第二十一回 西涼征戦不休止 遊歴四方心平静
馬超の旗下に集い始めた羌族の民は、その数が増すにつれて、新たな問題も引き起こし始めていた。長きにわたる困窮生活の中で、略奪という行為は、彼らにとって生きるための手段の一つとして深く根付いていたのだ。
馬超は、当初こそ規律を重んじ、無益な殺戮や略奪を禁じていた。しかし、大勢の民を養うためには、どうしても食料や物資が必要となる。特に、故郷を追われた者や、困窮した羌族の民にとって、目の前の飢えを満たすことが何よりも優先された。
「止むを得ん…必要最低限の物資に限り、周辺の村邑から徴収する」
苦渋の決断を下した馬超の言葉は、略奪行為を黙認するに等しかった。たちまち、糾合された羌族の騎馬隊は、西涼の各地へと散り、食料や家畜、金品を強奪するようになった。彼らの鉄蹄が踏み荒らす地には、悲鳴と炎が立ち上り、多くの民が住処を失い、路頭に迷った。
馬超自身は、率先して略奪を行うことはなかった。しかし、配下の行為を完全に止めることもできなかった。彼らの忠誠心は、故郷への想い、そして馬超への期待感と結びついていたが、同時に、飢餓と困窮からくる本能的な欲求も内包していたのだ。
略奪行為が繰り返される中で、馬超は一つの問題に直面した。それは、武器や武具の不足だった。寄せ集めの兵士たちは、老朽化した武器や、農具を改造した粗末な武具しか持たない者も多かった。これでは、本格的な戦に耐えられない。
そこで馬超は、密かに配下の者に命じた。
「腕の良い鍛冶師を探し出し、連れて来い。丁重に扱い、良質な武具を作らせるのだ」
数日後、数人の羌族の兵士たちが、怯えた様子の漢民族の男を引き連れてきた。男は、周辺の小さな村で評判の鍛冶師だった。
「貴様は、我らのために武具を作るのだ。良質な武具を作れば、手厚く遇する。だが、もし怠慢があれば、どうなるか分かっているな!」
兵士たちは、脅すように鍛冶師に言った。男は恐怖に震えながら、頷くしかなかった。
馬超は、その報告を聞き、複雑な思いを抱いた。略奪は民を苦しめる行為であり、拉致は正義に反する。しかし、生き延び、復讐を果たすためには、なりふり構っていられないという焦燥感も彼の中にあった。
鍛冶師は、監視の厳しい中で、毎日懸命に仕事に励んだ。不十分な材料ながらも、その腕は確かで、次第に質の高い刀剣や槍、鎧などが作られていった。
羌族の兵士たちは、新しくなった武具に目を輝かせ、その力に満足した。しかし、故郷を奪われ、自由を奪われた鍛冶師の瞳には、深い絶望の色が宿っていた。
馬超の軍勢は、略奪によって一時的に物資を確保し、鍛冶師によって武力を増強した。しかし、その道のりは、多くの犠牲と人々の恨みの上に築かれていることを、馬超自身も感じ始めていた。
鉄騎は西土を駆ける。その足跡には、略奪の炎と、拉致された鍛冶師の涙が染み付いていた。馬超の糾合は、希望の光であると同時に、新たな苦しみを生み出す影でもあったのだ。彼の進む先には、一体何が待ち受けているのだろうか。
董勇は残った兵を集めて更に一万を集めて馬超と戦う様相を見せて高順は少しばかり安心した。
「剛穎、焦るか?」
「いんや、野郎…行くさじゃ俺よか数段上だけど一騎討ちなら負けやしねぇよ」
「ふふ、逸るな」
高順は次代の行く際も兼ねて息子らを呼んだ。
高景、高昭、高輝、高鴻がそれぞれ千人を率いて敦煌に向かって行った。
董勇はこれを見て従兄弟達を心配し、動向を申し出た。
「叔父御、あいつらだけじゃぁ危なかっしいだろ?」
「ならば、後を付けるか?」
「良いのか?」
「俺も行くがな」
「ケッ」
高順と董勇は兵二万を連れて後を着いて行った。
「成廉、魏越よ。自身の配下を率いてあヤツらの補佐を頼む」
高順の言葉に、成廉と魏越はそれぞれ手勢を率いて頷いた。彼らは高順の信頼厚い部下であり、その指示に忠実に従うだろう。
敦煌へ向かう高順の息子たち、高景、高昭、高輝、高鴻の率いる四千の兵は、砂塵を巻き上げながら西へと進んでいた。彼らは若き血潮に滾り、初めての大任に武者震いを覚えていた。しかし、その表情には一抹の不安も滲んでいた。相手は西涼の雄、馬超。その武勇は天下に轟いており、一筋縄ではいかない相手であることは理解していたからだ。
一方、後を追う高順と董勇の二万の兵は、息子たちの隊列から少し距離を置いて進んでいた。高順は静かに前を見据え、董勇はやや焦れた様子で周囲を見回していた。
「叔父御、本当に大丈夫なんでしょうな?あいつら、まだ若い連中ですぜ」
董勇は何度もそう問いかけた。
「案ずるな、剛穎。確かに経験は浅いが、皆、日頃から鍛錬を怠ってはいない。それに、お前も付いている」
高順はそう言って、董勇を一瞥した。その言葉には、董勇の武勇に対する信頼が込められていた。
「ケッ、俺がいれば百人力だっての」
董勇はそう吐き捨てたが、その表情はどこか嬉しそうだった。
やがて、成廉と魏越の率いる兵たちが、高順の息子たちの隊列に追いついた。二人はそれぞれの隊の先頭に立ち、若武者たちに力強い視線を送った。
「公子たち、我らは高順様の命を受け、貴殿らの補佐に参りました。何かあれば、遠慮なくお申し付けください」
成廉の低い声が、砂塵の舞う戦場に響いた。高景は代表して頷き、力強く答えた。
「ありがとうございます、成将軍、魏将軍。心強く思います」
こうして、敦煌を目指す高順の息子たちの軍は、頼もしい援軍を得て、その歩みをさらに力強く進めていった。彼らの行く手には、果たしてどのような戦いが待ち受けているのだろうか。そして、高順と董勇は、どのような役割を果たすことになるのだろうか?
馬超は、遠目に砂塵を上げて近づく高順の軍勢を認めると、冷笑を浮かべた。
「ほう、高順のやつ、残りの兵を集めて出てきたか。だが、烏合の衆に過ぎん!」
馬超は、精鋭の騎馬隊を率いて、高順の軍に突撃する構えを見せた。その目は、獲物を狙う猛獣のように鋭く光っている。
「全軍、突撃!高順の首を獲るぞ!」
馬超の号令一下、西涼の騎馬隊は怒涛の勢いで高順の軍へと襲い掛かった。砂塵が舞い上がり、大地が震える。その勢いは、まさに鉄の奔流のようだった。
一方、高順の軍は、馬超の急襲に一瞬の動揺を見せたものの、すぐに持ち直した。董勇は先頭に立ち、大剣を振り回して敵をなぎ倒していく。
「怯むな!一歩も引くんじゃねぇぞ!!」
董勇の勇ましい叫びは、兵たちの士気を鼓舞した。彼らは、故郷を守るため、そして高順の期待に応えるために、必死に抗戦した。
しかし、馬超の武勇は並大抵のものではない。その槍捌きは神速であり、次々と高順の兵を突き落としていく。彼の周囲には、倒れた兵士たちの血と砂塵が渦巻いていた。
高順は、本陣から戦況を見守っていた。馬超の圧倒的な強さに、内心では焦りを覚えていた。だが、ここで動揺を見せるわけにはいかない。彼は静かに、次の手を考えていた。
その時、高順の背後から、力強い声が響いた。
「父上、ここは我らにお任せください!」
振り返ると、高順の息子たち、高景、高昭、高輝、高鴻が、それぞれ手勢を率いて控えていた。彼らの目は、燃えるような闘志に満ちていた。
高順は、息子たちの成長した姿を見て、わずかに笑みを浮かべた。
「良かろう。お前たちの力、見せてもらうぞ!」
高景、高昭、高輝、高鴻の四人は、それぞれ別の方向から馬超の軍勢へと突撃していった。若き彼らの勢いは、老練な兵たちにも劣らない。四方から襲い来る高順の息子たちに、さすがの馬超も一瞬、動きを止めた。
その隙を見逃さなかった董勇は、渾身の力を込めて馬超に斬りかかった。激しい金属音と共に、二人の武器がぶつかり合う。董勇の力強い一撃は、馬超の槍を弾き返した。
「小僧ども!邪魔をするな!」
馬超は怒号と共に、董勇を蹴り飛ばし、再び槍を構えた。だが、その周囲には、すでに高順の息子たちが迫っていた。
果たして、この激戦の行方はどうなるのか。若き高順の息子たちは、西涼の猛将、馬超を食い止めることができるのか。そして、高順が秘かに進めている策とは一体何なのか。戦況は、ますます激しさを増していく。
江東では孫権の貿易が上手く行き、交州を孫策から任されるようになった。
「仲謀、成長したな!しかし、海の生活もそろそろ飽きて来ただろ?」
「兄上…」
「しかし、私が…」
「あぁ、そういうわけじゃねぇんだ。蒋欽ら水賊上がりの奴らがな…」
「なるほど、では彼らに一つだけ言伝を」
「なんだ?」
「絶対に戦を起こしてはなりませぬという事を」
「はぁ?」
「兄上、海は陸上とは違い茫洋なる海の上です…陸上で戦うと言うのであれば幾らでも戦いようがありますが海ではそういう訳には行かぬのです」
「へ〜?アイツらはそうとは思ってねぇがな」
「それはそうでしょうが、蒋欽らは海の上で戦う事を知らぬのです。長江を跨ぐ水賊だった経験を持ってしても海の戦いは全くの別物です。幾ら船を扱う自信があろうと」
「ほっか、んじゃ引き続きお前に任せるわ!」
孫権は蒋欽を呼び出した。
「蒋欽殿、兄上から預かった重要な言伝があります。」孫権は静かに切り出した。
蒋欽は片眉を上げ、「ほぅ、若殿の言伝とは珍しいな。周泰殿はご一緒ではないのですね」
「ええ、周泰殿には別の任務を任せております。」
孫権は頷き、話を進めた。
「さて、本題に入りましょう。兄上は、決してこの海域で戦を起こしてはなりませぬと申しておりました」
蒋欽は目を丸くした。「なんですと?我らは水軍の将ですよ!戦こそが我らの務めではありませんか!」
孫権は首を横に振った。
「確かに、戦は時に必要でしょう。しかし、海における戦は陸とは全く異なるのです」
「何が違うというのですか?」
蒋欽は納得がいかない様子で問い詰めた。
「陸上であれば、地の利を活かし、兵站を確保し、退路を定めることができます。しかし、海の上にはそのようなものは一切ありません。広大な海原では、一度態勢を崩せば、たちまち全滅の危機に瀕します。水賊としての経験は、長江のような内水での戦いには役立つでしょう。しかし、外洋の戦いは、全くの別物なのです。潮流、天候、そして何より、底知れぬ海の力を前にすれば、いかに船の扱いに長けていようとも、無力となる可能性があります」
孫権は自身の経験と、海で働く船乗りたちから聞いた話をもとに、海の恐ろしさを説いた。彼は、兄である孫策の航海の苦労や、度重なる海難事故の報告から、海戦の危険性を深く理解していたのだ。
蒋欽は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「しかし、もし敵が攻めてきたらどうするのですか?指を咥えて見ているわけにはいきませんぞ!」
「もちろん、防衛は重要です。しかし、それはあくまで最終手段です。まずは、この豊かな海を生かし、交易を盛んにすることで、周辺の国々との友好関係を築くべきです。争うのではなく、共存することで、呉の国力を高めるのです」
孫権は、武力による支配ではなく、経済的な繁栄と外交による安定を目指すべきだと説いた。父や兄の遺志を継ぎ、民を安寧に導くことこそが、今の自分に課せられた使命だと感じていた。
蒋欽は依然として納得がいかない表情だったが、孫権の真剣な眼差しに気圧され、言葉を選びながら言った。
「若殿の仰ることは、理屈では分かります。しかし、水軍の将として、戦の機会を奪われるというのは、いささか…」
「承知しております、蒋欽殿の気持ちも。しかし、今は耐え忍んでいただきたいのです。この平和的な交易こそが、長期的に見て呉にとって最大の利益をもたらすと信じております。もちろん、万が一の事態に備え、水軍の訓練は怠りません。その時は、存分にその武勇を発揮していただきたい」
孫権はそう言って、深々と頭を下げた。蒋欽は孫権の真摯な態度に心を動かされた。
「…分かりました。呉公の言伝、そして公子のお考え、しかと承知いたしました。しばらくは、戦ではなく、交易の発展に尽力いたしましょう。」
孫権は顔を上げ、感謝の意を込めて言った。
「ありがとうございます、蒋欽殿。共に力を合わせ、この江東の地を、そして呉の国を、より豊かなものにしていきましょう」
こうして、孫権の指示の下、江東の水軍は新たな方針へと舵を切った。周泰という頼れる護衛を得て、孫権は蒋欽と共に、積極的な交易を通じて周辺地域との関係を深め、平和的な発展を目指す道を選んだのである。
曹操は、長年その身を縛り付けていた司空の重責を、古びた外套を脱ぎ捨てるかのように、あっさりと手放した。
「ふむ、ようやく、この凝り固まった肩も楽になるか」
小さく呟き、積み上げられた決裁を待つ書類の山を一瞥した。
「後は、あの子らが何とかするだろう」
都、洛陽の喧騒を背に、曹操は一頭の老いた栗毛の馬に跨った。
「さて、どこへ行こうか」
空に問いかけるも、返ってくるのは鳥のさえずりだけだ。かつて、
「天下をこの手に!」
かつてら高らかに叫び、鉄騎を率いて中原を駆け巡った奸雄の面影は、今の彼には微塵も感じられない。粗末な麻の旅装を身につけ、手綱を握る手も、幾分か力が抜けている。
「まあ、風の吹くまま、気の向くまま、というのも悪くない」
日暮れ時、街道沿いの小さな村に辿り着いた曹操は、一軒の簡素な食事処の暖簾を潜った。
「おう、旅の方か?何になさいます?」
と、愛想の良い女将が声をかける。
「何か、温かいものを頼む。そちらで採れたという山菜を使ったものがあれば、それで」
曹操は静かに答えた。酒場の隅の席に腰を下ろし、土地の男たちが交わす、訛りの強い話に耳を傾ける。
「へえ、今年は雨が少なくて、作物の出来が今一つか」
「ああ、困ったもんだ。このままじゃ、年貢も納められやしねえ」
時折、なるほどと相槌を打つ曹操の言葉に、男たちは訝しげな目を向けるが、すぐに自分たちの話に戻っていく。
夜が更け、宿を取るのも億劫になった曹操は、村の外れの東屋で一夜を明かすことにした。満天の星空を見上げながら、
「昔は、この星の下で、幾度となく明日を決する夜を過ごしたものよな」
感慨深く呟いた。野盗の襲撃を警戒するでもなく、ただ静かに、宇宙の広さに身を委ねるように目を閉じた。
旅の途中、かつて自らが戦火に晒した土地を訪れることもあった。
「この村は…確か、あの時、激戦地になった場所か」
そこで出会うのは、復興に尽力する若者たちや、彼の過去の行いを恨むことなく、ただ静かに暮らす老人たちの姿だった。
「おや、旅の方ですか?どちらへ?」
声をかけられ、ただの通りすがりだと答える曹操の言葉に、彼らは警戒の色を露わにする。
「だが、あんたの顔…どこかで見たような…」
老人が訝しむと、曹操はただ、寂しげに微笑むだけだった。
ある日、険しい山道を分け入った先に、粗末な庵を見つけた。中から現れたのは、白髪の老学者だった。
「ほう、珍しい客人じゃ。こんな山奥に、何の用で?」
「ただ、世の喧騒から離れ、静かに時を過ごしたくて」
二人は囲炉裏を囲み、持ち寄った酒を酌み交わしながら、夜通し語り合った。
「人はなぜ争うのでしょうな?」
「それは、欲という業が深いからじゃろう」
「欲…か」
老学者の静かな語り口は、曹操の心に深く染み渡った。
旅を続けるうちに、曹操の険しかった表情はゆっくりと穏やかになり、かつて鋭く光っていた瞳には、深い安堵の色が宿るようになった。
「ああ、この静けさ…なんと心地よいものか」
天下統一という、自らに課した重責から解放された彼は、ようやく一人の人間としての、何でもない日常の喜びを噛み締めているようだった。
しかし、ふとした瞬間に、彼の瞳の奥には、かつての野心や、果たせなかった夢の残滓が、まるで古い記憶の灯火のように揺らめくことがあった。
「このまま、穏やかに老いていくのか…それも、また一つの道か…」
気ままな旅の終着点は、果たしてどこになるのだろうか。
「まあ、焦ることはない。流れに身を任せるのも、また一興よ」
そして、この得難い静かな時間は、いつまで続くのだろうか。
「さあな…先のことは、誰にも分からんさ」
それは、まだ誰にも分からない。




