第二十九話「事件はいつも突然起こる」
「はぁ~~~」
「おいおい、また溜め息かよ高見沢」
週明けの月曜日、帰りのHR中に吐き出した盛大な溜め息に猫橋はウンザリした様子で反応した。
「高見沢鏡四郎、人生最大の失敗かもしれん。弥生の連絡先を聞き忘れ、あまつさえ別れ際も雑になってしまった・・・・・・はぁ~~~」
「ほんと重傷って感じね」
高杉さんも俺の様子に呆れて今にも溜め息をつきそうだ。
猫橋は今にもキレそうな顔をしている。
「気持ちは分かるが、今ので九十九回目だぜ。百回目やったら記念にパンチくれてやるから覚えとけよ!」
「非道い事を言う~。それが友人の言葉なのか~」
「辛気臭くてイライラすんだよ。それに・・・・・・恵ちゃんが心配すんだろが」
「・・・・・・うむ」
視線をクラスの中に移すと、こっちを見ている天草さんと目が合った。
その目には俺を心配する気持ちと、どう慰めていいか迷っている様子が分かりやすく現れていた。
この間の映画の後、皆で晩ご飯を食べている間も、帰り道の間もずっと、俺は後悔と自分のアホさ加減に落ち込んでいた。いつも前向きの俺が、久しぶりに軽い自己嫌悪になっていたのだ。天草さんはそんな俺の事をすごく心配してくれ、SNSで元気づけのメッセージもくれた。だが俺はいつもの自分を取り戻せずにいた。
俺はアホだ。弥生は俺とまた会えた事をあんなに喜んでくれたのに・・・・・・俺はアホだ。
「はぁ~~~」
ゴツンッ!
「痛っ! 何をするのだー!!!」
「聞いてなかったんかオメーはよ!? 百回目記念だよ!!!」
「まあまあ二人とも落ち着いてってば~。ほらセンセも見てるよ」
担任の初老教師である笠松はわざとらしい咳払いをしてこっちを睨みつけている。
俺達はしょうがなく前を向いて席に座り直した。
猫橋へのあてつけに百一回目の溜め息をかましてやろうかと思ったその時、俺にあるひらめきが訪れた。
・・・・・・そうか、その手があったか!
そのままHRは終わり、クラスメイト達が徐々に部活や家路につき始める。
そんな中、一人の男の様子を背後から窺う三人がいた。
「・・・・・・それで、高見沢君は何であんなに恐い顔で勉強してるの?」
教室の後ろで、天草さんは猫橋達二人にこっそりと聞いた。
俺は自分の席に着いたまま、帰り支度もせずに鬼気迫る表情で教科書と参考書を相手に激しい闘いを繰り広げている。
「わかんないの! なんか元気になったと思ったら勉強始めちゃってさ、ちょっと聞いてみたんだけど、気にしないで先に帰ってくれだって。気になるんだけど、それ以上はツッコミづらくってさ~」
「うーん、なんか変なオーラ出てるもんな、あんま触りたくない感じの。勉強で例のショックを紛らわそうとしてるのかもしんねーな」
「私、このまま高見沢君を置いて帰れないよ・・・・・・」
「よし! やっぱここはオレが行くしかねーか!」
猫橋が皆を代表して俺の机の傍へとやって来た。
「よお、なにやってんだよお前?」
「・・・・・・見て分からんか?」
俺は猫橋を見もせずに言った。
気まずい空気がお互いの間に流れる。
「いや、まぁわかるけどもさ・・・・・・」
「勉強して知力を上げる事で、魔力を得ようとしているのだ」
「やっぱそうだよな・・・・・・って、見てわかんねーよそれ!!! なんだよそれは!!??」
よほど意表を突かれたのか、猫橋はコントの様にコケそうになりながら普段しないような激しいツッコミを繰り出した。
やれやれ、説明せねばなるまい。
「知力は魔法パラメータの基礎となる。それを高める事で魔力を得て時間魔法を習得し、あの運命の時まで戻って弥生の連絡先を聞くのだ。ふっ、この世界では難しい事ではあるがな」
「難しいとかじゃねーだろ!!! 現実と異世界の違いくらいわかってたんじゃねーのか!?」
「アタシが思うに、その理論でいくと東大は魔法使いだらけのホグ○ーツになるんですけど」
「はっ! 東大生に頼めば良かったのか・・・・・・!?」
「いいから落ち着けっ!!! バケツで水魔法使うぞコラッ!!!」
猫橋は俺の首根っこをガッシと掴まえると、帰るぞと一喝し、俺を引きずる様にして連れ出した。
「ああ~! 俺の教科書~!」
「心配すんな、荷物は恵ちゃんが持ってくれてるよ。ったく、落ち込んでると思って気ぃ使ってたらアホなこと考えやがって。ちっとは目の前のダチのことも意識して欲しいもんだぜ」
「うう、面目無い・・・・・・」
天草さんに励まされながら皆の後ろについてトボトボと歩く。校門の辺りに差し掛かった時、猫橋があれっと声を上げた。
「なぁ高見沢、あの校門のとこに立ってるセーラー服の女子ってもしかして・・・・・・」
皆の視線が校門の方へと向けられる。
校門の柱に隠れる様にして立つ、一人の女子が居た。
その女子は目立たない様にしながら下校中の生徒達を気にしている。ブレザーの群れの中から誰かを探している様にも見える。
俺は他校の女子に知り合いなんていないが、その長い黒髪、大きくてキリッとした目元には見覚えがあった。
「・・・・・・弥生だっ!!!」
「弥生さんて、高見沢君の幼馴染の?」
「弥生・・・・・・!」
俺の耳には天草さんの声が全く届いていなかった。今、目に映っているのが本当に弥生なのか、それを確かめたい。俺の頭の中はその思いと、心細そうに一人佇んでいる弥生の姿で一杯になっていた。
気づけば俺は皆を置いて一人駆け出していた。
俺が近づくとセーラー服姿の女子が視線をこっちに向ける。そしてその瞳の暗い寂しさと不安が、陽光の様な明るさへと変わっていく。
「キョウちゃんっ!!!」
「やっぱり弥生っ!!! な、何でここにっ!?」
「あの時に森王高校に通ってるって言ってたでしょ? だから思い切って来ちゃった!」
「ま、マジでか・・・・・・!!」
確かに高校の話はしたが、直接学校に行って探すなんて事は考えもしなかった。よその学校に訪ねて行くなんて気が引けてしまうし、タイミングが悪ければ会うのに何日かかるかも分からない。それに俺が訪ねて行った場合、悪くすれば女子につきまとう不審者と思われかねない。しかし冷静に考えてみれば、リスクを踏まえてもそっちの方が時間魔法を習得するよりマシかもしれない。
また会えて良かった、そうは思うのだが、俺は後ろめたさで素直に気持ちを顔には出せず、どんな顔をすればいいかも分からないままに話し始めた。
「あの時は本当に悪かった。また、と言いながら連絡先も教えずにいて。そのせいで弥生にわざわざここまで来させてしまったし。本当に、ごめん」
文句の一つ二つは浴びせられて当然と思っていたのだが、弥生は首を大きく振って笑い飛ばした。
「いいんだよそんなこと! わたしが来たくて来たんだしね! ぜんぜん大丈夫!」
「弥生・・・・・・! ありがとうな!」
よその高校まで会いに来てくれるなんて、なんという行動力だろうか! それにその度胸、気が引けるなんて考えていた自分が情けない! 弥生は俺が知らないうちに逞しい女子に成長していたのだなあ!
俺は弥生に頭が下がる思いだった。それと同時に大きな胸のつかえが取れた事に大きな喜びと安堵を感じていた。
弥生は俺の笑顔を見て満足そうに頷き、それに、と口を開く。
「もしわたしが来なくても、キョウちゃんが会いに来てくれたんでしょ?」
疑いの一切無い瞳で見つめられては、答えは一つしか無いに決まっている。
「もちろんだ! 弥生が来なくたって俺が行っていたに決まっているぞ!」
「そうだよね! さすがはキョウちゃん!」
「ワハハハ! もちろんだとも!」
さっきまで弥生の学校に行くなんて考えてもいなかったが、それより難易度の高い時間魔法に挑戦していたのだから、やろうと思えば学校にも行けたはずだ。だからこれはまんざら嘘という訳でもない。うん、そのはずだ。そうに違いない。
「そうだ! 俺の友人達を紹介しておこう!」
俺は少し後ろで遠慮がちに待っている三人を指して言った。
「こちらの上品な女子が天草さん、こっちの面白そうなのが高杉さん、そしてこのカワイイのが猫橋だ!」
「どうぞ、よろしく」
「なんでアタシの形容詞が面白そうなのよ」
「オレがカワイイか、後で殴るからな」
弥生は皆の顔をぐるっと見回してからちょこんと頭を下げて見せる。
「どうも! わたし我孫子弥生です! 気軽に弥生でいいよ!」
三人はどれくらいの距離感で接したらいいものか様子を窺っていたみたいだが、弥生の明るくサッパリした空気に触れて肩の力が抜けた様に見えた。
「オレの事も気にせず猫橋でいいよ。じゃあ高見沢、オレこっち行くわ」
猫橋はそう言って俺や天草さんとは別の道を指し示す。家の方向は俺と同じはずなのだが、なぜか猫橋は最近あまり一緒に帰ろうとはしない。高杉さんは基本的に猫橋にくっついて帰っている様だ。
「あ、同じ方向?」
俺と一緒に歩き出そうとした天草さんを見て弥生が尋ねる。
「ああ、天草さんは俺の家の隣に住んでるんだ」
それを聞いた弥生は急に足を止めた。
そして天草さんを一瞥する。僅かに睨んだ様に見えたのは俺の見間違いだろうか。
「弥生?」
すると弥生はおもむろに俺の腕を取った。
「え??」
「久しぶりに会ったんだからさ、今日はわたしに付き合ってよ。ね?」
弥生が抱きかかえる様にして俺の腕を持つと、肘の辺りに柔らかくてけしからん感触が伝わってくる。
「ええ!? あ、いや、まあ、久しぶりだからな! 分かった今日は付き合うぞ! という訳で皆、また明日会おうではないか! ではな!!!」
俺は皆に別れを告げ、弥生に腕を引かれるままにその場を去った。
天草恵は二人が仲睦まじく歩き去った先をずっと無言で見つめていた。
更にその後ろでは、その様子を戦慄と共に見守っている別の二人がいた。
「ねえ、いまの見た?」
「うーん、波乱の予感がするぜ・・・・・・」
高杉聡美と猫橋猛は事件の始まりを予感してお互いの顔を見合わせたのだった。
第三十話へ続く