エピローグ
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サファイアブルーと白のドレスを身にまとい、姿見の前に立ったオリヴィアは、口から心臓が出てきそうなほどの緊張を味わっていた。
オリヴィアのプラチナブロンドに輝く髪は細かく編み込まれて一つにまとめられている。いつもよりも少し濃いめの化粧に、首元に輝く大粒のサファイア。そんなオリヴィアの周りをテイラーが何度も何度もくるくると回りながら、支度に問題がないかをチェックしていた。
「やっぱりちょっと、派手じゃないかしら。もっとこう……空気と一体化できそうな格好がいいんだけど」
「はあ? 何言ってるの? オリヴィア様の婚約式じゃない。主役が目立って何が悪いのよ。むしろもっと盛るべきだと思うわ」
ティアナが姿見の中のオリヴィアを見てあきれ顔をした。
(そ、そうなんだけど、でもそうじゃないというか……!)
オリヴィアだって、昨日の朝まではこの格好に納得していた。しかし事情が変わったのだ。とにかく目立ちたくない。無理だとわかっているがこう――オリヴィアの姿が誰にも見えなくなるような魔法の服はないだろうか。心の底から透明人間になりたい。
「それにいくら地味な格好をしようと、オリヴィア様には会場にいる全員が注目するのよ」
(ひぃ!)
ティアナのその一言で、オリヴィアの緊張が三倍くらいに膨れ上がった。
涙目になったオリヴィアに、テイラーが無情にも「お化粧が落ちますから感動しても泣かないでください」と言うし、ティアナはティアナで「オリヴィア様って意外と小心者よね」と嘆息する。
(違うの! 違うのよ! これには訳があるの!)
オリヴィアは心の中で叫んだが、とてもではないが、二人にオリヴィアの事情を説明することはできない。
「はい、完璧です! まだはじまるまで時間がありますし、座って休憩なさっていてください」
最終チェックを終えたテイラーがそう言って、オリヴィアに椅子を薦めた。
ここは、婚約式の会場となる、城の大広間の近くの控室だ。
朝からテイラーをはじめ、大勢の手をかりて支度をして、この控室に入ったのが三十分前。
オリヴィアはドレスが皺にならないように気をつけながら椅子に座って、はあ、と息を吐き出す。
どうしよう、いくら息を吐いても、緊張はどこにも消えない。
婚約式はあと四十分ほどではじまる。
(あんな賭け、しなければよかった……!)
思い出して悔やむももう遅い。
サイラスにチェスの勝負を挑んだ昨日。図書館での読書を終えて午後、サイラスの部屋で「負ければ何でも言うことを聞く」という約束事をして彼とチェスの勝負をしたオリヴィアは――ものの見事に惨敗した。
(サイラス様、強すぎるわ。あの強さは反則よ。勝負するんじゃなかった……)
オリヴィアもチェスの腕にはそこそこ自信があった。それなのに、全く歯が立たなかった。気がつけばまるで魔法のように鮮やかに、サイラスにチェックメイトされていた。
(でも、サイラス様のお願いはあんまりだわ! うぅ……逃げたい)
オリヴィアが緊張で手足を冷たくしていると、コンコンと扉が叩かれる音がした。
「オリヴィア、いいかしら?」
開いた扉から入ってきたのは、バーバラだった。
バーバラは一昨日城に戻ってきた。
エバンス公爵領の方は、公爵が捕えられたこともあり、大きな抵抗もなく関係者の捕縛が進められているらしい。
全員を捕縛して裁くにはまだまだ時間がかかりそうだが、バーバラはオリヴィアとサイラスの婚約式があるからと、兄であるレプシーラ侯爵にあとを押し付けて王都へ戻って来たそうだ。
レプシーラ侯爵にかけられていた謀反の嫌疑もすでに晴れていて、むしろエバンス公爵の不正の証拠を暴くのに協力したとして、近く叙勲されることになっている。
グロリアは王都から少し離れたところにある、エバンス公爵家とは関係のない場所の離宮に移った。王都にはもう二度と足を踏み入れないと宣言し、ゆえに婚約式は欠席だそうだ。ひっそりと祝電だけ、今朝届いた。
正式決定はまだだが、エバンス公爵と公爵夫人、レネーンとその兄は処刑されることになるだろうと言ったのはサイラスだった。
バンジャマンの方も、おそらくだが処刑になるのではないかと言うことだったが、こちらはまだ決定ではない。ティアナの活躍もあり、処刑と終身刑とで意見が割れているためだ。そのためティアナには確定してから伝えた方がいいだろうと言われたが、ティアナはすでにバンジャマンが処刑になることを覚悟しているようだった。
「よく似合っているわ。ロナウドも満足でしょうね」
オリヴィアのドレスの作成は母ブロンシュが主体で進められたが、商魂たくましいロナウドはこれにもしっかりと口を出したようで、デザイナーから生地、宝石類に至るまで、自分が関係している店のものを使用させた。
「先日の貴族裁判の一件もありますから、今日の式の見学者はとても多いらしいわ。大広間に入りきらなくて廊下にまで並んでいますよ」
オリヴィアはかろうじて悲鳴を飲み込んだ。
「そんなに……」
「今ではあなたはこの国を救った救世主ですもの。噂が広がるのは早いものよ」
今回の一件は、結局のところグロリアに踊らされていただけだったから、オリヴィアの手柄と言うわけではないと思う。バーバラにもサイラスにも助けてもらった。
(そう言えば、アラン殿下にも助けられたのよね)
貴族裁判のあと、ルイス・コールリッジ公爵にこっそり教えられたのだが、アランは陰でエバンス公爵とアトワール公爵を除く六人のすべての公爵に、オリヴィアがエバンス公爵を断罪する流れになった場合、オリヴィアに賛同してほしい、と交渉してくれていたそうだ。
エバンス公爵家を敵に回したくない公爵家は多く、難色を示した公爵もいたと言うが、アランは根気よく全員を説得して回ってくれたそうだ。彼が交渉してくれていなかったら、もしかしたら貴族裁判の結果は違ったものになっていたかもしれない。
(たくさんの人に助けてもらったわ)
そして、今日の婚約式も、たくさんの人が祝ってくれている。
オリヴィアは別に、将来王妃になりたいわけではなかったし、幼いころにアランと婚約させられてそれが既定路線だったから用意された道を進んできただけにすぎない。
自分で生きる道は自分で選べない。半ばあきらめていて、だからどうでもよくて、アランに馬鹿のふりをしろと言われたときも、言われるまま従った。
でも今は――王妃になりたいと、オリヴィアは本心からそう思った。
オリヴィアを助けてくれた大勢の人。今日、オリヴィアとサイラスを祝福しに駆けつけてくれた大勢の人。彼らをこの手で守れるようになりたいと、心の底から思う。
もちろん当分は王太子を決めないというのがジュールとバーバラが話し合った結果の方針である以上、アランが本日王太子の位を返上してからはしばらくその場所は空位になる。
王太子の位を返上こそすれ、アランは王位継承権を返上するわけではなく、そのためサイラスがこの先王太子になると言う確証はない。だからもちろん、オリヴィアが王妃になることも確定事項ではないけれど。
もし、その場所に手が届いたら、オリヴィアはこの国の人たちを守るために生きてみたい。
――サイラスの、隣で。
大広間には、バーバラが言った通り大勢の人が詰めかけていた。
大広間に入りきらない人たちが廊下に溢れていて、衛兵たちがオリヴィアとサイラスの邪魔にならないように、見物客を廊下の端と端に並ばせている。
サイラスと並んでゆっくりと廊下を進み、大広間の両開きの扉の前で止まる。
オリヴィアを見て、サイラスが悪戯っ子のような顔をした。
「緊張してる?」
「当り前です」
誰のせいでこんなに緊張しているのだとオリヴィアは言いたい。
(サイラス様はいつもは優しいけど、たまにちょっと意地悪だわ)
そんなサイラスがオリヴィアは嫌いではないから、これまた悔しい。
「僕はとても嬉しい。これからは『僕の婚約者』って堂々と言えるから」
サイラスがそう言って微笑む。
こういう言い方はずるい。
サイラスのせいですごく緊張しているけど、オリヴィアだって今日という日が無事に迎えられてとても嬉しい。
緊張とは違う意味で心臓はドキドキしているし、照れくさいような気持ちもあるし、何より幸せだ。今日から堂々とサイラスの婚約者を名乗れるのだから。
(あの頃は、こんなに好きになるなんて思わなかったわ)
恋と言うものがわからなかった。
結婚相手は親に決められるものだと割り切っていたオリヴィアは、誰かを好きになって、自分の意志で相手を選ぶなんて、想像したことすらなかったから。
だからサイラスに求婚されたとき、好きだと言われたとき、本当に戸惑ったし、どうしていいのかわからなかった。
でも、一緒にいるうちに次第に惹かれていく自分がいて、気がつけば大好きになっていた。
オリヴィアは色恋沙汰に疎いから、たぶんこの先もたくさん戸惑うしおろおろするのだろうけれど、サイラスを好きだと思う気持ちは一生変わらない気がしている。
目の前の扉が開いて、サイラスが一歩踏み出した。
サイラスにエスコートされながら、長いドレスの裾を踏まないように、一歩一歩、音楽に合わせて進んでいく。
前方の数段高い場所にはジュールとバーバラが並んで立っていて、二人とも穏やかに微笑んでいた。
イザックやブロンシュ、ロナウド、アランの姿も見える。
(ああ、どうしよう……泣きそう)
まだはじまったばかりなのに、何かが胸の奥からこみ上げてきて、早くもオリヴィアの涙腺が緩みそうになる。
テイラーから化粧が落ちるから泣くなと言われていたことを思い出して必死に我慢するが、最後まで泣かずにいられる自信がなかった。
前方まで歩いていくと、サイラスに婚約宣誓書が手渡される。
サイラスがよく通る声で宣誓書の内容を読み上げ、その後、再来年の春に結婚式を挙げる予定を周知すると、招待客から拍手が巻き起こった。
婚約式は結婚式と違い、そう長いものではないので、このあとは王の言葉のあとに誓いの口づけを交わして退場し、少し時間を空けて婚約披露パーティーが開かれることになっている。
ジュールが立ち上がり、互いを信頼して支え合って行きなさいというような内容の常套句を述べると、いよいよその時が来た。
(落ち着いて、落ち着いて、わたし)
ドクドクと激しく脈が打ち、体が熱くなってくる。
チェスに負けたら何でも言うことを一つ聞くこと――この約束で、サイラスが提示したものが、この場での誓いの口づけ。
――オリヴィアから、キスしてほしい。
これがサイラスの要求だ。
衆人環視の中で、オリヴィアからサイラスにキス。
恥ずかしさで血が沸騰しそうだし、緊張で膝がガクガク震えるけれど、約束したのだから守らなくてはならない。
オリヴィアはすーはーすーはーと何度も息をくり返して、ぐっと顔をあげた。
サイラスがにこにこ笑いながらこちらを見下ろしている。
(サイラス様、絶対楽しんでいるわ)
進行係の合図で、サイラスが身をかがめて、オリヴィアの唇に触れる一歩手前で止めた。
残りの距離は君が、とサイラスの心の声が聞こえてオリヴィアは覚悟を決める。
オリヴィアはまるで熟れたリンゴのように真っ赤に顔を染めて、そっとつま先立ちになると、サイラスの唇に自分の唇を押し当てた。
わっと会場から歓声と拍手が巻き起こる。
オリヴィアが唇を離すと、サイラスがとろけるような笑顔を浮かべていた。
ドキンとオリヴィアの心臓が大きく高鳴る。
(この顔、ずるい……)
こんな風に幸せそうに微笑まれると、オリヴィアはサイラスのお願いを何でもかなえてあげたくなってしまう。
「サイラス・クレイモラン・ブリオール殿下、並びに、婚約者オリヴィア・アトワール公爵令嬢、ご退出です」
進行係がサイラスとオリヴィアの退場を告げ、音楽が奏でられる。
サイラスの腕に手を添えて、オリヴィアは彼とともに足を踏み出した。
彼の隣に立つことが認められた今日のこの時を、オリヴィアは生涯忘れないと思う。
サイラスが会場にいる人を見渡して、誇らしそうに言った。
「オリヴィア、君のことを馬鹿なんて言う人間は、もう、この国には誰一人として存在しない」
お読みいただきありがとうございます!
これにて完結です。
こちらはノベル3巻の内容になりまして、この続きは主婦と生活社PASH!ブックス様より刊行中の4~6巻で読めますのでよかったらチェックいただけますと幸いです!
また、WEB版でオリヴィア、サイラス、アラン、ティアナたちのその後の様子を読みたい方は、「ティアナ!」という外伝を投稿しておりますのでそちらも覗いてくださると嬉しいです(#^^#)
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それから、本日、本作コミックス⑧が発売されました!
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