第一回 打遍修羅界称王 東岳大帝賜法宝
高順は死んだ。四度目の死である。
ふぃ〜!やっと死ねた!死ねたぞ!死んで喜ぶやつが居るかって?ここに居るじゃねぇかよ!あんでかって?そらァ…疲れたからだよ。
高順の目の前が眩しくなった。
「ケッ!ようやくお出ましかい?」
北斗七星君だと思った高順は不貞腐れ半分に言葉を繰り出す。
「おう、今度はきちんと死なせてくれるよな?」
七星君の奥から見慣れたシルエットが現れて高順は驚いた。
「孝父、よくぞ約定を果たしたな」
「あ?テメェ…テメェの仕業か!長髭野郎!」
「貴様ァ!」
「おぅ雲長、お前さんとこの何処ぞの寓話に出てきそうな腰巾着とはどっちが偉いんだい?」
「神に上も下もあるまい?」
「ケッ!」
「んで?どうしろってんだよ?まさかもう一度生まれ変われなんて言わねぇよな?」
「あぁ、言わぬ。キチンと黄泉へと送ってやろう」
「おぅ、早くしろ安らかになりたいんでね」
人間四度も死ねば人生に満足するって!
「そうかい、そりゃ助かる。じゃあな、長髭野郎!」
高順は吐き捨てるように言い放ち、振り返りもせずに歩き出した。しかし、彼の目に映る黄泉の道は、想像していたものとは少し違っていた。道の両脇には、今まで見たこともないような奇妙な店が立ち並び、色とりどりの光が瞬いている。饅頭屋、着物屋、はたまた武器屋らしきものまである。高順は呆れた顔で首をひねった。
「おいおい、なんだこりゃ。黄泉っていうか、なんかデパートの催事場みてぇだな?」
高順が困惑していると、背後から不敵な笑い声が聞こえた。
「くくく…高順よ、そうやすやすと安らかになれると思うな」
振り返ると、そこにいたのは関羽だった。その隣には北斗七星君も控えている。高順はぎょっとした。
「てめぇ…雲長!どういうつもりだ!」
関羽は髭を撫でながら、悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「貴様が四度も死に、ようやくこの世の理から解き放たれるとでも思ったか?甘いぞ、高順。貴様が味わうのは、永遠の争いの苦しみだ」
高順の顔色が変わる。
「まさか…てめぇ、俺をどこに送る気だ!」
関羽が北斗七星君に視線を送ると、七星君は無言で手をかざした。次の瞬間、高順の足元が突然消え去り、彼は奈落の底へと吸い込まれていく。
「ちくしょう!関羽ぁぁぁあ!」
高順の叫び声が虚しく響き渡る中、彼の意識は急速に遠のいていった。次に彼が目を開けた時、そこは血と硝煙の匂いが立ち込める、地獄のような場所だった。
修羅の果てなき戦場
「グアァァァァ!」
耳をつんざくような雄叫びが響き渡る。高順は身体を起こすと、全身に激しい痛みが走った。見慣れない甲冑を身につけ、手には血にまみれた剣が握られている。目の前では、見るも無残な姿の兵士たちが、互いに斬り合い、殺し合っていた。
「ここ…は…」
高順の脳裏に、関羽の言葉が蘇る。「永遠の争いの苦しみだ」。そして、この場所が修羅界であることを悟った。
「くそっ…!あの長髭野郎、とうとうやりやがったな!」
高順は吐き捨てた。かつて呂布に仕え、数々の戦場を駆け抜けてきた彼だが、この修羅界の有様は、彼の知るどの戦場よりも苛烈だった。死んでも死んでも、魂は尽きることなく、また新たな身体を得ては戦いに駆り出される。それはまさに、終わりのない地獄だった。
高順は剣を握りしめ、襲い来る修羅たちに立ち向かった。四度も死に、ようやく安息を求めたはずが、彼に与えられたのは、終わりのない戦いの運命だった。関羽への憎しみが、彼の心の中で燃え盛る。
修羅界での果てなき戦いは続いていた。高順は血と硝煙の中で剣を振るい続け、その身は傷だらけになりながらも、決して折れることのない闘志を燃やしていた。彼の憎悪は関羽へと向けられ、その憎悪こそが、彼をこの地獄で戦い続ける原動力となっていた。
しかし、その惨状を静かに見守る者がいた。東岳泰山斉天仁聖大帝、幽冥界の主宰神である。彼は高順の戦いをじっと見つめ、その眼差しには深い憐憫の情が宿っていた。大帝もまた、かつては人間であった。殷の時代には武成王として、そして近衛軍の指揮官として、戦乱の世を駆け抜けた経験を持つ。高順の姿に、かつての自分自身を重ねた大帝は、彼の苦しみに心を痛めた。
「終わりのない戦とは、あまりにも酷い仕打ちよ…」
大帝は静かに呟いた。関羽の仕業であることは承知していたが、これ以上高順を苦しめるのは忍びなかった。
ある日、高順が激しい戦いの末に力尽き、倒れ伏したその時、突如として彼の目の前にまばゆい光が現れた。光の中から姿を現したのは、威厳に満ちた東岳泰山斉天仁聖大帝であった。
「高順よ。汝の不屈の魂、見届けたぞ」
大帝の言葉は、戦場の喧騒の中にいてもはっきりと高順の耳に届いた。高順は朦朧としながらも、その神々しい姿を見上げた。
「貴方は…」
「我は東岳泰山斉天仁聖大帝。汝に、この武具を授けよう」
大帝が手をかざすと、高順の目の前に一振りの漆黒の長槍と、漆黒の輝きを放つ堅牢な甲冑が現れた。槍からは禍々しいまでの闘気が立ち上り、甲冑からは揺るぎない防御の力が感じられる。
「この槍は、汝がかつて使った物を鍛え直した物である、汝の闘志を増幅させるだろう。そしてこの甲冑は、如何なる攻撃からも汝を守り抜く」
大帝は静かに語り続けた。
「汝は決して一人ではない。この武具と共に、汝自身の道を切り拓くのだ」
大帝の言葉は、高順の心に深く響いた。彼はゆっくりと手を伸ばし、真紅の槍を握りしめた。その瞬間、彼の身体に新たな力が漲るのを感じた。疲弊しきっていたはずの肉体に、再び熱い血が巡り始める。そして、漆黒の甲冑を身に纏うと、まるで彼のために誂えられたかのようにしっくりと馴染んだ。
「これは…!」
高順は立ち上がった。その目は、以前にも増して鋭い光を放っていた。東岳泰山斉天仁聖大帝は、満足そうに頷くと、再び光の中に消えていった。
大帝から授かった武具を手に、高順の戦いは一変した。漆黒の長槍「破軍」は、彼の振るうたびに敵をなぎ倒し、漆黒の甲冑は、あらゆる攻撃を弾き返した。彼はもはや、ただの兵士ではなかった。修羅界に突如として現れた、圧倒的な力を誇る修羅王として、その名を轟かせ始めたのだ。
彼の周りには、いつしか彼に忠誠を誓う修羅たちが集まり始めていた。彼らは高順の強さに惹かれ、その下に集うことで、終わりのない争いの中に一縷の希望を見出していた。
高順は、東岳泰山斉天仁聖大帝の真意を理解し始めていた。大帝は彼を憐れんだだけではなく、修羅界という混沌とした世界に、新たな秩序をもたらす存在として彼を選んだのかもしれない。
その高順の思いを知ってか知らずか、再び東岳泰山斉天仁聖大帝の御光が高順の前に現れた。
「高順よ。汝の戦い、そしてその心に抱く思慕、しかと見届けた」
大帝の威厳ある声が響く。高順は、何かを予感し、静かにその言葉に耳を傾けた。
「汝がかつて愛した馬、大黒は、その魂を冥府に留めていた。今、その魂に神力を与え、汝の新たな相棒とせん」
大帝が手をかざすと、高順の目の前に漆黒の影がゆっくりと形を成し始めた。それは、馬の姿ではあったが、ただの馬ではない。全身を覆う漆黒の毛並みは夜空の星のように輝き、額には鋭い一本角が伸び、四肢には炎のような蹄が揺らめいている。その姿はまさに、伝説の麒麟を思わせた。
「これは…大黒なのか?」
高順は信じられない思いで、その神々しい姿を見上げた。麒麟は静かに高順に近づき、その瞳は変わらぬ忠誠を宿していた。かつての黒丸とは比べ物にならないほどの威厳と神々しさを纏っているが、高順には確かに、彼と共に戦場を駆け抜けた愛馬の魂を感じ取ることができた。
「その名を『大黒麒麟』と改めよう。彼は今や、ただの馬ではない。汝と共に、この修羅界を駆け巡り、汝の道を照らす神獣となるだろう」
大帝の言葉に、高順は感極まった。武具を与えられた時とはまた違う、深く温かい感情が彼の胸を満たした。関羽への憎しみで凝り固まっていた高順の心に、一筋の光が差し込んだようだった。
高順は大黒の背にまたがった。その瞬間、大黒の全身から凄まじい神力がほとばしり、高順の身体にもその力が流れ込むのを感じた。大黒の蹄が大地を蹴るたびに、周囲の修羅たちは恐怖にひれ伏し、その存在感に圧倒された。
かつてはただの馬であった大黒が、今や神獣「大黒」として生まれ変わり、高順の新たな相棒となった。漆黒の長槍「破軍」を構え、漆黒の甲冑を身に纏い、そして神獣大黒にまたがった高順の姿は、まさに修羅界を統べる絶対的な存在へと昇華した。
関羽は高順の変化を知っていた。修羅界に突如として現れた、圧倒的な力を持つ高順の存在は、彼の耳にも届いていた。そして、その力が東岳泰山斉天仁聖大帝によって授けられたものであることも。
地獄を司る神々の中でも、斉天仁聖大帝は格が違う。関羽とて神の一柱ではあるが、冥界の主宰神たる大帝には手出しができない。それが神々の世界の厳然たる序列であった。
関羽は悔しさに歯噛みした。自分の手で高順を修羅界に突き落とし、永遠の苦しみを与えようとしたのに、まさか大帝が介入してくるとは。しかし、これも仕方のないこと。高順に神獣と神の武具を与え、その力を引き出した大帝の意思は、彼にはどうすることもできなかった。
悔しさを押し殺した関羽は、決意を固めた。このまま高順が修羅界で勢力を拡大するのを座視するわけにはいかない。彼は自らの愛馬、赤兎馬を呼び寄せた。神へと昇華した今もなお、赤兎馬はその雄々しい姿を保ち、関羽の意思に応えるように嘶いた。
「行くぞ、赤兎!修羅界へ!」
関羽は赤兎馬にまたがり、真紅の体が稲妻のように修羅界へと突入した。その目的はただ一つ、高順との一騎討ちであった。
関羽の突然の出現に、高順は一瞬恐れを抱いた。かつての主君である呂布に匹敵する、あるいはそれ以上の武の神となった関羽。しかもその隣には、神速を誇る赤兎馬がいる。しかし、次の瞬間、高順の胸には冷静さが戻ってきた。
「くくく…なんだ、てめぇ。わざわざ俺を殺しに来たってわけか、長髭野郎」
高順は不敵に笑った。よくよく考えれば、この状況は同じ条件下で戦っているようなものではないか。いや、むしろ自分の方が有利かもしれない。
関羽は神そのものであり、神としての武具を扱う。だが、高順もまた、神獣大黒麒麟と東岳泰山斉天仁聖大帝から授かった神槍と漆黒の甲冑を操る人間だ。ただの人間ではない。四度の死を経験し、修羅界で生き抜いてきた、修羅の王である。
「神だか何だか知らねぇが、俺はもう逃げねぇぞ。てめぇの思い通りにはさせねぇ」
修羅界の大地を揺るがす、壮絶な一騎討ちが始まった。関羽は赤兎馬を駆り、その青龍偃月刀は嵐のように高順に襲いかかった。対する高順も、大黒麒麟の俊足と、神槍、漆黒の甲冑で応戦する。互いの神力がぶつかり合い、修羅界の空は雷鳴と稲妻に包まれた。
高順の槍は鋭く、関羽の隙を突こうと幾度となく繰り出される。大黒もまた、麒麟の神力をもって関羽と赤兎馬を翻弄しようと試みた。しかし、神となった関羽の武は、高順の想像をはるかに超えていた。
関羽の青龍偃月刀は、まるで生きているかのように高順の槍を受け止め、そしてその一撃は大地を揺るがすほどの重さを持っていた。赤兎馬の神速は、大黒の動きを完全に封じ込めることはできなかったが、確実に高順の動きを制限した。
高順は必死に食らいついた。東岳泰山斉天仁聖大帝から授かった武具は、確かに彼を強化していた。しかし、それはあくまで人間としての限界を超えた力。目の前の関羽は、まごうことなき神そのものであり、武の神としての境地に達していた。
どれほどの時間が経っただろうか。高順の漆黒の甲冑は砕け、神槍もその輝きを失いかけていた。大黒も疲弊し、その神力は薄れ始めていた。対照的に、関羽は微塵も揺るがず、その威容はさらに増しているかのようだった。
そして、ついにその瞬間が訪れた。
関羽の放った渾身の一撃が、高順の体を捉えた。彼は大黒の背から吹き飛ばされ、荒れた大地に叩きつけられた。全身を走る激痛に、高順は呻き声を上げた。視界が霞み、意識が遠のく。
「…ちくしょう」
彼は最後の力を振り絞って、関羽を見上げた。関羽は静かに、しかし有無を言わせぬ表情で高順を見下ろしていた。
「高順よ。貴様もよく戦った…」
関羽の言葉は、まるで慈悲にも聞こえたが、高順にとっては敗北を告げる無情な響きだった。
高順の負けであった。
それは、理不尽なまでの力の差。神と人。どれほど力を得ようとも、その隔たりはあまりにも大きかった。
高順は、悔しさと無念さで唇を噛みしめた。これで、また永遠にこの修羅界で戦い続けなければならないのか。
しかし、関羽は高順に止めを刺さなかった。彼は静かに赤兎馬を返し、修羅界の彼方へと去っていった。その背中には、複雑な感情が宿っているように見えた。
高順は横たわったまま、荒れ果てた修羅界の空を見上げた。敗北はした。だが、彼の心は折れていなかった。関羽という絶対的な存在に、自分の力が及ばなかったことを痛感させられたが、同時に、彼はまだ高みに到達できると信じていた。
東岳泰山斉天仁聖大帝が彼に力を与えたのは、単に修羅界での延命のためだけではあるまい。この敗北は、高順にとって新たな始まりとなるのだろうか? そして、いつか彼は、神となった関羽と再び相対する日が来るのだろうか?