劣勢のタクティクス 4
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夕方になって、オリヴィアがアトワール公爵家へ帰る準備をしていると、疲れた顔でサイラスがやってきた。散歩を終えてからも、この時間までずっとレネーンに張り付かれていたらしい。
「オリヴィア、今から帰るんでしょう? 邸まで送るよ。というか送らせて」
アトワール公爵家は城から近く、馬車を使えば数分で到着する。わざわざ送ってもらうほどの距離でもないのだが、ほんのわずかな間でも城から離れたいと願うサイラスの気持ちが透けて見えて、オリヴィアは苦笑した。
「はい。よろしくお願いします。テイラー、フラン、わたくしはサイラス様に送っていただくから、公爵家の馬車で先に帰っていて大丈夫よ」
「わかりました!」
サイラスとレネーンにやきもきしていたテイラーは満面の笑顔で頷いて、ティアナとともに先に部屋から出て行く。
「フランとテイラー、何か仲良くなった?」
「あー……共通項と言うか、まあ、そんなものがあったようで」
共通項と言うよりは共通の敵と言い換えてもいいけれど。
オリヴィアが言葉を濁すと、サイラスが不思議そうに首を傾げる。
オリヴィアが簡単に、二人ともレネーンが好きではないようだと告げると、サイラスは「なるほどね」と笑った。
「それで意気投合したんだ」
「はい。困ったことに」
「いいんじゃない? フランはともかくテイラーは心得ているから、他人の耳があるところでは騒がないだろうし」
レネーンはサイラスの親戚なのに、テイラーたちが悪口を言っても気にならないようだ。
(前から気になってはいたけれど、サイラス様はレネーンがあまり好きではないのかしら?)
サイラスは基本的には誰にでも優しいので、レネーンにも笑顔で接しているが、嫌いとまではいかなくとも苦手意識は持っていそうな雰囲気だ。
(こんなことを考えるのはダメだとわかっているけれど……サイラス様がレネーンのことが好きじゃなくて、よかった)
ティアナが言ったからではないけれど、サイラスがレネーンと庭で散歩をしているのを見たときは少しもやもやしていた。サイラスはオリヴィアの恋人なのに、堂々と腕を組まないでほしいと、ちょっと嫉妬した。
だからだろう、サイラスがレネーンを好きではないとわかると、安心してしまう自分がいる。
サイラスのことは信頼しているけれど、それと嫉妬とは別物だ。やっぱり、好きな人には自分だけを好きでいてほしい。
城の玄関へ向けてサイラスとのんびり廊下を歩いていると、前方からグロリアが歩いてくるのが見えた。
オリヴィアとサイラスが足を止めると、グロリアも足を止めて、サイラスへ冷ややかな視線を向ける。
「もうじき晩餐だというのに、どこへ出かけるつもりですか?」
「晩餐の時間までは戻りますよ」
サイラスがにこりと微笑んで、さりげなくグロリアからオリヴィアを守るように回り込んで答える。
「おばあ様こそ、夕食の時間に間に合うようにお帰りになった方がよろしいのでは?」
「わたくしは本日陛下にお招きいただいておりますから、レネーンとともにこちらで晩餐をいただいて帰ります」
「そうですか。ではお邪魔でしょうから、僕は本日の晩餐は欠席させていただきますね」
「レネーンの歓迎の晩餐ですよ。あなたがいなくてどうするの」
「さて、何の歓迎でしょうか。親戚の人間が遊びに来るたびに歓迎の晩餐会を開くような習慣はなかった気がしますけどね」
「サイラス!」
「それでは急ぐので失礼します」
サイラスは笑顔のまま会釈をして、オリヴィアの手を引いて歩き出す。
オリヴィアは去り際にグロリアに頭を下げたが、じろりと睨まれてしまった。
オリヴィアは立ち止まったままサイラスとオリヴィアに視線を向けているグロリアの存在が気になって仕方がなかったが、サイラスは振り返りもせずに足早に廊下を進んでいく。
玄関まで降りて、用意されていた馬車に乗り込んだところで、顔に張り付けていた彼の笑顔が剥がれ落ちた。
「はあ。まったく、何なんだろうね」
ぐったりとえんじ色の背もたれに体重を預ける。
護衛のためコリンも馬車に乗り込むと、サイラスとオリヴィアの対面に座ったコリンに、サイラスはできるだけゆっくり馬車を進めてほしいと告げた。御者台に向かってコリンがその通りに指示を出し、馬車がゆっくりと動き出す。
「どこまで強引な手段でくるんだか。レネーンはね、今日から城に泊り込みらしいよ。妃教育を受けるんだってさ。妃教育の教育官以外にも、おばあ様が直々に教えると言っていたね」
なるほど、レネーンの教育を口実にグロリアは毎日城へ通ってくるということか。
城にバーバラがいない以上、グロリアを止められるのはジュールだけだが、レネーンの滞在もグロリアが城へ通うことも許したとなると、止める意思はないと見た。
「それは……ワットール殿の血管が心配ですね」
コリンが微苦笑を浮かべる。
「もうすでに腹を立てていたよ。頭に来すぎてうっかりモノクルを壁に投げつけて割っちゃったらしい。いくつかストックがあるから困らないとは言っていたけど」
オリヴィアは妃教育の教育責任者であるワットールの顔を思い浮かべた。
ワットールは、ダークグレイの髪をぴっちりと撫でつけた、ちょっと神経質な四十過ぎの教育官だ。幅広い知識を持っている優秀な教育官であるワットールには、オリヴィアもお世話になっている。オリヴィアは妃教育をすでに完了しているが、彼と討論するのはとても面白くて、週に数度時間を取ってもらっては様々な分野について語り合っていた。
「ワットール殿はオリヴィア様派閥ですからね」
訊きなれない言葉に、オリヴィアは首を傾げた。
「コリン、その派閥とは何でしょうか?」
「推しってことです」
「はい?」
「コリン、オリヴィアにはそれじゃあ伝わらないと思うよ。オリヴィア、簡単に言うと、君が大好きな人たちのことかな。兄上のところのバックスもそうだね。文官には多いんだよ、君のファン。特にオリヴィアは、昔から兄上の仕事を引き受けていたからね。君は兄上の命令で愚者のふりをしていたけど、君の本質に気づいて、評価している人間は君が思っているより多いよ」
「そ、そうなんですか?」
オリヴィアは急に恥ずかしくなって頬を押さえた。知らなかった。言われてみたら、オリヴィアに好意的な文官は多かった気がする。
(嬉しいけど、なんだか落ち着かないわ……)
オリヴィアに特別なことをしてきた自覚がないからこそ、周囲から評価されると、本当にそんな評価をもらってしまっていいのだろうかと思ってしまう。
「おばあ様もそれに気づいているだろうから、彼らの中でのレネーンの株を上げようって作戦もあるんだろうけど、さてさて、どうなることやら。勉強はできなくはないみたいだけど、勉強ができるからって優れているってわけでもないからねえ。母上は、知識だけは詰め込んだけどそれを使いこなせないバカってよく言ってたな」
さすがバーバラ、手厳しい。
「今思えば、兄上が仕事を全部引き取ってくれて助かったかな。レネーンの評価を上げるために、僕のところに来た仕事をレネーンに手伝わせろとか言われていたかもしれないし。そうなれば二重チェックが必要になるから、手間で仕方がなかったよ」
「でもさすがに……ティアナがしたみたいに全部『可』で返さないと思いますけど」
「それはないだろうけど、レネーンの場合おばあ様と一緒で、自分の身内や都合のいいところにだけいい顔をするから、偏りが出るんだ。公共事業でそれをやられたらたまらないよ」
つまりはエバンス公爵家やエバンス公爵家にとって都合のいいところにばかり便宜を図るということか。
(それが政である以上、公平性を失ってはならない)
常に公平であれ。妃教育の最初に習う言葉だ。
どんな時も。たとえそれが身内に対してでもだ。
王妃になる人間は、例え自分の身内であろうとも公平に裁く覚悟と冷徹さが必要だと、オリヴィアは教育官だけではなく、父からも教わった。アトワール公爵家が罪を犯せば、その手で裁けと、そう言われて育った。
いついかなる時も公平で公正であるのは難しいことかもしれない。
人に感情がある以上、必ずそこに引っ張られる。
オリヴィアだって、もし本当に父や兄を裁かなくてはいけない状況に陥れば悩むだろう。迷うだろう。
情に訴えられれば、聞いてあげたくなるかもしれない。
けれども、どれだけ迷っても悩んでも、公平で公正であり続ける努力は怠ってはならない。上に立つとはそう言うことだ。
しかしグロリアは違う。レネーンも違う。
グロリアは優秀かもしれない。けれど、オリヴィアがバーバラと決定的に違うと思うのはそこだ。きっとバーバラは、身内であろうとその手で裁ける。切り捨てるのではなく「裁く」。その覚悟を持っている。優しさはあるけれど決して甘くはない、それがバーバラだ。謀反の嫌疑をかけられているレプシーラ侯爵家に、本当にその疑いがあるならば、バーバラは間違いなくその手で裁くだろう。これは確信だ。
アランに婚約破棄されてから起こった一連の事件。
あの時も、バーバラが本気でアランをかばいに行けば、違った結果になっていたと断言できる。
バーバラはおそらくオリヴィアたちの動きにも気づいていた。そんなバーバラが横やりを入れて、レモーネ伯爵家の罪をアランに裁かせる形でアランの地位を脅かさない方向へ持っていくこともできただろう。
バンジャマンの罪をオリヴィアが暴いたあの場でバーバラが口を挟まなかったのは、アランとサイラス、そしてオリヴィアがそれぞれどのような動きをしてどのような結果を導き出すのかを探っていたからだ。
(最後の最後……アラン殿下が自分の手でバンジャマンのもう一つの罪を暴いて裁かなかったら……バーバラ様は最後、アラン殿下の王位継承権を奪っていたと思うわ)
王位継承権を返上したいと言ったアランをバーバラが踏みとどまらせたのは、アランの最後の行動が大きいはずだ。
優しいけれど、甘いわけではなく――何があっても最後の一線は間違わない。バーバラは、そう言う女性だ。それがブリオール王妃の「格」。
「そういうことだから、これからはおばあ様まで城にいるからね。城で大っぴらに相談できなくなるね」
サイラスの言葉にオリヴィアはハッと我に返った。
そうだ。グロリアが城にいる以上、オリヴィアとサイラスの行動が知られる危険性がある。
コリンが少し考えてから口を挟んだ。
「その件ですが、アトワール公爵家を使われたらどうですか? 殿下もオリヴィア様も陛下の判断で婚約式まで関係性は保留にされていますから、恋人のところに遊びに行ったって、何らおかしくないでしょう?」
「なるほどね。そうすればレネーンにもおばあ様にも邪魔されないってわけか。オリヴィアは今、書類仕事がないし、城に来る必要はないもんね」
「でもそうなればサイラス様が大変ではないですか?」
「大丈夫だよ。僕に回されていた仕事も兄上がやっているし。もともと午後から書類仕事をするために、必要な授業は午前に固めていたからね。仕事をしない分、午後には余暇がある」
サイラスに問題がないなら、その提案は願ったりだ。
婚約式まであと一か月ほどしか時間がない。
城でグロリアやレネーンの目を気にしながらだとどうしても集中できないので、集中できる環境で考えたい。
「城のオリヴィアの部屋にあるチェス盤とエバンス公爵家の収支報告書は、明日にでも僕がアトワール公爵家へ持って行くよ。収支報告書の持ち出し許可も得ておくから安心して」
「ありがとうございます」
いつまでも後手に回っているわけにはいかない。
(劣勢を覆すだけのタクティクス……見つけてみせるわ。大丈夫、まだチェックメイトはされていないもの)
サイラスの隣に立つことが認められるだけの能力を――文句を言わせないだけの完全なる勝利を、オリヴィアは必ず手にして見せる。











