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第二十一回 寿春城下見忠将 洛陽城中懲劣子

第二十一回 寿春城下見忠将 洛陽城中懲劣子


さて、今回の戦はぁ〜、豫州の寿春!袁術は逃げも隠れも出来ない状態に陥った。なんでかって?張遼に三万預けて周囲の哨戒、張郃が副将として周辺諸城を落としまくって、外からは呼廚泉、張燕が敗残兵を狩り尽くす戦法で袁術がジリ貧に追い込まれたからだよ。


寿春城は完全な包囲網の中にあった。四方を埋め尽くす連合軍の旗印。東には「高」の旗が翻り、西には「劉」、南には「孫」、北には「曹」の旗がそれぞれ威風を誇示している。


曹操本陣では、主君が杯を傾けながら、諸将を前に語っていた。


「ふむ、袁術め、最早籠中の鳥よ。ただし、窮鼠猫を噛むとも言う。最後には細心の注意を払え」


「ご安心をっ!」


そう力強く答えるのは、常に先陣を切ることを望む夏侯淵妙才であった。


「俺が一矢で片付けますぜ!」


「軽挙は無用よ、妙才」


冷静に諫めるのはその兄、夏侯惇。


「城兵の士気は堕ちきっているようでも、紀霊だけは別格。あの男が指揮する限り、最後に我々に牙をむくであろう」


曹操は深く頷く。


「元譲の言う通り。紀霊は袁術に忠義を尽くす真の武人。侮ってはならん。孝父も、あの男を高く評価しておったぞ」


一方、劉備陣営では、三人の義兄弟が見つめ合う。


「兄者、あの高順ってやつ、なかなかどうして、良い男だぜ」


張飛が大きな声で言う。


「益徳、声がでかい」


関羽が静かにたしなめる。


「しかし、同感だ。あの男の統率力、兵を鍛える手腕は並大抵ではない。呂布に仕えていたのが惜しいほどよ」


劉備は遠くの「高」の旗印を見つめ、そっと呟いた。


「忠義の士か…。その才を、天下万民のために使って欲しいものだ」


南門を担当する孫策は、配下の程普、韓当、黄蓋らを従え、血気盛んに攻め立てることを主張していた。


「ここは一気に攻め込むべきだ!俺が真っ先に門を破ってみせる!」


「若様、落ち着かれよ」


老練な程普が制する。


「曹操や高順はわざと時間をかけている。兵の消耗を最小限に抑え、城内の兵の士気を完全に削ぎ落とすためだ。無理な突撃は損害が増えるのみ」


孫策は悔しそうに歯を噛みしめたが、その合理性を認めずにはいられなかった。彼らは小覇王と呼ばれる猛将ではあるが、無謀なだけの将ではなかった。


城内では、袁術の狂乱は日に日に増していた。玉座とも呼べない粗末な椅子に座り、虚空に向かって罵声を浴びせる。


「何故じゃ?何故皆朕に従わん!落ち目の劉漢よりも我が大仲王朝に従わぬのじゃぁ!」


「陛下!落ち着かれよ!」


側近の一人が声をかけるが、その声音にも虚ろさが滲む。


「喧しい!落ち着けるか!朕は皇帝ぞ!真の天子ぞ!」


それを余所に袁術配下の諸将はもう辟易し、保身のみを考える者ばかりとなっていた。


「おい…、まぁたおっぱじめてるぞ…」


「いつもの事だろ?気にする事はない。気に食わねぇ奴を選んどけ、じゃなきゃ斬られるのは俺達だからな!」


「もう紀霊将軍も手の施しようがなかろう。最早、落城は時間の問題だ…」


籠城して気に病んでいる袁術を諌める人間はもう何処にも居ない。唯一の忠臣紀霊は未だに袁術を見放さずにいるが、最早彼の忠義も、この状況を覆す力はなく、時間の問題であることを誰もが感じ取っていた。


紀霊は、最早ここまでと悟り、配下を城の奥に留め、単身で敵陣に突撃を敢行しようとしていた。潔い最期を迎え、袁術への忠義を通すつもりである。 しかし、その覚悟は配下にも見透かされていた。紀霊の副将陳禹が其れに気づき、数十名の精鋭を連れて紀霊の元に現れた。


「将軍、我らを見捨てて一人先に楽に成ろうとは何とも水臭いでは有りませぬか!」


「お前達!いつの間に!?いや、其れよりも早く戻れ、儂が討たれればこの戦も終わる。しかし、一矢報いてやらねば先に逝った者らに申し訳が立たぬ…、其れよりも儂が死んだ後陛下をお護りせよ」


「その命令だけは聞きたく無いですね!俺たちは将軍と共に戦場を巡り、将軍と共に死ぬと腹の中で決めております故、聞けません!」


紀霊は眼を潤ませながらも決断した。紀霊も情に厚い漢なのである。彼らと共に死ぬことを選ぶのはあまりに無様だが、彼らを無駄死にさせるわけにもいかない。


「ならば、お前達を生かしてやらねばならぬな!はっはははは!」


「はっ、ここまで連れて来といて最後の面倒を見ないと言うのは酷すぎますよ!」


「ふっ、そうであったな!ならば最後の将令をお前たちに下す!降伏なぞ、もってのほか!死ぬ事は許さん!全員生きてこの包囲を突破するぞ!」


「「おおぅ!」」


士気は一時、高揚した。しかし、現実は残酷である。


連合軍の包囲は固く、北門から打って出た紀霊らはみるみるうちに包囲されていく。


「報告〜!北門より賊軍が包囲を突破しようとしております!」


「そうか、わかった!儁乂、飛燕!」


「ここにっ!」


「おう!」


「お前たちは東門の守備を任せた。俺は忠権を連れて援護に行ってくる!」


「はっ!」


曹操は馬に跨り、直ぐさま北門に駆けて行った。騒ぎを聞きつけた者らには劉関張三兄弟と孫策、程普、韓当、黄蓋らが集まった。三千人いた賊軍はみるみるうちに溶けて行く。数的優勢と兵の質の差は如何ともしがたい。


「フゥー…、フゥー!」


紀霊は息を弾ませ、三尖両刃刀を構える。


「紀将軍!大勢は去った。降られよ!」曹操の呼びかけが響く。


「やかましい!『忠臣、二君に仕えず』曹閣佬は奸詐無比と聞いておったが、これしきも知らぬとはな!漢も末じゃ!どうだ?今からでも遅くは無いぞ?」


「…、ふん、死にたいのであれば素直に申せ」 「俺にお任せを!」


夏侯淵が進み出ようとする。


「待て、妙才そう逸るな!此処はあの男に任せれば良い」


曹操は顎で高順を指す。高順も其れに気づいたのか、大きなため息を吐きながら、馬を進めて前に出た。彼は元々、無駄な戦いを好まない。しかし、忠義を貫く者に対しては、一定の敬意と対応が必要であることも理解していた。


「はぁ…、めんどくせぇ!」


「ほう?これがあの忠臣の鑑である高順、高孝父か!」


「いかにも、前将軍高順である」


「ならば相手致せ!」


「何?」


「貴様を道連れにすれば我が陛下の御心も安らかになろう!」


「うるせぇな」


「なっ!?」


「うるせぇってんだよ!死にかけの負け犬なんざ相手にできるか!」


高順の罵声には、ある種の憐れみにも似た感情が込められていた。無意味な死を選ぼうとする者への、ある種の苛立ち。


「貴様ぁ!武人をここまで愚弄するか!何がなんでも相手にせよ!」


「まったく、何でそう死に急ぐかね?傷を癒せ、万全な時に相手してやるよ!」


「…」


紀霊は無言で馬を駆り、高順に斬りかかる。高順はそれを軽く流す。高順の槍捌きは実用的で無駄がなく、紀霊の必死の攻撃を一つ一つかわしていく。


「兄者、あの動きどう思う?」


張飛が関羽に尋ねる。


「うむ、命を捨て行きおる…紀霊は死ぬ気でおるが、高順は遊んでおる。力の差は明らかじゃ」


「だな」


劉備も同意する。


「高順将軍は、紀霊将軍を討つことをためらっておられるようだ」


「雲長、益徳、この兄にも判り易く説明してくれまいか?」


劉備がわざとらしく言う。


「では某が説明いたしましょう」


関羽が顎鬚を撫でながら言う。


「あの高順なる者、先に己を死地に置き後から生きる手法、凡そ三軍の主将であるにも関わらず、そのような手法を取るは愚の骨頂にでござる。しかし、彼のそれは単なる無謀さではなく、計算された上での『死地』ゆえに恐ろしい。だが今日は、そうした手法を取る必要はないと見ておる。故に、手加減しておる」


「そうか、益徳、お前はどう見る?」


「へっ!んなもん、一突きで終わりだぜ!高順の奴、本気出してりゃあんなのすぐ終わらせられるっての!」


「ふっふふふ、益徳らしいな」


「全く持ってその通りですな!はっははは!」


「何でぇ、二人してそんなに笑わんでも良いだろ?」


「「はっははははは!」」


何とも、微笑ましい三兄弟である。そんな三兄弟を横目に、曹操と夏侯惇は議論をしていた。


「ふむ、孝父らしくないのぅ?手間取り過ぎる」


「はて?あの死にたがりの何処がらしくないのですか?」


夏侯淵が首を傾げる。


「うむ、あの男ほど命取り合いに慎重な男は居ないぞ?確実に勝てると見極めるまでは決して深追いせん。紀霊は確かに疲弊しておるが、最後の一閃が危険であることを見抜いておるのだ」


「そうなんですか?我らと袁紹を争わせその間に冀、青二州を掠め取った男だぞ?もっと狡賢いイメージが…」


「ふふふ、左様ですか、ですが皆は横の大耳の方が憎たらしい様ですぞ?」


郭嘉がからかうように言う。


「儂とて憎んでおる。だが、どうにもならん」


曹操は苦笑した。


さて、紀霊の体力がガタ落ちしてきたところで、高順はようやくトドメを刺そうと槍を構えた。しかし、まさかの邪魔が入った。副将陳禹が、高順の槍を受けるように割って入ったのである。


「陳禹!貴様、何故?!」


「ゴフッ!へへっ、しょ、将軍…、一足先に行って待ってますぞ!」


陳禹は高順の槍に貫かれながらも、紀霊を守るようにして絶命した。


「貴様ァ〜!」


紀霊の怒りと悲しみは頂点に達する。彼は全てを忘れ、高順に渾身の力を込めて三尖両刃刀を振るった。高順は陳禹の割り込みで一瞬の隙が生じていた。彼は紀霊の槍を捌いたが、完全には避けきれなかった。紀霊の三尖両刃刀の鋒が、高順の鎧の隙間をかすめ、脇腹に深く突き刺さった。


「ぐはっ!てめぇ〜!やるじゃねぇか!」


高順は痛みに顔を歪めながらも、そのまま勢いを利用して槍を紀霊の喉元に突き立てた。


「グフッ!大…仲王朝…万歳!」


紀霊は叫びながらも、その場に崩れ落ちた。


『あれに関しては完全な誤算で生涯で最も痛い一撃の一つであった』と高順は後にそう語っている。忠義に殉じる者の執念を、甘く見ていたことを痛感した瞬間であった。


俺が紀霊を討った事を合図に、城内に潜入していた錦衣衛の工作が実り、城の門が内部から開かれ、袁術はあっけなく生け捕られた。偽帝の玉座はあえなく崩壊したのである。


「ぬぅぅぅ!貴様らぁ!謀りおって!儂は皇帝ぞ!真の天子ぞ!璽を預かる者ぞ!」


「喧しい!この騙り者め!」


曹操の配下の兵士が一喝する。 其処からは殴る蹴るの何の暴力のオンパレードよ…。かつては名門袁家の嫡子として、天下に覇を唱えた袁術の末路は、無残としか言い様がなかった。汚れきった帝衣は剥ぎ取られ、肥満ぎみだった体は見る影もなくやつれ、驕傲だった眼は虚ろで、今や恐怖と屈辱に震えていた。配下の将兵は誰一人として彼を助けようとはせず、冷ややかに見ている者、唾を吐きかける者さえいた。


「玉璽はどこだ!」


「帝冠は!」


兵士の罵声が飛び交う中、袁術は嗚咽を漏らすのみであった。


「孝父、大丈夫か?」


曹操が駆け寄ってきた。高順の脇腹から血が滲んでいるのに気づいたからである。


「そうだ、と言いたいところだが…、すまん、孟徳、後は任せ、た…」


俺はそう言うと、激痛と大量の出血で意識を遠のいた。紀霊の最後の一撃は、思った以上に深かった。


目が覚めたのは、戦場から遠く離れた許昌の高順の屋敷の寝室であった。傍らには、第一正妻である蔡琰が座り、心配そうな面持ちで顔を覗き込んでいた。


「夫君、起きられましたか?」


その声音は、いつもながらに聡明で落ち着いており、少し安心させられる。


「うむ、そうだな…」


声を出そうとすると、脇腹の傷が疼いた。顔をしかめると、蔡琰が素早く水杯を手に取った。


「お水を。余り無理をなさらずに。医者様が、深手ですので、しばらく静養が必要だとおっしゃっていました」


「ありがとうございます…」


杯の水を一口含む。確かにこの体では、無理はできない。痛すぎて死ぬ!またま生きてるけどね。前世の記憶がふと蘇る。現代の医療があれば…などと考えても仕方ない。


前略、前世のお袋様へ お元気でしょうか?俺は今、約千七百年前に戻り生死を数ヶ月彷徨いこうして生きています。どうか、健やかにおすごしください。


高順には三人の妻がいる。正妻の蔡琰、そして側室ではあるが、実質的には第二夫人格である董媛、そして呂芳である。三人の性格は全く異なる。


蔡琰は才女として名高く、冷静沈着で、高順の政務や対人関係の助言役でもある。彼女は高順が負傷して運ばれてきた時、顔色一つ変えず、迅速に医者を手配し、使用人たちを動かして手当ての準備を整えた。しかし、誰よりも彼女の心中は動揺していた。夫の無事を神仏に祈り、夜通し枕元で看病したのは彼女であった。高順が意識を取り戻した今、その安堵は計り知れないが、彼女はそれを表には出さず、淡々と妻としての役目を果たす。


董媛は、父董卓の血を引くか、気性が激しく、勝気な女性である。高順が負傷した報せを聞いた時、真っ先に「私が討ち取ってやりましょうか!仇は誰です!」と叫んだという。今は、悔しさと心配そうな複雑な表情で、部屋の隅で腕を組んでじっと高順を見つめている。 「もう、夫君はいつもそうやって無茶ばかり…!もしもの事があったら、私が…私が…!」言葉を詰まらせ、目を真っ赤にしているのが見て取れる。彼女なりの心配の表し方である。


呂芳は三人の中で最も年若く、ややわがままながらも純真なところがある。高順の姿を見るなり、涙をポロポロとこぼし、傍らに駆け寄ると、夫の手を握った。


「夫君…、お痛いですか?大丈夫ですか?芳、心配で眠れませんでした…」


その純粋な心配ぶりに、高順は思わず苦笑いを漏らす。呂布の姉とは思えないほど愛らしい。


やがて、六人の子供らも部屋に集まってきた。蔡琰の産んだ長男の尚武、次男の尚文、董媛の産んだ三男の尚勇、そして呂芳の産んだ長女の娟、次女の麗、そしてまだ幼い三女だ。


子供たちは一様に父親の負傷に戸惑い、心配そうな顔をしている。


「父上、ご無事で…」


長男の尚武は、わずか八歳ながら、武士の子らしく涙を見せまいと歯を食いしばっている。


「お父様、早く良くなってね」


長女の娟が、呂芳似の大きな瞳を潤ませながら、柵にしがみついて言う。


暫しの家族団欒の後、妻たちはそれぞれの方法で高順の世話に勤しんだ。蔡琰は薬の管理と食事の用意、董媛は見舞いに来る客の取り次ぎと警備の確認、呂芳は高順の気分を紛らわせようと、琴を弾いたり、世間話をしたりする。


しかし、そんな平穏な療養生活にも邪魔者はつきものである。曹操が毎日のように見舞いに来るのだ。しかも、大概は酒を持参してくる。


「おう、孝父!今日の調子は如何じゃ!酒でも飲んで気分を良くするか?」


「だから、傷口が疼くって言ってるだろ!それに、医者が禁酒と言っておる!」


「なに、大丈夫さ!酒は百薬の長じゃわい!」


曹操は蔡琰とも旧知の仲であった。その昔、曹操が若い頃には蔡琰の父である大儒蔡邕と親交があった様で、学術討論会みたいな場所で知り合ったらしい。


「阿琰!美しくなったな!相変わらず才色兼備よのう!」


「あら、孟徳様もすっかり落ち着かれて、立派な大臣様になられて!」


蔡琰は悪戯っぽく微笑む。


「ふふふっ、あの時はお前が彼処に横たわってる怪我人と結婚すると聞いて都中の男が騒いだぞ!『あの才女が結婚する』とな!一時期は死を犯しても老先生にお願いして取り下げさせようとしたくらいだ」


「あら、そうだったのね!全然知らなかったわ!でも、あの人、武骨に見えて文才も少し兼ね備えてるわよ?意外と風流なところもあるの」


「ほう、そうか?ならば一戦申し込まねばな!文でも武でも勝負だ!」


「おい!妻よ、その色情魔から離れた方が良いぞ、他人の妻に目が無いからな!特に綺麗な人妻好きだって噂だ!」


高順が起き上がらんばかりに抗議する。


「ふふははははは!怪我しておる癖に口はまだ動くようだな?それだけ元気なら安心じゃ!」


「ぬかせ!てめぇのせいで傷が開きそうだ!」


「ふふははははは!まあまあ、孝父、喜べ、お主に昇進の詔を持ってきたぞ?驃騎将軍だ!劉備やわしより上の位ぞ!」


「…、断りたいのだがなぁ…面倒臭くなるだけだ」


「バカモン!大不敬で処されたいか!」


「えぇ…、陛下より并、冀、幽、青の四州を任され、軍政を一手に引き受けてるのに?これ以上の昇進など無いだろ?給与と兵力を増やしてくれるならともかく、位だけ上がっても仕事が増えるだけだ」


「高順、卿の活躍この目にしかと焼き付けた。反逆者たる袁術配下の将紀霊を討ち取り、配下を敵城内に忍ばせ、賊を捉えてくるは見事なり!よって、驃騎将軍に任ずる!この旨が届き次第即日に効力を発する!」


「ははぁ!臣、詔を領します」


嫌々ながらも、形式上は受けざるを得ない。高順は深く嘆息した。


「うむ、これで儂の仕事は終わった!阿琰、すまんが茶をくれぃ!孝父と暫し語らう!」


「はい!」


「待て、俺は怪我人だぞ?安静が必要なんだぞ?」


「それがどうした?口は動くじゃろ?それに、わしが来れば気も紛れるわい」


「どうもこうも有るか!帰れ!」


「嫌じゃ、話そうでは無いか!天下の行く末についてな」


「こ、コノヤロウ〜」


其処からは不機嫌な高順と笑顔が耐えない曹操はしばらく歓談していた。結局、曹操は夕食まで居座ることに成功した。


「では、この辺でお暇しよう!これ以上は貴様に障ろう?」


「おい、折角だから飯でも食ってけ。うちの女房共の自慢の料理だ」


高順は仕方なくそう言った。曹操とその供回り、特に護衛の典韋と曹操の長男曹昂が可哀想に思えたからである。


「ほう?」


「そこに居る悪来と子脩が可哀想でならん、どうせなら飯でも食って行け。警護もそこそこに休め」


「うむ、では遠慮なく馳走になろう!」


「叔父上、ありがとうございます」


曹昂が丁寧に礼を言う。


「某は警護がある故…」典韋が固辞しようとする。


「典将軍、遠慮せずに!うちの人も機嫌が良いみたいだから」


蔡琰が優しく言う。


「ですが…」


「悪来、気にするな!我が将軍府には千五百の府兵が居る、お主と互角に戦える程度の兵力は備えておるよ。其れに態々将軍府を襲おうなどという馬鹿は居らぬ。遠慮せずに食って行け」


高順が加勢する。


「悪来、孝父もこう言ってるのだから、遠慮せずに食え」


曹操が笑いながら言う。


「はっ」


子供らも集まり、賑やかな晩食になった。食卓には高順がこの時代に導入した様々な料理が並ぶ。羊の丸焼き、鳥の唐揚げ、野菜のサラダ、牛肉の柔らか煮、枝豆、キグチの素揚げなどである。特にこのキグチの素揚げは、塩だけで味を付けてカラッと揚げるのが一番で、子供たちにも大人気であった。


「孝父!これは美味いな!この魚、揚げるという発想は無かった!」


曹操は頬張りながら感心する。


「だろ?遠慮することは無い!じゃんじゃん食え!酒はやるなよ?」


「父上、こうと知ってれば子建も連れてくればよかったですね!詩の題材にしたでしょうに」


曹昂が残念そうに言う。 あぁ、曹植か…。あの天才児か。会うのもなんだか気が引けるな、と高順は思う。


「全くじゃ!次は家族総出で来いよ!」曹操は大笑いする。


「今度は是非とも阿瞞の夫人方ともお食事がしたいわね?」


蔡琰が提案する。


「おう、いつでも良いぞ!丁度、卞氏もお前と話がしたいと言っておった!」


「子脩、お前がコイツの息子だとは到底信じられんが、これからはきっちり励めよ?」


高順は曹昂に向かって言った。真面目で善良な曹昂は、父親似ではない好青年であった。


「はい!叔父上の様な立派な将になり、父上の様に立派な官吏となります!」


「「はっハハハハハハ!」」


その日はそこでお開きになり、翌日の朝、曹操たちは帰って行った。


俺は療養中で、何とか杖を突きながら庭を歩く程度にまで回復した。ある晴れた日、庭から聞こえてくる金属音に誘われて、縁側に出てみる。


「エイッ!」 「ヤァ!」


そこでは、長男の尚武と次男の尚文が木刀で練武していた。しかし、その内容はどう見ても尚武が尚文を一方的に叩きのめしているだけである。尚武は武芸を好み、将来は父親のような将軍になることを夢見ている。一方の尚文はどちらかと言えば学問や読書を好む、穏やかな少年だ。


「ちちうえ〜」


ふと見ると、長女の娟がよちよちと歩いて近づいてくる。呂芳が後ろから見守っている。


「おぉ〜阿娟は可愛いなぁ〜」高順は杖にすがりながら、しゃがみこんで娘を抱き上げる。傷が疼くが、それ以上に心が和んだ。


「父の傷が良くなったらもっと遊ぼうな!」


娟が無邪気に言う。


「あい、約束だ」


高順は娘の頭をそっと撫でた。


その時、庭で尚文が尚武の一撃を受けて転び、泣き声をあげた。


「ちちうぇ〜」


尚文が泣きながら近づいてくる。


「どうした?」


高順の声は自然と厳しくなる。


「練武してたらこの軟弱者がいきなり泣き出したのです!」


尚武は平然と言い放つ。


「練武、でな?」


高順は尚武を睨む。


「はい!」


「兄としてやり過ぎたのでは無いか?お前の力が弟に勝るのは分かっておる。ならば、手加減し、導いてやるのが兄の役目ではないのか?」


「しかし、父上!弱いままでは将軍の子として恥ずかしいです!」


「黙れ!」


高順の一声に、庭が静まり返る。


「練武とは言え、勝ち負けはあろう!たがら明らかに勝った上で相手を痛めつけるというのはどう言う了見だ?ましてや、兄として弟を庇いもせずに痛めつけた事を誇るとはな…、もう、良い!お前には今後一切の武芸を禁ずる!武の道は力だけではない。仁義と知恵、そして仲間を思う心がなければ、隻眼の夏侯惇様のようにはなれんぞ」


「私は悪く有りません!弟が弱いのが悪いのです!」


尚武は悔し涙を浮かべて反抗する。


「黙れ!それでは単なる乱暴者だ!」


「阿琰!」


高順は蔡琰を呼んだ。


「はい、先ずは尚文の傷を見よ。その後、尚武を書斎に連れて行き、論語の『仁』について説き聞かせてくれ」


「阿媛!」


今度は董媛を呼ぶ。


「なんだい?」


「この馬鹿の教育を頼んだ!武芸の基本である『礼』と『仁』とは何か、わかるまでぶん殴ってでも教え込め!」


「あいよ!」


董媛は尚武の手を掴み、にやりと笑った。


「さあ行くぞ、ガキ。お前の母さんは、説教より実践で教えるのが好きなんだからな」


「母上!やめてください!父上!助けてください!」


尚武の悲鳴が庭に響いた。兄弟喧嘩は両成敗だが、イジメは良くない。高順家の教育方針は、時に厳格かつ個性的なのであった。


そんな平穏な日々が続く中、朝廷では密かに動きがあった。竇輔という人物が、董承、伏完らと密謀し、曹操と高順の権勢から司隸の支配権、ひいては皇帝の権威を取り戻そうと画策していたのである。 伏完は漢の名門中の名門、妻は桓帝の娘の安陽公主である。当代皇帝の義理の姨父でもある。董承は名目上は先帝の生母董太后の侄であり娘は貴人、竇輔は文帝以来の名族竇家の出身、妻は先帝の娘万年長公主であり当代皇帝の義弟に当たる。三人とも外戚という立場であり、自分達が漢を再興する義務が最優先事項であると信じてやまないのである。


「竇公子、どうすれば良いのかね?」


伏完が低声で問う。


「はい、先ずは董将軍に禁軍を掌握して頂き、徐々に高順と曹操の勢力を削り、徐々に締め上げるのです!そう、まるで蛇がとぐろを巻いて獲物を丸呑みにする様に…」


「禁軍?皇叔は動くかね?」


「いえ、皇叔には我らが決起するまで徐州を治めて頂きます…、相手は曹操、油断はなりません…」


「なるほど、では、我らの事が成る頃までに皇叔には曹操を牽制し、我らと時を同じくして兵を起こすと?」


「左様…」


「うむ、わかった!」


「しかし、従来の禁軍は全て高順の兵じゃ…我らに従うか?」


「金と権威で集めればよろしいかと…。洛陽の名族たちも、曹操や高順のような新興勢力より、我ら旧来の名門を支持するでしょう」


「では、我らのやる事は見つかったが、公子は?」


「私は…高句麗に行き、鮮卑、烏桓の者らも合わせて高順を…牽制いたします。冀州と幽州に火種を撒くのです」


「ほぅ?異民族を?」


「ツテは有ります…。金さえ払えば動く者もおります」


「うむ!では公子、共に漢朝を再興しようぞ!」


「はい!」


許昌の将軍府で静養する高順は、そんな暗雲が垂れ込めていることなど露知らず、ようやく立って歩けるようになった自分の体と、騒がしいが愛おしい家族の日常を、何よりも大切に思うのであった。しかし、彼の平穏な療養生活も、そう長くは続かないことを運命は知っていた。天下は、まだまだ激動のさなかにあるのだから。

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