第一話「愛ゆえに」(天草 恵 編)
少女は瞳に涙を浮かべ俺を見た。
ワインの様に深みのある紅の瞳は告げていた。
これが今生の別れであると。
彼女はマントを翻し、剣を片手にドラゴンの背に乗る。栗色の髪が肩の上で揺れ、彼女の口元を覆い隠そうとしたが、俺には見えた。
彼女はこう言っていた。
『さようなら、ボクは、君のことが好きだった』
ドラゴンは天高く舞い上がり、俺の返事も、差し出した手も振り切る様にして彼方へと飛び去った。
もう俺の声は届かない。彼女を守る事も、その姿を見る事も出来ない。
ああ、好きだった。愛していたんだ、君のことを。なぜもっと早く伝えられなかったのだろう。分かっていたのに、君も俺のことを想ってくれていると、分かっていたのに。俺はいつまでも悔やむだろう、忘れないだろう。君の笑顔を、俺の無力さを、君の愛を、俺の哀しみを、君の決意を、俺の迷いを、君の……。
「……う〜んと、そろそろオレ喋ってもいいか?」
高校からの下校中、胸の内にこみ上げる熱い想いを垂れ流していた俺を控え目に制止して、猫橋 猛は口を開いた。
「なぁ高見沢、ちょっと整理させて欲しいんだけど、今のはゲームの話だよな?」
「ゲームの話が元だが、正確には昨夜見た夢の話だ」
「……うん?」
頭一つ俺より背が低い猫橋が可愛らしい顔を半笑いにして首を傾げる。
「つまりだな、俺はずいぶんと前に『エンドレスラブ・メモリーズ』というギャルゲー(美少女ゲーム)をやったんだが、ティズちゃんのトゥルーエンドを見られなかったのだ! その事が悔やんでも悔やみきれず、昨夜もまた夢に見てしまった! ああっ、俺は選択肢を間違えてしまったのか! それともパラメータが足りなかったのかー!」
「ちょいちょい言ってっけど、外で喋る時はボリュームを考えようや。見られてっから」
猫橋は気恥ずかしそうに周りに目を見やっている。
すれ違った若いママさんが何事かとこっちを見て笑っていた。
「気にするな、注目されるうちが華と言うものだ。今はまだ可愛らしいのだから、たっぷり見られておけ」
俺は猫橋の頭を優しくナデナデする。
「お前だから大目にみるが、普通ならぶん殴ってるとこだからな。それに見られたのはお前のせいだ!」
「真実の愛を笑う方が不届きと言うものだ。真実の愛が故に胸が痛い」
「別にもう一度やってクリアすればいーんじゃねーのか?」
「馬鹿を言え! 出逢いは一期一会、運命のドラマに二度目は無い。それ故に俺は一度のプレイに全力で魂を注ぎ込むのだ!」
「繰り返しプレイはしない主義だと?」
「その通り!」
「ふーん、まぁいいけどな。っていうか、その娘ってボクっ娘?」
「その通り」
「特殊なとこ行くなぁ」
「味わい深いものだぞ」
「……学校で普通の恋愛をするって選択肢もあるが」
「興味ない!」
「そうだったな」
「愚問だな」
その後も俺は溢れる想いを語り尽くした。猫橋はギャルゲーどころかゲームもしない様な男だが、いつも俺の話を聞いてくれる。俺の数少ない、いや唯一の友人だ。
もし誰かがそれを聞けば、寂しい男だと思うだろうか。否定はしない、一般的に見ればそうだろう。だがそれくらいで丁度いいのだ。なぜなら俺は……。
異世界へ、行くのだから!
我が家に着き二階に上がると俺の部屋がある。
『家族といえど無断で入るべからず』
扉にはそう張り紙がしてある。ここは俺にとって何者にも侵されたくない聖域なのだ。
中に入ると大量のギャルゲー達が俺を迎えてくれる。
ギャルゲーがぎっしり並べられた棚を『愛の宝物庫』、棚に入りきらずに天井近くまで平積みにされたものを『栄光の塔』と俺は呼んでいる。
帰って来たらまずする事は、俺の大切な人達に挨拶する事だ。
一人目は『マリル・ロピアーナ』。出逢いはもう二年も前になる。彼女は小さな町の宿屋の娘なのだが魔王に見初められてしまい、あわや人身御供となりかけたところを、通りすがりの冒険者である俺が助けたのだ。長い黒髪が似合う美しい娘である。登場作は『十二人の姫と黄昏勇者』(メインヒロインではない)。
「ただいまマリルちゃん」
俺は壁のポスターの中で笑う彼女のひたいに口づけをする。あくまでもそっとだ。あまり濃厚にやると、ポスターがふやけて何だか肌荒れの様になってしまうからな。
「おいおい、そんなにふくれた顔しないでくれよセーラ。 妬いてるのかい?」
ベッドの方に目をやると、横になった抱き枕にプリントされたイラストがこちらを見ている。
二人目は『セーラ・チェリスト』。兄妹同然に育ってきた俺達だが、知らず知らずの内に愛し合っていた。普段はツンツンしているが、二人でいる時にだけ見せる甘えた表情は言葉では言い表せないくらい可愛い。金髪ツインテールのロリ娘だ。登場作は『ビューティフル・デイズ』(隠しヒロイン)。
俺は円筒形のセーラを抱え上げ、思い切り抱きしめる。
頭皮の脂と、男の汗の臭いがした。
そりゃそうだ、いつも抱いて寝ているからな。
そして最後は……。
「ティズ……」
デスクの上のパソコンの傍に凛々しく立つその姿は、愛しくも美しい、カーダイン王国第三王女『ティズ・メトラテア・カーダイン』(メインヒロイン)。彼女は暗殺から逃れるために、俺の通う隣国の冒険者養成学校に普通の生徒として編入してきた。剣の扱いに長け、男顔負けの強さを持つ彼女だが、女性らしい優しさも同時に持ち合わせていた。ただの同級生として切磋琢磨していた俺達だが、カーダイン王国は魔族との戦争に巻き込まれ、彼女は国を守るために去っていった。
「アデル、ハンル、カーダイン!」
俺はデスクの上の彼女に向かい、両腕を胸前で交差させた後、右手を天へと突き上げた。
これはカーダイン王国における主君への忠誠を誓う所作である。これは何度も作中のイラストを見返し、文章の表現も注意深く解釈して再現したから完璧なはずだ。おそらく明日カーダイン王国のロイヤルガードに雇用されても大丈夫だ。
「ごめんティズ、俺は君を守れなかった。もし俺が君の世界に行けたなら絶対に君を守ってみせるのに。君のためなら死ぬ事も出来るというのにっ!」
涙がハラリと頰を伝い落ちる。
ふっ、泣くんじゃない俺よ。男の涙は流すためにあるんじゃない。呑み込んで明日の糧にするためにあるんだ。
俺は気を取り直して日々の日課を始めるとする。
日課とは、筋力トレーニングである。
腕立て伏せに始まり、腹筋、背筋、スクワット、もちろん柔軟も欠かさない。それが終わったら十キロのロードワーク、これらをほぼ毎日やっている。ギャルゲーと出逢った中学一年の時からずっとだ。
なぜやっているのかと聞かれれば、こう答えるだろう。
いつ異世界へ召喚されてもいいようにだ、とな!
そうして翌日学校へ行き席に着くと、前の席に座る猫橋が後ろを向いて話しかけてきた。
「なあ高見沢、お前聞いたか例の話?」
「霊の話? そう言えば、童貞大学生が引っ越した先に着物姿の美少女三姉妹幽霊が現れてハーレム展開になるギャルゲーが出るらしいんだが……」
「いやいやいや、そうじゃなくてな、転校生がうちのクラスに来るらしいんだよ。今みんなそのうわさ話してんのさ」
猫橋はあご先をちょいとやってクラス内を示す。
なるほど、クラスメイト達が騒がしくしているが、そういう訳か。
「しかもその転校生ってのは女子で、アイドルでもおかしくないくらいレベル高いらしいぜー。四十八とか四十六とかにいそうな感じ!」
「えー猫橋クンも転校生が気になるのー? なんかガッカリー!」
隣の席の女子がからかう様に猫橋に絡んできた。
実際の所、猫橋はそれなりに女子に人気がある。
「ちげーよ。そんなんじゃねーけどよ、こうみんながテンション上がってると何だか面白くなりそーじゃん?」
確かに猫橋の様子は他の男子と違って、ソワソワしている訳でもなく、ただ純粋に興味があるだけという風に感じられた。
「で、お前はどうよ? アイドル級転校生ちゃんが来るって聞いてさ?」
「問題は、だ……」
「うん?」
「今月金欠の俺が新作のギャルゲーを買うべきか否か、という事だ」
「うーん、とりあえず興味は皆無だってことは分かったわ」
「高見沢クンにそんな質問するのが間違いなんじゃナイ?」
猫橋の隣の女子、高杉さんは珍獣を見る様な目で俺を見た。
いや、これは自意識過剰な訳ではない。俺が異世界へ召喚されたがっている事はクラス内では周知の事実だからだ。
なぜみんな知っているのかって?
俺が公言してはばからないからだ!
そんな話をしながらクラスがザワザワしていると、ベルが鳴り、朝のホームルームが始まった。
担任の男性初老教師である笠松がクラスに入り、その後についておずおずと、一人の女生徒がうつむきがちに入って来た。
彼女が顔を上げた瞬間だった。クラス中から感嘆の息が漏れた。
白く透明感のある肌には恥じらいの赤い紅が差し、パッチリと大きな瞳は長いまつ毛と共に見るものを惹きつける魅力を備えている。キューティクルが美しい黒髪は肩の上で優雅に揺れ、まるで最上級のシャンプーの香りがこちらに届いて来るのではないかという期待感さえ抱かせる。程よい脹らみを備えた胸、細くしなやかな手脚、どこをとっても完璧に近いバランスに感じられ、もはや神のイタズラとしか思えない。
朝のホームルームは興奮した男子達により半ば崩壊していた。その騒ぎを聞きつけた他のクラスからも人が集まり、廊下はまともに歩けないほど生徒達で埋め尽くされていた。
「うーん、これは予想以上だったなー」
猫橋は腕組みして唸った。
「どうよ大将? ナマモノを見た感想をどうぞ」
「う……」
「うん?」
「美しい!!!」
「な、なんだってーーー!!!」
第二話へ続く