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第十三回 王司徒欲殲賊軍 高将軍脱離朝廷

長安城・北掖門前の広場。朝靄の中、血の匂いが重く立ち込めていた。呂布の戟の一閃が、董卓の太い首筋を鮮やかに断ち切った瞬間から、高順の時間は歪んだように感じられた。噴き出す鮮血、石畳を転がる巨大な首、呆然と見つめる百官。呂布の勝ち誇った叫び、王允の冷徹な命令、兵士たちが駆け出す足音。全てが遠く、鈍い響きとして高順の鼓膜を叩いた。


「…奉先…」


董卓の唇が、微かに動いた。誰にも聞こえぬ呟き。倒れ伏す巨体かつて涼州の荒れ地で、共に羌族の騎兵と渡り合い、酒を酌み交わした主君の最期。董卓の横暴と猜疑心、その行き過ぎた専横は許しがたかった。しかし、その最期が、寵愛した義子の手によるものとは。高順の胸中には、複雑な感情が渦巻いた。怒りではない。哀れみでもない。むしろ、巨大な何かが崩れ去った後の、虚無にも似た喪失感。そして、この血で塗られた広場が、新たな乱の火蓋を切ったという確信。彼は静かに目を閉じ、わずかに首を振った。


(あの男も…乱世の波に呑まれたか…)


高順の心の奥底で、かつての主君への一抹の哀悼が去来した。それは情でも義でもなく、ただ、同じ武人としての無念さであった。


王允、呂布たちが董卓討伐を決行する直前、俺は王允から密かに計画を聞き、部隊を急ぎ郿塢城へ向かわせた。そして、配下には董卓の家族を并州に連れていくよう頼んだ。


「いいか、戦は起こすなよ?面倒になるからな!」


高順は、密かに郿塢城へ向かわせた配下の精鋭・張五に厳命していた。彼の目は冷徹そのものだった。


「はっ!」


張五は深く頭を下げた。


「我らはこれより弘農に退くぞ!」


「何故ですかい?」


若い副将が訝しげに問う。


「ふん」


高順は鼻を鳴らした。


「馬鹿同士の争いに構ってられん」


彼は、董卓が死んだ後の長安が、呂布の暴走と王允の剛直さ、そして西涼軍残党の復讐心という火薬庫と化すことを確信していた。その爆発に巻き込まれる愚は犯さぬ。郿塢城を押さえ、董卓の家族という重要な駒を確保しつつ、安全圏である弘農に身を置く。それが高順の選択だった。


「いいか、張五を残して皆は弘農城を守備せよ。伝令が届き次第、徐々に并州まで退け!」


「さて、尚書令。これより長安の城に入りますぞ。覚悟は宜しいですかな?」


高順は、自分と同じく董卓に強制的に長安に連れてこられ、尚書令に据えられた劉虞に声をかけた。劉虞は漢王朝の皇族、世祖光武帝の血筋を引く人物である。その顔には疲労と覚悟が刻まれていた。


「……世祖光武皇帝の血筋としての責を果たさねばなるまい……」


劉虞の声は静かだが、揺るぎない意志を宿していた。


「尚書令…」


高順は一礼した。この老人には、この乱世を生き抜く覚悟が確かにあった。


高順は自ら率いる精鋭歩兵「陷陣営」を中心とした一手を率い、長安城門へと向かった。門は開かれていたが、中は異様な静寂に包まれている。そして、その静寂を破るのは、所々に転がる無残な死体と、まだ乾ききらぬ血の海だった。高順は無表情で城内を進む。目に飛び込んできたのは、見覚えのある顔董卓の母池陽君、弟董旻、甥董璜。王允が三族皆殺しを命じた証拠だった。


(…やりやがったな、王允)


しかし、高順の鋭い目はすぐに異変を察知した。幼い子供の遺体がない。董卓の孫と孫娘である。


(…ふむ?)


これは何か裏があると踏んだ俺は、急ぎ李儒の邸宅に向かった。


李儒の屋敷は、すでに王允の命を受けた兵士に包囲されかかっていたが、高順の「鎮北将軍」の旗印を見て、兵士たちは道を開いた。高順は無言で邸内に踏み込む。


「侍中!居るか!」 高順の声が、重い空気を切り裂いた。


奥の書斎から、李儒が現れた。彼の顔には死を覚悟した諦観の色が漂っているが、その目は驚きの色を浮かべていた。


「これは、鎮北将軍。お早いですな」


李儒はわずかに皮肉を込めて言った。


「もしや?」

高順は単刀直入に問う。


「察しも早いな」


李儒の口元がほんのりと緩んだ。


「はて?」


「太師のお孫たちだ」


李儒は奥の部屋を指さした。


「私は恐らく長く生きられないだろう……逆臣董卓に与し、先帝を弑しておる故にな!」


「なっ!」


高順はわざとらしく驚いたふりをした。


「死なぬよ。安心召されよ。貴方は誰にも殺されませんから」


「ふふふ」


李儒は乾いた笑いを漏らした。


「将軍は誠実なお方ですな…」



高順は一歩前に出て、声を潜めた。


「弘農王郎中令李文優は、先帝の仇を討たれたのではございませんか」


弘農王とは、董卓によって毒殺された前皇帝少帝劉弁のことであり、李儒は当時、その郎中令だった。


「儂がだと?」


李儒の目が鋭く光った。


「楚の荘王と蒋英の故事を持ち出し、見事に怒らせたでは御座いませんか!それに、王司徒の企みを看破しつつも手を加え無かった」


高順は続けた。これは、李儒が董卓に進言し、少帝毒殺の引き金となった


「故事」を指す。李儒は、董卓を「天下を取る楚の荘王」に、少帝を「取り除くべき蒋英」に例えたのだ。


「ふっ…」


李儒は思わず笑い声をもらした。


「ならどうしろというのだね?」


「俺はどうもしませんよ」


高順は肩をすくめた。


「後はご自身で如何にかしてください。職に困るようでしたら并州にでも来てください。人手足りてないので」


李儒は高順をじっと見つめた。この男は、董卓の政権が長く続かないことを最初から見抜いていた。そして、この崩壊の後も生き延びる道を、自らだけでなく、李儒や董卓の血族までも用意していたのだ。董卓の親族で生き残ったのは、高順が助けた孫と孫娘、それと一人の娘だけ。それぞれ高順の手で安全な場所に保護されている。


(この男…ただの武人ではないな)


「鎮北将軍!」


高順が李儒の屋敷を出たところで、一人の男が呼び止めた。李儒の側近である。


「何もんだ?」


高順は振り返った。


「私の下人にございます」


男は丁寧に頭を下げた。


「そうですか」


高順は軽く会釈した。


「では俺はお暇します。お達者で」


「そなたもな」


男の声には感謝がにじんでいた。


馬に乗り鎮北将軍府に戻り臨戦態勢を構えていると、王允が直々に参内の誘いを寄越してきた。


「将軍、どうか陛下に会われよ」


王允の使者が伝える口調には、威圧が込められていた。


「お断りすれば?」


高順は平然と問い返した。


「…………」


使者は言葉に詰まった。


「わかりました。こちらとしてもまだ死にたくないのでね!」


高順は皮肉たっぷりに言い放ち、馬の手綱を取った。


宮殿へ向かう途中、先ほどの李儒の側近が、縄で縛られた李儒を連れて宮殿へ向かっているのを見かけた。高順は微かに頷いた。


参内し、玉座の前で跪く。幼い皇帝劉協の顔には不安が隠せない。その傍らには、王允と董承が仁王立ちだ。


「高順!」


王允が声を荒げた。


「陛下、お久しゅうございます…!」


高順は王允を完全に無視し、献帝に深々と頭を下げた。


「高順、朕を助けてくれまいか?」


献帝の声はか細く、切実だった。


高順はゆっくりと顔を上げ、幼き皇帝をまっすぐに見据えた。


「お断り致します」


「貴様ァ!」


王允と董承が同時に怒鳴った。宮殿の空気が一気に緊迫する。


「……そうか…」


献帝の目がうつろになった。


「そなたも助けてはくれぬのか……?朕はいよいよ天に見放されたな!はっはっはっ!」


その笑いは、絶望に歪んでいた。


高順は深く息を吸い込み、静かに、しかし重々しく言った。


「恐れながら陛下…陛下は臣の君主にございます。お頼み事とあらば、臣とて引き受けかねまする…」


王允が「なにっ!」と叫ぼうとしたが、高順は遮るように続けた。


「されども勅命を頂ければ、それに従うまで…」


一瞬の静寂。高順の言葉は、献帝と王允らに一つの現実を突きつけていた。皇帝であっても、臣下の自発的な忠誠を無条件に期待することはできない。特にこの乱世においては。命令があって初めて、臣下は動くのだ。皇帝の威光は、自らが振るう命令によってのみ維持される。献帝の顔に、稚拙ながらも理解と反省の色が浮かんだ。王允と董承も、高順の言うことの重みを無視できず、沈黙を強いられた。


「高卿…」


献帝が慎重に口を開いた。


「西涼の者らはどうするつもりかね?」


高順は即座に答えた。


「陛下、かの董卓にしろ、西涼の者らにしろ、いずれも陛下の臣民にございます。そこをお考えいただければ、臣に問う必要はございませぬ」


これは重い問いかけだった。十二歳の少年皇帝に、天下の大事を決断せよというのだ。高順は、皇帝としての自覚と責任を、この幼い君主に直に背負わせようとしていた。劉協は顔を強張らせ、必死に考え込んだ。


「臣允に案がございます」


王允が前に出て、高順の問いかけを遮るように声高に主張を始めた。


「司徒、申せ」


献帝が促す。


「彼らは何れも董卓の爪牙でございました!」


王允の声は弾劾の響きに満ちていた。


「これを見逃すは、後の禍根にございます! 今こそ根絶やしにすべきです!」


高順は即座に反論した。声は王允ほど大きくないが、宮殿全体に重く響き渡る。


「恐れながら司徒大人!彼らを処断する方こそ、目の前の災難にございますぞ!それに太師を処断する時に≪天子の詔を奉り、逆賊を討つ!そのほかの者らは不問とする≫と天子の詔だったではございませんか!」


「「……」」


王允も、その場に居合わせた呂布や他の官僚も、言葉を失った。高順の指摘は正論だった。詔書の文言は、董卓のみを逆賊とし、他の者は罪を問わないと明記していたのだ。


「司徒と鎮北将軍の考えはわかった」


献帝が辛うじて声を絞り出した。「皆の考えを忌憚なく申せ!」


「臣布、司徒に賛同いたします」


呂布が即座に王允を支持した。董卓への憎悪と、貂蝉奪還の障害を除きたい思いからだ。


「臣瑞、司徒に賛同いたします」


王允派の官僚が続く。


「臣虞、鎮北将軍に賛同いたします」


劉虞の重々しい声が響いた。


「「臣らは司徒に賛同いたします」」


多くの官僚が王允に追随した。王允の権威と、董卓への恐怖の反動がそうさせた。


(おいおい、マジかよ!)


高順は内心で咂舌した。


「恐れながら、陛下!」


高順は再び声を張り上げた。


「なんじゃ?」


献帝が目を見開いた。


「西涼の者よりも先に諸将の官位を定めてくだされ!」


「なぜかね?」


「諸将の統制及び陛下の命令が行き届く上に、外敵が攻めてくれば上下一心に外敵と戦えるからです!」


高順の言葉は、現実的な軍政家のそれだった。内紛よりも、組織の再編と結束こそが急務だという主張だ。


「臣防、鎮北将軍に賛同いたします」

「臣崇、鎮北将軍に賛同いたします」

「臣植、鎮北将軍に賛同いたします」

「臣儁、鎮北将軍に賛同いたします」

「臣虞、鎮北将軍に賛同いたします」


劉虞が再び同調した。


皇甫嵩や盧植、朱儁といった重鎮たちの支持が集まり、流れが変わった。


「うむ、相分かった」


献帝は深く頷いた。


「朕は未だ年幼い故、諸卿らに任せる!では皆下がるように」


「「ははぁ」」


一同は礼をしたが、誰もその場を動かなかった。いや、動けなかったのだ。肝心の人事の取り決めも、董卓残党の処遇も、具体的な結論は何一つ出ていない。朝廷の機能は完全に麻痺していた。


高順はこの間、自身の軍勢に厳重な警戒態勢を解かぬよう命じ続けていた。王允に実行時の合図を送っておいたのもそのためだ。情報を封鎖し、箝口令を敷くためである。


(今、牛輔らに攻められたらひとたまりもない…)


高順は冷ややかに朝廷の面々を眺めた。皇甫嵩、盧植、朱儁ら老将はともかく、呂布は戦術眼はあれど大局観に欠け、李粛は小賢しいだけ、王允は机上の空論を振りかざす腐れ儒者、士孫瑞に至っては…。


(ハンデの方が多すぎる。歴戦の猛者と天才的な謀士を抱える西涼軍残党を相手に、この面子で戦え? ならいっそのこと俺に死ねと言った方が実現性が高い。J3のサッカークラブでスペインの白い巨人に完封勝てと言ってるようなものだ。どっかのサッカーゲームじゃない限り、よほどの奇跡が起きなきゃ無理だ!)


議論と妥協の末、ようやく武官人事が定まった。

大将軍:皇甫嵩

車騎将軍:盧植

驃騎将軍:朱儁

上将軍:徐栄

前将軍:呂布

左将軍:高順

右将軍:段煨(董卓配下ながら早々に帰順した西涼の将)

後将軍:董承

大司馬:劉虞(皇族として軍政の最高顧問に)


文官職はまだ混沌とし、最大の懸案である董卓残党(李傕、郭汜、張済、樊稠、牛輔、賈詡ら)の処遇は宙ぶらりんのままだった。結局、


「わからないなら使者を送って様子を見よ」という消極案が通った。


一方、郿塢城では、董卓の死の報せが大きな動揺を呼んでいた。総大将格である牛輔は、精神的に完全に崩壊していた。


「なんだと⁉太師が害されただと?な、ならば、どうせよというのじゃ?わしはづすればよいのじゃァーーーーー!」


彼は狂乱し、意味不明な叫びを繰り返すだけで、指揮官としての機能を完全に喪失していた。城内の諸将は沈黙し、まとまりを欠いた。誰が主導権を握るか、どう行動するか意見は分裂したままだった。


そこへ、長安から使者が到着した。使者は城内の重い空気と諸将の殺気にたじろぎながらも、朝廷の意向(事実上、王允の意向)を伝えた。内容は曖昧で、帰順を促す一方で責任を追及する含みもあった。これで城内の意見は真っ二つに割れた。帰順派と交戦派である。総大将の牛輔は相変わらず茫然自失、最早頼りにならない。


「もはやここに留まるべきではない…」


賈詡が静かに呟いた。彼の言葉に、李傕、郭汜、樊稠、張済ら実戦派の将は決断した。それぞれが配下の兵を率い、郿塢城を後にした。牛輔の下には、賈詡と親衛隊長・攴胡赤児、そして十万の兵だけが残された。


李傕ら四将は、集めた兵を合わせ二十数万という大軍を率いて、長安からわずか五十里の至近距離にある長平観に駐屯した。その威圧的な姿は、長安城内に大きな衝撃を与えた。


「謀反だ!直ちに討伐軍を編成すべきです!」


王允が血相を変えて主張した。

「司徒、落ち着かれよ!」


大将軍皇甫嵩が厳しく制した。


「何も軍を率いているからと言って攻めてくることはなかろう。奴らは董卓を失い、路頭に迷い、不安なのだ。まずは彼らの真意を確かめるべきだ」


「しかし!」


「しかしも何も有るか!」


皇甫嵩の声は雷のようだった。


「戦をしたこともなければ兵法も知らぬような儒者が語るな!」


王允は皇甫嵩の一喝に、顔を真っ赤にして退散した。高順はその様子を一瞥し、皇甫嵩、朱儁、盧植の三人の方へ歩み寄った。三人は高順に感謝の意を述べ、董卓が倒されたことを喜んでいたが、李傕らの大軍が目前に迫る状況には強い懸念を抱いていた。


「左将軍、何か妙案はあるかね?」


盧植が問う。


「はっ」


高順は即答した。


「戦は下策かと存じ上げます。それに今、奴らが動揺している最中に取り込んだ方が良いかと…」


「なぜかね?」


「董卓の軍は元々精強でしたからね…これと戦うには少々骨が折れます」


高順は事実を淡々と述べた。


「動揺しているからこそ取り込み、軍を瓦解し、そして彼らには名はあっても実権のない閑職に追いやるのが上策かと…」


「下策は戦か」


朱儁が呟く。


「左様です」


高順は頷いた。


「まずは董卓の爪牙であったことを咎めることを『威』とし、天子の厚愛を示して赦すことを『恩』として、恩威併施こそが肝要かと…」


「それで?閑職というのは?」


皇甫嵩が詰め寄る。


高順は一瞬沈黙した。


(彼らを生かしておけば、いつ牙を剥くかわからん…しかし、今殺せば必ず大乱が起きる…)


「…爵位を与えても兵権を与えぬというのはどうかね?」


盧植が提案した。


「うむ!」 皇甫嵩が膝を打った。


「それが良い! 関内侯の爵位を与え、長安に留め置く。有事には名目上の将軍として動かすこともできる」


こうして、李傕ら残党を一律に関内侯とし、長安で平穏に暮らさせる(実質的に監視下に置く)案が、ようやく朝廷の大勢となった。


李傕、郭汜、樊稠、張済の四将は、朝廷の命に従い、長安へ入城し献帝に拝謁した。


「罪臣ら、陛下の大恩に感謝し、これからは謹慎し、忠節を尽くす所存でございます…」


李傕が代表して深々と頭を下げ、反省と恭順の意を述べた。


しかし、玉座の近くに立つ王允の目は、侮蔑と嫌悪に満ちていた。呂布の視線も冷たかった。特に李傕が王允と呂布を一瞥した時、その目に一瞬走った純粋な殺意を、高順は見逃さなかった。


(…禍根を残したな、王允)


長安周辺の警戒態勢が解除され、董卓の遺体が将軍の礼をもって葬られたことで、一応の落ち着きを取り戻した。高順は、このタイミングで自領に帰還する決断を下した。朝廷から河内太守と河東太守の職も兼任するよう命じられていた(州牧職との兼任は、実質的な支配権に大差がなかったが、高順はあえて「欲張って」要求し、朝廷も混乱の中で認めざるを得なかった)。


(朝廷がバタバタしている隙に、早く離れねば…)


彼は各地に放った斥候からの報告をまとめていた。


公孫瓚と袁紹の小競り合いが続く。袁紹は冀州を完全掌握し、さらに青州にも勢力を伸ばしつつある。


兗州は曹操が着々と地盤を固め、青州から流れ込んだ黄巾賊残党(青州兵)を吸収し、三十万の兵と百万の民衆を抱える巨大勢力へと成長しつつある。「魏武の強、これより始まる」の兆し。不気味なほど動かない。


幽州は劉備は公孫瓚麾下で平原相。公孫瓚は幽州の支配確立のために劉虞勢力を追い出そうとしつつ、常に鮮卑と対峙。


揚州、豫州袁術は寿春を本拠とし、孫堅が豫州の大半を抑えてくれたため安泰。孫堅とは陽人の戦い以降、手紙のやり取りがあり、高順の助言(特に伝国璽の件)にも耳を傾けている模様。荊州の劉表との大規模衝突は回避された。


西涼は諸軍閥(馬騰、韓遂ら)は相変わらずの小競り合いと離合集散。


「大将、そんなに早く帰ることありやすかね?」


若い部将が尋ねた。高順は洛陽城門を振り返り、薄く笑った。


「ふっ、まだまだ青いな!これからは戦などという主だったものではなくて、政争という陰険な争いが始まるのさ」


高順の目が危険な光を宿した。


「こんな危険な所にいて生き残れるわけがないだろう?故に、帰れる時には帰るのさ!」


この時、俺は「死んでも戻るか、ばーか!」と思っていたが、後年戻ってその陰険な政争に巻き込まれるとは夢にも思わなかっただろう……。


皇甫嵩、盧植、朱儁、徐栄の四人は集まり、高順が去る直前に届けた手紙を読んでいた。


「『王允と董卓の残党が政争に走り、長安に再度血が流れるでしょう…どうかお気をつけください』…か」


朱儁が眉をひそめた。


「彼は…見通しているな」


盧植が深く頷いた。


高順が密かに満足していたことがもう一つあった。名高い学者で、自身のもう一人の岳父である蔡邕を救い出したことだ。董卓の死後、蔡邕が「惜しい人物を亡くした」と嘆いたことで、王允が激怒し処刑しようとした。しかし、高順が十万の兵を長安周辺に配備し、「もし蔡邕に危害を加えれば、并州の百万の兵を動かす」と暗に示したため、王允も手を出せなかったのだ。


(あのオッサン…親族だからな、助けざるを得ん)*


高順は内心で思った。(儒者って怖いね。やり口が現代のブラック企業の洗脳とあまり変わらないよ。デカい目標(漢王朝復興)を打ち立てて、できない奴(献帝や官僚たち)に無理やりやらせて、できなかったら「できないお前が悪い!」って…。やばい、孔子が悪の伝道師に見えてきた…)


高順は河内郡の朝歌に新たな本拠を定めた。河内郡内の要所には配下の将を配置。并州の経営と防衛は、ほぼ張遼(張遼)に一任した。


(あいつには卒の中の将ではなく、将の中の将になってほしい…どちらかといえばロンメルやパットンのような前線以外興味がないタイプだけどな)


晋陽には家族を移し、自身は河内に重心を置く。これに対して、曹操の反応は素早かった。直ちに軍を動員し、高順の動きを牽制する態勢に入った。


一方の袁紹は、高順が朝廷から離脱した隙を好機と見た。


「ふっ、さすがは『乱世の奸雄』だな!動きが早い」 高順は曹操の動きを評した。


「大将、あっしの言うことでもないんですがね……そんな悠長に構えてもよろしいんで?」


側近の張五が心配そうに問う。

「張五、わかっておらんな!」


高順の目が冀州の方へ向いた。


「我らの敵は兗州に在らず!冀州にいるのだ!」


「へぇ、てことは、袁紹と戦を構えるんで?」


「おうよ!あれを先に潰しておかないと、曹操と事を構えるとなった時に、背後を突かれて辛くなるからな!」


「へぇ〜……」


「張五、并州に行き韓馥に伝えろ。公孫瓚と手を結んで袁紹を叩くとな!」


「へい!」


こうして、袁紹、公孫瓚、高順という新たな三つ巴の構図が北方に浮上し、数年にわたる激しい角逐の幕が切って落とされた。公孫瓚は烏桓、鮮卑、匈奴の侵攻に直面し、幽州防衛に手一杯で袁紹攻めに動けず、袁紹の并州侵攻計画は頓挫する。袁紹配下の謀士たちは「まず曹操を動かし高順の実力を探れ」と進言したが、高順の并州が軍田・民田を整備し兵糧に困らない体制にあることを知り、袁紹は焦りと困惑を深めるだけだった。


(どうやら…静かなる時は終わったな)


高順は朝歌の城壁に立ち、冀州の方を睨みながら、冷たい風に吹かれていた。乱世の新たな局面が、苛烈な戦いと共に、確かに動き始めていた。


洛陽城門前、朝靄が石畳を薄く覆う中、高順の軍列は静かに移動を始めていた。重厚な鎧に身を包んだ「陷陣営」の精鋭たち、騎兵の甲冑がきしむ鈍い音、物資を積んだ牛車の車輪が軋む音、全てが整然と、しかし迅速に行われている。高順は愛馬の背に跨り、最後に長安の城壁を振り返った。その目は、複雑な想いを湛えていた。


「左将軍、これでお別れですな」


背後からかけた声は、驃騎将軍朱儁だった。老将の顔には、無念さと警戒の色が同居している。彼の傍らには、盧植と皇甫嵩が立っていた。


「まだ長安に残るおつもりですか」


高順は馬首を巡らせ、三人と向き合った。


「あの王允と李傕らが火花を散らすのは、火を見るより明らかですぞ」


皇甫嵩が深い皺を刻みながら言った。


「わしらがここに残らねば、朝廷は完全に王允と呂布の掌中に落ちる。何とか歯止めを…」


「歯止め?」


高順の口元がわずかに歪んだ。


「司徒殿は『董卓の爪牙は根絶やしにせよ』とおっしゃる。李傕らは『赦されたのは偽りだ、殺される』と怯える。火薬桶に火を付けるようなもの。老将軍たちがどれほどの兵力でそれを押さえ込めるというのです?」


盧植が重い口を開いた。


「…大義名分だ、孝父。漢室の大義がなければ、この乱世はさらに泥沼と化す」


「大義?」


高順の目が鋭く光った。


「大義は剣では守れません。地に足のついた兵力と兵糧、民衆の支持があってこそ。王允殿はそれを忘れておられる」


彼は懐から羊皮紙の巻物を取り出し、朱儁に手渡した。


「これは河内、并州の軍屯田と民屯田の配置図です。もしもの時、兵糧に困ったら使ってください。…ただし」


高順の声が低く沈んだ。


「長安で兵を挙げるようなことがあれば、最早助けには来られぬとお伝えしておきます」


三人の老将は黙って巻物を受け取った。その重みは、物理的なもの以上だった。彼らは高順が正しいことを理解していた。しかし、漢朝に骨の髄まで染みついた老臣として、玉座から離れる選択肢はなかった。


「では」


高順は軽く手綱を引いた。


「生き延びてください、諸将軍」


馬がゆっくりと歩み出す。高順は再び振り返らず、朝の光が差し込む東方へと隊列を進めた。その背中は、迷いのない武人のそれだった。


高順自身もおそらく呂布は曹操達に敗れるであろうとわかっていた為、徐州方面へ絶えず斥候を送り続けた。


馬を並べた副将張五が声を潜めて尋ねた。


「大将、呂布の御大の行く末が気になっておいでですかい?」


高順は遠く黄河の流れを眺めながら答えた。


「あれは…剣と同じだ。あまりに鋭すぎて、持ち主すら傷つける」


「はて?」


「呂布は天下無双の武、しかし…」


高順は拳を握りしめた。


「器が小さすぎる。目先の利に囚われ、大義を見失いやすい。曹操や劉備らは、あれが持つ『刃』の危険性をよく知っている。いずれ…利用し、そして折るだろう」


張五が息を呑んだ。


「では…助けには?」


「助ける?」


高順の声に冷たい響きが混じった。


「己の選択の結果だ。長安を出る時、あれには警告した。王允の甘言に乗るな、李傕らを過小評価するなと。聞かなかったのはあれ自身だ」


彼は東の空を見据えた。雲の切れ間から差す陽光が、高順の鎧を鋭く輝かせた。


曹操も高順が呂布を見捨てるのか分からず、不安に駆られていた為、呂布を処断出来ずにいた。


その頃、兗州鄄城の曹操軍本営では、激しい議論が交わされていた。


「明公!今が好機ですぞ!」


程昱が拳を机に叩きつけた。


「呂布、驕慢無礼の極み!長安を追われ、今や流浪の身!これを討たねば、後日の禍根となります!」


郭嘉が軽く咳払いをした。


「仲徳兄、お気持ちはわかりますが…」


蒼白な顔に鋭い目を光らせて続ける。


「問題は、あの『陷陣の盾』です」


帳内が一瞬静かになった。誰もが「高順」の名が持つ重みを感じている。


「高孝父…」


曹操が深い椅子にもたれ、目を細めた。


「あの男は、呂布を見殺しにするか?」


荀彧が静かに指摘した。


「并州からの報せでは、高順は河内に本拠を移し、袁紹への備えを固めております。呂布救援の気配は…今のところありません」


「ふむ…」


曹操の指が机をコツコツと叩く。


「しかしだ、荀彧。あの男の動きは読めぬ。董卓が死ぬと見越して、密かにその一族すら庇護していたのだぞ?」


「はっ」


荀彧が深く頷いた。


「故にこそ、油断は禁物かと。高順が動かぬ『保証』はどこにもありません。もし我らが呂布を攻める隙に、あの『陷陣営』が背後を突いてきたら…」


夏侯惇が唸った。「たしかに…河内からは一気に陳留へ迫れる!」


曹操はゆっくりと立ち上がり、腰の倚天剣に手をかけた。その目は、深い計算に満ちている。


「ならば…様子を見よ」


曹操の口元が歪んだ。


「呂布という『刃』は、まずは劉備や袁術らに向けさせてやろう。高順の動向を探りつつな…」


「ふっ、さすがは『乱世の奸雄』だな!動きが早い」


高順は、曹操の本営から届いた密報を掌の上でくずした。紙片が風に舞い散る。


「大将?」


張五が怪訝な顔をした。


「曹操め…呂布を討てぬ言い訳に、俺を出しやがった」


高順の目が冷たく光った。


「だが、それで良い。こちらの準備も整いつつある」


彼は東ではなく、北――冀州の方角へ視線を向けた。袁紹の動きが、次第に活発になっているという報せが入っていた。


「張五、并州に行き韓馥に伝えろ。公孫瓚と手を結んで袁紹を叩くとな!」


「へい!」


張五が力強く応える。


「でも大将、公孫瓚どの、鮮卑どもとやり合ってて手が空きませんぜ?」


「それで良い」


高順は馬を北へ向けた。


「公孫瓚が動かぬと知れば、袁紹は尚更、我らを侮る。油断した隙を…一気に叩く」


河内の平野を渡る風が、高順の麾旗を激しくはためかせた。旗印には「高」の一文字。乱世の新たな局面で、この旗はやがて袁紹軍を震撼させることになる。


「急げ!」


高順の号令が響く。


「袁本初の夢を、醒ましてやる時だ!」


軍靴の音が大地を揺るがし、鋼の奔流が河北へと向かって動き出した。長安の政争とは次元の異なる、野望と生存をかけた巨大勢力同士の激突が、まさに始まろうとしていた。高順の脳裏を、かつて董卓が笑いながら言った言葉がよぎる。


『乱世とはな、孝父…力ある者が掻き鳴らす琵琶のようなものよ!』


その弦を掻き鳴らす手は、今、確かに高順自身のものとなっていた。

ネット上で拾ったフリー素材です。地図の色は関係ないので認識の程をお願いします。出典《毎日頭絛》より

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― 新着の感想 ―
[良い点] 高順が主人公。 [気になる点] 最新話まで読ませて頂きましたが、如何せん改行や何やらが不安定で読むのが結構大変です(汗 、と。をしっかり活用して頂けるともっと読みやすくなるかと。
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