派もとい何太后、何進派の反発であると見た方が正しいのかもしれない。
では、このオッサンはこんなキチガイになったのか?残忍化した董卓各地で反董卓連合が決起すると、董卓は彼らの旗頭となるのを恐れて元少帝を殺害。反乱を起こした地方官たちを推挙した周毖、伍瓊らも殺害し、長安への遷都を強行した。董卓にしてみれば、せっかく目をかけて取り立ててやった面々に反乱を起こされた訳で、極度の人間不信に陥っていたものと思われる。
長安に遷都した後の董卓は、郿城の城壁を高くし、砦を築いて三十年分の穀物を蓄えると、宴席で北地郡からの降伏者数百人の手足を切り落とし、舌を切り目をくり抜いて大鍋で煮殺すなどの残虐行為をするようになった。また、派閥に関わらず優秀な人材を登用してきた董卓は方針を一転させ、反りの合わない者らに罪を着せ笞で打ち殺すなど、危険分子を排除するようになった。
反董卓連合の決起によって人間不信に陥った董卓には、もはや恐怖政治によって人を従えるしか方法は残されていなかった。支配地域も縮小し、反董卓連合の決起によって地方からの収入もなくなった董卓は、その財源として五銖銭を改鋳し董卓五銖と呼ばれる粗悪な貨幣を流通させたため、貨幣経済が成り立たなくなるほど貨幣価値が下落した。この五銖銭の改鋳も董卓の悪行として挙げられるが、裏を返せばこの危機的状況に際しても、董卓は民衆からの搾取をしなかったという事ができる。
俺はこのオッサンが悪い人には見えなかった。それでも、俺は俺自身が生き残る為にはさっさとこの死臭漂う長安から逃げ出さなければならん!
「孝父、今日はもう遅い故帰るが良い!明日はもう少し早く来てくれ」
「はっ、では退出致します!」
門を出て呂布から剣を受け取ると俺は一瞥して、真っ直ぐに鎮北将軍府に帰った。そこには李楽と胡才がいた。
「将軍、いかがでした?」
「肝が冷えた。これより皆に伝えよ。命が惜しくば鍛錬以外は外を出歩くな」
「はっ」
次の日にはケロッとしている。張五が見えた、大量の鐙を并州に届ける為だ。
「大将!今日はどのくらいの量ですかい?」
「うむ、とりあえず三百くらいかな。騎兵を強化せねば匈奴に敵わんからな!」
「分かりやした!」
「奴らもそろそろ南下して来るから、文遠に伝えよ、絶え間なく斥候を送れとな」
そろそろ頃合いかな?匈奴もそろそろこちらに攻めてくるし、王允もそろそろ仕掛ける頃だろうよ。じゃあ、俺はそれらを手伝って保身に走るか!
王允は様々な負の感情を抱きながら屋敷に戻った。朝廷の中ですらこの状態である。朝廷の外の百姓はもっと塗炭に曝されているだろう。何としても悪賊は殺さねばならぬと泣いていると、屋敷の中庭から誰かが簫を吹いていた。王允は中庭まで行くと……。
「下賤な女め!深夜にここで何をしておるか!もしや、何かやましい事でもあるのか!言わぬか!」
「司徒様、やましい事などありませぬ……。ただ、司徒様がお国のために憂いていらっしゃるのに、お力になれず……。私も己の非力さに嘆いておりました」
「私、貂蝉は司徒様に養っていただいて十六年になります。ただ司徒様が憂いているところにその万分の一も返せません」
貂蝉は涙を流しながらそう言うと、王允は連環の計を思いつき、すぐさま貂蝉を大広間に連れて行き、上座に座らせ膝まづいた。
「我が大漢王朝を救えるかどうかは全てお主の肩にかかっておる!何卒!何卒!お願い申す!」
はたから見れば、専門店の店の子に土下座している中年オヤジの絵である。
「そんな……!頭をお上げ下さい!お力になれるのでしたらこの身を捧げます!」
王允は、しめたとばかりに計画の詳細を伝えた。
「ならば、わしの養女にする。それから……」
とかく斯く云々と伝えた。数日後、王允は呂布を屋敷に招き酒宴を開き、貂蝉に歓待させた。呂布はそれに一目惚れし、以来呂布は良く王允の家に足を運ぶようになった。
俺は王允の屋敷を訪ねた。そしてこれからやろうとしていることを全て言い当てた。
「将軍、このことはいずこより漏れたのか?」
俺は何も言わず笑って天に向かって指をさした。王允は何かを察したようだ。
「某もそのために参った。当然お助けいたしましょう」
「ふっふっふっ!」
俺と王允は邪悪な笑みをこぼす。
と同時に、華雄、董承、張済、李粛らに挨拶にしとかねぇとな!
後漢書董卓伝には、董卓は天下が乱れているのは、宦官たちが忠義心のある善良な官僚を誅殺ちゅうさつしたためであると思っていたと記されている。歴史は勝者によって書き換えられる。その悪人は殆どは無情にも仕立て挙げられたものでもある。悲劇の英雄も然り
仕立て上げられた悪人
漢:董卓、曹操、隋:煬帝、唐;李建成、李道宗、宋;秦檜、清:ドルゴン、李鴻章、民国:蒋介石、汪兆銘
太師董卓:本文を参照。
丞相曹操:ネタバレになるので省きます。
煬帝(隋恭帝より送られた諡号では世祖明皇帝):運河を作り、科挙を整え、後に各王朝が政治の基本とした三省六部を円滑にしたり、名君として治世に励もうとしたが、すべて同時進行したためそれに耐えかねた民衆と貴族に背かれて失敗した、後に煬帝の政策を踏襲した唐はどれほど栄えたかは言うまでもない。
巣王(隠太子)李建成:下記李世民を参照
江夏王李道宗:李世民が北方諸軍閥を平定している時に南方諸侯を副将李靖と共に平定した名将にもかかわらず、小説内では主人公を陥れようとする役回りになった為悪人として定着した。
宰相秦檜:皇帝に岳飛を処刑する際に罪名を作らせたり、金との屈辱的な講和の際にも矢面に立ち皇帝を守ったり色々と苦労している。
摂政王(清朝の功績著しい鉄帽子王(世襲親王)の一人)ドルゴン:は清朝建国の正当性をもたらした功績があるが、漢民族が受け入れられないレビレト婚(順治帝生母である孝荘太皇太后)と幼い順治帝から皇位を奪おうとする悪の権臣として書かれる。
直隷総督兼北洋通商大臣李鴻章:は圧倒的不利な状況から何とか抜け出そうと努力した人。
中華民国大総統蒋介石:日本軍の侵略に対して臨機応変に対応できなかった部分が強調されたり、国共内戦を引き起こしたとネガティブな表現が多いが当時の中国正統政府としてやる事はやった。失敗した部分は毛沢東に負けたから。
中華民国主席(国民党初代副総裁)汪兆銘:中国の国力の低迷を嘆いて日本軍占領地での和平工作にすべてを賭けた彼を、現実的対応に徹した愛国者でもあると言う評価もある。
悪人とは逆に仕立て上げられた善人
漢:劉備、関羽、唐;李世民、宋:岳飛、明:建文帝、袁崇煥、民国:張学良、孫文
季(蜀)漢昭烈皇帝劉備:ネタバレにより省きます。
関羽:同上
李世民:西府秦王尚書令・天策上将→太宗文皇帝。自身が皇帝になりたいからという野心で兵変を起こす。初期の政策はほぼ煬帝の政策を丸パクリし順序良く打ち出し中華史上五大盛世(西(前)漢の文景之治、唐の貞観之治、開元盛世、明の仁宣之治、清の康雍乾盛世)の一つ『貞観之治』を作り出した。後に唐王朝で皇族間の絶えない政変を起こす者たちの先駆けでもある
岳飛:少保・開府儀同三司・荊湖北路・京西南路宣撫使・枢密院副使(現代に置き換えると少保=副大臣、開府儀同三司=宰相(大将軍)格として自身の官邸(幕府)(ある意味リモートワークかもしれない(笑))が持てるようになる、宣撫使=軍大将格、枢密院副使=防衛副大臣。それぞれ相当する)岳飛は単純に頭が悪く政治的な立ち回りが出来ず半ば自殺ともいえる死に方をした。後年の高宗は「講和の策は断じて朕自らの志である。秦檜はただ、能く朕に賛成したのみ。どうして蒸し返して議論などするのか? 近頃の無知の輩は浮言を鼓吹して聴衆を惑わし、勅命を偽り旧臣を集めて公事に抵抗し、妄りな議論をするに至る。朕は甚だ不本意である」と語っている。北伐時、旧都開封を目前に迫った所撤退の勅令が下ったにもかかわらずそれを計12回も無視している。(一回でも充分死刑に値する。)このような自己満足な愚忠により『莫須有』(有ったかどうかは判らないが有ったかも知らないの意)
袁崇煥:大口を叩き主君を欺いたから処刑されて至極当然である。清太祖ヌルハチが(後)金を建国し天に告げる七つの恨みの詔(告天七恨詔書)出して明に対する宣戦布告をし常時戦争状態にあった、
張学良:旧日本帝国陸軍の関東軍に太刀打ち出来たにも拘らず無抵抗で東北三省を放棄し、西安事変で軟弱な対応を見せ盟友の楊虎城をほぼ見殺しの形で死なせたから。
孫文:清朝を革命で打倒したにも関わらず王朝の遺臣(袁世凱)に政治を任せたのと、理想に偏り過ぎたため袁世凱に嵌められ中国にさらなる混迷をもたらした。